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    ニシカワ

    @psynk

    ジェイアズ・イドアズ沼在住ジェ推しフロ中毒患者。アズ大好きなジェ&フロが生きる糧。

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    ニシカワ

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    いいねの数だけ制作予定の無い話の台詞や一節(や二万字超えの小話)をのせるやつ⑤
    シ゛ョー・フ゛ラックをよろしくのパロで、いろいろねつ造しています。これジェア&フアでできるのでは???って思ったのが切っ掛けなんですけど、イドアズ者の私には最後が辛くこれ以上は書けないのでここで供養します。ここでのカプはジェアしかありません。小説の最後の下の方にネタバレしておくので興味のある方は読んでみてください。

    #ジェイアズ
    j.a.s.

    フロイド・リーチをよろしく(そう)
    (そうだよ、大正解~)
    (あは。自分でも分かってんじゃん)
    (でも、少しだけなら時間をあげる)
    (そのかわり、


         *****


     ビク、と痙攣に似て身体が跳ねた。唐突に生々しい現実感を突き付けられ、私は自らの思考が混乱するのを激しい鼓動の中で覚えた。
     浅い眠りの最中、落下する夢を見た時になるこの反応。生理現象だと分かってはいても、慣れるようなものではない。
     気だるさを引きずったまま、開ききらない視界で見慣れた自室をぐるりと見まわす。天井まである巨大な窓に誂えられたカーテンの隙間から、こぼれるように朝の光が漏れていた。
     反射的に枕元の時計を見れば、既に六時になろうとしている。いつもならばとっくに目覚めて身支度を済ませている頃合いだ。こんな時間まで目を覚まさないとは、もしや自覚がないだけで本当に体調が悪いのだろうか。
     確かにいつもより重力を感じた。腕も、脚も、頭も重い。何か酷い悪夢にうなされたような感覚さえある。そう。背筋が凍るような、おそろしく残酷で悪い夢に。しかし事実体調がすぐれずとも、いい加減もう起きなくては。
     鉛のような腕をベッドの中から引っ張り上げて、疲労に似た眠気が残る瞼を指で揉む。じわりと鈍い痛みが目の奥に広がった。その際ふと夢の欠片を見た気がしたが、思い出すまでには至らなかったようだ。
     逃げるように、それは瞼の裏から消え去ってしまった。
     とはいえ夢などという非生産的な記憶など、現実には不要だろう。気にならないと言えば嘘になるが、思い出せないのなら仕方がない。
     私は、重い身体をベッドから引き起こし、眠る前に揃えておいたルームシューズに左右の足を差し込んだ。
     寝室に併設されている淡い紫を基調としたバスルーム。亡き妻が好んでいたそれだった。未だ彼女の面影を感じる広いそこで顔を洗い、当たり前のようにいつもの場所に置かれている清潔なタオルに濡れた顔面を押し付ける。優秀なハウスキーパーのおかげで、生活に不便は感じない。毎朝と同じ洗いたての感触を覚えながら、同時にふと私はいつもとは違う何かを感じ取った。顔を上げ、手の中の白いタオルを見る。
     香りが普段とは違っていた。柔軟剤だろうか。森の中の寺院にでもいるような、エキゾチックな白檀の香りがする。昨日までの花の香りとは確かに違うそれに、私は一瞬、一緒に暮らす義理の息子の顔を思い出した。
     そういえば先日、この香りが好きだと私は彼に伝えていた。用事があって彼の書斎に入った際だ。香炉から、これと同じ香りが漂っていた。
     あの子は、そんな些細な私の言葉を気に留めて、覚えていたのだ。そうしてわざわざ同じ香りの柔軟剤を探し出し、ハウスキーパーに使わせたのだろう。
     そういうところが、彼の商売人としての能力の高さだと私は思った。ほんのわずかな仕草や言葉や表情を記憶して、相手の気持ちを惹きつける。相手の好む話題を提供し、相手の要求を理解して、相手の望む結果をそうしてもたらす。
     私はそれがとても嬉しくて、けれどいつも少し寂しく感じてしまうのだ。

