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    ajinojika

    @ajinojika

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    ajinojika

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    6/25新刊の進捗です。この後は成人向け表現入るので本はR18になります。
    とりあえず見せられる形になっている冒頭部分。()はふりがなです、直す手間省いてるのですみません。
    脱稿できたら消しますが……ギリギリ原稿ライフで泣きそうなので切実に励ましお待ちしてます😭

    五悠 社長×窓掃除バイトパラレル 女の胸をただの脂肪の塊と思うようになったのはいつからだったか。
     太ももの上に跨る女は、自らシャツをはだけて白いレースに包まれた乳房を揺らしている。脚を大きく開いているせいでたくし上がったスカートからは、ストッキングのランガードがのぞいていた。そのさらに奥は、薄い布の下で熱く蒸れているのだろう。興奮した様子の女と同じように。
     そこで思考を止めて、五条は白けた視線を女から外した。
     全面ガラス張りの窓から差し込む陽の光は白い。まだ昼食を済ませて一時間も経っていない明るい日中だ。ましてや五条が椅子に座るこの部屋はストリップ劇場でもラブホテルの中でもない。グループ会社をいくつか持つ、歴(れつき)とした企業のオフィスビルの最上階――社長室だ。そこに秘書として働きに来ているはずの女は、今はなぜか雇い主である社長に乗り上げ、発情したメスよろしく呼吸を荒げて体を擦り寄せている。もちろん彼女の業務内容に『社長の身体のケア』は含まれていない。
     布越しに感じる弾力は恐らく世間一般の男からすれば魅力的な部類に入るのだろう。視覚的にも男なら興奮して然るべきなのだろうとも思う。しかし下半身は全く反応しないし、むしろ無遠慮に舐め回してくる蕩けた視線が鬱陶しくて仕方がない。五条は「どうかしてるよ」と目の前の相手も気づかないほどの小さな声でつぶやく。
     その時、ふと室内が陰った。なんだと外を見れば、ゆっくりと横長のボックスが下りてくる。どうやら窓ガラスの清掃業者のゴンドラのようだ。いつもは窓清掃のスケジュールにあわせて本秘書の伊地知がブラインドを下げているが、臨時秘書はそこまで気が回らなかったらしい。
     ややあってゴンドラが動きを止める。ボックスには男が三人乗っていた。揃いの青色の作業着に白のヘルメット。お互いに顔を向けながら口を動かしているのは、作業の打ち合わせでもしているのだろうか。何とはなしにそちらを見やる内、三人の中で一番若そうな青年がふと室内に顔を向けた。つり上がり気味の丸くて大きな目が五条の姿を捉え、ガラス越しに二人の視線が絡む。
     カチリ。瞬間、頭の中で音が響いた気がした。
     しかし気のせいだと五条が頭を振った、その時。
     一気に顔を真っ赤にさせた青年が勢いよく後ずさり――ゴンドラの向こう側に落ちた。
    「わああああああああ⁉」
     ウソだろ落ちた⁉ 無意識に叫んで立ち上がった五条から、乗り上げていた女が転げ落ちる。慌てて窓に張り付けば、残った二人の男がそれぞれ青年の太ももと腹のあたりを必死に掴んでいるのが見えた。ゴンドラを揺らしながら、やがて青年は無事に引き上げられる。へたり込んだところを作業員の一人に労られ、もう一人の作業員には叱られて、そんな青年の様子を見て五条はスマートフォンを持った手を下ろした。どうやら一一九番は必要なさそうだ。
     それにしても。
    「さ、さすがにビビった……」
     前髪をくしゃりと片手でかき回し、ほっと胸を撫で下ろす。
     彼の無事に安堵したのはもちろんだが、瞬時に賠償の可能性や社名の風評被害を危惧したのも事実だ。薄情と言われようが経営に携わっている以上は当然の思考で、五条はそこに罪悪感を感じることはない。ないが、ただ今回は、青年をあそこまで狼狽させた原因が一番の問題だった。
    「火消ししとくか」
     五条はつぶやいて、デスク上の電話機に手を伸ばし六桁の内線番号を叩く。スピーカーモードで通話相手に指示を伝えると電話を切り、大きく息を吐いて革張りの椅子に勢いよく腰を落とした。
    「あ、あの」
     低い位置から聞こえた声に、無言で顔だけを向ける。見ればシックなグレーのカーペットの上、ぺたんと座りこんだ秘書の女が、相変わらず半裸のままで五条を見上げていた。
     部屋の中に響く鋭い舌打ちの音。女の肩がびくりと揺れた。
    「様子見なんかしなきゃよかったよ。危うく人が死ぬところだった」
    「……え? あの、大袈裟じゃ」
    「起こらなかったことを軽んじるのはどうかと思うね。もし彼が落ちてたら間違いなく君のせいじゃん」
    「そ、そんな」
    「そんなも何もさあ。だったら録画見てみる? 防犯カメラの」
    「え? カメラなんて聞いてない……」
    「社内規定読まなかったの? まあとにかく君が勝手に発情して勝手に僕を誘惑してきたって事実は立証できるワケだ。あーもう、伊地知早く復帰しないかなあ。それか七海に秘書やってもらおうか」
    「七海さんは、人事部ですよね……」
    「そうだけど君よりはマシでしょ、多分、絶対? いやでも、うるさそうだな。――というより君、いつまでここにいるの?」
     女の顔からさっと血の気が引いた。慌てて乱れた服を直し、立ち上がる。開いた口が紡ごうとしたのは謝罪か懇願か。しかし彼女が何かを言おうとする前に、冷たい声が最後通告を告げた。
    「明日からもう来なくていいから」

        
    「昼間は大変だったね。怪我なかった?」
