Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    ちかし

    うすゆうのこと団地妻だと思っている
    ■リクエストや感想あれば↓
    https://odaibako.net/u/chikashi731
    ■成人向けは@gomagomadoofuをフォローしてください

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 113

    ちかし

    ☆quiet follow

    新刊進捗とサンプルとけつ叩きを兼ねて…

     柔らかい光が降り注ぐ窓際のテーブルで、熱々のピザを臼井が切り分けていく。色素の薄い髪が光を透かし、その眩さに俺は思わず目を細めた。
     俺と臼井は練習後、間食と観光を兼ねて有名な製菓メーカーの喫茶室に訪れていた。この店は珍しくピザローラーでは無くキッチンバサミを使うようで、臼井は左の手で湯気が立つピザを押さえながら、あっという間に八等分する。
     熱くはなかったのだろうか、そう思いながら手を拭く臼井をぼんやり眺めていると、目を伏せたまま彼が呟く。
    「昔空手をしていたから指の皮が厚いんだ」
     言葉にしなくても、正面に座る俺の視線を敏感に察したようだ。意外だろ、と付け加えられた台詞は、自分の容姿がどう見えるかを的確に理解している証だった。
     この一見スポーツ選手には見えない綺麗な男と、俺は高校卒業後に同じクラブでプロになり、一つ屋根の下の寮で暮らしている。
    「はい、犬童の分」
    「サンキュー」
     差し出された取り皿を受け取る際に、軽く指が触れ合った。臼井の指は彼が確かに硬そうな男のものだったが、爪までよく手入れされている。俺とは違う、ささくれ一つない指先は、彼が身なりに気を使う人種だと示していた。
     子どもの頃からサッカー一筋で色んな奴に会ってきたが、とりわけ異質な男だと思う。ピザを掴む手から、それを迎える唇、咀嚼する動作全てが洗練されていて、隙一つなかった。きっと、他人の視線に慣れていて、繕うのが染みついているのだろう。実際、隣のテーブルの女性客が先ほどからチラチラと彼を見ている。
     高校時代から綺麗な顔をしているとは思っていたが、臼井は卒業後プロサッカー選手になるのと同時に、モデル業も始めていた。全国選手権で優勝して、その容姿がSNSで注目されたことで業界関係者の目に止まったらしい。臼井も初めは迷ったようだったが、サッカー選手になれば遅かれ早かれメディア露出は増える。それに資金が潤沢とも言えない札幌のクラブとしても、選手の知名度が上がるのは願ったり叶ったりのようで、広報に強く薦められたようだ。客寄せパンダとまでいかなくとも、女性スポンサーを増やしたい意図があるのだろう。結局臼井はオフの日限定でモデル活動をするようになり、多忙のためこうして外で向かい合って食事をするのは久しぶりだった。
    「この上に載ったアスパラ、めちゃくちゃ美味い」
    「帯広産のアスパラらしい」
    「へー、北海道は海産物が有名だけど、野菜も美味いよな!」
    「ああ、確かに」
    「いつか帯広行こうぜ。農協の傍に美味いイタリアンを出すレストランがあるって聞いてさ、車の練習がてら付き合えよ」
    「……まぁ予定が合えば」
     ピザを食べる合間、他愛も無い会話を交わす。話題はアスパラから俺が取ったばかりの車の免許について移り、二人で大きなガラス張りの窓から駐車場に止まる俺の愛車へ視線を向けた。
    「あーーほんっと可愛いな、Nボックスちゃん」
    「お前さっきからそればっかだな」
    「だってウン年ローンだぜ? 色んな意味でずっと考えてんだよ」
     確かにローンのことも頭から離れなかったが、臼井とまともに会話するのは久しぶりだったため、俺の口はよく動いた。寮からこの喫茶店まで七キロの道のりの間、教習所での面白エピソードや、道端で偶然仲良くなったディーラーから車を購入する経緯まで、こと細かに話している。臼井は物静かな性格なので、どうしても俺の口数が増えてしまうのだ。
    「悪い、俺の話ばっかりで」
    「いや、俺も車の免許は早いうちに取ろうと思うし、参考になるよ」
     ピザを食べ終わり、紙ナプキンで丁寧に口を拭きながら臼井が言う。そこで店員が食後の飲み物を運んできて、テーブルに並べだした。
     コーヒーが一つと、イチゴミルクが一つ。底のイチゴジャムと層になった牛乳にイチゴが浮かぶ、紅白の可愛らしい飲み物は臼井が注文していた。
