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    ニシカワ

    @psynk

    ジェイアズ・イドアズ沼在住ジェ推しフロ中毒患者。アズ大好きなジェ&フロが生きる糧。

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    ニシカワ

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    長い片想いを暴かれ更には打算から一時の快楽を唆されマジ切れする🐬と、恋愛バブすぎて🐬を切れさせ27歳にして初めて恋を意識しだす🐙のジェイアズ
    このあと🐬が事業のためにホテル王の娘と婚約したり🐙が泣いて襲い受けしたりするお話の第1話です。続いたら
    ⚠️もしも続いたらHな回はフォロ限です

    #ジェイアズ
    j.a.s.

    【遠雷とチョコレート】 最悪だ。車からたった何歩かの軒下へと駆け込んだ一瞬で、ライトグレーのトレンチコートがぐっしょりと黒く色を変えた。買ったばかりの輝くような革靴も、駐車場の川と見紛う汚泥のせいで今やすっかり台無しだ。髪を濡らした雨粒が、頭皮を伝って首へと落ちた。
     派手なネオンサインを掲げている街外れのモーテルは、電飾のEの文字が消えていた。おそらくは直さないまま放置しているのだろう。そう思わせてしまうほどには薄汚れている前時代の遺物に、それでも駆け込まざるを得ない状況。それがたった今の僕達だった。
     泥と砂にまみれている軋む床板を踏み鳴らし、ペンキの剥がれた扉の前を何回か通り過ぎる。汚泥が一番マシな駐車スペースを選んだからか、受付までが遠かった。
     豪雨が弱まる様子は無く、遠くで雷鳴が響いていた。
     風に煽られた雨水が、時おり床板を豪快に濡らす。スラックスが脚に貼り付く感触が不快だった。眼鏡に付いた水滴も鬱陶しい。内心のイライラを宥めることが出来ないまま、僕はようやく辿り着いた粗末な受付の小窓を叩いた。一度、二度。……三度。四度目に連続で叩いてからようやく顔を覗かせた白髪頭の老婆は、目に見えて不機嫌な表情を晒していた。
     なんだこいつは。手入れの行き届いていない、クソみたいなモーテルだが、曲がりなりにも客商売ではないのだろうか。だが、まあいい。こんなところに二度と来るつもりは無いのだから。そう思い、いやあ参りましたよ帰り道が土砂崩れで通れなくなってしまいましてねああ現地の視察の帰り道なんですけどね、と男二人でモーテルを訪れた説明する。けれど説明をしている間中、老婆は僕達をねめつけるように上から下へと何度も視線を往復させるだけだった。
     聞いているのだろうか。
     受付に、宿泊料金は書かれていない。金額は不明だが、こんな古びたモーテルだ、一人一万マドルもしないだろう。というか、それ以上だったら間違いなく詐欺だ。僕は一方的な会話を続けながら、受付の小窓に高額紙幣を二枚置いた。
    「空いてるのはここだけだよ」
     老婆が僕の言葉を遮って、ルームキーをたった一つ投げて寄越した。重いキーホルダーを付けたそれが、ガチャンと大きな音を立てる。ホテルの受付にはありえない、あまりにも乱暴な真似だった。僕達がそれに驚いている間に、老婆は紙幣を一枚だけひったくり、ビシャッと強く小窓をとじた。それから次いで、カーテンまでを閉められる。
    「な、な、な……、なんなんだこのババアは! 平日のど真ん中の夜にこんなオンボロホテルが満室のわけないだろう! ふざけているのか!? 駐車場の車を見てから物を言え! おい! 聞いているのかクソババア!? あっ、クソ! あのババア電気まで消しやがった! いったいここの従業員教育はどうなっているんだクソホテルめ! クソが! 潰れてしまえ!!」
    「アズール、口が悪いですよ。風邪をひいてしまいますので、もう諦めて部屋に行きましょう」
     ジェイドが濡れた前髪に指を入れ、後ろへと掻き上げた。投げられたキーを拾い、キーホルダーに刻印された部屋の番号を読み上げる。
    「107号室です」
     すぐそこにある扉には、101号室のプレートが掲げてあった。たった十室しかないモーテルは、L字に扉が並んでいる。ちょうど長い一辺の、端の部屋のようだった。ジェイドが番号の部屋へと向かって、僕の前を歩く。土砂降りの雨は少しだけ雨脚が弱まったものの、相変わらず続いていた。
     107。楕円形の、金属のプレートに彫られた数字を確認し、ジェイドが鍵を差し込んだ。元はエメラルドグリーンだったのだろう部屋の扉は、劣化したペンキが剥離し下の木材が見えていた。
    「何室かは人がいるようですが、どう考えても満室とは思えないんですけど」
    「ええ、そうですね。ですが鍵をいただけないのですから、仕方ありません」
     大方部屋の清掃をしていないか、もしくは翌日の清掃を嫌っての事なのだろう。オーナーに管理を任されているだけの怠惰な従業員にはよくある話だ。
     本来だったらこんなところ、決して泊まる事は無い。今日だって、帰り道が土砂で塞がっていなかったら今頃は中心街のシティホテルに泊まっていた。
     ジェイドが僕を部屋に入れ、次いで長身をかがめて入室する。ギギギイイィィィと蝶番の軋む異音を上げながら、部屋の扉が閉められた。
