古いドアが軋んで開く音。
その度に淡い期待がとうにやんだ心臓を期待に満ちさせ…そしてその期待は儚くも崩れゆく。
そして古ぼけたドアの音はまるで泣き声のように去っていくのだ。
しん、と一人静かに冷えた部屋。
気の引くものがなくなってしまった今、己の欲に身を任せ酒乱にでもふけこむかと酒瓶に手を伸ばし─…中が空なことに気づいた。
ごとん、と乱暴な音が床に落ち当てつけのようにドアを壊れんばかりの力で開いて外に出る…
「嗚呼、何もかもがつまらない、退屈だ。外の空気を吸ってこい、だ?昔はあれ程体に悪いから外に出るなと言っていたくせに。大事なのは私ではなく私の才だろう、分かっているんだ!」
頭をかきむしり脳内の敵への怒りを表せばその苛立ちが髪の毛と共に浮き上がる。
兎に角、こんな幽閉されるような狭い空間にはいてられない。壁ごと壊してしまいそうだ。
いやに広い、広いだけの庭に足を運ぶと沈みかけたお天道様が己を嘲笑っている。
草むらにわざと足跡がつくように踏み締め歩いてきた道には自分の影が差す。
「くそっ、どうして誰も我が才能を見ない、理解しない、私は何故満たされない!」
今にも崩れんばかりのベンチを見つけ、壊れてしまえと勢いよく体重をかけ座る。
案外丈夫だったのか、しっかりと体重を支えてくれるただの椅子にさえ血管が嫌に浮き立つようなこの気持ちは、ただ調子が悪いだけなのだ。
日が落ちていく様を眺めた。
自然の摂理とは決められたものであり、尊いものである筈なのに。
どうして自分以外ばかりが正しくあるように見せられているのだろうか、という考えに至る。
いつだってそうだ、世界は己のために回っていない。
怒りの炎は次第に失意の念へと捻じ曲がっていく。
(…今、紙とペンがあれば)
何か一つ、曲でもできたのかもしれない。
五線譜が浮かんでは消えていく。
ふと、そう思った自分はどこまでも音楽に傾倒しているのだろうと自嘲気味な笑みが浮かんだ。
感情が転がる様は、まるで忙しい転調のようだと口の端が吊り上がる。
五線譜が目の前に見える。
星のように光る音符に手を伸ばそうとして─…
しかし、そんな機嫌を流れてきた砂埃が煙らせていった。
思わずむせた先には、誰かが一生懸命土を掘り返しているのだ。
「おい、貴様!」
問いかけに返事はない。
汚れてうっすら白くなったような気がする服への文句を言いにいこうと近寄れば、その正体は存外小さな人間だった。
「貴様!私の服が汚れたじゃあないか、こんな時間に何をしているというんだ」
「…」
その男はただ此方を疎ましそうに睨みつけるばかりで。
「おい、聞いているのか!」
「………チッ」
舌打ちをひとつ。
そして再びまた穴を掘る作業に戻ってしまった。
シャベルからひっくり返っていく土が、とうとう靴の上に乗ったので思わず目の前の人間に腕を伸ばす。
「貴様……この私を愚弄する気か!汚れたと言っているんだ、その謝罪ぐらいはしたらどうだ!見ろ、こんなに靴も汚れてしまって」
胸ぐらを掴み、片手で空中に引き上げる。
人の身を離れたその力にようやくギョッとした顔をして見せた犯人だったが、もう遅い。
伸びる髪の毛が意志を持つかのように首に巻き付いていく。
「謝れ、謝罪をしろ、この私に!」
ギリギリと締め付けられていくのだから、言葉など出るわけがない。
必死に爪で引っ掻くように首の拘束を解こうとするのがまた滑稽で、哀れで、見窄らしくて、笑える。
少しだけ気分が良くなったところで、いよいよ酸素が回り切らず死ぬ前に手を離し、拘束も解いてやった。
盛大に尻餅をつき、げほげほと酸素を求める姿に高揚感を得る。
「がっ………げほ、ゲホッ……ゔ、……チッ、この、クソ……!」
酸欠で潤んだ瞳、真っ赤になった顔、上手く呼吸ができない言葉の中に滲む敵意。
全てのピースがはまるかのように加虐心が首をもたげる。
蹲りながらシャベルに手を伸ばそうとしたその瞬間、シャベルの柄の部分を蹴り飛ばした。