    「おはようございます、お義父さん。今朝は少し遅いんですね。よく眠れました?」
    「おはようアズール。少し寝坊をしてしまってね。ああ、今朝も良い香りだ」
     ダイニングルームには焙煎したコーヒーの香りが漂っていた。香ばしいそれに、こびりついていた疲労が癒えるような気さえする。現実感も相まって、思考がいっそうクリアになって行くようだ。義理の息子がしてくれる毎朝の演出は、今日も私を慰めてくれた。
     これもまたアズールから私への、気遣いの一つなのだろう。有り難いとはいえ、私に対してそんなものは不要だというのに。彼はそうすることで、私に恩を返してでもいるようだ。
     ただの一度も、私は彼に、無償の愛というものを与えられたためしがない。
    「ああ、そうだ。香りといえば、さっきバスルームでとても気分の良い香りをかいだよ。君が手配してくれたのだろう。ありがとうアズール」
    「とんでもない。喜んでいただけたのなら嬉しいです。ですが、リリアンには叱られてしまいましたよ。まだ開けたばかりの柔軟剤が残っているのに、と」
    「はは、彼女は優秀なハウスキーパーだからね。無駄が許せないのだろう」
     アズールが、二人分のコーヒーをカップに注ぎ、私がいつも座っているテーブルの前にそれを置いた。流れるような自然な所作だ。私はいつもこれに、リストランテの支配人に給仕を受けているような気分にさせられる。紛うことなくその通りなのだけれども。
    「ドライフルーツのスコーンを焼いたのですが、召し上がりますか? それからミネストローネも」
    「いいよアズール。自分でできる」
    「そうおっしゃらずに。リリアンが作ったものを温めただけですので」
    「……ありがとう、ではいただくよ。彼女のスープはどれも素晴らしく美味しいからね」
     おそらくは私が起きて来たタイミングに合わせて温めたのだろう。あとはほとんど盛り付けるだけという状態にまでなっている朝食の状態を見て、いっそう切なさに似た感情が込み上げた。
     私はアズールに、給仕などは望んではいないというのに。
     私が彼に望むことは、たったひとつ。
    「ええ、本当に。僕には優秀なシェフが店にも自宅にもいるもので、最近はめっきり料理の腕も鈍ってしまっている気がします」
    「しかし君は経営者としては誰よりも優秀だ」
    「恐れ入ります」
     吹き抜けのダイニングの大きな窓から、朝の光が差し込んでいた。庭にある大きなプールは、今は水が抜かれている。いや、もう何年もそこに水は張られていない。定期的に行っている庭の手入れのおかげか、いつでも使える状態でいるはずなのに。
     屋敷を購入したばかりの頃に、まだ幼かった彼とのコミュニケーションの手段として何度か利用した。あの頃は、妻の連れ子と仲良くなろうと必死だったから。幸いにも彼は私に懐いてはくれたが、しかし互いの間にある見えない一線が取り払われることは、遂に無かった。
    「君は、またコーヒーだけかい?」
    「済みません。昨夜は夕食が遅かったもので、あまりお腹が減っていないんです」
     本当は、コーヒーよりも紅茶の方が好みだということは知っている。つまり、彼は私に付き合ってくれているのだ。
     プレートに乗せたスコーンとあたたかいスープを差し出したあと、アズールが私の対面に座る。タブレット端末に目を向けて、好みではない味をゆっくりと唇に触れさせた。
     出会ったばかりの頃から、アズールは努力を惜しまない子供だった。無知を恥じ、貪欲に知識を身に纏い、それを自らの鎧とするような少年時代を過ごしていた。弱さを決して他人に見せず、付け入る隙を誰にも与えず、誰も信用しようとせず、誰にも心を触れさせない。あの頃からアズールは、誰に頼らずとも生きて行けるよう考えていたのだろうか。その通り彼は今、自らの手で切り開いた道をたった一人で歩いている。それがどんなに寂しいことなのかも知ろうとはせずに。
    「アズール」
    「はい?」
     かつては私もそうだった。長い間、虚勢を張るに似て自らの小さなプライドを守っていた。つまらないことに執着して、危うく人生を棒に振るところだった。それを救ってくれたのは他でもない、彼の母親の存在だ。
     ひとはひとりでは生きていけないことを私は知った。
     ひとが持つ、愛という感情の素晴らしさを教わった。
     私は、彼にもそれを知ってもらいたかった。家族に対するものとは違う。他人に対する感情だ。愛を感じ、愛に触れて、心から誰かを慈しむ。そんな人生の中にこそ、幸福というものは存在するのだから。
     彼が自分の周りにぐるりと引いている、砦のような強固な一線。
     私はいつだってそれを踏み越えてくれる誰かを願って生きていた。
    「私は、君が心配なんだよ」
     どうして、私はこんなにも焦燥を覚えているのだろう。
     忘れてしまった嫌な夢を、未だ引きずっているのかもしれない。
     あの夢は、いや、声だっただろうか。ああそうだ、あれは誰かの声だった。心の底に深く恐怖を植え付けるような、そんな力を持つ声に、私は長年の懸念を煽られたのだ。
    「心配? ……僕の何がそんなに心配だと言うのですか?」
     アズールは母親によく似た瞳をしばたたかせた。
     髪と同じ、美しい真珠色の長い睫毛。彼女もたびたび私にそんな仕草を見せていた。亡き妻の姿を鮮明に思い出し、いっそう私の憂いが深くなってしまったのは仕方のないことだった。
    「君の行く末が」
     唐突に自分の身を案じた義理の父を、彼はどう思っただろう。うるせえ、などという言葉を聞かせる年齢はとっくに過ぎ去ってしまっている。それ以前に彼がそんな思春期の少年らしい言葉を聞かせてくれたことは、ついぞ無かった。
     二十歳のプレゼントを贈ったのはもう四年も前。今は母親の店を引き継ぎ、リストランテを経営している。経営の手腕は母親よりも優秀らしく、昨年オープンさせた二店舗目も売り上げは好調のようだ。
     私の弁護士事務所を継いでもらいたい思いも密かにあったが、願いは夢へと変わってしまった。
     けれどそれでいい。彼が彼らしく、幸福の中で生きてくれるのならば、生きるための手段など何だってかまわない。
    「ああ、店の経営のことですか? 心配なさらずとも売り上げは上々ですよ。母の大切な形見ですからね、僕の代では潰させません」
    「そういうことを言っているわけじゃないんだよ、アズール」
     アズールにとっての私は、おそらくは母親の再婚相手というそれだけだ。世間一般では揉め事もすくなくはない関係性だが、それでもアズールは私に敬意を持って接してくれている。ただ、やはり血のつながりなどはない。義理の父親がこんな言葉を伝えるのは、当然愉快ではないだろう。
    「生きるための歓びだ」
     それでも私は、アズールに知ってほしかった。
    「君は、まだ恋を知らない。地に足がつかない思いで歓喜の歌を歌い、踊り出してしまうような恋だ。誰かに心を奪われて、震えるような感覚に陥った経験はあるかい?」
    「それはまた、……唐突ですね。お義父さんと母さんの馴れ初めのお話なら、母の方から何度も聞いていましたよ。お互いに一目惚れだったんですよね? 息子相手にのろけるとは、まったく良く似た夫婦ですよ」
    「アズール」
    「ところで、お義父さん。話は変わりますが、お誕生日の予定は空けてくださっているんですよね? 本店を一日貸し切りにするんですから、その日の相談は受けないでくださいね。秘書のドリューさんにはちゃんとお伝えしてありますが、お義父さんのことだから心配なんですよ。人が良いにも程度がありますからね」
    「アズール、聞きなさい」
     結婚を急かされているとでも思ったのだろうか。それとも私の憂いを察していたのだろうか。急な過干渉に居心地の悪さを覚えたアズールは、あからさまに話の矛先を変えようとしていた。しかし私はそれを許す事はしなかった。半ば使命のように感じたからだ。
     どうしても私は、私のこの思いを、アズールに知っていて欲しかった。
    「アズール。私は、目も眩む幸せを君に知ってもらいたいんだ。恋をして、死ぬほど相手を好きになってみなさい。かたく心を閉ざしたままでは何も始まらないだろう? いつも心を開いているんだ。頭でばかり考えずに、心の声に耳を傾けることを意識しなさい。愛は情熱だ。愛する人がいなければ人生を生きる意味は無い。生きていないのと同じだ。愛し愛される幸福の中で誰かと生きる、その為の努力をしなさい。それが生きる歓びなのだから」
    「はいはい、ご馳走様です」
    「茶化さないで聞いてくれ、アズール。私が君に望んでいることはたった一つ。これだけなのだから」
    「ですが僕は十分………………。いえ、そうですね。お義父さんと母さんのようになれたのなら、きっと僕は幸せなのでしょうね」
    「アズール……」
     優しい子だと思った。
     アズールは、私が本気で心配をしていることを知り、ただ私を安堵させるために言っている。
     心では納得などしていないのだろう。それはそうだ。まだ恋を知らないのだから。けれど彼はきっと、この私の心からの言葉を無下にはしない。仕方なく胸のどこかに置いていてくれるはずだ。
     今は、……それでもいい。
    「ですが、お義父さん。どうしたらそんなお相手を見付けることが出来るのでしょうか。僕には見当もつきません」
    「君もいつか、稲妻に打たれる時が来る」
     彼の母親は、力強く咲き誇る大輪の花のような人だった。
     彼女は己の日々を全身全霊で謳歌していた。全力でよろこび、全力でかなしみ、全力でいかり、全力でたのしむ。そしてその全てで私たちを深く愛してくれていた。
     風雨に曝されても決して折れることがないと思っていた美しい花。まるで生命力の塊のようにも思えた彼女が、ある日突然亡くなるなどいったい誰が信じられただろう。気分が悪いと言ったその翌日、彼女は帰らぬ人となった。
     自身の半身を失ったような痛みと悲しみは、未だ完全には癒えていない。何をしても、何を見ても彼女のことを思い出す。思い出さなかった日など今日まで一度だってない。
    「稲妻ですか。ふふ、ずいぶん抽象的なんですね」
     アズールが笑う。私が愛した女性とよく似た、美しい笑顔で。
    「では僕はもう行きますね。今日は本店の方に顔を出さないと」
     既に出掛ける準備を済ませていたのだろう。アズールが椅子の背に掛けていたジャケットに腕を通し、鞄を持った。
     私たちは互いに忙しく仕事をしている。夜はほとんど顔を合わせることが無い。休日だって、飲食店の経営をしている彼に決まった休みは無かった。
     アズールは、唯一こうしてたった一人の家族と顔を合わせることができる朝の時間を大切にしてくれているのだ。
    「気を付けて行くんだよ、アズール」
    「ええ。お義父さんも」
     アズールの背を見送る。子供の成長とは早いものだ。出会った頃はあんなにも幼かったはずなのに、その姿はいつの間にかすっかり青年のそれになっていた。
     それでも私は時おり感じてしまうのだ。心に築いた砦の中で、彼がたったひとりで孤独に耐えている様を。世界の全てを拒絶して、ただ自らの孤独をひとり慰めている様を。
    (ああ、どうか)
     私は、祈るにも似た思いで胸に手を当て考えた。
    (どうか彼にも、私が愛したような誰かが現れてくれますように)
    (どうか人生の歓びを、誰かと共にできますように)
     あの子がこれ以上、たったひとりで泣かないように。
     どうか。