     どこもかしこも最悪だ。それはもちろん部屋の内部も変わらない。粘着テープで補修されたソファと錆が浮いたガラステーブル。叩けば砂埃が舞い上がりそうな絨毯。それから、いつ洗濯をしたのかもわからないシーツが掛かった、大きなベッドが一つだけ。
     僕は、僕とジェイドを、まるで汚物でも見るような目で観察していた受付の老婆を思い出した。だから言い訳をしてやっていたのに、あのババア。聞いてもいやがらなかった。クソが。いっそこの辺りに土地を買って、僕が別のホテルを建ててやろうか。リーズナブルで清潔な、ネオンの壊れていない洒落たホテルを。
     そうだ。潰れろ、なんて僕らしくない。潰してやる、が正解だ。
    「アズール、先にシャワーを浴びてきてください。こちらは着替えです」
     ジェイドが僕の濡れたコートを脱がせてから、ぺらぺらの布を手渡した。着替え? と眉を寄せていぶかしんでみたのだが、広げてみれば確かに着替えの部屋着だった。糊が利きすぎていて肌触りの悪そうな、色あせた木綿のナイトウエア。粗末などというレベルじゃない。僕の店のテーブルナプキン一枚で、この布を五十メートルは買えそうだ。つまり今夜はこれを着て寝ろという事なのか。はは、冗談でも笑えない。
    「……あの土砂、やはり無理やりにでも魔法で退けるべきでした」
     そもそもどうしてこんなことになったのか、思い返せば後悔しかない。あの時、さっさと話を切り上げておけばよかったのだ。
     中心街から車で一時間半。大規模なリゾート開発が計画されている輝石の国の西海岸は、新店舗の出店候補地としてはうってつけの場所だった。リストランテだけではなく、宿泊施設も兼ねたアルベルゴをと考えていたからだ。ウエディングやちょっとしたパーティーをするには最高の立地とロケーションだ。年間平均気温が二十度前後と一年中あたたかく、晴天率も良い。中心地とはほどよく離れており、人混みに揉まれるような事も無い。今現在は古い山道が一本通っているだけの、アクセスには問題がある土地だったが、それも近いうちに解消される。リゾート化計画の一つに、中心街からの新たな交通網の整備があるからだ。距離的にもぐっと近くなる大きな国道と、車で十分程度の距離には高速道路のインターチェンジも作られる。新店舗がオープンする頃にはどちらも開通している予定だ。
     マドルの匂いがプンプンする。今から既にセレブリティ達の別荘も建設され始めているという。金持ち共が集まる場所になるのなら、新店舗は料金設定を他の店より高めにし、厳選した素材で質の高い料理を提供できる。やはりあのブドウ農園を買い取るべきだろうか。ずっと迷ってはいたのだが、今がその時かもしれない。
     現地のスタッフと落ち合い話を聞くうちに、新店舗のアイデアが際限なく広がってつい話し込んでしまったのだ。そのうえ、サンセットを見るべきだと引き留められ、見事な夕焼けを日が沈む瞬間まで堪能してしまった。嵐が近づいているという予報を、僕はちゃんとラジオで聞いて知っていたのに。
     日が落ちてからジェイドと二人、借りて来た車に乗り込んだ。向かう先は古くて細い山沿いの、もうすぐ旧国道と呼ばれる道だ。レンタカーのドアを閉めると同時に、雨がぽつぽつとフロントガラスを叩き出した。ぽつぽつ、からばたばたへ。ばたばたからばちばちへ。大粒の雨がマシンガンのように降り出すまでは、あっという間の出来事だった。
     外灯どころか、ところどころガードレールも存在しない曲がりくねったその道は、ハンドルを握っていないはずの僕の両の手のひらも、嫌な汗でじっとりと濡らしてくれた。最速でワイパーを動かしているのに、雨で前がよく見えない。運転慣れしてない車、雨の夜の知らない山道。いつも嬉々としてくだらない嫌味や当て擦りを言うジェイドの唇も、その時ばかりは固く真っ直ぐに引き結ばれていた。
     土砂崩れは、山道に入って三十分ほど走ったところで起きていた。小規模なものだったし、車一台分の土砂を掻き分けるくらいなら、魔法でなんとかできそうだった。ただ、思ったのだ。土砂崩れがここだけでなかったとしたら? この先にもまた同じように、土砂で塞がれた道があったとしたら? その度に魔法を使っていれば、ブロットの問題が発生する。ここは小規模なものだったが、これから先はわからない。判断を誤れば、古く脆い山道の車の中で嵐の夜を過ごすことになる。それどころか、もしも土砂崩れに巻き込まれたら? そう考えてみれば、無謀な賭けに出る事はできなくなった。道すがら横目で見た、このモーテルの看板を覚えていたというのも理由一つだった。だいぶ通り過ぎてしまっていたが、それでも今戻れば確実にあたたかいベッドで眠れる。
     その時は、こんなひどいホテルだとは、思ってもみなかったのだけれど。
    「土砂崩れは、こちらの地域の整備局に通報しておきました。それからホテルにはキャンセルの連絡を。当日なので料金はお支払することになりますが。レンタカーの方も明日まで延長ということでお話をしてあります。土砂崩れで戻れない旨をお伝えしたら、延長分の料金は半額にしてくださいました」
     シャワーを浴びている間に諸々の細事を済ませてくれたのだろう。コートもジャケットもすっかり乾いてハンガーに掛けられていた。汚泥に濡らされた靴もいつの間にか新品のそれに戻っている。魔法でだ。
    「そうですか。助かりました」