     五条がにこりと笑いかければ、向かいのソファに座る相手は慌てた様子で背筋を伸ばした。社長室の一角に設置された応接セット。来客は必然それなりに地位のある人間が多い為、高級な物を使用している。しなりのいい革張りのソファは座り心地はいいはずだが、対面している相手は先ほどからどうにもそわそわと落ち着かない。
    「アッはい! 大丈夫です!」
    「そ、よかった。まあお茶でも飲んでゆっくりしていってよ」
     物慣れない様子でティーカップを持ち上げるのは、つい数時間前に命を落としかけた清掃員の青年だ。砂糖はいるかと訊ねれば、ぎこちない動きで首を横に振ってみせる。
     五条は秘書の女に解雇を告げる前の内線電話で、代表直々にお詫びを申し上げたいと社員から清掃員達へ伝言させた。事実はどうあれ、ガラスの向こう側からでは、道楽社長が昼間から女と不適切な行為をしていたとしか見えなかっただろう。そこについて釈明する気も追求させる気もないが、おかしな形で話を拡散されるのはごめんだった。
     夕方十六時を過ぎた頃、転落しかけた青年とゴンドラに同乗していた男二人、そして地上での監視員をあわせ計四人の作業着姿が社長室を訪れた。おっかなびっくりといった体(てい)で室内に入った男達は、五条が出迎えるとヘルメットを抱えた腕を寄せて所在なげに立ち尽くす。そんな彼らの萎縮を微笑みで流し、五条はリーダー格の作業員に声をかけた。話の内容は要約すれば『今回のことは他言無用』『報酬は上乗せしておく』といったもので、清掃会社の窓口担当者へは別途連絡をすると締めれば、リーダーの男はただペコペコと頭を下げるばかりだった。
     話が終わると男達が部屋を出ていく。物珍しげにキョロキョロとしていた青年も、慌てた様子でその後を追った。けれど、
    「ねえ君、さすがに死なせかけたの気が引けるしさ。お茶くらい飲んでいきなよ」
     そう五条に引き止められた青年は「えっ、いや、あの」と戸惑った様子で首を横に振ったが、リーダーの男に「甘えとけ、後で着替えにだけ寄ってくれりゃいいから」と退路を断たれ、社長室に置いてきぼりにされたのだった。
     改めて向かいのソファに座る青年を見ると、体つきはしっかりしているが顔にはあどけなさが残っている。若い新入社員かと思っていたが、もしかしたらアルバイトなのかもしれない。ピンクブラウンの短髪は社会人としては派手だろう。五条も髪色については他人のことを言えたものではないが。
     もしアルバイトの学生だった場合、SNSでおかしなことを拡散されても困る。他の男達には会社同士の取引をちらつかせたから大丈夫だろうが、若者は後の結果より今の盛り上がりを求める生き物だ。しかしこの青年はどうだろうかと、五条はいまだ固い動きで紅茶を口にする作業着姿を細めた目で見やった。
     視線に気づいたのか、青年が何やら慌てた様子でティーカップをソーサーに置いた。勢いよく接触した陶器同士がガチャリと派手な音を立てれば、青年は「あっ!」と大きな声を上げてカップが割れていないかのぞき込む。
    「あらま、大丈夫?」
     五条が声をかけると、青年は苦笑を浮かべて頭をひとつ下げた。
    「すんません、こういうの慣れてなくてキンチョーしちゃって……」
    「ふうん? まあ社長って言っても同じ人間なんだしさ、普通にしてくれてていいよ」
    「いや、それもなんすけど社長さんめっちゃくちゃ綺麗でビックリして」
    「えへ、よく言われる~」
    「すげえ自信っすね?」
     フランクに接したのが功を奏したか、青年の肩から力が抜けたようだ。
    「それにしてもさあ、僕、絶叫したの人生で初めてだったよ」
    「はは……驚かせてすんません」
    「何言ってんの、先にびっくりさせたのはこっちでしょ」
    「いやまあその……」
     青年は語尾を曖昧な笑いで濁し、視線を左上へ流す。微妙に気まずそうな笑顔を見るに、五条に跨っていた女性の半裸でも思い出しているのかもしれない。目を引く色のツーブロックの髪型や意志の強そうな目とは裏腹に、赤く染まっている耳と頬。どうやら純朴な質(たち)なのか。でなければあそこまで動揺はしないだろう。
     五条は立ち上がり、応接セットとは反対の壁際にある冷蔵庫へと足を向ける。オフィスの、それも一人の為の部屋にあるには縦にも横にも大きいサイズだ。軽く腰をかがめると中段にある冷凍室を開き、中から棒アイスを二つ取り出す。冷凍室の閉まる音を背に、大股で青年の方へ戻った。
    「これ美味しいよ」
     どうぞ、と一つを差し出せば、青年はどぎまぎとしながら個包装のアイスを受け取る。しかし渡されたアイスを見た途端に「すっご⁉」と目を大きくきらめかせた。アイスを顔の前にかざしている青年の口は半開きになっている。
     彼が手にしているのは、赤い四角に厚切りのマンゴーが埋め込まれたアイスバーだ。確かに市販の物ではないが、随分大袈裟に騒ぐものだ。しかし彼に渡したのは魔法のアイスでもなんでもない。食べてもらわなければ溶けるだけ。ソファに座った五条は、手にした袋を開いてアイスを取り出すと、ピンク色の四角の端をカシリと小さく齧り取った。こちらはミルクの風味が強いイチゴ味。舌の上に甘さを溶かし広げながら、青年に向かって空いている方の手をひらひらと振る。
    「溶けちゃうよ」
    「あ、ども」ペり、とビニールの破れる音。「お~……なんか食べるのもったいねえ」
    「ただのアイスバーに対して評価高すぎない?」
    五条が手に持つアイスはすでに半分ほどになっている。それを見た青年は何を思ったのか、にっこりと笑顔を浮かべた。
    「これ社長さんお気に入りなんすか?」
    「んー? うん、まあそうね。いわゆるお取り寄せってヤツ?」
    「だよなあ、こんなの見たことねえや。このドカーンって入ってるのマンゴー? もはやアイスよりフルーツの面積のがでかいじゃん」
     面積じゃなくて体積じゃない? ドカーンって食べ物に使う擬音なの?
