『1分間キスしないと出られない部屋 ※ただし……』 気付けば、白い部屋に閉じ込められていた。
唯一の出入り口と思われる扉はブラゴの力をもってしても開かず、肌身離さず持っていたはずの本は手元に無い。が、まだ本は燃やされずに、ブラゴがここにいるということは、直ぐに何かがあるような危機的状況ではないようだ。
他の魔物からの攻撃か、それともその他何らかの原因か……これは一体どういうことかと周囲への警戒と緊張感を高めた瞬間、扉の上のモニターに太字ゴシック体の文字が大きく写された。
『1分間キスしないと出られない部屋』
「え?」
「……ああ?」
なんだろう、これは。ふざけているのだろうか。
ブラゴは舌打ちをして扉に打撃攻撃を加えている。どんな素材でできているのか、あのブラゴの攻撃にもびくともしない様を見るに、部屋を破壊しての脱出は相当に困難が伴いそうだ。
小一時間程が経過しただろうか。全力での攻撃を続けるブラゴにも流石に疲れが見える。息が荒く、米神から汗が伝って足元に落ちた。その間、どこかに抜け道でも無いだろうかとシェリーも部屋の隅々まで探し回るも、壁紙の切れ目さえ見つけることは出来なかった。
「チィッ……!」
腹立ち紛れといった様子で回し蹴りを叩き込む。空気を揺らす衝撃波に縦ロールがふわりと浮くも、扉は少し黒ずんだのみに終わっていた。短く悪態を吐いてブラゴが白い壁に背を預け、腕組をする。休憩兼、思案の時間だろう。
「ブラゴ、」
「……なんだ」
声に苛立ちが滲む。睨まれるが、もうこのくらいは慣れっこだ。構わず言葉を続けていく。
「一度、試してみたらどうかしら」
「あ?」
「その、……アレを」
モニターを指差すと、ブラゴの眉間の皺が深く刻まれた。深く溜息を吐く。
「必要無い」
「だって、」
「だって、何だ?本も持ってねえお前が出来ることは無い。大人しくしてろ」
「なによ、ちょっとくらいパートナーを頼ってくれてもいいじゃない!こんな明確に条件が書かれているのよ!?そりゃあ、あなたは嫌だろうけれど……」
「あ?嫌なのはお前だろうが」
「私がいつブラゴとキスするのが嫌って言ったのよ!?」
ヒートアップしてなんだか妙なことを口走ってしまったような気が……。まるでそれを望んでいるかのような口振りだ。私とブラゴは本のパートナーで、そうした関係では無いはず。……はず、だ。
「お互いがその、嫌でないのなら、脱出方法として……あくまで脱出方法としてよ?一度試してみるのも無駄では無いはずよ」
「…………そうか」
何も疚(やま)しい提案ではない。不可抗力なのだ。
知らず早口になり、勢い一息で喋り終えたところで、ブラゴの節榑立った大きな手が、がしりとシェリーの肩を掴んだ。
強く掴まれる感触にびくりと身体を震わせる。三白眼の赤い瞳と目が合った。真剣な眼差しにぞくりと肌が粟立つ。
「お前が言ったんだ、シェリー」
その手がするりと首筋を撫で、顎にかかる。固定するように掴まれ、ムードもなにも無いはずなのにドキドキと心臓がうるさく跳ねる。
ブラゴの顔が近付いてくる。互いに目は閉じない。敵地の中、目を瞑れば何があるか分からない。だから、そうするのが当然のはず。きっと、ブラゴも同様の考えなのだろう。
見つめ合ったまま、唇を重ねる。血色の悪い灰色の肌、体温が低そうに見えるブラゴの唇は意外なほどに熱かった。柔らかい唇。むにゅりと押し当てられた初めての感触。
そういえばこれがファーストキスだわ……ブラゴの方はどうなのかしら…など、ぼんやりと考え始めたその時。
『ブブーッ!』
どこからかブザー音が鳴り、バッと身体を離す。唇を合わせてまだ10秒と経っていないはずだ。クイズ番組のSEに似た、不正解とでも言いたげなその音に、ブラゴも顔を歪め、不快感を露わにする。
「なっ、何よ!?」
キスしろって書いてあったじゃない!一体何が……
動揺の中、モニターの画面が切り替わる。
『1分間キスしないと出られない部屋』の文字が徐々に大きくなり、その文字の下、小さく汚れのように見えていたものが大きく映し出される。
