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    magnolie_aki

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    2022/6/25-26
    アサオズwebオンリー「オーロラと夜明けのワルツ2」展示作品です。

    世界中に溢れている、『オズ』の名前にまつわる物語にアーサーがふれていくお話し。カプオンリーといいつつほとんどオズが出てきません。

    #オーロラと夜明けのワルツ2

    いつか、だれかの物語 過ぎさってしまった過去の出来事に「もしも」などと考えてもどうしようもない。時間が巻き戻ることはなく、過去は決して取り戻すことなどできないからだ。
     しかし。過去は人生になり、人生は歴史になり、歴史は物語になる。物語に「もしも」はつきものだ。抜け落ちた断片を埋めるようにあらゆる「もしも」が介在するようになれば、物語は変容し、時にそれは娯楽として消費されていく。
    「──それを、許しがたいと思ってしまう私は狭量なのだろうか」
     読んでいた本をパタンと閉じて、物憂げにアーサーは息を吐く。そっと撫でたその表紙は、彼の年頃の少年が読むにはいささか可愛らしい絵で彩られていた。きらきらとした箔で押された表題は『ひかりの王子とやみの魔王』。光り輝く剣を手にした勇敢な王子が、闇の力で世界を支配する恐ろしい魔王に立ち向かう冒険物語だ。表紙で剣を構える主人公の王子の名前はアルト、そして、漆黒の鱗をもつ竜の様な姿で描かれているのが物語の敵である魔王オズバルトだった。
     物語の魔王は非道で凶悪な存在で、王子は民衆の期待を一身に背負って魔王を打ち倒す。物語は大団円で幕を下ろし、滅ぼされた魔王のために悲しむ者など当然いない。
     もちろんこれは空想の物語だ。けれど、その背後によく見知った人物の存在が見え隠れするのは、決して思い込みや錯覚ではないだろう。彼の人はアーサーにとっては親愛と信頼でもって相対する身近な人物であっても、世界の大多数の人々からすればお伽噺のような存在だ。
     そう。永い時の経過は、人の存在の輪郭を曖昧にする。たとえ現在を生きる存在だとしても、魔法使いの人生は瞬きするような人間のそれと比べると永すぎるが故に、物語となり得てしまうのだ。