    「俺追加で何か食っていい?」
    「よく食べる奴だな」
    「育ち盛りなんだって」
     昼は寮でしっかりと食べていたが、それからもう数時間たっている。小さめのピザ半分だけでは足りないと、俺は店員にメニューを貰った。
    「……あー、じゃあパンケーキ一つ。それと、雄太はいいのか?」
     ついでに何か要るかと聞くが、臼井は顔を上げずに首を振った。彼はイチゴミルクの入ったコップをゆっくりとかき混ぜていて、牛乳の色がピンク色に染まるのをじっと見ている。
    「好きなのか? そういうの」
     店員を見送って何気なく尋ねると、臼井は曖昧に頷いた。どことなくその表情は陰っている。普段からよく喋るわけではないが、今日の臼井はとりわけ静かだった。
     珍しく明日もオフだと言うのに、疲労が溜まっているだけではないようだ。なんとなく理由を察して、俺はそれ以上声をかけずに黙ってコーヒーに口をつけた。
     モデルとしての仕事が増えて、オフの日も東京に日帰りで撮影に行くなど、忙しく駆け回る臼井の疲労は目に見えて蓄積していっている。さらに肉体的なものに加えて、精神的なものもあるのかもしれない。
     『出る杭は打たれる』という言葉で片付けることは出来ないが、彼の活動に批判的な意見もあった。チームが順調に勝てていたら単なる話題の一つになるが、J1でもギリギリ中堅に位置している今、浮ついていると捉える先輩やサポーターもいる。特にちょうど負けが込んでいることもあり、本人の口からは語られないが、SNSで批判的な意見も見かけることがあった。ある程度外野の意見を流す技術も必要だと思うが、臼井もまだ上手くかわせず、真正面から受け止めてしまうようだ。最近は寮でもぼーっとしていることが増えて、俺も何となく気になっていた。
     全国選手権が終わり、札幌に来て早数ヶ月。雪が解け、芽を出したアスパラが旬になるぐらいは臼井と共に過ごしてきた。練習中だけでなく、朝昼晩の食事から風呂までと、一つ屋根の下で過ごす間柄、気分や体調の変化には敏感になる。
     そこで、せめて気分転換になればとこうして外食に誘ってみたが、効果はいまいちのようだ。他に臼井が楽しめることはないかと、頭を働かせる。
     臼井が好きなものはなんだろう? 時々食べているメロンパンは好物のようだが、もっと特別なもの……癒されるものと言えば、好きな動物とか……?そういえば前に亀が好きだと言っていたな……
     俺の頭の中で、ぱっとこの周辺のマップが浮かんだ。
    「そうだ!」
     名案を思いついて、思わず椅子から立ち上がる。臼井はびくっと驚くのと同時に、周りを見渡して苦い顔をした。
    「突然どうしたんだ、迷惑だろ」
    「ここ、近くに動物園あるだろ? 食い終わったら行こうぜ」
    「は?」
     驚く臼井に構わず、俺は立ったまま話を続ける。まだ行ったことは無かったが、確か大きな爬虫類館がある動物園が一キロ程度の距離にあったはずだ。もう15時近いが、車を使えば五分もかからない。全部を見て回れないにしても、好きな動物をピックアップしたら楽しめるだろう。
    「車だと直ぐだ。この時間だと園内も空いてるだろうし、ぱっと行って来れる」
    「待て、何が楽しくてお前と動物園に行かなくちゃならないんだ」
    「好きだろ、カメ。確かリクガメがいる」
    「いや、好きなのはゾウガメだけど……」
    「似たようなもんだ、ハイ決まり!」
     一人手を叩いて会話を終わらせる。さすがに無理やり過ぎたのか、眉根を寄せて困惑する臼井だったが、俺の勢いに負けたようだ。ふっと息を吐いて、わかったよと呟く。
     そこに店員がパンケーキを運んできて、立ったままの俺を見て少し驚いた顔をした。
    「犬童、早く座れ。お前と居ると、しょっちゅう恥ずかしい思いをする」
    「何も感じないよりいいだろ、刺激的で」
    「求めていない」
     冷たい声で言い捨てる臼井だったが、なんだかんだこうやって誘えば付いてきてくれる。三年間苦楽を共にした聖蹟のチームメイトに及ばないにしても、プロ一年目の同期として支えあいたい。そんな気持ちを込めて真っ直ぐ見ると、彼は複雑な顔をして目を逸らす。
     つらいことがあるなら口に出せばいいのに。俺だけじゃなく、どこか危うげな臼井を気にかけている人は沢山いる。臼井が一言助けて欲しいと口にすれば皆直ぐに手を差し伸べるだろう。それなのに、プライドが邪魔をするのか彼は口を噤む。
     本当に難儀な奴だと思いながら、俺は綺麗な狐色のパンケーキにメープルシロップを垂らした。