         *****


     母から受け継いだリストランテは、駅に近い大通りの一画にあった。自宅からもそう遠くはない。今日も徒歩でここまで来たのだが、いかんせん家を出るのが早すぎた。昨日メールで副支配人に伝えた来店時間には、まだ遠く及ばない。
     彼とは母が生きていた頃からの知り合いで、今も関係は良好だ。軌道に乗るまではと最近は海沿いの二号店にばかり入り浸っているが、もともとの僕の執務室はここにある。
     早すぎる時間に唐突に顔を出したところで、嫌な顔はしないだろう。それでも僕は立場上、約束事はきちんと守っていたかった。
     許されるからといって取り決めをないがしろにすることは、対人関係の破綻の始まり。そう思っているからだ。
     それに母をしらないスタッフも、今は多くなっている。僕を坊ちゃんではなく支配人と呼ぶ彼らにも、僕は示しを付けなくてはならなかった。
     時間をだいぶ持て余し、店舗近くのコーヒーショップへと脚を向けた。本店同様大通りに面して店を構えている、昔からある老舗の店舗だ。
     適当な接客と統一感の無い内装、味もまあまあという程度なのだが意外と贔屓だったりする。雑多な雰囲気が自分の存在を隠してくれるようで安心するし、歩く人間を大きな窓から観察できるところも悪くなかった。
     大通りを背にカウンター席へと座り、いつもの紅茶をオーダーする。店内で飲食をする人々を何とはなしに眺めてから、僕は改めたように人心地付いた。
     こんなにも早く自宅を出てしまったのは、やはり居た堪れなかったからだ。
     本人は隠しているつもりだったようだが、義理の父に心配性のきらいがあることは知っていた。目は口程に物を言う。幼い頃からことあるごとに危ぶむ視線を向けられて、気が付かないわけがない。少年期の頃はそれでも理解はできたが、しかしとっくに成人済みの義理の息子に何をそんなに心配することがあるのだろう。
     僕の母に未だに深い愛情を持っていることは感じるし、それについては感謝もしている。交際相手の子供を異物として見る人間も少なくは無い世の中で、義父のような存在は珍しいとも思う。母が亡くなってからも変わらず、実の子と見紛うほどの愛情を僕に注ぐ彼に、僕は敬意すら覚えている。幼少期に受けていたひどいいじめがいつの間にかなくなったのも、きっと弁護士をしていた彼の力によるものだ。
     僕はまだ、それらに対しての対価を彼に渡せていない。報いとして、到底足りていないのだ。
     それでも彼の望む思いには、応えられる気がしなかった。
     だって、恐ろしくはないのだろうか。他人に自分の心を奪われるだなんて。
     地に足がつかないほど恋に溺れる? 死ぬほど誰かを好きになる? そんな状態で、人は正気でいられるのか? 恋をした相手にあっさりと裏切られるのはよく聞く話で、そんなものに夢中になるなど、ほとんど自殺行為と変わらない。
     対人関係は損得だ。稲妻も、運命の相手も、全てはこじつけ。結局のところ誰もが打算や妥協でつながって、こじれたりもつれたり別れたりしているのだから。
     それを、弁護士をしている義父が知らないわけがなかった。そのうえで僕に諭すほど、恋とは大切なものなのだろうか。心を捧げる誰かなど、本当に必要なのだろうか。
     僕にはとても、理解できるとは思えない。そう、あきらめにも似た感情に囚われた時だった。一つ椅子を挟んだ斜め前、L字の角のカウンター席に誰かが座った。
     僕はタブレット端末で簡単な雑務をこなしながら、意識だけを向けてみせた。
     スーツ姿の、随分と背の高い男のようだ。紳士然としたたたずまい。髪色は、珍しいターコイズブルーで、一房黒が混じっている。年齢は、僕と同じくらいだろうか。
     僕は、何故だか理由はわからないのだが、なんとなくその男に好奇心を覚えてしまった。
     男がオープンキッチンのすぐそこで働いている店員に迷うことなくモーニングと二種類のベーグルサンドを注文する。どうやらここで何度か食事をしたことがあるらしい。続けられた男の声に、そんなことを考える。
    「卵はサニーサイドアップとオムレツで。お肉はソーセージ。パンはライ麦でお願いします」
     二つ選べる卵の調理法や、肉やパンの種類もきちんと把握していたからだ。
     常連客の多い店だ。この時間、座る場所も人もなんとなくだが決まっている。しかしオープン直後のカウンターに腰を下ろすこんな男を、僕はしらない。どうやら海沿いの二号店に入り浸っている間に常連客が増えたらしい。なんとも目出度い。潰れる心配などしてないが、贔屓店の寿命が延びることは僕にとっても幸運だ。
     それにしてもよく食べる男だな、とそう思った。ベーグル二つとモーニングとは。ただでさえこの店のメニューはボリュームがあるというのに。知らないのだろうか。いや、初めてではない様子なのだから、知っていての注文なのか。
     男の旺盛な食欲に、思わず顔を上げてしまった瞬間だ。僕は、全身を貫かれるに似た衝撃を覚えた。
     おそろしいほど整った顔をした男だった。高い鼻とシャープな顎のライン。形の良い薄い唇。鋭さと甘さを兼ね備えている印象的な目元と、更にはそこに宿る左右異色の輝く虹彩。
     ターコイズブルーの髪色だけでも、人は彼を魅力的に思うだろう。だというのに、まるで神に直接祝福を与えられているようなこの見事な造形だ。
     男の強い引力に、否が応でも引き寄せられてしまう。それほどに彼の存在は僕にとって強烈で、目を逸らすことができずにいた。
     愚かしいことに僕はただ、ただ硬直したままだった。
     そんな行儀の悪い視線に気が付いたのだ。ふと男がこちらを向き、それから目を見開いた。理由は、僕にはわからなかった。気付けなかったと言ってもいい。なぜなら目が合ったことに、僕はひどく動揺をしていたから。
     互いに言葉は出て来なかった。僕はせめて、なにか、挨拶でもいいから、言葉を聞かせなければならないのに、無遠慮にじろじろと見ていただけと思われるのはご免なのに、まるで交通渋滞にはまってでもいるようにそれは喉の奥から出てきてはくれなかった。どうやら様々な感情が整理もされず押し寄せたため、一時的に僕の言語能力が麻痺してしまっているらしい。
     それでも、半ば意地で口を開きかけた時だった。男が弾かれたように僕の顔から目を離し、胸元へと手を入れた。内ポケットのスマートフォンに着信があったらしい。失礼、とまだ一言も言葉を交わしていない僕へと男が声を掛け、すぐそこにある出入り口の扉から店の外へと出て行った。
     立ち上がってから改めて思う。やはり、あまり見かけないほどの長身だ。先ほどの想像通り、ここ最近常連になった客なのだろう。一度見たら忘れられる要素がたった一つも無かったからだ。
     何もかもが印象的な男。そんな男の愉しそうな声が、大通りの喧騒を掻き分け僕の耳に聞こえて来た。
     背後にある大通りを歩く人々の気配。車のエンジン音や、苛立った様子のクラクション。ざわつく店内のしゃべり声や食器の音。そんなものに邪魔をされることもなく聞こえる男の声。換気のために、ちょうど僕の真後ろの突き出し窓が開いているせいなのかもしれない。その下の窓ガラス越しに、姿勢の良い広い背中が見えていた。
    「ええ、大丈夫ですよ。どうしましたか?」
     こちらには背を向けているはずなのに、どうしてだろう、何故か僕は奴の表情までが想像できた。ほっとしたような、屈託のない素直な声。昔からの知り合いに聞かせるに似たそれに、相手は誰なのだろうかと知らず勘繰ってしまった。
    「……なるほど。それはいけませんね。お相手の方は何と仰っているのですか」
     はしたない真似をしている。それをわかっていてさえ、意識を向けてしまう。こんなことは初めてだ。
     男の丁寧な言葉遣いが、聞いていて耳に心地が良いせいもあるかもしれない。真っ直ぐに伸びた背筋も、一見して隙のなさそうな振る舞いも、清潔感のある恰好にも好感が持てた。オーダーメイドであろうスーツと老舗ブランドの革靴も、スマートな男をいっそう美しく引き立てている。頭の天辺から爪先まで全てが完璧なその男は、しかし会話が筒抜けになっていることにはどうやら気付いていないらしい。
    「僕の大切なハニーを泣かせるなんて許せませんね。……いいえ。そんなことをおっしゃらないで元気をだしてください。貴女は笑っていた方がずっと美しいのですから」
    「…………」
     ハニー、とは。