     *

     今夜は〈大いなる厄災〉が姿を隠す新月の夜だ。普段は巨大な月に明るく照らされる夜の空も、今日ばかりは静けさに満ちている。
    「思ったよりも遅くなってしまったな。……もう夕食の時間は終わってしまっているだろうか」
     中央の王城での公務の終わり、魔法舎へ向けて箒を飛ばしながらアーサーはそっと呟く。腹が減っているわけではないが、アーサーは魔法舎での食事風景が好きだった。王城の食事はもちろん選りすぐりの材料と料理人によって作られており、不味いとか飽きたとか思ったことなど決してない。だが、話し声よりも食器が奏でるかちゃかちゃという音の方が響くような空間でかしこまって摂る食事よりも、賢者や賢者の魔法使いたちがわいわいとおしゃべりをしながら過ごす魔法舎の食堂の居心地が良いと感じてしまうのはどうしようもない。城で夕食を摂ってから魔法舎に来た時に、食事をする皆を眺めながらおしゃべりに参加するアーサーにお茶と共に軽くつまめる小菓子をそっと出してくれるネロの気遣いも好きだった。
     魔法舎が目に見える距離まで近づいて、どこかホッとした気持ちになる。そのまま徐々に高度を落として中庭に降り立とうと考えていると、ふと視界の端に飛び込んでくる人影があった。
     ムルだ。
     彼は、魔法舎の屋根の上に座り夜空を見上げている。就寝前なのだろう、寝巻き姿の彼は時折り首から下げた双眼鏡を覗き込んでは楽しそうに星々を眺めていた。
    「あれ、アーサーだ! こんばんは!」
    「こんばんは、ムル」
     声が届く距離まで近づいたアーサーの影に気がついたムルと挨拶を交わす。
    「珍しいな、今日は〈大いなる厄災〉の姿が見えないのに、ムルが夜空を見上げているなんて」
    「そうかな? そうかも?」
     不思議そうに首を傾げたムルは、その右手を空にかざすと、そこに刻まれた紋章と魔道具の指輪ごしに恋しい月のいない夜空を見つめた。
    「姿がみえないからこそ愛しさは募るものさ」
     離れていてもいつもキミを想っている、などと恋文を送るように吐息を吐き出したかと思えば、くるりと表情を変えてこう続ける。
    「もちろん一番の興味の対象は〈大いなる厄災〉だけど、それ以外の天体だってオレは好きだよ。月のない夜空は普段よりも多くの星が瞬くから、たったひとりの愛しいひとへ情熱的に愛を語るのではなく、移り気な少女のように気まぐれに瞳に映った煌めきへ思いを馳せることができる」
     右へ左へ、言葉の通り気ままに夜空の星々へ視線を向けていたムルは、「それにね」と続けながら、スッとアーサーの瞳にも視線を向けた。まるで、そこにもひとつの星が存在するかのように。
    「今日は『オズ』が綺麗に見えるんだ!」
    「オズさまはいつだって格好よくてお綺麗だが……いや、もしかして、『オズ』という名前の星があるのか?」
    「さっすがアーサー! そうだよ、月が出ていると見えづらいけど、この季節の新月の夜には北の方角に輝く赤い星。ほら、2時の方向、3つ連なった4等星の先に十字に光を放つ赤い星があるでしょ、あれが『オズ』だよ」
     ムルの指が示す先を辿れば、確かにそこには静かに夜闇に浮かび上がる赤い星があった。
    「オズさまのお名前は星にまでつけられていたのだな。名づけたのは何という学者なのか知っているか?」
     一般的に、星の名前は発見した学者がつけるものだと聞いたことがあった。そのまま発見者の名前が星につけられることも多いとも聞くが、まさかオズ自身が自らの名前を星につけるようなことはしないだろう。
    「うーん、そんなに有名な天文学者じゃないよ。もう何百年も前の人間だし、他に大きな発見をしたわけでもないから記録には残っていないんじゃないかな」
    「そうか、由来などについて聞いてみたかったがそれでは仕方がないな」
    「おかしなことを言うね、アーサー。オズの名前が星につけられる理由なんて分かりきってるじゃないか」
     残念そうに言葉を漏らすアーサーの顔を、目を丸くしてムルが覗き込む。怪訝そうに眉を顰めるアーサーに、にんまりと笑みを浮かべて囁く様にこう告げた。
    「『オズ』はね、凶星なんだ」
    「凶星……?」
    「そう、あの星が輝くと不吉なことが起こるから、そう名づけられた」
    「そんな、」
    「本当のところは分からないよ。禍いを招く星を『オズ』と呼んだのか、『オズ』と呼ばれたから禍つ星となったのか。けれど、名もない星に魔王の名前をつけてしまったことで、あの星は逃れようのない畏怖の対象になってしまった」
     それまでは、漠然と『不吉なことが起こる時にあの星が光っている気がする』なんて思っていただけの星。それが名前を得た途端にその星は力をもち、人々はそれを意識するようになった。
     大きな洪水が起きたとき。酷い飢饉が起きたとき。死病が蔓延したとき。惨たらしい戦争が起きた時。
     いつだって、『オズ』が強い光を放つようになってしまった。
    「オズさまは、そのような禍いを起こすような方ではないのに」
    「もちろんそれらの禍い全てをオズが引き起こしたわけじゃない。でもね、」
     苦しげに眉を寄せて呟くアーサーの様子に取り合うことなく、ムルは『オズ』に向かって両手を広げて、まるで方程式の結論を述べるような口調でこう言った。
    「オズの名前には、それだけの効力があるってことさ」