    ***


     しぶしぶ付いてきた割に、いざ動物園に入ると臼井は目の色を変えた。久しぶりだと言って、ぐいぐい一人で進んでいく。山を開いた場所にある動物園は傾斜が激しく、いささか歩きにくかったが、楽しそうな背中を見ると連れてきてよかったと思う。
     一番初めに行った爬虫類館で臼井は長いことゾウガメを眺めていた(ちゃんとゾウガメはいた)。俺は元々亀の魅力についてよくわかっていなかったが、ゆっくりと餌を食べる様子は確かに愛らしい。臼井にそう伝えると、お前も気付いたかと言いたげに、彼は頷いた。
    「カメの魅力の一つ、ゆっくりとした動作は甲羅が重いからだが、この頑丈な甲羅のおかげで捕食動物よりもずっと種が安定しているんだ。身を守ることに特化して、何億年も形を変えずに生存競争を生き抜いている」
    「守備のスペシャリストだな」
    「そうだね、だから好きなのかも」
     食事をしていた時よりもずっと和やかな表情で、臼井が笑みを浮かべる。そのリラックスした様子に満足しながら、俺は並んで大きなカメを見つめた。
    「今度の試合でゼロ失点だったら、コンサの亀って呼ぼうか。あーーー、でもフクロウと亀がミスマッチ過ぎて喧嘩するか」
    「ダサいからやめろ。それに俺は確かに脚が速くないが、鈍足でもない」
     それまで和やかな雰囲気だったのに、顔を顰める臼井を見てやってしまったと思う。せっかく気分転換で動物園に来ているのに、俺はサッカーバカなのですぐに話をそっちに持って行ってしまうのだ。
     悪いと呟いて、俺はその場から離れた。これ以上失言しないように、一人で歩き出す。
     次の展示は大きなワニだった。ヨウスコウワニ、ユーラシア大陸生まれ。濁った水の中、ぷかぷかと浮かんでどこか遠くを見ている。黄色の虹彩がどこか作り物めいていて、「お前も遠くから大変だったな」なんて話しかけても通じなさそうだ。大きく平べったい口は、アクリルパネルに触れそうなほど近い。
     そういえば、昔見たテレビ番組でワニはその大きな口で獲物を挟んだ後、水中に引きずり込んで殺すと言っていた。水の中だとサッカー選手は手出し出来ないから、ワニと戦うには相性が悪いな。そんなことを考えていると、革靴の硬質な靴音を鳴らして誰かが俺の隣に立った。臼井だ。
     先ほどの失敗もあるので機嫌を伺うようにその顔を見れば、彼が小さく頷いた。
    「十分見たよ。……連れてきてくれてありがとう」
    「そりゃよかった」
     しっかり充電できたのか、臼井が珍しく素直に礼を言って、ふわっと笑う。試合中や、最近だと寮でもずっと硬い表情をしているが、笑うと歳相応に見えて、なんだか俺も嬉しくなる。
     そして、ふいに向けられた等身大の笑顔は、あまりにも衝撃的だった。雑誌ごしに見る大衆向けの微笑でも、チームの先輩に向ける愛想笑いでもなく、俺だけに向けられたもの。綺麗だとは前から思っているが、笑うと案外可愛いんだな、そう思うと、今さらになって動物園に二人で来ている状況を意識してしまう。
     急にかっと頬が熱くなり、俺は咄嗟に目の前のワニについて話題を振った。
    「今考えていたんだけどよ、サッカー選手がワニと戦うなら水中だと分が悪いよな。手出しっつーか、脚出しができねぇ……」
    「……」
     あまりにくだらない話だったのか、臼井の目から光が消えて、せっかくの笑顔は直ぐに引っ込んだ。



