愛しの黒髪のあの子俺の名前は村田。都内にあるみなもスポーツというスポーツ用品のメーカーで営業をしている。今日は大口の契約が取れた。地道な営業活動が実を結んで嬉しい。鱗滝社長にもお褒めの言葉をいただいた。外はあいにくの雨だが、俺の心は晴れやかだ。
お祝いにビールでも飲んで帰ろうかと考えながら歩いていると、どこからか弱々しい犬の鳴き声が聞こえてきた。
周りを見回してみたが犬の姿はどこにもない。気のせいかと歩きだそうとすると、また鳴き声が。声を辿ると、狭い路地から聞こえてきた。人が一人やっと通れるくらいの狭い路地。俺は傘を半分閉じながら中へ入っていく。
すると、小さなダンボールが置いてあった。中を覗くと黒い小さな犬が雨に濡れ震えていた。
「……お前捨てられたのか?」
そう聞くと犬は力なく鳴き、俺を見た。大きな黒い瞳に見つめられ、どこからか子犬に見つめられる男性が出てくるCMの曲が聞こえた気がした。
「〜〜っ!!」
思わず俺は着ていたジャケットを脱いで子犬をくるんだ。お祝い気分は吹き飛び、今はこの子犬を温かい所に連れて行ってやる事で頭がいっぱいになった。
急いで住んでいるアパートに帰った俺は、タオルで子犬を拭いてやる。拭きながら身体の状態を見たが、ケガなどはしていないようだった。一安心したが、この後どうするか?俺はひとり暮らしだし、帰宅も遅い。そもそもここはペットOKだったか?
いろいろ考えている俺をよそに、身体が温まってきて安心したのか子犬は俺の膝の上で寝てしまった。
「……後でドッグフードを買ってこなきゃな」
こうして俺と艶子の生活は始まった。艶子というのは子犬の名前だ。お風呂に入れてきれいに毛並みを整えたら、ツヤッツヤになったから艶子。俺の愛用品の椿油で手入れをした。艶子は俺に毛の手入れをしてもらうのが好きみたいで、自分でブラシを口に咥えて持ってくる。膝の上に乗せてブラシをかけていると、嫌な事も忘れられた。帰った時に嬉しそうに俺に駆け寄る姿が本当に可愛い。艶子のために頑張らないと!と張り切って仕事をしていたら、同僚の前田に「村田さ〜ん!最近調子めちゃくちゃいいじゃないですか!はっ!まさか僕を差し置いて彼女が出来たんじゃ!」と言ってきた。俺は前田に向かって満面の笑みを浮かべこう返した。
「すごく(毛並みが)きれいな子だよ」
それを聞いた前田はキーッ!うらやましいっ!なんで村田さんに彼女が出来て僕に出来ないんだ!おかしい!とハンカチを噛みながらどこかへ行ってしまった。いろいろ勘違いしているようだし、なんか失礼な事を言っていたが、面倒なので放っておいた。
散歩は朝と夜。艶子はお気に入りの場所があって、その一つが近くの交番だ。艶子を飼いたての頃、リードの着け方が甘く外れてしまい、艶子が走っていってしまった。慌てて追いかけると、交番の前にいた白い髪の警察官が抱き上げて止めてくれた。
「すみません!ありがとうご……ひぃっ!」
思わず声を上げてしまった。警察官はめちゃくちゃいかつくて、顔や腕は傷だらけだ。警察官の制服を着ていなかったら、どこの組の方?みたいな迫力があったからだ。
「……この犬の飼い主はてめェか?」
ジロリと警察官が睨む。ひー!俺殺されちゃう!と冷や汗がダラダラ出る。
「は、はい……」
こわごわ答えると、
「コイツが車に轢かれてもいいのか?逃したらダメだろ!大事な家族じゃねェのか!」
とお叱りを受けてしまった。
「すみません!気をつけます!」
俺がそういうと警察官はしゃがんで艶子を地面におろした。艶子は名残惜しそうに警察官の膝の上に乗ろうとしたが、頭をよしよしと撫でた後、
「お前の家族はそっちの人だろ?またいつでも来ていいからな」
艶子はそれを聞くと、ワン!と返事をし、俺の元に戻って来た。
今度はしっかりとリードを着けた。
「……強面の人だったけど、優しかったな」
それから俺と艶子は散歩の度に交番に寄るようになった。白い髪の警察官は不死川さん。初めて会った時は見かけなかったが、もう一人冨岡さんという人もいた。彼は犬が苦手らしく、艶子の鳴き声を聞くと慌てて交番の中へ逃げてしまう。でも日が経つうちに少しずつ近づいている気がする。最近は不死川さんの後ろまで近づけるようになってきた。
不死川さんの話によると、冨岡さんは子どもの頃、犬にお尻を噛まれた事があるそうだ。それはトラウマだろう。いつか冨岡さんに撫でてもらえる日がくるといいな、と艶子のブラッシングをしながら話しかける俺だった。
〈終わり〉