お力添えします!「守一郎、三木ヱ門、準備はできたか」
障子の向こうから名前を呼ばれ、ちょうど私服に着替え終えたところだったふたりは、顔を見合わせて立ち上がった。
「すまない、お待たせ!」
守一郎がすらりと障子をひらくと、廊下には守一郎、三木ヱ門以外の四年生――タカ丸、滝夜叉丸、喜八郎がそろっていて、その姿は私服だった。
ラフな柄の私服姿は見慣れなく、守一郎は少しそわそわしてしまう。そして今日のこれからの予定を考えると、なおさら。
「タカ丸さんのおすすめの団子屋、楽しみだな」
「スターである私が立ち寄るのに、相応しい店だといいのだが……」
「喜八郎、踏子ちゃん持っていくの?」
「どこで必要になるか分からないですから」
口々に、てんでに会話をしながらぞろぞろと正門に向かう。傍から見れば、仲がいいのだかよくないのだか、噛み合っているのかいないのかよく分からないけれど、四年生はこれが平常運転だ。誰もとくに気にしてもいないし、みんな居心地がいいので、これでいいのだ。これで十分、バランスがとれている。
とはいえ、こうして出かけるのは初めてのことだったりもする。全員そろっての休日。私用も委員会活動もないので、親睦会もかねて団子屋へ行こうと決まったのはつい三日前のことだ。タカ丸おすすめの団子屋。
斉藤タカ丸は守一郎と同じ編入生で、二つ年上だが忍者の経験がほとんどないとして四年生に在籍している。年上だからといって本人は偉そうぶったりしないし、こちらも変に遠慮したりしない。それでもやはり、二年歳上だけあって、考えも経験も守一郎たちよりも深く多く、四年生のお兄さん的存在だ。
「タカ丸さん、どれくらい歩くんですか」
守一郎はタカ丸の隣りに並んで訊ねる。楽しみだな、いくらでも歩けそうだ、と思いながら。
「うーん、山をひとつ越えるから……一刻は歩くかなあ」
のんびりとタカ丸はこたえる。にこにこと、柔和な口元。タカ丸はいつもほんわりとした空気感で、そのせいもあって、守一郎はとても話しやすいと思っている。ひとりでは解決できそうもない悩みを、相談したこともあった。
もちろん、他の四年生たちも癖はあるが悪い人間ではない。守一郎はこのメンバーを、とても気に入っている。
と、正門にむかう塀沿いで、ひとり佇む人を見かけた。
漆喰の塀を眺め、腕を組んで考えこんでいるようすのその人は、深い緑色の忍服を身につけていて、瞬時に六年生だとわかった。
守一郎を除く全員が首を傾げる。
「六年生だ」
「誰だろう?」
朝日に目を凝らすように目をすがめるメンバーを横目に、守一郎にはもうすでに、それが誰なのかわかっていた。がっしりとした肩。短めの髷。腰にむかって細くなる体躯(目のつけどころがちょっと変態みたいかも)。すんなりと伸びた脚。塀を見つめて考えこむ姿。
「こんなお休みの日に、どうしたんだろう?」
タカ丸が首を傾げるのに返事もしないで、守一郎は弾かれるように、その人にかけよった。
「食満留三郎先輩!」
「……、! ああ、守一郎か」
その人はこちらを見て、にっこりと微笑む。やっぱり、だ。塀を眺めていたのは予想の通り、用具委員会――守一郎の所属する委員会だ――の委員長、六年は組の食満留三郎先輩だった。
守一郎はうれしくなる。先輩だ!