     *

    「アーサー? どうしたんだ」
     不思議そうなシノの声がかけられる。ヒースクリフやネロも言葉には出さないが首を傾げてアーサーを見つめていた。
     アーサーが顔を出したのは、東の魔法使い達が授業のために集まっている魔法舎の一角だ。今日は中央の魔法使いたちは一日魔法舎の外に出ての訓練の予定だが、アーサーは午後から急な公務が入ってしまいそちらには不参加となったのだ。
    「だから、少しだけ東の魔法使い達の授業に参加させてもらえないかと思って」
     だめだろうか、と眉を下げて言うアーサーに、背後からやってきた東の国の先生が声をかけた。
    「きみひとりくらいなら問題ないよ」
    「ファウスト」
     ファウストはふうと小さく息を吐くと、他の生徒たちにも伝えるように少しだけ声量を上げてこう告げた。
    「賢者から事前に聞いている。城に向かうまでの時間をここで過ごすことくらい拒否する理由はないだろう」
    「ありがとう、ファウスト。賢者様はファウストに伝えて下さっていたのですね、あとで礼を言わねば」
     急な公務で中央の魔法使いたちとの予定に参加できないと知ったアーサーに、東の魔法使いたちの授業に混ぜてもらえばどうかと提案してくれたのは賢者だった。賢者自身は南の魔法使い達と任務に出かけることになっていたはずだが、その前にファウストの元へひと言声をかけに行ってくれていたのだろう。
    「それで、今日は何をするんだ。アーサーがいるんだから、模擬戦をするのはどうだ」
    「シノ、アーサー殿下は午後から公務だって言ってるだろ。その前にへとへとになっちゃったら駄目じゃないか」
     呆れ顔でシノを嗜めるヒースクリフにファウストが同意する。
    「ヒースの言う通りだ。それに、アーサーが参加しても構わないとは言ったが、アーサーがいるからといって予定を変更するつもりもない。今日は前回の授業の続きを行う」
    「ああ、私もそれで構わない。無理を言って参加させてもらっているのに、さらに授業の予定を変更させるなんて本意ではないからな」
     よろしく頼む、とにこにこするアーサーの姿に、シノはそれ以上口を挟むことはできなかった。その傍らで成り行きを見守っていたネロも頬を掻きながら呆れたような声をあげる。
    「王子さんは真面目だねえ。俺なら空いた時間はのんびりしちまうよ。で、前回の続きっていうと……」
    「毒性のある物質の浄化について、でしたよね」
     引き継ぐようにヒースクリフが訊ねると、ファウストは首肯した。
    「そうだ。前回は毒をもつ生き物や毒素を発生させる物質、それらの毒性の種類や強さについて授業を行ったはずだ。そうだな、ネロ」
    「えぇ……なんでおれ、いやなんでもない、ソウデシタネ」
    「どうして片言になるんだ。ちゃんと教えたはずだろう。今日の範囲とあわせてテストに出すからな」
     呆れたように紡がれたその言葉に、その表情だけで「げえっ」と言ったネロと反対に素直に抗議の言葉を口にしたのはシノだった。
    「おい、聞いてないぞ」
    「ちゃんと言われたよ」
    「ちゃんと言った。だいたいそんなに身構えるな。ヒースはもちろんしっかり授業を受けていたから心配はしていないし、シノも野生の植物や生物に関しては元から詳しかっただろう。ネロだって食材になるものや一部の古い呪物なんかについては僕より知識を持っていた。もともとの知識の足りない部分を補うだけだ、一から十まで全て詰め込む必要はない」
     そんな風に嗜めつつも褒められるようなことを言われてしまえば反論は口の中でむずむずと消えていく。生徒たちからの抗議が聞こえなくなったことを確認したファウストは、話はここまでと蚊帳の外にいたアーサーに向き直る。
    「話が逸れてしまったな。すまない、改めて授業を始めよう」
    「いや、構わない。東の魔法使いたちは相変わらず仲がいいな。それに、前回の授業の内容にも興味があるから、また機会があればそちらの話も聞かせてくれ」
     『仲が良い』と言われた東の魔法使いたちは、否定も肯定もできず一様にうろうろと視線を泳がせた。そういうところが仲が良いのだ、と内心アーサーは思ったが、それは言わないでおくことにした。