    ***



     爬虫類館を出て、ぶらぶらと人影がまばらな園内をまわり、最後にたどり着いたのはこども動物園だ。ヒツジやアヒル、ウサギなどが放し飼いにされていて、自由に触ることが出来るらしい。
    「さすがにここは小さな子供向けだろ……」
    「年齢制限はどこにも書いてねぇぞ?」
     躊躇する臼井に笑いかけて、入り口の頑丈な柵を開ける。
    「結構広いな~! おっ、雄太見ろ見ろ!孔雀がいるぞ!」
     あたりを見渡しながら広場の中を歩き出すが、臼井の返事はなかった。振り返ると、出入口付近で何やら立ち止まっている。広場は動物の脚を考えてかコンクリートではなく土が敷き詰められているから、革靴の彼はそれ以上脚が進まないようだ。
    「帰って拭けばいいだろ」
    「そうだけど……」
     綺麗好きな臼井にとって、草食動物の糞が転がる土の上を歩くのは覚悟がいるらしい。そのまま一人出ていくかと思ったが、突然どこからかヒツジが現れて、臼井の腰を押し始める。
    「うわ、ちょっ、なんなんだ……」
     ヒツジなりの歓迎なのだろうか? ぐいぐいと力いっぱい押すものだから臼井も逃げられず、促されるまま奥へと入ってくる。
    「さっそくモテてんな」
    「嬉しくない……」
     ヒツジは臼井をたいそう気に入ったようで、寄り添って体を擦り付けている。もこもこの毛に絡まっていた牧草が臼井の服に移り、モデルも形無しだ。思わず吹きだすと、ぎろりと睨まれる。
     もう閉園が近いからか、広場は他に誰もいなかった。これ幸いと俺ははしゃぎ、ヤギに頭突きをされ、孔雀の後をつけて、もう全ての動物に会えたと思ったところで、隅に一匹のウサギを見つけた。
     眠っているのか、目をつぶり、香典箱のように丸くなっている。毛艶がよく、首もとのマフはないので若いオスだろう。
     怖がらせないようにゆっくりと近づいて、その背に触れる。途端、指がふわふわなグレーの毛に包まれて、俺は頬が緩むのを自覚した。
     ウサギを触るのなんて、小学生ぶりだろうか? 確か校庭にあった飼育小屋を当番制で掃除して、時々抱かせて貰った。ほのかな温かさはなんだか懐かしく、じわじわと心に沁みていく。
    「あー、やばい、かわいい……」
     俺はウサギの隣にしゃがみこんで、彼を撫で続けた。耳の長さを確かめるように指で挟んだり、額の毛をわざとそばだてたり。無遠慮に触るが、ウサギは文句の一つも言わずに大人しくしている。それがまた可愛く、無性に愛しくなった。
    「……そんなに構うなら、チップでもあげた方がいいんじゃないのか?」
     すると、やっとヒツジから解放された臼井が現れる。汚れた衣服を懸命にはたいているが、未だそこかしこに土や牧草がついていた。
    「あんまりしつこいと嫌われるぞ」
    「ウサは逃げないから、俺と相思相愛だ」
    「……お前、女の子にもそんなふうに接して距離取られてるだろ」
     痛いところを突かれて、ぐうの音も出ない。女の子だけじゃなく、まさに臼井が俺の馴れ馴れしい態度を苦手としているのは知っていた。彼はちゃんと言葉で拒絶するが、ウサギはそもそも鳴かない生き物だ。本当に嫌じゃないのかは、はっきりとわからない。
     さすがに触り過ぎたかと手を離せば、もういいのかと言いたげに、ウサギがこちらを見上げてくる。
     目を伏せている時は気が付かなかったが、ぱっちりとした目の綺麗なウサギだった。明るい茶色の瞳にグレーの毛並みは、どことなく見覚えがある。ふと俺は隣にしゃがんだ臼井を見て、ああと頷いた。
    「このウサの毛と瞳の色、なんか既視感があると思ったら、お前とお揃いだな」
    「は?」
     あまりに意表をついた台詞だったようで、臼井が色素の薄い茶色の瞳を揺らす。訝しげな顔でウサギに視線を戻し、それからキッと顔をしかめた。
    「な、同じだろ」
    「何言ってんだ」
    「遠い親戚か?」
    「いい加減にしろ」
     臼井は立ち上がり、これ以上は付き合えないと言いたげに出口へ歩き出した。すると、まるでお供をするかのように、ウサギがひょこひょこと後に続く。
    「雄太、ウサ井が後ろにいるから扉開ける時気をつけろ!」
    「変な名前をつけるな!」
     俺の大声に反応して、臼井とウサギが同時に振り返る。そのシンクロした動作がまたおかしくて、思わず腹を抱えて笑った。