     かしこまった言葉の中にある、そこだけ特別な呼び方。それに思わず動揺した。
     恋人を慰めてでもいるのだろうか。そうかもしれない。そう考えるのが自然だろう。
    「ふふ、本当ですか。……そうですね、また来週には会えますから。はい。……はい。もちろん、僕も愛してますよ」
     相手はやはり、……恋人らしい。
     漏れ聞こえる声が止み、やがて入口の扉が開かれた。それから、先ほどと同じ席へと腰を下ろした男は、その時になってようやく窓が開いていたことに気が付いたようだった。済みませんでした、と唐突に声を掛けられて、僕はちっとも意識などしていなかった風を装ってタブレット端末から顔を上げた。
    「なにがですか」
    「僕の声、ご迷惑でしたよね。窓が開いているとは思わずお恥ずかしい話を聞かせしてしまいました」
     本当に恥ずかしいと感じているのだろうか。穏やかに微笑まれ、内心どきりとしてしまう。相手は同性の、女性らしさの欠片もないデカい男だというのに。
     真に美しい人物には、性別など関係ないのかもしれない。
    「いえ、大丈夫でしたよ。……ですが、素敵ですね。正直羨ましいです」
     言ってから僕は気付いた。興味の無い素振りをしていたくせに、これでは聞き耳を立てていたのだと自ら暴露しているようなものだ。
    「羨ましい?」
    「ええ」
     それでも思わず言葉を口にしてしまったのには理由があった。今朝の、義父の言葉を思い出したからだった。
     愛を知れと、彼は僕にそう言った。
     ならば目の前のこの男も、愛を知っているのだろうか。
     当たり前のように愛していると口にして、ハニーなどという甘い言葉を聞かせる男。
     彼にも、稲妻が落ちたのだろうか。
     よくわからない感情がここにあった。未知の感情だ。面白いと感じているのか、ばかばかしいと思っているのか、本当にうらやましいのか、それとも、これは落胆なのか。
    「何故です? 今の僕の会話に、何か貴方が羨ましがるようなものがありましたか」
    「あなたと、ハニー?」
    「ハニー? ……ああ!」
     男が、今さら気付いたとでも言うような声を出した。思い当たる節すらなかったとでも言いたいのか。わざとらしい。それでも、続けて見せられた少し悪戯な美しい笑顔に、僕の全身の表面温度は悔しいことに上昇した。
    「残念ながら、あれは母です」
    「え?」
     まるで手品の種明かしでもするようだった。そんなはずはないのに、会話は偶然聞こえてしまっただけなのに、まるで最初から僕に聞かせるためにあえてハニーという甘ったるい言葉を使ったみたいだ。さすがにそれは邪推しすぎか。
    「どうやらまた父と喧嘩をしたようで。ふふ、もう何度目でしょう。自由奔放な父親でして、我が家ではよくあることなんです。少々気が若すぎる、とでも言いますか。このように大きな息子がいる年齢だというのに、きれいな女性を見かけると口説かずにはいられないらしくて……。失礼、お隣よろしいですか?」
     カウンター越しに提供された料理を手に、僕の隣へと移動する。一人分開いていた男との距離が一瞬で詰められた。
     なるほど。自由奔放だという父の血を引いている人間だけあるらしい。あまりにも自然な仕草に、僕はいっそ感心すらしてしまった。
    「あなたは違うのですか?」
     息子がこの顔なのだ。父親もまた似たようなものだと思う。笑顔一つで他人の体温を上げられる種類の人間にそう問えば、男は心外だと言わんばかりに驚いた顔をして見せた。
    「まさか。それとも、そんな風に見えますか? もしも見えたとしたらそれはひどい誤解です。僕は母に似て一途な性質なのですよ。……たった一人だけを想い、生涯愛して尽くします」
     穏やかに、そのたった一人に愛を告白するように言う男。
     脳裏に誰を思い描いているのだろう。
    「なら、さぞかしお相手の方は幸せなのでしょうね」
    「ええ、それはもう」
     言外に恋人の有無を聞いた僕に、男は笑顔でそう答えた。つまり、やはり彼にはもうすでに、そんな相手がいるということ。初対面の他人にまで、強烈な愛の言葉を聞かせるほどの愛しい相手が。
     僕の母も幸せだったのだろうか。義父に心から愛されて。
     この男もそうして誰かを幸せにしているのか。僕が無駄だと感じているその感情で。
     そう考えると、まるで自分がひどい欠陥品のように思えてしまった。
    「ですが非常に残念なことに、実は今そのお相手は募集中なんです」
    「……は?」
    「運命の人を探しているところです」
    「いや、お前、ちょっと待て……」
     再びの種明かしを嬉々とした顔でする男に、さすがに感情が逆撫でられた。
     いかにも既に相手がいるような口ぶりをしておいて、悪びれもなくそんなことをのたまうとは。こいつは僕をなめているのか? 二度も良いように弄ばれ、僕の営業用の笑顔が顔面から消え去った。あからさまに不快感をあらわにし、本音の言葉を漏らして聞かせる。
    「お前、さては性格が悪いな」
    「ああ、済みません。怒らないでください。悪気は無かったのですが、冗談が過ぎました。あの、許してくださいますか?」
     僕の顔を見てさすがにやりすぎたと思ったのか、男が、今さら眉を下げ申し訳なさそうな顔をする。今さらだ。本当に。こいつは引き際というものを知らないのだろうか。
    「言い訳をさせていただくと、貴方とお話がしてみたかったのです。それでついはしゃいでしまって。謝罪致しますので、どうかもう少しだけ僕に付き合っていただけませんか?」
    「僕はこれ以上お前のオモチャになる気はありません」
    「そこをなんとか。お願いします」
     男が長い手を伸ばし、カウンター越しに紅茶サーバーを持ち上げる。それから、オープンキッチンで注文の品を作る店員に目配せをし、サーバーを僅かに振って見せた。
    「五分だけで良いので」
     目配せは追加の注文だったらしい。空になりかけていた僕のカップに紅茶を注ぎ、美しい顔に屈託のない笑みを乗せる。というより、屈託のない笑顔をあえて作って見せているのだ。きっと。
    「ここの紅茶は意外と良い茶葉を使っているんです。淹れ方は、少々勿体無いのですが」
    「ふん。そんなことは知っています。僕がどれだけここに通っていると思っているんだ」
     少しは味のわかる男だと思った。その点だけは唯一褒めてやってもいい。味のわからない奴らが話題性だけで流行りの店やメニューに飛びつく真似が、僕は好きではないからだ。
     こいつがそんな人間だったら、五分と経たず席を立っていただろう。
    「おや。僕もここ一週間ほどこちらに通っておりますが、初めてお会いしましたよね。それとも普段は別のお時間で利用されているのでしょうか」
    「いえ。仕事の関係でしばらく来れてなかっただけです。あなたは?」
    「僕は仕事の都合で越して来たばかりなんです。料理は嫌いではないのですが、外で手軽に済ませられると思うとつい後回しにしてしまいがちで。なにせまだ部屋の片付けも済んでいませんから。でも、良かった。おかげで貴方に出会えた」
     まるで本心を伝えてでもいるように、男が僕を真っ直ぐに見つめている。まさか本心でなどあるわけがないのに。なまじ顔が整っているとでたらめにも説得力が生まれるのだから妬ましい。
     騙されてなるものか。僕は、鼻を鳴らす勢いで腕を組んで男から顔を逸らした。
    「もしかしたら、運命だったのかもしれませんね」
    「なるほど、それがあなたの常套句というわけだ。確かに夢見がちな方なら簡単に乗せられてしまうのでしょうね、運命なんて甘い言葉に。ですが生憎と僕は運命なんてものを信じてはいません。今回は手玉に取れず残念でしたね」
    「常套句だなんて、まさか。そんな誰彼構わず口説いて歩くような男だとでも?」
    「おや、違いましたか?」
    「……違いますよ」
     一瞬、声のトーンが変わった気がした。人当たりの良い雰囲気をあえて止め、真っ直ぐに自らの本音を晒す。そんな声に聞こえて、僕は思わず再び顔を向けた。けれど、そこには先ほどと同じ穏やかな笑みがあるだけだった。
     計算なのだろうか。それとも本当に一瞬、本音が漏れてしまったのだろうか。
     どちらにせよ、なんだか居心地が悪かった。確かに自覚があったからだ。相手を軽んじる、嫌な言い方を僕はした。