     こほん。と小さな咳払いとともに授業が始まる。
    「さて、毒物を摂取してしまった際に、一番単純なのはもちろんその毒物に対応する解毒剤を使用することだ。それが手に入らない場合、浄化の魔法を応用して体内の毒性を弱めたり、排出を促進させたりすることで対処する」
     ここまでは前回の授業で話したな、と挟まれた確認に、ヒースクリフが「はい」と返事をした。
    「摂取してしまった毒素が全身に回らないように身体の中の『気』の流れを魔力で操作する方法もあると教わりました。ただ、他者へ働きかけるのはよほどのことがない限り難しいと」
     淀みない回答にひとつ頷きが返り、授業が続く。
    「自身の身体の内側に働きかけることと他者に同様のことを施すのでは仕組みも感覚も異なり、難易度が圧倒的に変わってくる」
     例えば、ヒースクリフとシノが同じ毒を摂取して倒れたとする。かろうじて意識を保ったシノは自身を蝕む毒素を行動可能な範囲まで押し留められるが、意識を失ったヒースクリフに対しては対処ができない。ヒースクリフの身体やその身のうちを流れる血も魔力も、シノのものでは無いからだ。物騒な例えに、シノが唇の端を引き結んだ。
    「だから、もっと良いのは、そもそも毒物を摂取しないようにすること。つまり、毒性のあるものを事前に察知したり、それ以前に毒性の物質が発生する危険性そのものを抑えることだ。銀食器が毒によって腐食するように、有害な物質や危険に反応する魔法道具を持ち歩いたりするのが前者。ミスラが南の兄弟に与えているお守りもその部類だな。後者に関しては、媒介や陣を用いて場を清らかに保つ一種の結界のようなものを敷いたりすることが一般的だ」
    「だが、結界だと範囲が限られてくるだろう。個人の部屋や家くらいなら維持できるだろうが、広大な森や、ひとつの街や国全体は賄えない。移動する度に結界を張り直すのは現実的じゃない」
     シノが厳しい顔で意見する。先ほどの例え話が原因か、自分の主君を危険に晒さない方法を真剣に考えているようだ。具体的にシャーウッドの森やブランシェット領を想定しているのだろう、難しそうに唸っている。
    「そうだな。ある程度の広範囲以上となると、力のある魔法使いが数人がかりで定期的に結界の維持管理に努める必要がある。特定の条件下であれば、別の方法がなくもないが…」
    「どんな条件だ?」
     身を乗り出して訊ねるシノだけではなく、全員がファウストの言葉に耳を澄ませた。強い魔法使い数人がかりで維持する結界の代わりになるものなんて、なかなか想像ができない。
    「かなり特殊な例ではあるけれど、ある種の病が同様の効果を発揮することもある」
    「病、ですか?」
    「ああ」
     ヒースクリフの疑問に、ファウストは一度言葉を切って、なぜかアーサーをちらりと見やり言葉を続けた。
    「俗に『オズの眷属』と呼ばれる病がある。これは人間や動物ではなく、ある特定の種の植物のみに発症する病だ。発症した植物は紅く染まり硬質化することが特徴的で、完全に病に侵された後の植物はまるで宝石のように美しいが、猛毒を宿すようになる」
     突然出てきたオズの名前に、アーサーはぱちくりと瞬きをする。確かに、紅く硬質化した宝石のような植物は、オズの瞳や彼の魔道具である杖の宝珠を想起させる美しさなのだろう。だが、
    「毒を宿すようになるなら危険な病なのではないのか?」
    「もちろん危険だ。素手で触れれば一瞬で皮膚が爛れるし、欠片でも口にすれば確実に死に至る。だから、病に罹った植物は発見次第、周囲一帯の全てが間引かれる」
     回答は明瞭だった。危険なものに対する当然の対応だ。しかし、そこにオズの名が冠された途端、悲しい気持ちになるのは何故だろう。まるでオズそのものが毒を孕み、そこに在ってはいけないものであるように扱われていると感じられてしまうからかもしれない。
    「どうして『オズの眷属』なんだ?あいつがその病の原因なわけじゃないんだろう」
    「あ、オズの花ってあるよね。赤くて大きい毒花だったはずだから、それと同じ分類にされたとか」
    「うーん、オズの名前ってほんとあちこちで使われてるからなあ……。強くてデカいものがあったら大抵オズのナントカって呼ばれてるし」