     頭の中だけでツッコみ、五条は軽く咳払いをした。でないと吹き出してしまいそうだったからだ。
     そんなに面白いことを言ったわけでもないのに、なぜだか妙に愛嬌がある。なるほど、この青年は人の懐に入るのが上手いのだろう。恐らく気難しい相手でも無意識に懐柔できるタイプ。社外的にでも社内的にでも重宝される類の人種だ。
     目の前の男に値踏みをされているとも知らず、青年はようやくアイスを口にして「見た目通りうまいっすね!」そう言ってまた笑う。
    「それは何より」
     笑顔を返してから五条は立ち上がり窓の方へと向かう。デスク横のゴミ箱にアイスの袋と木の棒を捨てると、そのまま腰をかがめて四角い箱を持ち上げた。応接セットに戻り、青年の近くにゴミ箱を置く。青年は口いっぱいにアイスを頬張りながら軽く頭を下げた。ややすると「ごちそうさまでしたっ!」と元気のいい声と同時に、アイスの棒と袋がゴミ箱に落ちる。
    「ん~! マジうまかったっす!」
    「アイス一個で大袈裟だなあ」
     なんだか高級なステーキでも食べたくらいのテンションだな。五条は両腕を組むと背中をソファに預ける。
    「いやほんと、こんなマンゴーがマンゴーで、えっとアイスも果汁たっぷりっていうか」
    「食レポ下手過ぎじゃん。無理して感想言わなくていいよ」
    「あは、すんません。にしても職場に自分専用冷蔵庫あんのすげえっすね。社長さんって感じ!」
    「ふふ、そう? 僕、糖分がないと頭が回らなくてさ。アイスやらケーキやら常備したくて冷蔵庫置いてあるの」
    「へー。やっぱ社長さんって頭使うんだろうな」
    「んー……。ねえ、その社長さんってのやめよっか」
     言ってしまってから、五条は(あれ?)と首をかしげた。別に軽く相手の人となりを掴んでから他言無用をほのめかしてすぐ返すつもりだったのだ。なのに今、彼に役職ではなくて名前で自分のことを呼ばせようとしている。これはどうも、先ほどの彼に対する評価がそのまま跳ね返ってきているのか。
    「……手なずけられるとか」
     小さく呟き、クッと笑った。五条の言葉が聞こえたのか、青年が目を丸くして対面のスーツ姿を見つめる。
    「えっと、社長さんをやめるって、どういう……?」
    「あー、ごめんごめん」五条は胸の高さで両手を軽く広げた。「そういえば名乗ってなかったし、君の名前も聞いてなかったなって思って。僕は五条悟と言います。漢字だと数字の五に条約の条、物事を悟るの悟。できたら社長さんじゃなくて名前で呼んで欲しいな」
    「名前……。えっと、じゃあ五条さんでいい?」
     こてんと首をかしげる仕草も様になっている。あざとさを感じさせないあたり、本物だ。「うん、それがいいな。で、君も名前教えてくれる?」
    「あっ、そっすね。俺は虎杖悠仁です。えっと、虎に杖、悠久の悠に仁義の仁で」
    「へえ、いい名前だね」
    「そっすか? あざっす! 五条さんもかっこいいよ!」
     適当な相槌にも全力で返してくる。まるで人懐っこい犬。学生か社会人か不明だが、どちらにせよ職場でも学校でも人気者だろう。下の名前で呼んでもいいかと訊けば、間髪入れずに「大丈夫ッス」と頷く。ノリのよさもピカイチだ。 「悠仁は社員さん?」
    「いや、バイトです。大学三年生」
    「若(わつか)いねえ。青春してる?」
    「ふはっ、何それ? 五条さん面白いね」
    「僕のポリシーなのよ。若人は青春せよってね」
    「いいポリシーっすね!」
    「でしょ?」
     ぽんぽんと弾む会話。中身もないが変な駆け引きもない、こんな気安さは久しぶりだった。ふと見下ろした卓上向こうのカップが空になっていて、五条はソファから立ち上がる。
    「紅茶いれよっか。カップ貸して」
    「へ、あ、すんません」
     いいよと笑いかければ、同じくらいの笑顔が返ってくる。大学三年生なら二十歳か二十一歳。それにしては対応が妙にこなれて感じるのは、先天性か育ってきた環境か、それとも見た目に似合わず心理学でも専攻しているのか。
     冷蔵庫の隣にあるキャビネットの上で、五条はガラスの瓶を開け、取り出したティーパックを手早くカップに放り入れる。ポットから湯をなみなみ注いだカップを両手に戻ると、卓上のソーサーに音も立てずに置いてソファに腰を落とした。
    「好きなタイミングで茶葉捨ててね」