     ごわついたナイトウエアはやはり不快だったが、それでもシャワーを浴びたせいかようやく人心地付いた気分だった。生ハムと同じか、もしかしたらそれよりも薄いバスタオルで髪を拭い、粘着テープで補修された座り心地の悪い合成皮革のソファに腰を下ろす。すると待っていたようにジェイドがテーブルにコーヒーを置いた。
    「コーヒーしかありませんが、よかったらどうぞ。それと、貴方はお嫌いでしょうが、夕食代わりに召し上がってください」
     手のひらで隠すようにして、ジェイドがそれをそっと置いた。メープルフレーバーのエナジーバーと、続けて、キャンディのように両端を捩じった個包装のチョコレートを二つ。色はグリーンとゴールド。ころんとしたまん丸のカラフルなチョコレートは、いかにも女子が悦びそうな見た目をしていた。
    「非常用としていくつか持ち歩いているんです。ルームサービスもありませんから、今夜はこれで凌いでください。では、僕もシャワーを浴びてきますね」
    「……お前はもう食べたのか?」
     燃費の悪さは知っている。腹が減ると目つきが凶悪になることも、余計な口を利かなくなることも知っている。それから、こいつが嘘吐きなことも、僕はよく知っていた。
    「ええ、お先にいただきました。どうぞ全部召し上がってください」
     テーブルの脇に置かれたゴミ箱は空だった。ジャケットは、二人とも部屋に入ってすぐに脱いだ。
     ソファから立ち上がり、ジェイドの正面に立ちはだかる。きょとんとした顔で見下ろすでかい男を不機嫌に睨んでから、僕はそいつのスラックスのポケットに左右の手を突っ込んだ。
    「は? ちょ、っとアズール、何を!」
     案の定、指先にかさりと当たったそれを掴んで引っ張る。内側が銀色の、愛らしいチョコレートの包み紙だった。パープルとライトブルー。あったのはそれだけだ。エナジーバーの空袋は、どのポケットにも見当たらない。
    「嘘を吐くならもっとマシな嘘をつけ。一本しかないんだろう」
    「……すみません。ここまで確認されるとは思わず。次はもっとうまくやります」
    「そういうことを言っているんじゃない。燃費が悪いくせに、嘘をついてまで自分を犠牲にしようとするな」
     テーブルに置かれていたエナジーバーの袋を開け、一口奥歯で齧り取る。久しぶりに口にしたが、相変わらず忌々しい食感だ。不機嫌もあらわに鼻の頭にしわを寄せ、残りはそのままジェイドの口に突っ込んだ。
    「くそ。まずくはないところが余計に腹立たしいんですよ。食に怠惰な姿勢がなによりも気に入らない。ナイフとフォークを使って皿の上で食べてやろうか!」
     突っ込まれたエナジーバーをおとなしく咀嚼しながら、ふふ、とジェイドが作り物でない笑みを見せる。飲み込んでから、アズールらしいですね、と褒めているのか貶しているのかわからない言葉を素直なこどものような顔で僕に聞かせた。おそらくは、褒めているのだと思う。こいつのツボだけは未だによく分からない。
    「ではシャワーを浴びてきますので、先にベッドで休んでいてください。僕はソファで休みます」
    「だから、お前は……今言ったばかりだろう。いいか、お前には明日も働いてもらうんだ。運転だって任せるつもりなんですから、中途半端なことをするんじゃない。僕と一緒にベッドで寝なさい。ベッドが大きいことだけが、唯一まともなモーテルなんですから」
    「いえ、しかし……」
    「同性と同じベッドですからね、良い気分ではないかもしれませんが、我慢しなさい。僕は気にしませんし、むしろ慣れていますよ。学生時代はしょっちゅうフロイドが僕のベッドに潜り込んで来ていましたからね。ははは、懐かしいくらいだ」
    「僕はフロイドではありません」
     言葉にしてから、今のは失言だったとすぐに気付いた。案の定、ジェイドが即座に言い返した。
     学生時代からそうだった。ジェイドは、僕がこんな風に二人を同じものだとして扱うと、とても気分を悪くする。暫らくねちねちと嫌味や当てこすりをする程度には、彼にとって不愉快な事なのだろう。
    「もちろんそれは知っていますよ。僕はただ、似たような体格だと言っているだけです。ですが、お前がどうしても嫌だと言うのなら仕方がない。僕がソファで休みます」
    「いけませんアズール、それは……!」
    「では二人でベッドで寝るとしましょう」
    「………………………………はい」
     再びソファに腰を下ろした。しぶしぶといった顔で了承したジェイドをシカトして、チョコレートの包みを開ける。これ以上この話をする気はないというアピールだ。
     一口サイズ、というには少し大きいチョコレートを口に入れる。甘い。次いで、ピスタチオのフレーバーが舌の上に広がった。なるほど。グリーンはピスタチオを表している色なのか。広げた正方形の包み紙を指で摘まみ、表と裏を交互に見る。薄暗い部屋のオレンジ色の照明が、チラチラと銀色の紙に反射した。
    「お前、こんなものをいつも持ち歩いているのか?」
     エナジーバーならよくわかる。燃費の悪さに加えて、社長秘書という簡単ではない仕事をひとりでこなす多忙な男だ。社長の僕の次くらいには。けれど、このチョコレートはなんだ。確かこのブランドは、好みのフレーバーを一つずつ選んで量り売りする店ではなかっただろうか。僕も一度、手土産に丁度良いと思いギフトボックスを購入したことがあったが、もしかして、これはジェイドが選んで買ったのか?