    「名称の由来は僕も知らないよ。オズの強大な力を恐れた人間が強力な毒を彼に重ねてそう呼んだのかもしれない。植物を通してオズが死を振りまいていると信じられたからかもしれないし、オズの花と混同されたからかもしれない。今回、名前は要点ではないから気にしなくていい」
     東の魔法使いたちがざわざわと推測を飛ばしあっているところに、先生からの軌道修正がかかった。
    「話を戻すが、基本的にこの病は大変危険で、うっかり触れてしまうようなリスクは回避するのが当然だ。完全に罹患しきった植物が群生してしまえば、そこは人の立ち入ることのできない領域となってしまう」
    「そんなものがどうして浄化や結界の話と繋がるんだ?」
     はやくはやくと続きを促すようなシノの質問に、ここが本題だとひとつ頷くと、アーサーも含めた生徒たち全員の顔をさっと見渡してからファウストは口を開く。
    「病に罹った植物が宿す猛毒は、その植物の内側で生み出されるものではなく、その周囲の空間に存在する毒素が吸収され凝縮したものだからだ」
    「周囲の毒素を吸収……?」
    「そうだ。どんな場所にも、必ず空気の淀みや微かな毒素が存在する。それらが『オズの眷属』によってひとところに集められることで、どんな場所であっても……例えば、濃密な毒霧が生ある全てのものを拒むような土地であっても、その一帯は浄化され空気が澄み渡る」
    「それは……すごいな」
     アーサーは呆けたように感想を口にした。思ったよりも規模の大きな話だ。確かに、国の中心部にその病を発症した植物群があれば、その国全体が清らかな空間を保たれた状態になるだろう。ただし、言葉通り猛毒をその内に抱えることになるリスクが大きすぎて現実的ではない。
     だが、その存在の途方もなさと、危険なものと恐れられる反面強い浄化の力をもつという真実に、その病にオズの名前がつけられていることが少し腑に落ちる心地がした。
    「けれど、これまでそんな病があるなんて聞いたことがない。もしかして、根絶されてしまった病なのか?」
     動物も植物も病も、生存競争や自然の営みの中で淘汰されていくものはある。『オズの眷属』もそのようなかつて存在し今は消え去ってしまったもののひとつなのかと思ったが、ファウストは「今も存在している」と被りを振って否定した。
    「かなり希少な病なんだ。見つかればすぐに間引かれてしまうせいで研究が進んでいないから何が媒介する病なのかも分かっていないし、そもそもが寒冷な土地に生息する植物にしか発症しない。開拓に際してこの病に罹り得る植物を南の国に根付かせようとしたが無理だった、と以前フィガロが言っていた」
    「そうなのか……。だが、それだけ珍しいものなら実物を目にするのはきっと難しいな。宝石のように美しいというなら、一度その病に罹った植物を見てみたいものだが」
     残念そうなアーサーの様子にふむと顎に手をやると、少し考えてこう告げた。
    「実物は流石にないけれど、フィガロあたりなら資料を持っているんじゃないか。今度訊いてみるといい」
    「そうさせてもらおう。……ああ、そろそろ時間だな」
    「もう出発するのか?」
     まだ昼というには早い時間だが、席を立つアーサーにネロが声をかける。
    「先に資料の確認をしたいんだ。昼食も城の方で摂る予定だから、早めに向かっておこうと思って」
    「そっか。先に言っといてくれれば弁当でも用意できたんだが……いや今のなし。城に向かう王子さまに言う台詞じゃなかった」
     なんだよ弁当って……とひとり机に突っ伏して悶えているネロに「ネロの料理は好きだから、今度は弁当を作ってくれ」と笑顔で告げてさらに撃沈させると、授業に参加を許してくれたファウストに向き直り礼を伝えた。
    「ありがとうファウスト、とても面白い授業だった。この続きも今度聞かせてほしい」
    「わかった。気をつけて行ってきなさい」
     ヒースクリフやシノも「あまり無理をしないでくださいね」「次は実践訓練を一緒にやろう」と口々にアーサーを送り出してくれる。それぞれに笑顔で返事を返して部屋を後にしたアーサーの姿を見送ったファウストが授業を再開する声が背中越しに聴こえて遠ざかっていった。
    「では、毒性のある物質を発見した時、可能であれば浄化を試みるが──」