     紅茶好きな人間からすれば憤慨ものな淹れ方かもしれない。だが今は作法に則るような場面でもないし、いい茶葉だから適当に淹れてもそこそこになる。五条はさっさとパックを取り出しゴミ箱に捨てた。ふと視線を感じて顔を上げれば、虎杖と目が合う。
    「……そろそろ出さないと濃すぎない?」
    「あ、やば。まんま捨てちゃって大丈夫?」五条の頷きのすぐ後、取り出されたティーパックがゴミ箱に落ちる。「あは、なんかでっかい会社の社長さんでも自分でお茶淹れるんだなーってぼんやりしちった」
    「いや、いつも来客の時は秘書に頼んでるよ? けどさっき明日から来なくていいって言ったら出てっちゃってさー」
    「え、く、クビってこと?」
    「っそ。だって仕事中に発情して勝手に盛(さか)ってきてさあ、挙げ句の果てに外部の人間に怪我させるとこだったんだよ?」
    「あ」と一文字発声して虎杖が固まった。何やらおろおろとした様子で、せっかく持ち上げたカップを口もつけないままソーサーに戻す。ガチャンと大きな音が上がり慌ててカップの底をのぞき込む姿が(二度目……)五条の笑いを誘った。よかった割れてなかった。声を出さずともそうありありと安堵感を浮かべていた顔が、今度はさあっと青色に変わる。なんだろう。やっぱりヒビでも入っていたのか。
    「それってあのお姉さんのこと? 彼女じゃなくて秘書さんだったの? お、俺のせいでクビになったの……?」
     情けない響きの声に、ハの字に下がった眉。これはなんというお人好し。自分が死にかかった原因の相手をむしろ心配するなんて。けれど彼があの濡れ場をどう理解していたかがわかってよかった。五条は長い脚を組むと、あえて軽薄に笑ってみせる。 
    「気にしなくていいよ。君のことがなくても、業務中に僕に乗っかった時点で彼女のクビは決まってた。それに最近は三日間隔くらいでそんな感じ」
    「み、みっか?」
     裏返った声。ついさっきは沈んだ声を出していたのに、コロコロと表情を変えるものだ。はあ、と大仰に溜息をつけば、虎杖もつられてか息を長く吐き出したのが面白かった。 
    「ほんとはさ、本秘書がいるの。けど体調崩して入院しちゃってさあ。他人のスケジュール管理と同じくらい自分の健康管理もちゃんとしろっての」
     戻ってきたらビンタしてやると続ければ、本秘書は男の人なのかと虎杖が訊いてくる。そうだと返すと、虎杖は何やら納得したように再び長い息を吐き出した。
    「はー……。じゃあその人が戻ってくるまで臨時秘書さん雇ってんだ?」
    「その通り! ところがさあ、来る女来る女ぜぇーんぶ僕に色目使ってきて最終的に僕を襲ってくるんだよね。性的な意味で」
    「せっ⁉」と再び裏返った声を上げて、虎杖が首から上を真っ赤に染めた。五条は特に何も言わず、静かに足を組み替える。
     胃潰瘍で入院した秘書の伊地知が戻るまでの二週間。短期で迎え入れた最初の秘書が五条に胸を押しつけたのは勤務二日目。以来とっかえひっかえですでに四人目。早い者は勤務初日で五条の股間に手を伸ばした。もちろん誘ってなどいない。どれも女が一人勝手に興奮しただけだ。そのたびに即日解雇を申し渡しているが、密室を逆手にとって訴えたりする者がいないのだけは幸いだった。
     いつからこうだったかと思い出せば、精通も来ていない頃からすでに女に色目を使われていたように思う。少なくともまだ十代の頃は、女の体を見るのも触るのも楽しんでいた。誇張ではなく毎日違う女を連れ歩き、抱いて、その素行を友人にはクズ呼ばわりされていたが――何せ一度として自分から女を誘ったことはないその事実が、五条を誰に何を言われようとかまわない気持ちにさせていた。
     しかしどんな食べ物も、それがどれだけのご馳走だとしても、毎日差し出されればいずれは飽きる。望みもしないのに与えられる女からの性的な接触に、五条は二十代ですでに倦み、三十代になってからは一度として女とベッドを共にしていなかった。性欲がなくなったわけではないが、時折簡単に抜いてそれで事足りている。そうしたところで相も変わらず女に発情される状況は変わってはおらず、ただ徹底して女と二人きりになる場面を避けているおかげで被害は格段に減少した。けれど秘書の件については見通しが甘かったとしか言えない。限られた人間しか入れないとはいえ、社長室は公的な場だ。募集に女性しか応募がなかったことも一因だが、彼女らの職務への誠実さを信用しすぎたのがよくなかったのかもしれない。
    「五条さんモテんのなー……」