     やたらと明るく女性客の多い店内で、ほくほくとチョコレートを選ぶ二メートル近い男の姿を想像した。悪夢のようだ。しかしこの顔があったなら、それも許されるのだろうか。むしろよろこぶ女性すらいるかもしれない。そこまで考えてから、ふと思った。
     ジェイドは、これを僕以外の誰かにも渡したりするのだろうか。例えば、僕の会社の女性従業員たちに。他に誰もいない場所で、唇に立てた人差し指を当てながら、手のひらにチョコレートを乗せてみせる。それから、こいつお得意の作り笑顔を見せてやったら、どんな相手も一瞬でものにできそうだ。
    「恥ずかしいので誰にも内緒にしていたんですけどね。たまに口寂しい時、甘いおやつが鞄に入っていると嬉しくなりませんか」
    「お前に口寂しくない時があるとは驚きでした」
     僕の妙な考えを否定するように、ジェイドが自らの秘密を共有する。つれない素振りで言葉を返し、つぎはぎだらけのソファに深く背中を沈み込ませた。
    「でもまあ、うちの店でもこういったものの取り扱いがあるのは良いかもしれませんね。ギフトや、帰り際の良い土産になりそうです。それとも常連客だけ購入できるシステムにした方が話題性も出ていいのかもしれないな。考えてみましょうか」
     ぬるくなってしまったコーヒーを一口啜り、舌で転がしてから飲み下す。上等なコーヒーがこんなクソみたいなモーテルに用意されているわけがないのだが、もはやこれは身に沁みついた飲食店経営者としての癖だった。しかし、やはりコーヒーは好みじゃない。
    「……お前の紅茶がのみたいな」
    「ええ、帰ったらすぐにでも」
     そう穏やかに笑われて、とたんに今のセリフが恥ずかしくなってしまった。こいつのツボはわからないが、けれども僕がこんなふうに素直にジェイドに甘えると、大抵いつもうれしそうな顔をする。まるで至上の喜びだとでも言うように。
     照れ隠しに僕は鼻で息を吐き、とっとと行けとバスルームに顎を向けた。

     がたがたと部屋の窓が揺れている。風が強くなってきた。
     二人して着心地の悪いナイトウエアを身に纏い、ベッドの端と端で身体を横に向けている。互いの背中を見せあって、それでも意識は互いを見ているような気がしてならない。
     フロイドのようなもの。さっきはそう思っていたが、実際こうして並んでみると全く別の人物だということを痛感した。ジェイドの言う通りだ。ジェイドは、フロイドとは違う。何の警戒も疑心も無い、気安いあいつとは別人だ。腕や脚を絡めては、なんだかんだとその日の出来事をおもしろおかしく一方的にしゃべってきて、しゃべっている最中、勝手にひとりで眠りにつく。フロイドは、身体だけが特別大きい、稚魚のような奴だった。正直で純粋で凶暴で、自分を偽る真似をしない。気分屋なところも、突き詰めて言えばただただ素直なだけなのだ。懐かしい。あいつは元気にしているだろうか。たまには帰ってくればいいものを。思い出せば、それなりに寂しさも覚えた。
     フロイドは、今は別の街で暮らしていた。自由気ままに仕事をして、好きなようにその日を生き、飽きたら別の場所へ行く。フロイドらしい生活だ。半年くらい前、世界的に有名なファッション誌の表紙をフロイドが飾っていて、目を剥いたことがあった。ジェイドも知らされてなかったらしい。どうしてそんな事になったのか未だに真相はわからないが、見ない間にまた少し精悍さを増していて、そんなところにも驚いた。
     あの時、僕はどんな顔をしていたのだろう。ジェイドが「そのうちなんでも無い顔をして戻ってきますよ。大きなお土産を携えて」と慰めるような言葉を聞かせた。僕に飽きて出て行ったわけではないのだから、と。
     確かに、ちょっとそこまで、という態でフロイドは出掛けて行った。鞄も持たず、普段着で。ジェイドが言うには、スマホと財布と魔法石以外全部部屋に置いて行ったという。本当に、すぐに戻ってくるつもりだったのだ。もしかしたら、未だにすぐに戻ってくるつもりでいるのかもしれない。明日になったら、何でも無い顔で僕のベッドに潜り込んで眠っている。それは決してありえないことじゃなかった。
     だからちゃんと、僕の会社にはまだ、フロイドの席がある。
    「………………」
     いつかジェイドも、僕を置いてどこかへ行くのだろうか。否定はできない。似ているようで似ていなくて、けれど本質的にはフロイドと同じだ。こう言ったら、またジェイドはへそを曲げるだろうか。
     それでもあの時、一度離れた後でも、ジェイドは僕の元へと来た。まるで当たり前の事のように。
     卒業後、僕は一度証券会社に入社した。経済や金融の動向を見通す力を身に付けたかったからだ。そこで二年ほど働いてから、今の会社を起業した。飲食店の経営だ。経験は確かに僕に力をくれた。学生時代、学園内で営業していたカフェの経験も役に立った。けれど今のように会社が飛躍的な成長を続けているのは、やはり双子の、特にジェイドの存在がなによりも大きい。