虫のように地面に這いつくばり、哀れにも慌てて伸ばす腕を思いっきり踏みつける。
「痛ッ…!」
「許しを乞え。惨めに、見窄らしく、泣いて懇願しろ」
腕を組み、脚に力を込めた。
彼が咄嗟に払った私の脚は行き場を無くし、力はそのままに脇腹を抉る。
「がっ……!」
「ハンターの力を舐めるな、雑種の犬如きが」
蹴り上げられた体は宙を舞い、ゴロゴロと転げていった。
蹂躙の喜びとはこういう事を言うのだろう、なんとも滑稽で愉快なものだ。
下がっていた温度が熱を帯びていくのを沸々と感じる。
ぐらぐらにえたったマグマのように、延焼を広げる炎のように、それは体を突き動かす。
とうとう体を丸めた彼をもう一度蹴り飛ばそうとしたその瞬間。
「……………悪魔、め」
汚れた白髪から覗く瞳が私を確かに睨んでいた。
ここまで力の差を見せつけても尚、彼は未だ私への怒りを向けてくる。
それがなんと愚かで、滑稽で、疎ましくて…
愛おしい、事だろう。
心から込み上げるしゃくりあげたような笑みが頬を押し上げる。
歩みを進める。
しゃがみ込み、目線を合わせる。
ここで初めて目の前の相手がサバイバーであることに気づいた。
試合で出会ったことがあるかどうかはわからない、なにせ気を失っている間に終わるのだから。
「下等生物ごときが、この私を…悪魔だと?」
乱暴に頭を掴み上げ、目の前の男の髪の毛がぶちぶちと抜けそうになるのにも構わず顔を近づけた。
未だ消えることのない瞳には赤が宿っている。
「あぁ……貴君のその瞳の方が、よっぽど私には悪魔に見えるが?」
その瞬間、目の前の男は勢いよく頭を振りかぶり─…その勢いのまま、頭同士はぶつかり合った。
がん、と鈍いような鋭いような音と…遅れてやってくる熱、そして痛み。
頭突きを正面からくらい、鼻から熱いものが垂れる。
苛立ちに変わった愉快が、渾身の力を込めて腕を振り下ろす。
どしゃ、と地面に叩きつければ小さな呻き声を漏らしそのまま静かになった。
「調子に乗るなよ、サバイバー如きが」
乱歩に鼻血を拭い、爪先で頭頂部をこつこつ、と軽く蹴飛ばす。
なおも睨みつけようと顔を上げる姿に、最早憐憫すらかけられるような。
「ククッ…なぁ……そうだ、名前ぐらいは聞いてやろう、ボロ切れのような雑巾にも情けぐらいはかけてやろうではないか。ん?」
「誰が…お前なんかに…!」
よろよろと立ち上がりシャベルを構え、あちこちに傷を作りながら泥だらけのままこちらに向かってこようとする阿呆を迎え打とうとした、その時だった。
「貴方達、いい加減にしなさいな。場外乱闘なんてみっともない」
割って入ったのは大きな車輪。
もとい車椅子。
彫刻師、ガラテアだった。
「泥だらけの鼠はさっさとサバイバーの屋敷に戻りなさい。そしてヴァイオリニスト…貴方、この事を上に報告してもよろしくて?どう見たって一方的な蹂躙じゃない」
「チッ」
「…っ」
「さぁ、戻るのよ。今なら何も無かったことにしてあげる。貴方の名誉のためにも、この話は広めないでいてあげるわ…」
よろめきながら走っていく、揺れる白髪。
まるで玩具を取り上げられたような感覚に陥り、下唇を思わず噛み締める。
睨みつけられるのに気づいた彼女はやれやれ、と首をすくめた。
「出場禁止措置になるのを止めてあげたのよ、感謝なさいな」
「…貴君は、彼の名前を知っているのかね?」
「それを知っていたとして、貴方に教える必要が?」
「興味が湧いた」
「あら…それなら仕方ないわね。よっぽどなのね。ふふ、うふふ…」
狩る側同士の会話など、一方通行の応酬である。
言いたいことだけを言い、知りたいものだけを聞き、いつだって都合のいい現実のみを享受したがる。
「貴方のその邪な瞳、嫌いじゃないわ」
闇に染まる瞳が歪に歪む。
拭われた華奢な唇が吊り上がる。
いつだって、ハンター達はルールに則った娯楽に飢えているのだ。
「彼の名前はね…………」