     *

     ごろごろ……と遠くの空から微かに雷鳴が聞こえた。そういえば、と前置きをおいて、賢者はふと思い出したことを何気なく口にする。
    「小さな頃、雷が鳴ると『雷さまにおへそをとられてしまうからおへそを隠すように』と言われていたんです」
     脈絡のない話に首を傾げながら、レノックスは不思議そうに口を開いた。
    「おへそをとられる……ですか。臍の穴が消えるんですか? 雷さまというのは不思議な方なんですね」
    「ああいや、本当に雷さまという人がいたりするわけではなくて、言い伝えというか、教訓みたいなものなんです」
     そんなこともあるのかと真面目な顔で問うレノックスに慌てて否定をすると、苦笑しながら補足を続けた。
    「実際は、雷が鳴ると雨が降ったり気温が下がったりするからおなかを冷やさないようにするためだとか、雷は高いところに落ちるからなるべく前屈みになって身を低くするため、とか色んな説があるみたいなんですが」
     大人が子供を守るための方便みたいなものなんです、と伝えると、納得したような頷きが返ってきた。
    「ああ、『わるいこはオズに攫われてしまう』みたいなものですね」
    「あ、やっぱりそういうのってこの世界にもあるんですね。やっぱり、引き合いに出されるのはオズなんですか」
     賢者の世界では、鬼やなまはげといった空想の存在が主流だったが、魔法や不思議が地続きのこの世界では畏怖の対象としてあげられるのは魔王と呼ばれるオズなのだろう。
    「ええ、少しずつ形は違いますが、たいていどこの国や地域でも同じような教訓は存在します。先程のは1番一般的なもので、もう少し怖い感じのものだと『仕事を怠けると必要のない手足をオズに食べられてしまう』とか『嘘をつくとオズが舌を引っこ抜く』とか『片付けをしないとオズが宝物を奪いにくる』とか」
    「オズめっちゃ働きますね……。もちろん全部本当のことではないのはわかっているんですが、そうやってこの世界の人たちは子どもの頃からオズへの恐怖のイメージを固めていくのかな」
    「風の強い地域では、『屋外に洗濯物を干すとオズが下着を盗みに来る』なんてものまでありましたよ」
     下着泥棒にまでさせられている現実に賢者の脳裏に「有名税」という言葉が浮かんだが、有名であることに何のありがたみもないのであればただ払い損だ。
    「南の国にもあるんですよね。あまり恐ろしげな内容の教訓があるイメージはないですけど、ルチルやミチルにそういった教えをしたこととかはあるんですか?」
    「魔法使いの家庭だったりすると事情も変わってきますし、実際南の国にはそういった脅かすような教えは少ないですね」
     南の国は勤勉で心優しい人柄が多いので、脅かすよりも「こうしましょう」という善性を主体とした教えが多いのだという。そう話しながら、「でも」と何か思い出したようにぽつりと言った。
    「昔、ミチルが世話をしている花壇の水やりに行きたがらなかったことがあるんです」
    「ミチルがですか?」
     当時を思い出しているのか、レノックスはくすりと笑みを零した。
    「はい。どんな子どもでも、特に言葉にできる理由がなくても、無性に叫んで走り出したくなったり、何もしたくなくなったりする時はありますから。反抗期というほどではなくても、そういう経験は賢者さまにもありませんか?」
     賢者はそっと頷いた。子どもの頃は特に、自分のなかでぐるぐると渦まく感情が整理できなくて、突然「わーっ」と声を上げたくなったり、他者に言われたこと全てに反抗的な気持ちになったりすることがあった。
    「たまたま訪ねてきていた村の方がそんなミチルの様子を見かねて『たまにならいいけど、あんまり水やりをサボりすぎると、オズが花壇の花を全て摘み取って持っていってしまうよ』と言ったんです」
    「花壇を大切にしている側からしたら大変な話ですけど、なんだかちょっとファンシーですね」
     花壇の花を一輪ずつ摘んで花束のように抱えて去っていくオズの姿を想像して、賢者は困惑と微笑ましさが半々の表情を浮かべた。
    「そうですね。ミチルは慌てていましたが、ルチルは『まあ、オズはお花がお好きなんですね!』と笑っていて」
    「ルチルらしいなぁ」
    「それを聞いたフィガロ先生は大笑いしていました」
    「フィガロ……」