     起業してすぐ、僕はジェイドに連絡をした。引き抜こうと思ったからだ。本当か嘘かはわからないが、ジェイドは国立の、魔法薬の研究機関で働いているというようなことを言っていた。正直、何だってよかった。海に戻って家業を継いでいたら面倒だと思っただけだ。さて、果たしてどれだけの好条件を並べ立てたら、ジェイドは引き抜きに応じるだろう。あいつが有能なのは知っている。だから金に糸目をつけるつもりは無かったし、ジェイドもそんな僕の思惑をわかり切っているはずだった。後々条件を吊り上げられることを想定し、まずは一般的な雇用条件を僕は電話口でジェイドに伝えた。詳しくは会ってからだと言おうとして、けれどジェイドは、その場で僕の引き抜きに応じていた。まだろくに労働条件の明示もしていない状況でだ。あまりにも安易にイエスとこたえるものだから、逆に僕が話くらい聞けと諭したほどだ。それから次の日には辞表を出したと連絡がきて、二日後には履歴書を持ったジェイドが僕の家の前に立っていた。まるで待っていましたと言わんばかりの表情で。履歴書なんてそんなもの、もらってどうしろと言うのだろう。それより僕は、未だたまに地雷を踏み抜くあいつの取説の方が欲しい。
     背中にジェイドの気配がある。降り注ぐ雨はまだ強い。激しい風に煽られるたび、窓や部屋の外壁がバチバチとやかましく叩かれた。
     居心地の悪さに、僕はできる限りそうっと身体の向きを上へと変えた。けれど、やはりここはクソホテルだ。最悪のスプリングを内蔵しているマットレスが、暴風雨にも負けない音量で軋む音を響かせた。なんなんだこのベッドは。ゴミ捨て場からでも拾って来たのか。これならば今夜泊まる予定だったホテルの床で眠る方がまだマシだったかもしれない。本来だったら今頃は、上等なベッドの真ん中で、ひとりでゆっくりと眠っていたのに。
     眠れないのはきっとこのベッドのせいだ。深夜を過ぎても眠れないと、ろくでもない過去の出来事が頭の中に浮かんでくる。僕は、これが大嫌いだ。ああほら、また。幼い頃の泥のような感情が僕の思考を支配する。そう思った時だった。僕の脳裏にふと、いつもとは違う過去の出来事がよみがえった。視界の端に見えているジェイドの存在のせいだった。
     僕は昔、こいつに告白をされていた。
     ナイトレイブンカレッジを卒業したその日だった。ジェイドが深刻な顔をして、僕に言った。あなたがすきです、と。式典服のフードを目深に被って、学園の薄暗い室内廊下の一角で。こんな場所で、と当時は思ったものだが、あれはもしかしたら赤くなった頬の色を隠したかったからなのだろうか。ジェイドのことだ、それはありえる。無駄にある僕達の身長差は、表情までを隠してはくれないから。だからせめて、赤い顔を耳だけでも、僕から見えなくしたかった。
     僕は、今になってそれに気付いた。どうしてあの時はわからなかったのだろう。あの時、僕はいったいどんな返事をジェイドにした? 確か、意味がわからず怪訝な顔をしてみせた。ああ、そうだ。こいつでも誰かを好きになったりするのかと、いぶかしんでみせたのだ。そうして、そうですか、わかりましたというような言葉をたいした感情も無くジェイドに聞かせた。
    『付き合っていただくことは可能でしょうか』
    『不可能ですね。僕はお前をそんな風には見ていませんし、これからもそんな風に見るつもりはありません』
     一度思い出せば蓋が開いたように次々と言葉と思考がよみがえった。そうだ。色恋沙汰は邪魔なものだと当時の僕は考えていた。冗談か本気かもわからない言葉を本気で捉える事もしなかった。次の瞬間には興味を無くし、ジェイドの言葉をごみのように記憶のすみに丸めて捨てた。
     今ならわかる。あれは本心を隠したがる男の、心の底からの言葉だった。
     今さら罪悪感に似たものが、腹の底から湧き上がる。あんな答えを叩きつけていたくせに、僕は、ジェイドに連絡を取ったのだ。何の感慨も無く。あいつの力が必要だからと。自分が立ち上げる事業の成功のためだけに。
     ジェイドは今、誰かに本心を捧げているのだろうか。
    「…………お前、恋人はいるんですか」
     寝たのかもしれない。寝息は聞こえないが、返事が無かった。寝たのだろう。いや、むしろ聞かれなくて良かったのだ。今さら過ぎ去った出来事をほじくり返してどうしようというのか。そう思った頃、ジェイドの声がぽつりと聞こえた。
    「いません」
     起きていたのか。不意打ちの返事にどきりとしてそれから、それもそうかと思い直した。恋人がいる素振りなど、一切感じなかったからだ。仕事一辺倒の僕に、同じように付き合っている。夜中の二時に電話をして、タクシーで会社に来させたこともあった。言い訳をすれば、まさか二時だとは思っていなかったのだ。まだ九時くらいかと思って電話をして、切った後に時計を見て驚いた。そんな男に恋人がいるとは、僕は到底思えない。
    「起きていたんですね。お前は、今までにどれくらいの方と恋愛をしてきたんですか」
     一度は言わなかったことにしようとも思ったくせに、答えを一つ得たからか、込み上げる好奇心に似た感情が僕の口を滑らせた。
    「…………ひとりも」
    「は!? お前、誰かと付き合った事が一度もないのか?」
     驚いて、思わず僕は身体ごとジェイドに向き直った。スプリングが軋み、再びひどい音がした。
     本当の話なのだろうか。僕ですら社会人になってからはそういった経験も必要だと考え直し、適当な女性と付き合う真似事をしてみていた。結局は何も得るものが無かったが、ジェイドはその真似事すらしたことが無いと言っているのか。
     大きな背中がこちらに向けられている。