     ふわりと遠ざかっていた意識が、虎杖の声に呼び戻された。今までに何十回も何百回も聞いたことのあるセリフ。同じ事を言って笑った人達の顔を思い出し、急速に気持ちが醒めていく。
     あ、そうだ。口止め忘れてた。五条は虎杖に「紅茶冷めるよ」と促す。その言葉はやんわりと会話の終わりを示唆したものだったが――紅茶を一口含んだ虎杖は、なぜだかくふりと笑った。それは何やら楽しげで「え、なに?」と、思わず五条が訊ねてしまうほどに。
    「んっふ、いや社長さんそんなでかいのにさ、襲われてんのウケんね」
    「いやウケんなウケんな」
    「あっヤベ、タメ口きいちゃいました」
    「とっくでしょ。あとなんかそういうむき栗のなかった?」
    「あー、あれうまいっすよね」
    「剥いてくれてんの最高だよね」
     ……続いてしまった。やはり人の懐に入るのが抜群に上手い。大学生ならそろそろ就活も視野に入れて動きはじめる頃。他のポテンシャルは不明だが、うちに来てくれないだろうか。パソコンが使えないだとか計算が苦手だとかそんなものはどうとでもなるが、天性の才能ってやつはどうにもならない。
    「にしても、なんかこう、すげえよね。五条さん、魔性の男ってやつ?」
    「そこに話戻すのすごいね君」
    「えっ? あ、ごめん触れちゃいけないとこだった?」
     虎杖は右の人差し指で頬を掻きつつ、へらりと笑う。無邪気さにも、腹が立つタイプとほっこりするタイプと種類があると五条は考えているが、幸い虎杖は後者のようだった。
     さて。五条は頭の中だけで首をかしげる。
     先ほども言われたが、モテるモテないという話ではなくて、本当に『襲われる』表現の方が実情にぴったりなのだ。能動的に振る舞ったことはない。だから魔性というものがあるなら、もしかしたらそういうものなのかもしれない。おかげで性欲処理には困らなかったけれど、恋愛ってやつはわからないままだ。相手が自分を発情対象としてしか見てないのに誠実になんてなれないでしょ。
     ――と、仮にも人材として見ている相手にそんな本音を口にすることはない。だが、
    「そうかもねー。悠仁はエッチなこと慣れてなさそうだし童i貞?」
     この程度の軽口は親しみやすさとして許されるだろう。しかしながら虎杖は勢いよく吹き出して、残りの紅茶を一気に飲み干した。カップを置いてひと息つくと、前のめりになって五条に食ってかかる。
    「五条さんデリカシーどこ置いてきちゃったの⁉」
    「その反応はアタリ?」
    「余計なお世話すぎるんですけどお?」
    「あはは、メンゴ」
    「んもー……」頬を膨らませながら虎杖は両腕を組む。「確かに慣れてねえけどさあ」少しの沈黙。「んーでも……俺も、魔性の男……だったり、かも」
     虎杖は首をかしげて少し笑う。なぜだか痛々しく見える笑顔に静かな声がかぶさり、これまでの彼の明るい印象との齟齬に、五条の呼吸が無意識に止まった。
     数瞬の静寂。しんとした空気を破ったのは、虎杖の明るい声だった。
    「なんつって! つか俺、仕事の邪魔じゃない? だいじょぶ?」
     にかっと笑った顔は陽気そのもので、先ほどの言葉は思わせぶりな冗談か何かだったかと思わせなくもない。ただそれにしては違和感が残るが(気にすることじゃないか)五条はそっと詰めていた息を吐き出すと「うん?僕、有能だから大丈夫」と笑い返した。
    「はは、すっげー。五条さん、イケメンだし社長だしで最強じゃん!」
    「へえ、いいね最強。イケメンは言われ飽きてるからなー」
    「事実過ぎて嫌味に聞こえねえ~」
     さすが最強! そう囃す虎杖が、ふと五条の顔に目を止めた。笑いの形に開いていた口がゆっくりとすぼまっていく。反対にはっきりとしたつり目が大きく開いて、彼の瞳が金茶色をしているのにようやく気づいた。日本人にしてはずいぶん明るい色だろう。自分の青い瞳と同じで、色素の関係だろうか。
    「悠仁、じっと見つめちゃってどうしたの? 惚れちゃった?」
    「惚れてはないけど、惚れ惚れとはしたよ。五条さんの目の色めっちゃ綺麗じゃん。ブルーハワイみたいだよね」
    「ブルーハワイ?」
     カクテルとかで使うやつか。いや、カクテルの名前そのものだったっけ。瞳は過去にも色々褒められたな。海、空、サファイヤ、地球とか。いや地球って大陸とか雲とかでなんかごちゃっとしてない?