『※ただし、唇を触れさせてはいけない』
「は……はぁ!?」
「…………」
後出しにも程がある。しかも何だその注意書きは。唇を触れさせてはいけないキス……なんて、一体どうしたら。
「……シェリー、舌を出せ」
「え?……ほう(こう)?」
「そうだ」
べ、と言われた通りに舌を出す。と、ブラゴの舌が、その表面をべろりと舐めた。
「ふあッ!?」
びりびりと電流が流れるような感覚に、驚いて口を閉じてしまう。が、顎の関節を片手でぐっと捕まえられ、無理矢理口を開かされる。
「あ、ぅっ……」
「舌を出せ。終わらねえぞ」
言うや否や、再び舌の上をブラゴの舌が撫でていく。ざらりとした感触が表面をなぞる。先程触れた唇よりも何倍も熱く感じる舌に思わず怯み、舌を口の中に引っ込める。ブラゴの舌がそれを追いかけ、ぐいと顔を近付けた。
『ブブーッ!』
ブザーが鳴る。唇が触れたからだろう。モニターを見ると『2秒』の表示。
い、今ので2秒!?あんな……あんな触れ合いを1分間……60秒という途轍もない時間に愕然とする。
「逃げるな」
掴んだままの顎を引き寄せられ、ブラゴへと顔の向きを変えられる。
「む、無理…無理よ……」
「無理じゃねえ」
結んだ唇をべろりと舐められる。ブザーは鳴らず、タイマーも動かない。
確かに、協力しなければ終わらない。じ、と見詰められて、恐る恐る舌を出す――。
「……ぅあ…、は………っ………」
ぱかりと開いたままの口の端から唾液が垂れる。ぬるぬると粘膜同士が擦り合わされる快感は、つい先程ファーストキスを終えたばかりのシェリーには完全にキャパオーバーだった。膝が震え、とても立っていられずその場にがくんとへたり込む。
『ブブーッ!』
――42秒。
カウントの表示が条件未達成の事実を無慈悲に突きつける。
「はぁっ……は、……ぁ…………」
『試してみたらどうかしら』なんて、自分が言った言葉を後悔する。身体が熱い。頭がぼんやりして何も考えられない。お腹の奥がじくじくと訳の分からない感覚に苛まれる。
「口開けろ」
そう……やり直し、しなければ。
立てない私に合わせて、ブラゴも視線を合わせて座り込む。頬に触れたまま、その親指が口の中に押し込まれる。ぐにぐにと掻き回されているのにされるがまま、雛鳥のように口を開けてブラゴの指を受け入れる。鋭い爪に浅く舌の表面を引っ掻かれ、痛みではない呻き声が漏れた。
「舌出せ」
言われるまま舌を突き出し、ブラゴの舌と触れ合わせる。
ゾクゾクと背筋を走る悦楽。涙が滲む視界に鮮烈な赤を見る。耳の輪郭を柔くなぞる指先にびくんと腰が跳ね、再び唇同士が触れてしまう。
「…ぇあ……、…ッぅ……」
『ブブーッ!』
――52秒。
あと、少しだったのに。自分の堪え性の無さが恥ずかしい。ブラゴにこんなこと何回もさせて、足を引っ張りたくないのに。
「っ……ごめ、…なさ…………」
「いい、もう一度だ、シェリー」
舌を合わせる。ちゅくちゅくと水音が頭に響く。優しく表面を擦り合わせたかと思えば、突き出した舌を唇で挟み、軽く吸われる。唐突に変わった感触に驚き、身を引いてしまい――やはりブザーが鳴る。
『ブブーッ!』
――56秒。
「はぁ……ぁ……ぶらご………」
ブラゴがべろりと自分の唇を舐める。てらてらと濡れる赤い舌。言われる前に舌を出して、キスを強請れば、ふ、と微笑ったような気がした。
『カチャリ……』
何度やり直しただろうか。ようやく、小さく響く解錠の音に、意識を戻される。と、同時に重ねられる唇。ブザーは鳴らない。溜まった唾液を啜られて、ごくんと飲み下す喉の動きが伝わる。
ちゅう、と最後に軽く唇を吸われ、ようやく口が解放された。
完全に力が抜けてしまって、自分で立ち歩ける気がしない。頭の中も霞がかったようにはっきりせず、荒い息のままぼんやりとブラゴを見つめる。
「……続きはここから出たらだ」
ひょいとお姫様抱っこのように抱えられ、ブラゴは鍵の開いたドアを蹴破って外へと歩き出した。