     どこか遠くで、雷の鳴る音がした。
    「はい。ありません」
    「何故? お前ならいくらでも相手がいるのでは? あのチョコレート一つでお前に入れあげる女性なんて、きっと掃いて捨てるほどいるはずですよ」
    「お慕いしている方がいますので」
    「お前が!? 誰かに一方的に恋愛感情を抱いていると言うのか? 何故? 何故思いを伝えない? お相手は? なんなら僕が力になって差し上げましょうか?」
     ジェイドに好きな相手がいるなんて初めて聞いた。相手がいるのなら、何をもたもたしているのだろう。告白してしまえばいいものを。それともウツボの狩りと同じように、ひたすらに勝機を待っているのか。まさかそんな。性格はともかく、この顔とスタイルと物腰があれば女子など入れ食い状態だとわからないのか。
    「結構です」
     ジェイドが声を低くして、僕の慈悲を一刀両断に断った。
     何か、僕は今、こいつの気に触ることをしたのだろうか。頑なに僕に背中を向けたままだったが、声と空気が苛立っていた。
     やはり、こいつの取り扱い説明書を誰か僕に売ってくれ。
    「そういえばお前、僕に告白したことがありましたよね」
    「……………………そうですね」
     先ほど思い出した記憶を、言葉に代えて蒸し返す。なんだったらあのときの経験を踏まえて進言すらするつもりでいた。けれど、何秒かの沈黙の後にしぶしぶ発した声を聞き、まるで天啓のように僕の頭にとある考えが閃いた。
    「お前、まさかまだあの時の気持ちを引きずってたりなんてしていませんよね」
     盛大なため息が、荒れ狂う風雨の音を押しのけて部屋に響いた。
     これは、イエスという事ではないのだろうか。
    「もう眠ってはいかがですか」
    「いったい僕なんかのどこが良かったんですか」
    「……………………」
    「付き合った女性には、紳士的なところが好ましいと言われました。表面上そうしていただけのところを好きだと言われても、外見を誉められただけで本質は褒められていないんですよね。あとはたぶんお金でしょうか。僕の懐を覗こうとする女性の多い事多い事。なんなんでしょうかね、あれ。結局なんの実りもありませんでした。なので、参考に聞いてみたいんです。お前は僕のどこが良かったんですか」
     同じ質問をもう一度する。今度こそジェイドは、その質問に答えを返した。
    「……さあ。自分でもわかりません。我が儘で、守銭奴で、人の心に土足で上がり込んで踏みにじるような人のどこがいいのか、僕もさっぱりです。いい加減、諦めたいんですけどね」
    「やっぱりお前、まだ僕が好きなのか!?」
     思わず僕は起き上がり、ジェイドの背中に問いかけた。
     どきりとした。いや、ぎくりとしたのかもしれない。心臓が一度大きく跳ねた。
     ジェイドはまだ、僕の事が好きなのだ。
    「お前は僕を……性的な目で、みれるのか?」
    「はい。そういう目でも見られます。表面上だけではなく、貴方の本質的な部分が好きなので」
     まさかとは思い、ひきつった笑み漏らしながらそれを訊いた僕に対して、ジェイドは冷静な声でそう言った。今まで付き合った相手に対する嫌味を忘れないのがこの男らしい。
    「……僕に、どんなことをしたいんだ? セックスをしたいのか? どっちがいいんだ? トップ? それともボトムなのか?」
    「僕は、貴方を抱きたいです」
    「僕がボトムか……」
     ジェイドが僕を抱く。それは本当に、本気なのだろうか。
     同性の幼馴染が僕の身体に覆い被さる。その想像は、まるで冗談のようだった。
     誰よりも知っている男だ。知っていると思っていた男。考えたことも無かった。過去に告白を受けてさえ、考えていなかったのだ。もしもジェイドが本気になったら、どうする。本気で僕を組み敷いたら。体つきは学生の頃とは比べ物にならない。身長だって、差は開く一方だった。抵抗できるだろうか。ただ単に力比べなら負ける気はしないが、腕や脚を折られたら、どうなるかわからない。信頼はしている。けれど、二人いる、何をしでかすかわからない男のうちの一人だ。折らないにしても、関節くらいは悪びれもなく外されるかもしれない。抱くにせよ、抱かれるにせよ、痛いのはちょっと。
    「嫌だな……」
    「そうですか。ではもう寝てください」
     どういう意味で嫌だと言ったのか、正しく伝わらなかった気がした。
     学生の頃は、恋愛感情というものがひとの心にどんな影響を及ぼすのか、なにもしらない稚魚だった。恋愛の本質は未だにさっぱりわかってはいないが、どんなことになるのかはあの頃よりもわかっているつもりだ。この感情一つで、人生設計の歯車が狂ってしまう事がある。僕とジェイドに置き換えたら、急成長を続けている僕の会社の事業計画がパアになるということだ。たった一回の、ちょっとしたミスで取り返しのつかない事態に発展する。
     そう考えると怖かった。僕の返答によっては、ジェイドを手放す結末になるかもしれない。引き留めるようなことをするつもりはなかったが、ジェイドに抜けられると面倒だ。秘書としてこれほど有能な人材をまた一から育てる事は、急成長している僕の事業の成功を遠ざける。クソ、藪蛇だった。好奇心に負けて、真実を問いただすなんて真似をするんじゃなかった。