    「うん。かき氷の中で一番好きなやつ!」
    「か、かき氷?」
     やばい、カクテルですらなかった。この子の言うかき氷って多分祭りの屋台とかの安いヤツだよな。思わず爆笑しそうになってこらえるも、腹筋の痙攣に負けて五条は思いきり笑い出す。突然の爆笑に虎杖は「えっ、えっ? んなおかしいこと言った俺?」と、胸の高さで両手をおろおろとさまよわせた。その様すらおかしくて、笑い声が室内にさらに高く響き渡る。
    「あはっ、あはははは!」
    「ええ~五条さん、なんかごめんて、笑うの止めて?」
    「いやだって、くひっ、かき氷て」
    「ぜ、全然わかんねえ、何がそんなおかしいの?」
     そんなに安く見積もられたことがないからだよ。とは言葉にならなかった。けれど反対におべっかの類でない純粋な『好き』にどう反応していいかわからないから、むしろ喋ることが出来ないくらいに笑ってしまっているこの状況はよかったかもしれない。
    「はーあ……、久しぶりにめっちゃ笑った」
    「マジすんげえ笑ってたね……」
     ようやく笑い声をおさめて五条はソファに背中を預ける。虎杖はといえば、ワケが分からないとばかりのじっとりとした目で対面の社長を見つめていた。
    「いやあ、悠仁はいい子だね」
    「は? この流れでなんでそうなるのかわかんなくて怖いんだけど……」
    「いーのいーの。褒められてんだからわからないなりに喜びなよ」
    「適当言いよる……」
     そのまま五条が黙って笑顔を向けている内、何かを諦めたように虎杖が溜息をついた。右手で髪を軽くかき回し、片方の眉を上げてニヒヒと笑って言う。
    「まあなんかわかんないけどいっか。あざっす!」
    「どういたしまして」
     無駄に相手に食ってかかったりもしない。どうやらこの子なら変に口止めする必要はなさそうだと評して、五条は冷たくなった紅茶を口にした。


    「お、来たね」
     午後の陽の光に影が差した。窓ガラスの外を見れば、ゆっくりと横長のゴンドラが下りてくる。
     以前はビルのガラス清掃にあわせて秘書の伊地知がブラインドを下ろしていたが、ここ最近は上げたままにするのが慣習になっている。それというのも。
    「悠仁、今日も元気そうじゃん」
     くるりと椅子を回し窓の方を向いた五条は、外へ向けてひらひらと右手を振った。視線の先には青いつなぎにヘルメットをかぶった虎杖の姿。室内の五条に気づいてすぐ、にかっと笑い手を振り返してくる。彼の隣に立つ二人の男も頭を下げてきたので、軽く手を上げて礼を返した。毎回同じ男達なのでビルごとに担当が決まっているのかも知れない。
     虎杖がゴンドラから落ちかけた日から、こうやって顔を見るのは三度目だった。社長室へ彼を招き入れたあの日は結局雑談が盛り上がってしまい、虎杖の腹の虫が大きく鳴いた十八時に解散となった。どうせなら夕食もと誘ったが会社に戻らなければいけないと断られ、『次の清掃スケジュールは二ヶ月後』と聞いたその場で、定期清掃を月一回にするよう業者への連絡を部下に指示した。幸い、以前から定期清掃の間隔を短く出来ないかという話は社内から、かつ清掃業者からも出ていたようで(交通量の多い道路沿いで汚れやすいらしい)すんなりと事は運んだ。臨時秘書との不合意な濡れ場の件についても、その後特におかしなゴシップが流れることもなく平穏な日々だ。
     デスクについてメールチェックをしつつ、たまに窓の外を見る。季節はもう夏。顔中に汗を流しながら虎杖も他の男達も黙々と作業をしている。連携の取れた動きは恐らく事前に打ち合わせをしっかりしているのだろう。それでも時折三人が何かを話していることがあって、そういう時はひどく穏やかそうな雰囲気だ。やはり虎杖は可愛がられているらしいと見て取れるような。
     虎杖はといえば、前回の清掃後も五条が社長室へ彼を招いたが、どうやら『俺、ここってか五条さん専任の営業部長だって言われたんだけど』――らしい。確かに社長の一存で清掃回数や基本契約金額が上がればそういう扱いにもなるだろう。もっともアルバイトに何を言っているんだとは思ったものの、きちんとその分の手当は発生したらしい。とんだきっかけだったが、将来の社員候補に出会えたことと発注先が融通の利く企業だと知れたのはよかったと、五条はそれと分からぬ程度に微笑んだ。
    「あ、そうだ」
     デスク上のメモ帳を一枚破り取り、ボールペンでさらさらと書きつける。『今日はケーキあるよ。終わったらおいで』。立ち上がり窓へと近づいて、虎杖に見えるようガラスに手のひらで紙切れを貼り付けた。伝言に気がついた虎杖が他のスタッフに確認してから、にこっと笑って両腕で大きな丸を作ってみせる。「ははっ、可愛いかよ」五条は無意識につぶやいて、デスクに戻った。
     十五時半を少し過ぎた頃、秘書の伊地知から内線電話が入る。
    『お疲れさまです。あの、虎杖君がいらっしゃいましたが』
    「へえ、早く終わったんだ。いいよ、通して」
    『お茶のご用意はどうしましょうか』
    「お願い。あとケーキも出してあげて」
    『承知しました』