「どうかされましたか?」
「いや、この塀……昨日は問題なかったはずなんだが、このあたりが少し崩れてきているから……」
前のめりに訊ねる守一郎に、留三郎は苦笑しながら塀を指さす。そのすらりと指が向く先に、守一郎は目を転じ、ああ、と頷いた。
なるほど。これはひどい。なにか大きなものでもぶつかったのか、灰色の漆喰が崩れ、なかの骨組みがむき出しになっている。それも、穴は三尺四方もあり、けっこうな大穴だ。
「これはすごいですね」
「そうだろう。明日にしようかとも思ったんだが、修補しておいたほうがいいかなあ」
うーん、と留三郎は塀を見つめながら唸る。
その横顔を、守一郎は眩しく見つめた。休日なのに。こういうことが、気になる人なのだ。きっと、もっと崩れてきたらとか、けが人がでたらとか、考えているのだろうと守一郎は思う。責任感が強く、とても真面目で優しい先輩。
「私、お手伝いしましょうか?」
そう言ったのは自然なことだった。そんな守一郎に、留三郎は組んでいた腕を解き、驚いたように目を見開く。
「なにを言い出すんだ。休日に、そんなことさせられないさ。それに、今から出かけるんじゃないのか?」
とんでもない、というように首をふり、守一郎の肩越しに後ろを見る留三郎につられ、守一郎もそちらをふり返る。すっかり忘れていた。そこには守一郎以外の四年生メンバーが、そろってこちらを見ていた。
とくに苛立つでもなく急かすでもなく、のんびりと守一郎が来るのを待ってくれている。みんなで団子屋に行くために。
守一郎は四年生と留三郎とを見比べる。天秤にかけるように。残りたい、と思った。でも留三郎は笑っている。それは、受け入れてくれない笑顔だ。
案の定、留三郎腕組みを元にもどし、「いいから言ってこい」と言った。とても鷹揚に。
「でも、……」
「大丈夫。修補は明日にする。この近くには立ち入れないようにするさ」
ぽん、と肩を叩かれた。軽く、向こうへ押し出すように。
「明日……明日は、お手伝いさせてくれますか?」
「ああ、頼むよ」
だから行ってこい。そう言われると、守一郎もそれ以上は食い下がれず、後ろ髪を引かれながらみんなの元へ戻る。
「もういいのか?」
「スターを待たせるとはいい度胸だ」
守一郎が追いつくと、四人はくるりと再び正門へ足を向ける。再びてんでにおしゃべりしながら歩き始めるなか、タカ丸がくるりと守一郎をふり返った。
「守一郎、いいの?」
外出届けはすでに提出していて、出門表にそれぞれサインする。正門でかまえている小松田さんは、とても優秀な事務員で、どんなに内緒で出かけようもしても、反対に侵入しようとしても見つかってしまう。
「いいの、って……?」
筆を受け取り、名前を書こうとバインダーを腕の内側に引っ掛ける。
「気になるんじゃない?」
のんびりと、しかし確信したようにタカ丸はいう。
守一郎はぺたりと紙に筆先をつけ、それ以上動けなくなってしまう。いいのだろうか。このまま、出かけて。
タカ丸を見ると、彼はいつもの柔和な笑みを浮かべるばかりだ。
じわりと、紙に隅が滲んでいく。手が動かない。まるで文字の書き方を忘れてしまったかのように。
「守一郎?」
「……ごめん、みんな。団子屋には四人で行って! タカ丸さん、ありがとう!」
タカ丸の声をきっかけに、守一郎はバインダーと筆を小松田さんに押しつけると、慌てて学園のなかにとって返した。全速力で、長屋の方へ戻る。留三郎がいた、塀まで。
「守一郎?!」
三木ヱ門と滝夜叉丸の驚いた声を背中に聞こえたが、ふり返ることはしなかった。みんなのことは嫌いじゃない。出かけるのだって、とても楽しみにしていた。でも守一郎には、それよりもっと優先したいことがある。
あとはきっとタカ丸がどうにかしてくれるだろう。
先ほどの塀の前には、緑色の忍服を着た人が変わらず立っていた。でも今度は手に、なにかを持ってはいる。
それはコテ板とコテで、なんとなくそうじゃないかとは思っていたけれど。修補は明日にするだなんて、やっぱり守一郎を送り出すための嘘だと悟った。
戻っきてよかった。守一郎は自分の行動が正解だったのとを確信しながら、すうっと息を吸った。
「先輩!」
後ろから、守一郎は声を張る。
「守一郎っ!?」
こちらを見て、目を丸くする留三郎の素っ頓狂な声。
驚いている留三郎のその手から、守一郎はすっとコテ板とコテをかすめ取った。走ってきた勢いを、殺すことなく。
「お手伝いします、先輩!」
「しかしお前……! ……いいのか、?」
困ったように顰められた眉。守一郎を心配してくれているのだろうと、わかる。この人は、優しいか。
「いいんです、あいつらへの埋め合わせは今度します。それに私は、用具委員会ですから」
そう胸を張ると、留三郎は目を瞬き、それからふっと力が抜けたように、仕方なさそうに笑った。わかった、諦めた、と。
「それじゃあさっさと片付けるぞ!」
「はい!」
返事をするや、ぺたりと、守一郎は漆喰をおもむろに壁に塗りつける。留三郎も、もうひとつ道具を取り出し、穴を埋めにかかった。
「終わったら団子を奢ってやろうな」
「やった!」
顔を輝かせる守一郎に、留三郎は苦笑する。半ば気圧されたように。
その兄然とした微笑みを横目に、塀に漆喰を塗りつけながら、守一郎は考える。
戻ってきてほよかった。留三郎の役に立てて、ほんとうによかった。四年生のみんなとは出かけそびれたけれど、後悔はない。
これが終わったら、留三郎と団子屋だ。今日は概ねいい日になりそうだ。ひとまずは、熱い心でこの穴を埋めよう。全力で。
そう思うと、俄然力が湧いてくるのだった。