     けれどそこまで考えてから、ふと思った。もしかしたらこれは逆にチャンスなのかもしれない、と。ジェイドを、僕の元に強く繋ぎ止めておく鎖。あざとくその弱みを突いてやったら、離れようなど考えることもない。ただこのチャンスをどう生かせばいいのか、僕は色恋沙汰の経験が少ないためかわからない。しばらく真剣に思案して、思い付いたのがこれだった。
    「舐めるくらいならしてやってもいいですよ」
    「…………結構です」
     雨の音に混じって長く深いため息が聞こえ、それからジェイドが僕の譲歩を断った。心底僕に呆れている。そんな様子でいるようだった。
    「何故? お前、僕が好きなんだろ。嬉しくないのか?」
     初めてジェイドが身じろいだ。背中ばかりを見せていた男が、身体ごと僕に向き直った。
     暗闇の中でもわかる黄金色の瞳が、射抜くように僕を見る。表情は無かった。感情が抜け落ちたように、何も無い。こんな不機嫌なジェイドの顔を、僕は見たことがあっただろうか。本気で腹を立てている様子だった。
     ゆっくりとジェイドが起き上がる。スプリングが鳴り、ベッドが揺れた。ジェイドが僕の肩を両手で掴み、丁寧な仕草でマットレスに横たえた。まるで当たり前の事のように。僕は、いつの間にかジェイドに、ベッドの上に押し倒されていた。
     力では負けないはずだった。それでも僕は動けなかった。僕を射抜く双眸が、僕の動きを止めていた。いつも顔面に貼り付けられている笑顔も無い。無言だ。たった今、この瞬間に、ショック・ザ・ハートと言われたら、きっと魔法は発動される。それくらい僕は、ジェイドの前で動揺していた。
     冷たく暗い海の中。捕食される寸前の、命が刈り取られる恐怖心を、僕は久しぶりに思い出した。
    「や……、」
    「何故ですって? わかりませんか? 好きだからですよ。貴方は、使い捨ての性欲処理の道具として、僕を使うつもりなのですか。……ひどい人だ」
     僕の肩から手を放し、再びジェイドが背を向ける。瞬間、どっ、と全身に汗が滲んだ。心臓が痛い。金縛りにあったように、身体が未だに動かない。覚束ない頭でジェイドの言葉を何度も何度も反芻し、そうしてようやく、腹立たしさと共に体の自由が戻って来た。
    「はあああぁ? 舐めろとは言っていませんが!? 僕がお前のものを舐めてやろうかと言ったんだろ! なにが性欲処理の道具だ。だいたいお前がそんな可愛らしいものになれるとでも思っているのか!?」
    「貴方の情緒は赤ん坊ですか。そんな事をしたらどうなるか、想像ができないんですか」
     表には出さないが、こいつは腹の中で陸の人間を馬鹿にして生きている。たいした危険も無いぬるま湯の中で、手塩に掛けて育てられた脆弱な生き物だからだ。そんな男が、僕の今の言動を、人間の稚魚に例えて言った。つまり心底馬鹿にしているのだ。
     ジェイドがうんざりとした顔で僕を振り向く。憤りなのか羞恥なのか、それとも別の感情なのか、僕の顔はきっと今、真っ赤になってしまっている。
     明かりを消していてよかった。
     赤い顔を隠すため、式典服のフードを目深にかぶった学生時代の幼いジェイドが、僕の頭の中をよぎった。
    「いいですか、たとえ貴方を抱かないにしても、そんなことをされたら止まりません。僕も貴方の身体を触るでしょうし、キスをして、当然性器にも手を伸ばします。同じようにオーラルセックスもするでしょうね。本心では、貴方を抱きたいと思っているのですから。できるところまでをしますよ。……それでも貴方は、僕の服を脱がせますか」
     じっ、とジェイドは貫くように、一瞬で怖気づいた僕の目を見ていた。そんな事を、もちろん僕は考えてもいなかった。これは飢えた犬に、いっとき気まぐれでその日の餌を与える行為だ。もっと寄越せと噛み付かれても仕方がない。そう、ジェイドは僕に言っているのだ。
    「い、いえ。………………すみません、軽率でした」
     そもそも最初から、ジェイドは僕に言っていた。自分はフロイドとは別人だと。あれはきっと、比べられて不機嫌になったわけじゃない。じゃれついて眠るだけだとでも思っていましたか、とジェイドのその目が言っていた。
     今さら僕は、自分の安易な思考を反省した。恋愛経験が乏しいにしても、なんて愚かな真似をしたのだろう。
    「もういいから、眠ってください」
     毛布を引き上げ、ジェイドが僕に背を向ける。今は人間の姿で、人魚じゃない。感情を表す背びれなど付いてはいないはずなのに。もう振り向くつもりはない。そう、その背中が言っていた。
     雷を孕んだ雲の唸り声が聞こえる。近づいたのか、遠のいたのか、もはやよくわからなかった。
    「…………お前、なんで僕が好きなんだ」
    「それを聞いてどうするんですか」
    「怒るなよ。知的好奇心です。僕は、誰かを好きになった事が一度も無い」
    「ええ、そうでしょうね。一度でも誰かを好きになった事があるのなら、あんなひどい台詞は言えません」
    「なんだよ。悪かったから……、答えろよ」
     ジェイドの背中に手を伸ばしたら、また不機嫌になるだろうか。
     込み上げる疑問を、素直に表す行為は危険だ。今覚えたばかりなのに、つい言葉を求めてしまう。答えを、求めてしまう。