     謝罪をするべきなのだろう。けれど口を突く言葉は、それでも憎まれ口だった。
    「運命なんてあってたまるか。信じる信じないは勝手ですが、僕は嫌です。未来が決まっているだなんて、まるで悪夢だ。そもそもがただのこじつけでは? 運命の正しい名称は偶然であり、恋に浮かれた間抜けな男女が、自分たちは特別なのだと思いたいだけのただの妄想。そう考える方が自然です」
    「そうでしょうか。貴方がなぜそう思うのかはわかりませんが、僕はその思い込みの妄想が嫌いではありませんよ。こじつけでも、なんだかわくわくしませんか? 素敵な方との出会いを、僕は意味のあるものだと思い込みたい。例えば、僕と貴方のこの出会いを」
    「それは、僕を口説いているつもりなのか? 馬鹿にされていることくらいもうわかっています。そんなお遊びに付き合っている暇は僕にはない」
     ああ、そうだ。そうか。最初から、たった今のこの瞬間までつまりこいつはからかっているのだ。一瞬でも悪いと思ってしまった自分が許せない。そう頭ではわかっているのに、こいつの顔を見ているとどうしてもそんな考えが揺らいでしまう。
    「そんな、どうか気を悪くしないでください。これは僕の本心からの言葉です。信じてください。僕は、貴方がとても魅力的に見えるのです」
     嘘だ。なにもかも出任せだ。
    「先ほども申し上げましたが、僕は貴方と話がしてみたかった。実を言うとあんな真似をしたのも、貴方と話したかったからなんです」
    「あんな真似、とは……」
    「母との会話を聞いていたでしょう。本当は窓が開いていたこと、わかっていたんです。それでもこれが貴方と話す切っ掛けになればと思って。……幻滅しましたか?」
    「な……!」
     案外と迂闊な男だと思ったのだ。けれど、それをわかっていてやったのだと聞かされたら、印象は真逆になる。どこからどこまでが計算なのかわからない。
     やはり何もかもがこの男の手の内だと考えるべきだ。そしてきっとこのタイミングでの暴露は、僕が浮ついた間抜けな人間を好ましく思わないとわかったから。そう考えれば、僕がうらやましいと言った最初の言葉だって、わかっていてとぼけたのだと想像がつく。
     いつの間にかそっと懐に忍び込んでいる。おそらく、こいつはそんな男だ。
    「あなた、本当は父親似なのでは? どこからが計算なのかたった今把握できました。最初に僕を見て驚いたふりをしたところからですね」
     失礼します、と僕は座っていた席から腰を上げた。慌てたような制止の言葉を無視して鞄を手に取る。もはや聞く耳も持たずに入口の扉へと脚を向け、同時に腕を掴まれた。
    「手を、」
     離せ、と言おうとしたのだ。振り向いて、怒鳴るように。けれどそれよりも先に、男が信じられない言葉を口にした。
    「稲妻が落ちたんです!」
    「……なんですって」
    「それが瞠目した理由です。貴方を初めて見た瞬間の反応は、計算ではありません」
    「…………稲妻?」
    「そうです。あの瞬間、僕は稲妻に打たれてしまった」
    「…………………え、……どうして」
     稲妻。
     何故、その言葉がこの男の口から出てくるのだろう
     僕は思わず言葉を止め、真正面から男の顔を凝視した。
     左右で違う美しい虹彩が、戸惑いに揺れている。少し顔が赤くなっているようだった。まるで隠しておきたい本心を晒してでもいるかの様子で。本当は伝えたくなかったのに、それでも伝えなければ、後悔すると気付いたみたいに。
    「あの、なにか僕はまた失言をしてしまったのでしょうか」
    「いえ、それは……」
    「本当に、自分からこんなことをしようとしたのは初めてで、どうきっかけを作ったら良いのか分からなかったんです」
    「なんで、……そんなこと」
    「あの一瞬で、貴方を好きに、なってしまったから」
    「すき?」
    「……はい」
     ふと、きれいな色だと思った。ゴールドとオリーブ色の瞳。
     純粋な幼子にも似た感情をそこに覚え、いっそう僕の動揺が深くなる。
    「実を言うと、僕も運命なんて信じていません。でも運命だと思ったら、この出会いに意味が生まれるかもしれないと思って……。だから僕も、そんなこじつけに縋ったんです」
     どうして、そんな自信の無い顔をしているんだろう。
     顔も口も物腰も、こんなものを持っていたらどんな相手だろうと手に入れる事ができるだろうに。
     それとも本当なのだろうか。こんな真似をするのは初めてだと、男はそう言っていた。はは、そんなばかな。嘘に決まっている。嘘だ。嘘だと思うのに。
     でも。
     稲妻だなんて。
     どうしてか、僕は逃げたくなった。わからない。この場に留まりたいのに逃げだしてしまいたい。そんな衝動を覚えたのは初めてだ。
     稲妻が落ちると、人はこんな気持ちになってしまうのだろうか。
     こいつも。
    「あの、僕、もう行かないと。その、約束の五分も、過ぎてますし」
     顔が熱い。
     なんでこんなに心が落ち着いてくれない。
    「待って、僕も出ます」
     僕を追いかけるように、男が支払いを済ませて扉をくぐる。そわそわと、それを待っているような自分が嫌だった。左に曲がって、早く店に行ってしまいたい。逡巡する僕が脚を踏み出す一瞬前に、男が僕の手を取った。再び引き寄せ間近で僕と目を合わせる。
    「また、貴方に会いたい」
     数秒だと思う。でも長い時間見つめ合っているように思った。
     言いようのない感情に胸を貫かれている。まるで肥大化でもしてしまったみたいに、心臓が大きく音を聞かせていた。
    「そう願ってしまうのも、思い込みの妄想なのでしょうか」
    「い、いえ、それはその……」
    「……この後のご予定は?」
     ぐ、といっそう掴まれた手に力がこもった。少し汗ばんでしまっているのは、僕の手のひらなのだろうか。男の手のひらなのだろうか。
     逃がすまいとしているように思うのは、僕がそう信じたいからなのだろうか。
    「リストランテで、働いていて。今日は、その、本店の方に用事があったので」
    「お店の名前をおたずねしても?」
    「え、ええ。モストロ・ラウンジです」
     運命なんて。
     僕は信じてなどいない。
    「お店に行けばまた貴方に会えますか。……会って、いただけますか?」
     痺れが、指先から頭の天辺まで走っている。
    「…………はい」
     握られた手に力がこもった。僕の手が、彼のそれを、強く握り返している。
    「また僕に会ってくださるのですか? …………何故?」
    「それは…………」
     ああ、あれは。あれが稲妻だったのだろうか。男を初めて目にした時、身体を貫かれたあの衝撃。
    「僕にも稲妻が、落ちた、から?」
     名前も知らない男だ。
     趣味も、好みも、ひととなりだって何も知らない。たったさっきも腹を立てたばかりの相手だ。
     それでも今、互いに惹かれあっているのだけは、手に取るように強くわかった。
     嬉しそうに、少し恥ずかしそうに、取り繕う言葉も忘れて僕達は見つめ合っていた。でも、もう行かなければ。
     それもまた互いに感じているのだろう。名残惜しむように手を離そうとしては指を掴み、店の前から動けない。どうやら行き先は反対方向のようだった。後ろ髪を引かれるに似て手を、指をゆっくりと放し、離してそれから、また、と僅かに手を上げた。
    「はい、また。必ず行きます」
     行かなければ。
     視線をはなし、顔を背けて歩き出す。すぐに再び振り返り、男の背を見て前を向く。愚かにも、またも振り向いてしまったのは、前を向いた直後のことだ。美しいターコイズブルーがだんだんと僕から離れて行く。
     本当に、彼は僕の店に来てくれるのだろうか。
     そうだ。何度も良いようにして遊ばれた。
     また揶揄われただけなのかもしれない。
     ……でも。
     稲妻だと、彼は言った。
     義父が僕に言った、同じ言葉で。同じ、意味で。
     再び振り向き、抜きんでた長身の背中を見る。
     美しい、きれいな後姿だった。
     遊ばれていただけだとしても、ならばもう、それでいい。また、会えるのならば。
    「…………………………どうか」
     名前も知らない男の背に、僕は何故か泣きたいような気分になった。


