命綱今月の仕送りと支出を書いた帳面の前、うなる学徒が一人。
成歩堂龍ノ介はどうすれば寄席に行く回数が増やせるか必死に計算していた。
期間限定の菓子も食べたいし、買わねばならぬ教材もある。
多少の見通しをたて、これ以上は考えても仕方がないだろうと帳面を閉じる。
気が付けば部屋の中が薄暗い。
今は何時だろうとポケットの中の懐中時計を取り出し、蓋を開けた。
「考え事は終わったのか」
「うわぁ!」
背後から急に声をかけられて、驚いた拍子に懐中時計を放り投げてしまう。
声の主、亜双義一真はすかさずそれを受け止めた。
「いつからいたんだ?」
「結構前からな」
来客用、といっても最近は亜双義用と化した平べったい座布団に胡坐をかき、
気がつかないとはたるんでいるぞ、と笑う。
しかし龍ノ介としては、彼が気配を消していた気がしてならない。
亜双義は背も高く、目立つ容姿に加えて真っ赤な鉢巻きをしている。
人混みであっても、少し離れたところであってもすぐに分かる存在感がある。
それなのに、時折彼は気配が消える時がある、と龍ノ介は思う。
体はごく近くにあるはずのに、魂がそこにはいない。
何か術でも使って消えてしまっているかのようだ。
それとなく本人に聞いたことはあるが、何を言っているのやら、と一笑に付された。
自分の思い過ごしだろうか。
「立派な時計だな。舶来ものか?」
「ああ。叔父さんが入学祝にくれたんだ。 Time is moneyとか言ってさ」
「なるほど。それは真理だ」
そう言って、亜双義は龍ノ介に時計を返す。
渡されたそれは、彼の体温が移ったかのように少し熱く感じられた。
「少年老いやすく学成り難し、ともいうな。課題は進んでいるのか?」
「うう……亜双義が同じ学部なら頼れるのになあ」
「人を頼る癖をつけるのはよせ。はしごを外された時に怪我をするぞ」
ずいぶんと厳しい響きでぴしゃりと言われた。亜双義の顔を見ると先ほどまでの笑みが消え
少し怒っているようにも見える。
彼は時間を惜しむような何かがあり、それは人に頼れない孤独な道なのだろうか。
生き急ぐ、という言葉が脳裏に浮かぶ。
目の前にいるのに、また気配が消えたように感じる。
「腹が減っては課題も進まないだろう。夕飯を食べに行こう」
龍ノ介の困惑に気づいているのかいないのか、亜双義は立ち上がり
廊下に出る戸を開けた。
その後ろ姿には、鉢巻きが風もないのに揺れている。
追いかけるように立ち上がった龍ノ介は、赤い布の端にそっと触れた。
これが彼の魂を繋ぎとめてくれないか、と願いながら。
完