『月は悪魔の眼』(2/2)私は人類で初めて月に行った宇宙飛行士だ。
これは業務日誌でも機密文書でもない私への手紙だ。
宛てるのは私、読むのも私だけ、つまり何を書いてもいい、どんな馬鹿な話でも…
そうだろう?
月に到着するまで、私の心境は複雑だった。
人類初の偉業、全世界の期待と重圧、切羽詰まったスケジュール、無事に帰還した後のスピーチ…
だが、何より行く場所への不安が一番強かった。
いつ、誰が考えたかわからない妄言だが、有名な慣用句に
『月は悪魔の眼』というものがある。
月には悪魔がいて、この星で起こる不幸を眺めては笑っている。
『どんな場所にいても悪魔は見ている。不幸から逃れることはできない。』という戒めの意味を持つ言葉だが、どうにも私はこの慣用句が恐ろしくて仕方がなかった。
月には悪魔がいる………しょせんは迷信なのだが、月に行く前のナーバスになっている精神には理屈なんて通用しないものだろう?
かくして、打ち上げ当日になっても消えなかった『月は悪魔の眼』の恐怖はそのまま、私と一緒に月へ打ち上げられた。
月へ行った感想ならどこかに転載されている私のスピーチを聞いてくれ。ここでは誰にも言えない個人的な月での体験談を書く。
私の持って行った『月は悪魔の眼』の恐怖は半分が当たっていて半分が外れた。
まず、月にはたしかに悪魔がいた。
だが、その見た目は…少なくとも私が想像していた悪魔の姿とは、かけ離れていた。角と羽と尻尾の生えた犬猫のような小動物だったのだ。
それでも私は直感で、それを悪魔だと認識した。
人類の大いなる一歩も早々に、その未知の生物はズカズカとこちらに近づいてきて、あろうことか真空に近い宇宙空間なのに愛らしい声で喋り始めた。月への有人飛行という人類の偉業の余韻など与えぬかのように。
上記のことは私しか知らないことだ。
というのも同乗したクルー達に確認しても誰もその悪魔を認識できず、写真や映像のデータに残そうとしても何も記録できなかった。
医師からは極限の宇宙環境や極度の緊張状態の中での幻覚や幻聴と診断されたが、私は未だに納得していない。
だが、人類の偉大な一歩を悪魔だなんだと言って世間に水を差すこともないと考えた私はこれ以上の追求はやめておいた。それが賢明な判断だろう?
宇宙船が地球へ帰り、月の話題で持ちきりとなったニュースの影で紫色の集団の小さな記事を見かけた。航空宇宙局は月の悪魔の存在を隠しているや、宇宙飛行計画は偽物だ、と主張するデモを行ったそうだ。
世間では嘲笑の的となった出来事だが『月は悪魔の眼』を信じて、悪魔に好意的な人間は珍しくない。
意味合い自体は『どんな場所にいても悪魔は見ている。不幸から逃れることはできない。』という戒めの言葉なのだが、見方を変えてみれば
『親切な悪魔が人間に注意喚起をして、いつでも見守ってくれている。』ように聞こえないだろうか。
少なくとも私は月の悪魔に会ってからこの言葉に恐怖を感じていない。
混乱を招く心配さえなければ紫色の集団に私が体験したことを伝えてあげたかった…。
地球に悪魔を連れて来れたら良かったのだが上手くいかなかった。
いや、出来なかった。
悪魔曰く、月の悪魔として人間に崇拝されて存在を確立している以上、月を離れることは出来ないそうだ。
それがこの世界の『でびでび・でびる』だと言う。
地球に帰るとき、悪魔は「ではな~」と笑顔で手を振っていたが、心なしか残念そうに見えた。
この世界の悪魔は今も月にいるのだろう。
今夜は満月だ。悪魔の眼が見開いてこちらをよく見ている。
私も見返し、遠すぎる悪魔と見つめ合う。
この手紙を読むのは私だけだ。
散々、他人に見せられない馬鹿なことを書いたが最後に一つ。
願わくば、ここじゃない別の世界では、悪魔と人間の距離が少しでも近づいていますように。
その方が月に独りでいるより退屈しなくて済む。
そうだろう?
別の世界の私へ。