今夜だけはホワイトクリスマス 今日はとりわけ雪が歓迎される日。
――クリスマスイヴ。
俺のような男にはなんの縁もないただの十二月二十四日だ。
「ありがとうございました〜」
サンタ姿のコンビニの店員がぞんざいな挨拶をしている。世間ではやれパーティーだデートだと騒がしい日に自分には仕事が入っているなど、それだけでやっていられないだろう。
俺はと言えば今日が何日だろうが、まっさらな原稿が手元にあるうちはクリスマスなど無関係だ。一人暮らしではホームパーティーの機会もない。
だというのに、俺は懲りもせず「ちょっと一息」などと近場のコンビニまで出てきた。
別に、クリスマスだからなどという頭の茹った理由ではない。ただ原稿が進まない時はこうして休息を切れた方がより白い原稿が減るだろう。そうに違いない。
立ち寄ったのなら、何も買わない冷やかしは気が引けて。どうでもいいものを購入した。
……クリスマスケーキ。
今日が主役のアイテムのくせして、すでに割引がされているあたりに虚しさがある。きっと事前にまともな予定のある人間はケーキを早くから予約している。すでに手に入れているのだ。
気まぐれでこんなものを買うやつがいないから、コンビニのバイトは寒空の下コスプレで売り子をさせられる。
今は甘いものを特別欲しているわけでもない。だが、ケーキのパッケージには大きく「本日中にお召し上がりください」とある。
今日中にこのケーキを片付けられる存在にひとりだけ心当たりがあった。まさかこんな日に自宅にいるような人間じゃないだろうが、それでも万が一ということもある。
思いついた心当たりがひとつだったから。
ケーキを無駄にするのもどうかと思ったから。
……残念だがそんなのが三流の言い訳なことはとっくに知っていた。
「アンデルセン! こんな夜中にどうしたの? 締切は?」
マンションの玄関が勢いよく開く。まさか本当に家にいるとは思わなかった。世の中はクリスマスだというのに、こいつも案外暇らしい。
だが中から出てきた彼女は家に1人にしては妙に着飾った格好だ。……杞憂だったか。彼女はこんな日に予定もなく部屋にいるような人間ではないのだ。いつもならもう少し気の抜けた服装をしているのだから、こんな格好をしている理由は「来客がいる」以外にない。
「お前は俺の編集か? 息抜きのひとつもなければやっていられないだろう。俺は散歩中だ」
「……まだ脱稿してないんだね」
彼女がふぅ、と仕方なさそうにため息をついてみせる。ため息をつきたいのはこっちの方だ。
「お前、これを処分してくれ。甘い物は好きだろう?」
「えっこの箱……ケーキ?」
目を輝かせる彼女に、気の迷いで買ったものだがもっと上等なものを渡すべきだったかと考える。こんなささやかなもので喜ぶのだから、ちゃんとしたケーキ屋ねものならもっと良い顔が見られただろうか。
「そんなに期待するほどのものじゃない。近所で安売りされていただけの品物だ」
「嬉しいよ! アンデルセンからクリスマスケーキがもらえるなんて思わなかった。ありがとう!」
「はぁ……期待するようなものではないと言っているだろうが。大体お前ならもう良いところのケーキくらい食べただろう」
それをこんなものくらいで、安上がりな女だ。
「ケーキは何個あっても嬉しいの! それに今日は雪も降ったしお得なクリスマスになったよ」
……もう食べたということは、否定しなかった。
しかも何だ、雪が降ったら得だなんて、そりゃあ家から出ない人間は窓の外の雪景色だけ見てさぞ得した気分にでもなるのだろうな。俺にとってはどうでもよいことだ。
「さて、要件も済んだ。俺は散歩に戻る」
「えっもう帰っちゃうの?」
「原稿中の作家がとれる休憩時間は短い。無駄な時間など使ってられるか」
どう考えてもこの部屋にはすでに来客がいる。人の気配と、玄関にある彼女のものではない靴からもそれは明らかだった。