         *****


     せめて名前くらい聞いておけばよかった。
     自分らしくない迂闊な行動だ。でも、そんな迂闊さに胸が躍った。
     それほどまで冷静さを欠いていたなんて、自分自身信じられない。自分をコントロールできないほど浮かれてしまっていたのだ。こんなことは初めてだった。一目見て、誰かを手に入れたいと願ったこともそう。あの、稲妻としか言いようのない衝撃だって僕はしらない。
     振り返れば、真珠色の髪の人は随分と小さくなっていた。追いかけてしまおうか。今からでも走ればすぐに追いつける。そうだ。追いかけて、もう一度、そう、名前を聞いて。
     思わず踵を返してから、思いとどまり脚を止める。店に行くと約束した。モストロ・ラウンジ。調べればきっとすぐにわかる。そこに行けば会えるのだ。もっと、もう一度、今度は心の準備をして会いに行けばいい。こんな衝動的に追いかけようとするなんて、愚かな男がすることだ。
     愚かでもいいじゃないか。
     けれどスマートに思われたいから。
     既に一度怒らせてしまったのに?
     だからこそ出直すのだ。
     それに、稲妻なんて。もっと他に言いようがあっただろうに。
     でも、言葉が届いたと思ったのも事実だった。
     正解だったのだろうか。……正解だったのだろう。
     再び僕は踵を返し、職場への方向に足を向ける。まだ休暇中だったけれど、一度顔を出そうと思っていたから。
     しつこくもう一度振り返り、美しい彼の背中を目で追った。
     別れたばかりなのに、また彼の顔を見たい。あの角を曲がったら、彼は見えなくなってしまう。ああ、もう、視界から消えてしまう。
    「…………………………どうか」
     また、会いたい。
     消えてしまった曲がり角をしばらく見つめる。どうしてか泣いてしまいたいような思いがあった。そんな感情を噛み殺しながら視線を戻し、一歩踏み出した時だった。
     耳をつんざくようなブレーキ音が聞こえた。それから同時に激しい衝撃。あまりにも唐突なブラックアウト。
     僕の最期の瞬間に浮かんだのは、名も知らぬ美しい人の顔だった。


         *****


     ほら。
     またひとり死んだ。

     この人間を選んだのは、ただ単にあいつの勤め先から一番近い場所にいたからだった。生前は、まあ色男だったんだろうな。でも、死んだ今は見るも無残な状態だ。
     ほんと、人間界ってのはクソみてえなところだ。煽り運転の末、追い越しざまに人を轢くとは。動物より余程野蛮な生き物だ。
     死んだこいつは、随分と早いスピードで車に跳ね飛ばされていたらしい。立ちあがろうとしたら、脚が妙な方向を向いていた。穿いていた衣服をめくってみれば、皮膚を突き破った白い骨が血だらけの肉との間に見えていた。よく見れば腕も骨が折れている。頭蓋骨と脳の損傷は入ったと同時に治したけど、他は気付けていなかった。
     なんだかひと房邪魔な黒髪を、手で掻き上げて片側に下ろす。なんでここだけ長いんだろ。地上のファッションだけはどの時代でもわかんねえ。
    「てか、痛えし」
     感覚がだんだんと繋がってきた。折れていた脚と腕の傷を治す。鼻の中に違和感があったから、片方を塞いで強く噴いた。血だか脳だかの塊が飛び出して、地面にびしゃりと落ちて弾けた。
     相変わらず、あちこちが脆い生き物だな。これじゃすぐに死ぬのも納得だ。
     それにしても、そこここで悲鳴を上げている人間共がいよいよという勢いでやかましい。急いで電話をする人間。慌てて車から降りる人間。ストップした交通機関にクラクションを鳴らす後続車にもイライラした。
     うっせえなあ。下界はこれだから腹が立つ。騒々しくてごみごみしていて他人の不幸を面白がる。
     本当に、あいつが言ったように、恋とかって感情はそんなにも良いものなのだろうか。とてもじゃないが信じられない。けど、信じられないからこそ興味があった。
     大きな道路にぎゅうぎゅうに詰まっている車の間を縫って歩いて、ようやくオレは歩道へでた。人間は歩道を歩くもの。そういうルールは、見ていてちゃんと知っている。
     それから改めて自分の恰好を見て思った。なんかこの服、汚くね? って。よく見れば血や脳みその汁であちこちがぐちゃぐちゃだ。なんか皮膚の感触が気持ち悪いなって思ったけど、もしかしたらこのせいなのかも。
     でも、どこに行ったら着替えられんだろ。そんなことを歩きながら考えてたら、ちょうど通り過ぎた店の中に、今オレが着ているのと同じような服が飾られてた。
     首の無い、つくりもののヒトの身体。それがキレーな服を纏ってる。たぶんここが服を売ってる店なんだろうな。看板にはテイラーって書いてあった。意味はわかんねえけど、文字は読める。優秀だからね。
     扉を開けると同時にいらっしゃいませって言った男は、オレを見た途端絶句した。なんか変なとこあったかな? ああ、血が付いてるからか。つーか、だから服買いに来たんじゃん。そんな言葉は、とりあえず飲み込んだ。
    「ねー、ここって服売ってんだよね。なんか新しいやつオレにちょうだい」