    「いや~、ウサ井可愛かったな~」
     駐車代を清算して、俺は機嫌よくハンドルを握った。未だ手に残るウサギの毛の手触りを思い出しながら、車を発進させる。
    「寮ってペット禁止だっけ? 連れて帰っていいか?」
    「難しいだろ……」
     にべもなく、助手席の臼井が応える。
    「特に入寮するとき言われなかったのは、みんな仮住まいみたいなものだからさ」
     臼井の言うとおり、それほど長く寮に居る選手はいないようだった。契約が更新されなかったり、一人暮らしを始めたり。理由は様々だが、シーズンごとに顔ぶれは半分近く変わる。皆をとりまとめる年長の班長ですら、今年で三年目だと言っていた。
    「俺だって来年もここに居れるなら、シーズンが始まる前に部屋を探すつもりだ」
    「そんな冷たいこと言うなよ。せめて札幌にいる間は一緒に寮飯食おうぜ」
    「それじゃ、たまにお邪魔させて貰うかな」
    「お前な……」
     臼井がつれないのは今に始まったことじゃない。それなのに、今の生活がずっと続かない事実に、胸がチクリと痛む。
     臼井と同じクラブになったのは本当に偶然だ。スカウトマンからその名前を聞いた時も、ただの顔見知りだと答えた程度の仲だった。それが今、たった数ヶ月でも一緒に暮らして、彼の存在はあまりにも自然に、俺の生活に溶け込んでいる。
     試合でぶつかり合うだけだった高校時代は元より、プロでも寮が無く、練習場で顔を合わすだけだったら、ここまで彼と関わり合うことはなかっただろう。
     朝の髪のセットが長いのも、風呂がとてつもなく長いのも、意外に甘い食パンが好きなのも、一緒に暮らさなければ知らなかった。同じ飯を食べて、食堂でテレビを見て、就寝の挨拶を交わして部屋で眠る。ごく一般的な家族という形は知らないが、寮は俺にとって人に囲まれた生活の心地良さを教えてくれた大事な場所だ。そこに臼井がいなくなるのは考えられなかった。
    「ダメだ」
    「え?」
     気付けば俺は前を見たまま、ぽつりと呟いていた。首を傾げる臼井に、ふつふつと沸き上がる得体の知れない感情に従って、改めて告げる。
    「一人暮らしなんて認めません」
    「なんだよ、それ。お前は俺の母親か」
    「ええ、そうよ!母さんは雄太が一人で暮らすのは反対!それにあなた昔から何でも一人で決めるわよね!まるで一人で育ってきたような顔して!」
    「お前に育てられた覚えはない!」
     冗談はとにかく、俺は臼井が寮から居なくなるのは無性に嫌だった。それどころか、腹を立てていた。なんで、どうして、こんなに楽しいのに俺の前からいなくなろうとするんだ?まるで子供が駄々をこねるように、矢継ぎ早にまくし立てる。
    「よし、わかった。天皇杯でタイトルを取ろう」
    「いや俺は全くわからないが」
    「勝ち上がって出来るだけシーズンを長引かせて、オフも短く直ぐに1月の鹿児島合宿! からの、2月にまたリーグ開幕だ。忙しくて引っ越す暇なんかないだろ」
     俺の計画に、臼井はパチパチと瞬きをして眉をひそめた。
    「そんな……まだスタメンに定着したわけでもない一年目が……タイトルを目指すなんて大それたこと……」
    「俺は自信家で欲張りなんだよ」
     スポーツマンに必要な要素だろ?と笑みを浮かべる。それに、実際手ごたえはある。監督の目指すサッカーに、俺の得意とするスタイルは確実に組み込まれている。
    「期待してろよ! 必ず連れていってやるからな、天皇杯決勝」
     決意を込めてはっきり言うが、臼井からは何も返ってこなかった。これは、いつものように呆れているのだろうか、そう思ってミラーで顔を見れば、彼は珍しく殊勝な面持ちで、何かを考えている。
    「……」
    「雄太?」
     ちょうど車は借りている駐車場についた。車が停車すると同時に、臼井はさっさとシートベルトを外す。
    「……期待している」
     最後、助手席のドアを開けて呟かれたセリフ。聞き間違いでは無かったと固まっているうちに、臼井はスタスタと寮へと向かっていく。俺は慌ててシートベルトを外し、面を輝かせてその後を追った。
    「雄太!」
     名前を呼んで、肩を組む。嫌そうな顔をするも、ふりほどかれはしなかった。
     ウサギと違う、サラサラとした髪が頬に触れる。いつものシャンプーの匂い。誰かが言っていたっけ、臼井が風呂に入った後はすぐわかると。この匂いが俺は好きだった。
     並んで寮の玄関に入れば、今度は醤油の匂いが鼻腔をくすぐる。今日の夕食は魚の煮付けだろうか。ただいまと叫ぶと、すぐさま台所からおかえりなさいと返ってきた。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    🐰😻💞🐕💞🐇🍀🚗🌍🌋🐇🐇😍❤☺👍❤👏💞💞💞👍❤❤❤❤❤
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works