    「さあ……。僕もよくわかりません。気付いたら、貴方を好きになってしまっていました。海の中で、海の中なのに、燃えるような生命力を貴方に感じていたので、それに惹かれたのかもしれません。僕の心臓はあの頃から、今でも貴方に縛り付けられています」
    「そんなに昔から、お前は僕が好きだったのか」
    「はい。もう二十年近くも前から」
     ふっ、と自嘲するようなジェイドのわらい声が聞こえた気がした。
    「アズール、僕は、誰かに恋をすることは、もっと美しいものだと思っていたんです。幼い頃に読んでもらった海の魔女の物語は、ある一人の人魚が恋をして、愛を知って、幸福になるお話でした。結末はともかくとして、僕も貴方に恋をして、愛を学ぶのだと思いました。ですが、違ったんです。恋愛感情は、そんな美しいものじゃなかった。むしろひどく醜いものでした。今でも時々、自分が恐ろしく汚い生き物に思えて仕方がない時があります。無償の愛などというものを、僕はこんなにもながい間貴方に片想いをしているはずなのに、未だ欠片もわかりません」
     まるでそれは懺悔だった。独り言のように語った後、ジェイドはもう口を開こうとはしなかった。僕もまた、それ以上声を掛けることができなくなった。
     僕はまだ、恋すら知らない。いつかジェイドが語った言葉の意味を知る時が来るのだろうか。
     遠雷を聞きながら、僕は静かに目を閉じた。

     翌朝は、昨日の嵐が嘘のような晴天だった。まるで何事もなかったかのように、ジェイドはいつも通りの顔をして僕にコーヒーを手渡した。僕が起きる前に、寝癖を直して髭を剃り、タブレット端末でメールの確認とスケジュールの調整を終わらせていたようだった。コーヒーを啜りながら、改めて今日の予定を聞かされる。土砂崩れの復旧は、おそらくはまだできていないだろう。だいぶ遠回りになってしまうが、隣県の別ルートから帰社するスケジュールが組まれていた。レンタカーも、隣県の店舗に返却すれば良いらしい。
     身支度を整えたあと、最後にジェイドが僕のジャケットを肩に掛けた。洗浄魔法と風魔法ですっかり元通りになっている。忌々しいモーテルのやかましい扉を開け、ジェイドがルームキーを返しに行く。その間に、僕は助手席に乗り込んだ。やがて戻って来たジェイドがエンジンを掛けると同時に、窓を開けて空を見る。ゆっくりと砂利を踏みしめるタイヤの音を聞きながら、考えるのは昨夜のこと。
     僕も、それを知ってみたい。ジェイドが嫌う、恋という感情を。知って、同じ気持ちを感じたい。そうして知らない僕を知ってみたい。
     相手が誰かはわからない。でも、例えばそれがジェイドだったなら、ジェイドは愛を知れるのだろうか。僕が教えてやれるのだろうか。
     たぶんジェイドは、昨日の夜の告白を後悔している。だから宣言しておこう。
    「昨夜のこと、僕は無かったとは思ってませんからね、ジェイド」
    「…………僕は無かった事にしたかったです」
     ミラー越しに映っていた、モーテルの看板がみえなくなる。もう二度とこんな場所に来るものか。どうなるかはわからないが、この思い出を作ってしまったところがあんなホテルだったのだけが腹立たしかった。
    「なんにせよ、まずは腹ごしらえからだな」
    「そうですね。ナイフとフォークで食べるエナジーバーがあればいいのですが」
     軽口を睨んでやれば、ジェイドがたのしそうに僕に笑った。




    続く
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    Replies from the creator

    ニシカワ

    DONE🦈のふりして🐙にちょっかい出そうとしたらとっくにフロアズしていたみたいで自爆した🐬のジェイアズ
    【ジェイド・リーチはフロイド・リーチがうらやましい】 誓って言える。決して下心などは無かったのだ。それはそれは可愛らしい、稚魚の悪戯のつもりだった。すぐにネタバラシをする気でいたし、そもそも続けられるほどの辻褄だって合わせていない。
     片割れに許可を取る前にタイを解いてシャツのボタンを二つ外した。目と声を魔法で変えて、髪に手を入れ分け目を変えた。好奇心は猫をも殺す。そんな陸のことわざを思い出したが、まさかウツボまでは殺せまい。そう思ったから。だから僕は、愛しの片割れに姿を変えて、VIPルームの重厚な扉を蹴破った。
     その時は、とてもわくわくとした気持ちで。
     幼い頃より何度か繰り返してきた入れ替わりのこの遊び。髪型を変え、口調を変え、態度を変えればそれだけで大抵の人魚は僕達の入れ替わりには気付かなかった。色や形を変える魔法を覚えてからは、両親ですら疑問を抱かず僕をフロイドと呼び、フロイドをジェイドと呼んだ。最近では魔法の精度も真似をする技術も上がっていて、自分自身ですらフロイドとの見分けが付かないほどだ。鏡ではなくガラスの向こうに片割れが居るのではないかと思うくらいによく似ている。そんな自分の姿を見て思ったのだ。果たしてアズールはこれが僕だと気付くだろうか、と。一度そう考えれば、僕の好奇心はおさまらなかった。
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