     結論から言えば、服ってスゲーおもしれえ! っていう感想だった。
     人間がいろんな種類の服着てるのって、こういう感覚だったからか。なんだかちょっと納得だ。
     鏡の前で自分の姿を改めて確認する。回ったり、振り向いてみたり。血だらけだった顔も渡されたあったけえ布……タオルって言ったっけ? それで拭いていたからきれいだし、裾や袖はちょっと長さが足んねえけど、似合っているしカッコイイ。
    「よくお似合いでいらっしゃいますが、やはり丈が少し短いですね。オーダーメイドもできますが」
    「今欲しいの。これはきたねえから捨てといて。いくら?」
     脱いだ服を一式店員に押し付けて、さっき見付けたこの男の財布から、紙を何枚か取り出した。これで物々交換できることもオレは知ってる。でも足りるか足りないかまではわかんねえ。
    「これ何枚いんの? もっといる?」
    「いえ、あの…………これで足ります」
     見下ろすサイズの男が、一瞬何かを考えた。
     夢にも思ってないんだろう。目の前に立つ人間の中に、別のナニカが入っているなんて。
     手に取るように感じられた小狡くて卑しい考えは、とても人間らしいものだった。
    「お前さ、今妙なこと考えただろ」
    「はっ? な、なんのことでしょう」
    「こいつ頭がおかしいのかちょっとくらいちょろまかしてもバレないんじゃないか一枚多いけど気付かなかったふりをすれば誤魔化せるかもって」
     感じ取った思考を抑揚なく言葉にするたび、男の顔色はおもしろいほど変わって行った。あは。こんな顔するくらいなら最初から考えなきゃいいのにな。
    「思っただろ」
    「めっ、めっそうもございません!」
    「オレさ、そういうのわかんだよね。で、足りんの? たんねえの?」
    「こちらは、多いので、お返しいたします……」
     震える手で紙を一枚返してきた。貫き通せばたったの一枚くらい、面白れえからくれてやったのに。意気地ねえの。
     おつりだって言ってコインを渡されたから、それを適当にポケットに突っ込んだ。
    「リーチ様、ネクタイも処分してよろしかったですか」
    「……だれ?」
    「いえ、ここにお名前が刺繍されておりますので」
     店の男が、さっきまで着てた服の内側をオレに見せてそう言った。確かに、Leechって書いてある。ふーん。この体の奴、リーチって名前なのか。たぶんファミリーネームってやつだよな。
    「リーチ様ではございませんか?」
    「ううん。リーチで間違いないよ」
     じゃあ名前はなんていうんだろ。どっかに書いてあったりすんのかな? そこまで考えて、めんどくさくなってすぐにやめた。まあいいか。名前なんて。今だけなんだし。なんならあいつに付けさせたってかまわない。
     店を出る。靴以外全部着替えたせいか、もう誰もオレに注目はしなかった。目を閉じ感覚を尖らせる。あいつはまだ、勤め先には行ってないみたいだ。先回りしてやんのも、おもしれえかも。考えれば、とてもいいアイデアみたいに思えたし、なんだかわくわくする気持ちになった。
     それがいい。そうしよう。
    「確かあいつの会社の名前は」
     ああ、そうだ。
    「アーシェングロット法律事務所」


         ******


    「来客? アポイントメントは取っていないのだろう。何故、それも私の部屋に、何故通した」
    「申し訳ございません、自分でもどうしてそんなことをしたのかわからず……。やはりお断りを」
    「いや、いい。……私が対応する」
     ドリューはもう十年程もついてくれているベテランの秘書だった。その彼が、まさかこんな迂闊なことをするはずがない。なにか嫌な予感がして、私は事務所の奥にある自室へと脚を向けた。
     やはり一度出社してから外出した方がよかっただろうか。家を出て直ぐ掛かってきた得意先からの電話に、私はオフィスとは逆方向へハンドルを切ってしまった。今すぐ相談があるのだと無理を言われたからだ。
     一歩足を進めるたびに、本能的な、敢えて言うのならば怯えに似た感覚が強くなって行く。
     これは、気のせいだろうか。いや、とてもそうとは思えない。
     まるで心臓を見えない手で握られているようだ。そんなわけがないのに、物理的な感触さえ覚えるほど。そしてその感触は、自室の扉の前に立った瞬間最も強く感じられた。いっそ生々しいまでに、今、私の心臓は誰かの手のひらの中だった。
     突き当たりの右の部屋。人一人分奥まった場所にある扉の奥が、私専用のオフィスだった。その向こう側に、確かに何者かの気配があった。
     中に、誰かが……、ナニカが居る。
     知らず生唾を飲み込んだ。手が震えていることは、自分自身気付けてなかった。何物かに握られている心臓がドクドクと激しく悲鳴を上げている。
     捕食者に睨まれた被食者になっている気分だ。
     やはりドリューを連れてくればよかっただろうか。思わず背後を振り返るが、奥まった扉の前に居る。振り向く先に見えるものは、対面の廊下の壁だけだった。
     ドアノブに掛けた手が、恐怖でぴくりとも動かない。
    (はいれよ)
    「っ……!」
     その時だ。扉の向こうから声がした。
     ……いや、いまのは声だったのか?
     まるで頭の中に直接聞こえてきたような、
    (言ってただろ。そうだ、って)
    「う、ぐうっ……! ……がっ!」
     それは再びの声と同時だった。握る手に少し力を込めたように、私の心臓が悲鳴を上げた。
    「っ……~~~~~! ……、……ッ!」
     息が、出来ない。心臓が破裂してしまいそうだ。脂汗が全身にじっとりと滲んでいる。掻き毟るよう胸を掴み、私は立っていられず床の上に膝をついた。
    (そう)
    「な、……にが…………だ」
     意識が朦朧とする。そうだ。私は昨日、これと同じ夢を見た。夢、を。夢?
     夢では、なかったと、いうことか。
    (お前が質問したんだろ?)
    「なに、を……ッ、ぐ…………私は、質問、などッ……うっ、ぐぅ」
    (したって。“私は死ぬのか”って。…………しただろ?)
    「ッ…………ぐぅッ、……はっ、はあっ、………ひっ、……ぅ!」
    (ほら、今だって。……その、答えだ)
     それは無意識に考えた事だった。誰に問いかけるでもなく、自分自身への、不安のあらわれのような言葉だ。
     私は、この胸の痛みは、私は、死ぬのだろうか、と。
    (そう)
     カチャ、と内側から扉が開いた。うずくまるよう膝をついていた私の前で、ゆっくりと樫の木の扉が開かれて行く。視界の先に大きな黒い革靴が見えた。それから、少し丈の短いスラックス。
     私は朦朧とした意識の中、それでも顔を上へ上へと向けて行った。ターコイズブルーの髪を持つ、ひどく背の高い男。そいつが、目を歪ませて笑っていた。
    「お前は死ぬ」
    「はっ…………!? ……はぁっ、はぁっ」
    「でも今は許してやる」
     唐突に心臓の痛みが消えた。男の言葉と共に。はいれよ、とわらって促され、私はまるで操られるように立ち上がり部屋の中へと足を入れた。
     恐怖を、全身にべったりと貼り付けたまま。
     どうやら私は、死ぬらしい。