「そっか……帰り、気をつけてね!」
いつもなら、こうして彼女の家の玄関までたどり着けば「少し上がっていったらどう?」と声をかけられるのだが、先約があるのならそのようにはいかないだろう。
俺が初対面相手でも気さくに交流するというなら話は別だろうが、そんな面倒なことはするわけがない。
入り慣れた部屋に上がることもなく、背を向ける。
「あっ、ちょっと待って!」
そう言うと彼女はいきなり扉を閉めて部屋へ引っ込んでいった。待てと言っても、いきなり来た俺に何の用事があるんだか。
玄関の外からでも分かるバタバタとした喧しい足音が遠のき、そしてすぐに戻ってくる。
「お待たせ! あの、これ! ……今日は寒いから」
「これは……」
それは毛糸でできた、マフラーだった。
濃紺の無難な色はこいつが選ぶにしては少し地味だろうか。前に彼女が淡い色のマフラーをしているのを見たことがあるのだ。
「借りておく。マフラーは他にも持っているだろう? これは今度洗って返す」
「えっと、そうじゃなくて!」
「何だ、手短にしろ。俺は早く帰りたいんだ」
玄関から見える奥の部屋から、彼女の来客がこちらを覗いている。こんなクリスマスイヴの夜に訪ねてくるような人間に向ける好奇の視線には長い間耐えられそうもない。
「クリスマスプレゼントだから返さないで!」
「……俺にか」
「うん。だから、返さないで」
絶句する。今日は会う予定もなかっただろう。プレゼントだけが用意されているのは何故だ。
「その、この色が一番似合うと思うんだけど……」
「そうか。……ありがたくもらっていく」
「良かった! それじゃあ、またね」
「あぁ」
来客がいるくせに俺がエレベーターに乗るまで彼女が玄関から顔を出して大きく手を振るものだから、恥さらしになりそうだ。大体、俺は手を振りかえすほどサービス精神旺盛じゃないぞ。……こいつ、来客に俺のことを聞かれたら何と答えるつもりなんだ。
それでも、こんな日に彼女が期待するだろう言葉を投げかける。
「……良いクリスマスを、立香」
「うん! アンデルセンも原稿頑張ってね!」
結局、屈託のない笑顔で手を振る彼女に負けてひらひらと手を振る。
エレベーターへ乗り込んでからも考えるのはあの油断だらけの笑顔ばかりで。
「……まったく、どうかしている」
彼女の部屋の玄関に並んでいたのが、女物のブーツだけだった。数足並んだそれは、彼女が女だけで集まってクリスマスパーティーを開いているという証拠だ。
今夜、イルミネーションの下に彼女を誘い出すこともできなかったくせに、男物の靴がなかったことでこんなにも浮かれている。
部屋の奥から顔を覗かせていた……おそらく彼女の友人達は好奇の目で俺たちのやりとりを覗いていたのだ。揃いも揃って「どういう関係?」と顔に書いてあった。
俺達は色気のある関係ではない。そんな関係じゃあないから今日この日に誘い出すこともできなかった。
それを、あんな期待するような目で見られてはたまらない。しかもクリスマスプレゼントなんてものを俺に渡すから、今頃彼女は部屋で尋問を受けている頃だろう。……そんなもの、俺は責任を取らないぞ。
こうしてクリスマスイヴの夜は更けていく。
雪なんて散歩の邪魔になるだけだが、彼女が得だと言ったからまぁ、そう悪いものでもないかと思い直す。
またロクでもない12月24日が過ぎ去っていく。
ただのなんてことない雪降る24日が、意識ひとつで今年はホワイトクリスマスに変わる。
……来年は、こんなごまかしのケーキではなく煌めくイルミネーションの下に彼女を誘えるだろうか。
そんな大事、とても達成できなさそうだ。
それでも俺は首元のマフラーを握りしめて、原稿の待つ自宅へと戻っていった。
――雪は降り続けたが、首元はとても温かかった。