     *

     コンコンコン。と控えめなノックの音が響く。
    「オズ様、アーサーです」
     遅れて聞こえた訪室の許しを求める声に、暖炉の炎に揺れる影をぼんやりと見つめていた顔を上げる。掛けていたソファから立ち上がり、扉を開くとそこには申し訳なさそうに眉を下げるアーサーの姿があった。
    「このような遅い時間に申し訳ありません。なんだか、とてもオズさまとお話しをしたい気持ちになって。その、ご迷惑でしたら……」
    「……入れ」
     躊躇いがちに来訪の理由を伝えながらも、やはり迷惑だったかと引き返そうとするそぶりをみせるアーサーの姿は、ひとりで眠れるようになった後も時折枕を抱えてオズの寝室を訪れた幼い頃の姿によく似ている。扉を広く開けて中へ促せば、不安そうだったその顔にパッと笑顔を浮かべた。
    「ありがとうございます!」
     ソファへ招き、魔法で茶の用意をする。自ら誰かをもてなす行為は未だこの身に新鮮だ。
     ティーカップに口をつけ、そわそわと話し出そうとするアーサーに「何かあったのか」と問いかけることはせず、オズはただじっと待った。
    「ここしばらく、さまざまな場所でオズさまのお名前を耳にする機会がありました」
     そっと語り始めるアーサーの言葉に耳を傾ける。
    「物語の登場人物の題材としてであったり、鳥や花、凶兆を知らせる星や空の色、混乱と静寂を招く病や歌。世界中の至るところにオズさまの存在が散らばっていることを実感したのです」
    「そうか」
     返事は短い。長い時間を生きる魔法使いにとっては、歴史や伝承、人々の噂話にその名が上るのはたいして珍しい話ではないからだ。オズの存在は規格外だが、建国の英雄として祭られたファウスト、世紀の天才やそれらの代名詞として一部の界隈ではオズよりも有名だろうムルなど、賢者の魔法使いの中でもその存在が『物語』に昇華されてしまっている人物は多くいる。
    「私は、そのことが誇らしくもあり、同時に本当のオズさまのお姿を知らないままに憶測で在り方を断定されて語られることが悔しくも感じられました」
    「……誰にどのような呼ばれ方をしようと、私がそのために何かを変えることなどない。何が事実で何が虚構であるかなど問題にならないのであれば、言いたい者には言わせておけばいい」
     拗ねたように言うアーサーを嗜めるようにオズが口を挟む。アーサーはまだ年若い少年だ。身体の時が止まり、周囲との時間が『ズレて』いく感覚は経験したことのない者には実感が沸かないだろう。時は止まらず、考え込むことに意味はないのだと理解するのは難しい。
     それは、雨上がりの空に虹が架かるような、蕾が咲き実らせた果実が地面に落ちるような、当たり前の事実を述べるような感情とほんの少しの諦念。それらを含ませた言葉尻に、しかし思いの外意志の強い眼差しが返され、オズは瞠目する。
    「存じております。オズさまがお強い方であると理解しながら、それでも、私の大切な方の名前を大切に扱われたいと願ってしまうのは私のわがままです」
     アーサーとて魔法使いであり、一国の王子だ。個人の感情と客観的な事実や現実を切り離す術は心得ている。「だから、」と前置きをおいて、今度は夢を語るように表情を和らげた。
    「もしも、私が何か別のものにオズさまのお名前をつけるとしたら、どんなものにつけるだろうと考えました。例えば旅人を導くしるべの星や、愛を伝えるための花、永遠の煌めきを宿す宝石……」
     美しいと思ったもの、尊いと感じるものを指折りあげていく。宝物を数えるような弾んだ声は、しかし次第に迷子の子どものように頼りなさげに萎んでいった。
    「けれど、どれも違うと感じてしまって。オズさまにきっと似合うだろうと思っても、それを『オズ』と呼ぶことへの違和感が勝るのです」
     オズが淹れてくれた紅茶が入ったカップの縁をくるりと指でなぞると、琥珀色の水面に自身の顔が映りこむ。顔を上げれば、アーサーをひたりと見据えるオズの真紅の瞳の中にも、それと同じ表情が映っていた。
    「きっと、オズさまの名前を冠した物や現象は、それを名づけた誰かが思い描いたオズさまの姿を写しているものなのだと思います。私がどんなに素晴らしいと感じるものでも、それはオズさまではないと私は知ってしまっているから、私はそれをあなた自身であるかのように呼ぶことはできない」
     きっと、誰であれそうだろう。見も知らぬ人の名を軽い気持ちで口にすることはできても、自身の身近な存在、それも一等大切な人の名前を何かに代用することなどできはしない。
    「私にとってのオズさまの名前は、花や星や宝石ではなく、あの吹雪の中で私を拾い上げ育ててくれた、今、目の前にいるオズさまのものでしかあり得ないのだと分かったのです」
     それを、何故だか無性に、どうしても伝えたかったのだと、アーサーは伝えることができた安堵からほっとしたように言った。胸に溜まっていた淀みが晴れて温かい感情で埋められていく心地がする。
    「アーサー」
     落ち着いた、静かなオズの声がアーサーを呼ぶ。
    「はい、オズさま」
    「……アーサー」
     もう一度、名前を呼ぶ。
     お喋りの得意ではないオズの言葉を待つ、オズを愛おしげに見つめるアーサーの輝く星のような瞳が、同じように眦をゆるめたオズの顔を映していた。
     オズにとっても同じなのだ。オズにとってのアーサーは、国中の人々から敬愛される『アーサー王子』ではなく、広大な北の国のオズの城で無邪気に駆けまわっていたアーサーだった。今では背丈も伸び顔も大人びたが、今、目の前にいる少年はあの頃の幼いアーサーの地続きだ。
    「役目が重くなり、名声が独り歩きをするようになれば、人は簡単に本当の己を見失ってしまう」
     以前、賢者にも同じことを告げたことがある。お前の名前を忘れさせるな、役目を投げ出しても構わないと。
    「役目とひとりで戦うのは辛いことだ。だが、ただひとりでも、名前を呼んでくれる他者がいるならば揺らぐことはない」
     オズが強いと、簡単に揺らぐひとではないと先ほどアーサーは言ったけれど、曖昧に解けていたオズの輪郭が明瞭な形を取り戻したのは、きっと拾い上げた幼子の瞳に自身の姿が映り込んでからだ。
     願わくば、アーサーの周囲にいる人々が、ありのままの彼の輪郭に触れ続けてくれれば良いと思っていた。カインもリケも賢者も、アーサーを孤独にはしないだろう。一度手を離したオズではなく、他の誰かが。そう思って言ったはずなのに、アーサーは世界中の幸福を集めたように「はい」とオズに向かって微笑んだ。
    「私も、オズさまが呼んでくださるならば、何にも負ける気はしません」
     眩しそうに目を細めたオズへ、もう一度心からの親愛を込めて「オズさま」とアーサーにとってただひとりの名前を呼ぶ。自分の名前を呼ばれることだけではなく、相手のその名前を呼ぶことができるということがどれほどこの胸を満たすのか、きっと誰にもわからないだろう。
     それほどに、昔から、いつだって、オズの名はアーサーにとっては幸福のしるべだったのだ。