     ややすると、セキュリティロック解除の音と共に、虎杖を連れた伊地知が室内に入ってくる。
    「悠仁! お疲れ様!」
    「五条さんもお疲れ様! ねえ俺汗臭いんだけどだいじょぶ?」
    「だいじょーぶ!」
     五条が右手を上げると、虎杖も右手を上げて五条の手のひらに打ち下ろす。高い音を鳴らすと二人は応接セットのソファに向かい合わせで腰を下ろした。
    「今日は少し早かったんだね?」
    「おう! やっぱり間隔が短いとこびりつきとか少なくていいよ。五条さんナイス判断だね!」
    「もー悠仁ったら褒め上手さんだなあ。伊地知ー! ケーキ二つにしてあげて!」
    「えっ、いーってば五条さん」
     そんなつもりじゃなかったと首を振る虎杖の前に、そっと置かれる白い皿。上には苺のショートケーキと、マロンクリームが高くそびえ立つモンブランが乗っていた。いずれも大きくはないが佇まいが美しく、五条お気に入りのパティスリーの定番品だ。
     虎杖の目が、二つのケーキを見下ろす。遠慮を示していた顔の動きが、のろのろとしたものに変わっていき、やがて止まった。
    「うまそぉっ……!」
     絞り出したような声に思わず笑ってしまう。五条の分の皿と二本のフォークを運んできた伊地知も、顔を背けて息を殺しているようだ。
    「でしょ? 僕は三つ食べるから,悠仁も二つ食べたっていいんだよ」
    「理屈はわかんねえけど、ねえ伊地知さんいいの?」
    「あ、はい。どのみち本日中が消費期限ですし、こう仰ってますけど五条さんはじめから虎杖君の分でお二つ用意するようにと」
    「伊地知、後でマジビンタ」
    「ひっ⁉ な、なぜ……」
    「はいはい、とっととお茶!」
     パンパンと手を叩いて急かせば、伊地知が二人分のカップとソーサー、そして白い大ぶりな陶器のポットを慌ててテーブルに用意する。それでは失礼を、と出ていく背中に向かって、虎杖が「伊地知さんありがと!」と手を振った。
    「悠仁ってほんっといい子だよねえ」
    「何いきなり? 五条さんは伊地知さんと話す時はなんか意地悪だね」
    「気安さだよ。アイツ僕の後輩でさ、ああ見えて図太いとこあるから助かってるよ」
    「それ褒めてんの?」
    「ま、いーっしょ。それよりほら食べよ」
     五条がフォークをケーキに刺すと、いただきますと手を合わせてから虎杖もフォークを手にする。どちらにしようと迷っているのか、少し刃先をさまよわせた後、モンブランのクリームを多めにすくってパクリと食べた。途端、ピンク色に染まる頬。普段から大きな目をさらに大きく丸くするその表情は、どんな感想の言葉より『おいしい』と雄弁だ。案の定、「んんまっ!」とだけ言うと、虎杖は紅茶にも手をつけず夢中でモンブランをたいらげた。
    「いけるでしょ?」
    「いける! いけすぎ! 五条さんのイケメン具合に負けないくらいのイケ具合!」
    「褒め方が雑~」
     顔を見合わせて笑い、雑談をしながらケーキを食べる。こうして時間を過ごすのはまだ三回目だが、なんだかすでに数年来のつきあいのような気になるのが不思議だ。それくらい自然に会話が続く。
     ただ、これは相手が自分だから特別という訳ではないだろう。話しているとふと気づく、彼の絶妙な相手との距離の取り方。計算しての上ではなさそうだが、近づきすぎると上手く身を躱す。それも相手に気取らせないように。ひと言で言うなら『あざとい』が近いか。
     まあ、悪い事ではない。五条はケーキ最後の一かけらを口に入れ、フォークを静かに皿に置いた。
    「ごちそうさまでした!」
    「どういたしまして」
     おいしかったあ、と伸びをする虎杖が、ふと彼の足元に視線を落とす。そこには明るいオレンジ色のリュックサックが置かれていた。いつもは荷物らしい荷物を持ってこないのに珍しいと五条も目をやると、虎杖は顔の前で両手を合わせて軽く頭を下げる。
    「そうだ。ごめん、帰りにトイレ貸してもらってもいい?」
    「そりゃもちろん」
     おかしな事を言うと事情を訊けば、バイトの一日の流れとしては出社後に会社で着替えて作業員全員で車に乗り込み作業先へ出発。清掃が終わったら帰社し作業報告、着替えて終了。つまり前回と前々回、虎杖は会社までの足がなく、電車で帰ったというのだった。
    「……嘘でしょ」
    「いや、マジ。今日はさ、また声かけられるかもしれないから、もう着替え持ってけって言われたんだよ」
    「え、その格好で電車? 駅いくつ?」
    「六駅くらい? 格好は別にいいっしょ」
     会社戻らなくていいからって太っ腹だよな。そう笑う虎杖を前に、五条は額に片手を当てて項垂れた。
    「ちょっとお……もっと早く言ってよ、タクシー代出したのに」
    「いや何そのVIP待遇、反対に気が引けるって。電車代ももらえてるし、こーやって五条さんと話せるの楽しいし無問題(モーマンタイ)!」
     モーマンタイ。問題ないって意味だったな。いやあるでしょ、いい大人がさあ。
     五条は細く息を吐き出し、顔を上げる。唇の動きだけで(ごめんね)と謝ると、虎杖はきょとんと目を丸くした。