    「千年を十億回数えて永遠を掛けてみな。それがオレの年齢」
     おそろしく整った顔の男が、私のスツールに座りくるくると回っている。無邪気な子供の仕草をしてはいるが、彼は今、何歳だと言っただろう。長すぎる脚を組みながら楽しそうに回転を楽しんで、最後に私の前でぴたりと椅子の動きを止めた。
     良く磨かれている上等な革靴。それが私の目の前にあった。知る人ぞ知るFroydのプレーントゥだ。丁寧に手入れされている様子のその靴は、しかし手入れとは裏腹に何か強い衝撃を与えられたような傷があった。とても不自然で、深い傷。それからこれは血液だろうか、一部に変色も見られていた。
     ここに来る前、男に何かがあったのだ。
     絨毯の上に座り込んだままの私は、未だ収まり切らない動悸に荒い呼吸を繰り返していた。
    「あっちに連れて行く前に、ニンゲンの世界を見て回りてえの。お前はそのガイド役」
    「…………私を、どこへ」
    「わかってんだろ? そこだよ。お前が今頭ん中で思ってる、ソコ」
     まるで思考が見えてでもいるようだった。
     いや、その通り、こいつは視えているのだ。
     こんな自問にすら、男が肯定するに似て目を細めたからだ。
    「……期間は」
    「オレが飽きるまで」
    「………………」
     飽きるまでなど、つまりはこいつのさじ加減一つではないのだろうか。それは突然死といったいなにが違うのか。
    「…………断ると、ッ、……ぐぅっ」
     言ったら、と疑問を口にする前に強烈な痛みが私の心臓を絞め上げた。
     先ほど感じた死の恐怖が再び肚の底から込み上げる。油汗が全身から噴き出すと同時に「こうなる」となんでもない風に男が言い、痛みが瞬時に消え去った。
    「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ……」
    「ラッキーだろ? こいつみたいに突然事故で死ぬわけじゃねーんだし。この世を去るための準備ができる」
     丈の合わない新品のスーツ。傷のある革靴。染みになった血痕。
     その理由を、今知った。
    「その姿は、奪ったのか? 持ち主の青年を殺して?」
    「殺してねーよ。たまたま近くで死んだから借りただけ。てかさ、あんたオレに名前着けてよ。人間はみんな名前があるんだろ? おもしれーじゃん。ファミリーネームはリーチだって。ファーストネームは、お前がつけろ」
     気さくに話しているが、絶対的な力の差を感じる。有無をも言わせぬ力だ。拒めばこの場で命を刈られることが、私には容易に想像できた。
    「どうして、ファミリーネームを知っている。それも“わかる”からじゃないのか」
    「は? しらねーよ。そもそもこいつに興味ねえし。リーチは、こいつが着てた服の内側にあった名前。破れて血まみれでぼろぼろだったから捨てたけど」
     ああ、そうか。よほど酷い事故だったのだろう。よく見れば、年齢はアズールと同じくらいだろうか。そう思えば、見ず知らずの青年だろうと心が痛んだ。
    「んで、名前は?」
    「…………フロイド」
    「ふーん。フロイド・リーチね……。あはっ、いーじゃん! てかなんでフロイド?」
    「お前が、いま、履いている靴の名だから……」
    「へえー。んじゃ、今日からよろしくぅ。お前ん家のゲストルームがオレの部屋ね」
    「ちょっと待て、うちに泊まるつもりか!?」
    「そーだよ。ワリィ?」
    「いや、しかしうちには息子が」
    「だから? んなもんお前がどうにかしろよ。オレは別にお前じゃなくてもいいんだからな」
     断ればどうなるか。答えはもう、解ってしまった。
     フロイド・リーチだと? 仮初めの名など付けたところでいったい何の意味がある。馬鹿にしているのだろうか。男の本名は、人が持つそれじゃない。死だ。生きている人間に絶望をもたらす存在だ。
     私はまだ、……まだ死ねない。
     私が死んだらあの子はどうなる。愛も知らず、恋も知らず、心に鎧を纏ったままたったひとりで生きて行くのか。
     それがどんなに寂しいことか、わかろうともしないまま。
     あの、本当は人一倍寂しがりやの義理の息子が。
     ひとりぼっちになってしまう。
     私は、そんな未来は耐えられなかった。







    ※あとがき
    このあとアズがジェ(中身フロイド)と再会して、今朝と雰囲気違うな?と思いながら何日もかけてフロアズ愛を深めて行き、パパは愛を知ったアズにはほっとしつつでもこいつだけは絶対にだめだとフロイドと共に死の世界へ行く決意をし、フロイドはパパがアズに言っていた恋愛のなんたるかをアズールで知れたし連れて行きたいけどそれは死を意味するわけなので愛ゆえにさよならの決意をしてパパの旅立ちと共に消える。そして事故でぐちゃぐちゃになった身体を治してもらったので入れ替わりに生き返ったジェ(フロイド時の記憶無し)が混乱しつつもジェイアズを始めようとするお話なのですが…………。
    ちょっとまってフアの結末つらすぎん?それに確かに一目惚れしたのはジェにだったけど、愛情を育んだのはフロとなのでアズ(なんとなく別人だと気付く)はフロに未練じゃばじゃばなのでは?いやこれからジェと愛を育むことはできるけど、でもジェにがっかり感というか、ああ違う……みたいな感情を持つわけですし、いややや、二匹のウツボと恋愛できるイドアズ体質のアズだからジェともちゃんと恋愛できるんでしょうけど、いやいやいややややっぱそうするとフロとの方はメリバじゃん??メリーでもバッドエンドは無理無理無理!!!!!!!!という結論に至ったので続きは書けません申し訳ない…………。
    ところで財布にカードとか身分証とかあっただろうけどフロイドはそんなものの存在自体知らないからファミリーネームしかわかんなかったっていう補足をここにおいときます。
    あとコーヒーショップでのジェのビジュアル説明は、フロのビジュアルにもなるようにしていますってことと、ジェアが別れて振り向くところはタイミング悪く振り向きあっているんだよという補足もついでに。


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    Replies from the creator

    ニシカワ

    DONEいいねの数だけ制作予定の無い話の台詞や一節(や二万字超えの小話)をのせるやつ⑤
    シ゛ョー・フ゛ラックをよろしくのパロで、いろいろねつ造しています。これジェア&フアでできるのでは???って思ったのが切っ掛けなんですけど、イドアズ者の私には最後が辛くこれ以上は書けないのでここで供養します。ここでのカプはジェアしかありません。小説の最後の下の方にネタバレしておくので興味のある方は読んでみてください。
    フロイド・リーチをよろしく(そう)
    (そうだよ、大正解~)
    (あは。自分でも分かってんじゃん)
    (でも、少しだけなら時間をあげる)
    (そのかわり、


         *****


     ビク、と痙攣に似て身体が跳ねた。唐突に生々しい現実感を突き付けられ、私は自らの思考が混乱するのを激しい鼓動の中で覚えた。
     浅い眠りの最中、落下する夢を見た時になるこの反応。生理現象だと分かってはいても、慣れるようなものではない。
     気だるさを引きずったまま、開ききらない視界で見慣れた自室をぐるりと見まわす。天井まである巨大な窓に誂えられたカーテンの隙間から、こぼれるように朝の光が漏れていた。
     反射的に枕元の時計を見れば、既に六時になろうとしている。いつもならばとっくに目覚めて身支度を済ませている頃合いだ。こんな時間まで目を覚まさないとは、もしや自覚がないだけで本当に体調が悪いのだろうか。
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    ニシカワ

    DONE🦈のふりして🐙にちょっかい出そうとしたらとっくにフロアズしていたみたいで自爆した🐬のジェイアズ
    【ジェイド・リーチはフロイド・リーチがうらやましい】 誓って言える。決して下心などは無かったのだ。それはそれは可愛らしい、稚魚の悪戯のつもりだった。すぐにネタバラシをする気でいたし、そもそも続けられるほどの辻褄だって合わせていない。
     片割れに許可を取る前にタイを解いてシャツのボタンを二つ外した。目と声を魔法で変えて、髪に手を入れ分け目を変えた。好奇心は猫をも殺す。そんな陸のことわざを思い出したが、まさかウツボまでは殺せまい。そう思ったから。だから僕は、愛しの片割れに姿を変えて、VIPルームの重厚な扉を蹴破った。
     その時は、とてもわくわくとした気持ちで。
     幼い頃より何度か繰り返してきた入れ替わりのこの遊び。髪型を変え、口調を変え、態度を変えればそれだけで大抵の人魚は僕達の入れ替わりには気付かなかった。色や形を変える魔法を覚えてからは、両親ですら疑問を抱かず僕をフロイドと呼び、フロイドをジェイドと呼んだ。最近では魔法の精度も真似をする技術も上がっていて、自分自身ですらフロイドとの見分けが付かないほどだ。鏡ではなくガラスの向こうに片割れが居るのではないかと思うくらいによく似ている。そんな自分の姿を見て思ったのだ。果たしてアズールはこれが僕だと気付くだろうか、と。一度そう考えれば、僕の好奇心はおさまらなかった。
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