     いつか『アーサー』という魔法使いの王子が御伽噺の主人公になることもあるだろう。アーサー自身は勇敢で公正な良き王子でありたいと思ってはいるけれど、後の世の人々がどのように自分を描くのかまではわからない。
     だが、もしも、自分の名前がたどり着く物語を選べるのだとするならば。
     『大魔法使いのオズとその弟子アーサー』の物語が、遠い未来で密やかに人々の口の端に上るようになればいい。
     そう願って、アーサーは再び微笑んだ。


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    magnolie_aki

    DONE2022/6/25-26
    アサオズwebオンリー「オーロラと夜明けのワルツ2」展示作品です。

    世界中に溢れている、『オズ』の名前にまつわる物語にアーサーがふれていくお話し。カプオンリーといいつつほとんどオズが出てきません。
    いつか、だれかの物語 過ぎさってしまった過去の出来事に「もしも」などと考えてもどうしようもない。時間が巻き戻ることはなく、過去は決して取り戻すことなどできないからだ。
     しかし。過去は人生になり、人生は歴史になり、歴史は物語になる。物語に「もしも」はつきものだ。抜け落ちた断片を埋めるようにあらゆる「もしも」が介在するようになれば、物語は変容し、時にそれは娯楽として消費されていく。
    「──それを、許しがたいと思ってしまう私は狭量なのだろうか」
     読んでいた本をパタンと閉じて、物憂げにアーサーは息を吐く。そっと撫でたその表紙は、彼の年頃の少年が読むにはいささか可愛らしい絵で彩られていた。きらきらとした箔で押された表題は『ひかりの王子とやみの魔王』。光り輝く剣を手にした勇敢な王子が、闇の力で世界を支配する恐ろしい魔王に立ち向かう冒険物語だ。表紙で剣を構える主人公の王子の名前はアルト、そして、漆黒の鱗をもつ竜の様な姿で描かれているのが物語の敵である魔王オズバルトだった。
    13013

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    magnolie_aki

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    いつか、だれかの物語 過ぎさってしまった過去の出来事に「もしも」などと考えてもどうしようもない。時間が巻き戻ることはなく、過去は決して取り戻すことなどできないからだ。
     しかし。過去は人生になり、人生は歴史になり、歴史は物語になる。物語に「もしも」はつきものだ。抜け落ちた断片を埋めるようにあらゆる「もしも」が介在するようになれば、物語は変容し、時にそれは娯楽として消費されていく。
    「──それを、許しがたいと思ってしまう私は狭量なのだろうか」
     読んでいた本をパタンと閉じて、物憂げにアーサーは息を吐く。そっと撫でたその表紙は、彼の年頃の少年が読むにはいささか可愛らしい絵で彩られていた。きらきらとした箔で押された表題は『ひかりの王子とやみの魔王』。光り輝く剣を手にした勇敢な王子が、闇の力で世界を支配する恐ろしい魔王に立ち向かう冒険物語だ。表紙で剣を構える主人公の王子の名前はアルト、そして、漆黒の鱗をもつ竜の様な姿で描かれているのが物語の敵である魔王オズバルトだった。
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