    「モーマンタイって広東語だよね? 悠仁って語学専攻とかなの?」
    「んーん、一応スポーツ科学部!」
    「らしすぎてウケるね」
    「それ褒めてんの?」
    「最上級に褒めてる」
    「んふ。やった、最強に褒められるとか俺すごくね?」
    「すごいすごい」
     ――本当に。五条は目を細めて正面の青年を改めて見る。
     どうにも自分はこの子に私的な興味を持っているらしい。なぜなら先ほどの話を聞いて彼に負担をかけていると知って、ではどうしたら負担なく会えるかと思考したから。人材としての確保を優先に考えなかったことが物語っている。
     かといってこれがどういう種類の興味なのかは五条自身も把握していない。恋愛、はないだろう。男の体に興奮した経験はない。なら例えば後輩とか兄弟とか、片手の指の数より少ない友人だとか、そういうポジションを彼に求めているのだろうか。いずれにせよ(見事に手懐けられたもんだ)そう感心せざるを得ない。
     まあ、とりあえず。
    「今度さ、この間話してた映画観に行かない?」
    「映画?」薄く口を開いて、細かく瞬き。「え、いーの⁉」
     虎杖がテーブルに手をついて身を乗り出す。そのままこちらに飛んできそうな勢いに、思わず五条は上半身を後ろに引いた。しかしすぐ、くすりと笑って上半身を前に倒す。ほんの十センチほど先に見る金茶色の瞳は生き生きと輝いていた。けれど突然縮まった距離に、今度は虎杖が「わ」と声を上げて後ろに下がる。
    「照れるなよ」
    「照れてな……いや照れるっしょ、五条さん顔キレイだし!」
     怒ったような響きの語尾の強さは照れ隠しだろうか。やっぱりまだ若くて、青い。
    「褒めてくれてありがとね。で、一緒に行ってくれる感じ?」
    「うん、行く。行きたい!」虎杖は両の拳を胸の前で握り込んでいる。「あの映画に興味持ってくれる人全っ然いなくてさ。ほんと五条さんだけだったんだ、面白そうって言ってくれたの」
     まあどう考えてもクソ映画だからね、とは思ったが言わなかった。そういうB級C級映画の面白さを自分で抽出して味わえる人間は一部だけだ。そして虎杖はどうやら観たものの感想は共有したい質(たち)なのか、何度も鼻を鳴らしてまるで興奮している犬のようだ。
    「悠仁って犬みたいで可愛いね」言ってしまってからしまったと思う。
    「は? 犬? いきなり何の話?」案の定、不審者を見る目で見られてしまった。しかし「俺ね、犬になるなら土佐犬とかがいいな、強そうだし」と続ける虎杖も大概だ。
     ああ、なるほど。答はいたってシンプル。
     単純に、虎杖といると楽しい。それだけだ。
    「んっふふ、僕だったらチワワかなー。ほら、なんせこの顔だし」
     軽く握った両手を顎下に当て小首を傾げてやる。が、虎杖が無反応なのでさらにウインクを追加した。すると、
    「そのデカさでチワワはなくない? 顔はね、顔は可愛いんだけど!」
    「え~? なんだよ悠仁もしかして僕の顔好み~?」
    「いや、好みではないけど?」
    「急にマジレスしないでよ」
     室内に明るい笑い声が二人分、響く。
     その後はお互いの連絡先を交換し、映画の日程打ち合わせを口実に虎杖を夕食に誘った。ちょうど私服もあることだしと頷いてくれた笑顔にほっとした理由を、五条は深く考えなかった。 
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    Replies from the creator

    ajinojika

    PROGRESS6/25新刊の進捗です。この後は成人向け表現入るので本はR18になります。
    とりあえず見せられる形になっている冒頭部分。()はふりがなです、直す手間省いてるのですみません。
    脱稿できたら消しますが……ギリギリ原稿ライフで泣きそうなので切実に励ましお待ちしてます😭
    五悠 社長×窓掃除バイトパラレル 女の胸をただの脂肪の塊と思うようになったのはいつからだったか。
     太ももの上に跨る女は、自らシャツをはだけて白いレースに包まれた乳房を揺らしている。脚を大きく開いているせいでたくし上がったスカートからは、ストッキングのランガードがのぞいていた。そのさらに奥は、薄い布の下で熱く蒸れているのだろう。興奮した様子の女と同じように。
     そこで思考を止めて、五条は白けた視線を女から外した。
     全面ガラス張りの窓から差し込む陽の光は白い。まだ昼食を済ませて一時間も経っていない明るい日中だ。ましてや五条が椅子に座るこの部屋はストリップ劇場でもラブホテルの中でもない。グループ会社をいくつか持つ、歴(れつき)とした企業のオフィスビルの最上階――社長室だ。そこに秘書として働きに来ているはずの女は、今はなぜか雇い主である社長に乗り上げ、発情したメスよろしく呼吸を荒げて体を擦り寄せている。もちろん彼女の業務内容に『社長の身体のケア』は含まれていない。
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