かわいい彼女と自覚の芽生え目の前には青色の髪、地面につくほど長い白衣、ヘッドフォンを首にかけた男。――どこにでもいる男だ。鏡でも使わなければ姿を見ることなどないはずの。
「え、わたし分身してる? ドッペルゲンガー……?」
目の前の自分がとぼけたような顔でポツリと言った。
「何これ、この声アンデルセンの、」
続いて己の発した声の変化に気がついたらしい。自分の着ている服の袖や足元を確認して、さらにもう一度こちらを見て。ええい、忙しいやつだな。
「原因として思い当たる首謀者が何人もいる。……とりあえず今日のレイシフトは中止だ。管制室に行くぞ、マスター」
自分が発した声は聴き慣れた少女のものだった。
「うわ、わたしの顔なのにすっごい目つき悪い! ……ねぇわたし達、やっぱり入れ替わってるの? マンガみたい!」
事の重大さに気がついていない彼女と連れ立って管制室へ行ったのが、およそ三十分前のことだ。
(一日もあれば元の体に戻ることができるよ。申し訳ないけれど騒ぎになるといけないからね。その間はお互い相手のフリをして過ごしてほしい。ボロが出ないようにあまり長い時間マシュや他のサーヴァント達と喋らないようにね!)
管制室でふざけた通達を受けて、とりあえずはマイルームへの籠城を決めた俺達は誰にも見つからないように廊下を慎重に進む。
騒ぎになるといけない、なんてことよりもこの状況を面白がって何かしでかしそうな顔が幾人も浮かぶのがまずい。それなのに、こんな時に限って人に遭遇する己の幸運値の低さ。いや、この場合はマスターも運がないからか。
「藤丸!ちょうど良かった、この間教えてもらったあのマンガなんだけど、」
相手はカルデアの職員。しかも、俺の知らない話題ときた。仕方ない。……それにしても随分マスターと親しそうじゃないか、この男。
「ごめんね、今ちょっと急いでるの! ダ・ヴィンチちゃんから指令受けてるから……また今度ね?」
舞台に上がるには向かないと散々言われた自分がこんな演技を強いられるだなんて、英霊とは厄介なものだ。それでも付き合いの長いこいつを真似るくらいのことならどうにかなるだろう。
「行こう? アンデルセン」
目を丸くしているマスターを引っ張って早足になる。
「……おい、いちいち引っ張るな。ただでさえ面倒事に付き合わされて疲弊しているというのに、その上さらにカロリーを消費させる気か? マスター」
しかし歩くペースは変えないまま、白衣をズルズルと引き摺りながら彼女は言った。……物真似は及第点ギリギリだろうか、彼女は案外役者向きかもしれない。まぁ今の対応なら、怪しまれることもないだろう。面倒そうにしながらも歩くペースを一切落とさない。顔つきはいつもの俺より幾分よく見える気もする。
誰も俺達が入れ替わっているだなんて前提では話しかけてこないのだから、堂々としていれば正体を暴かれることもない。話しかけてきた職員はもう遠くなっている。
素早く部屋に戻って鍵をかける。息を深く吐いて、二人して座り込む。あとは身体が元に戻るまでこの部屋で大人しくするだけだ。
「それにしても先生って女の子のフリ上手なんだね! お芝居には向いてないって前に言ってたのに」
「は? 何を寝ぼけたことを言っている。俺が役者に向いていたらこんなところで英霊になどなっていないだろう」
「だって、中身が私の時よりもなんかずっと可愛いんだもん。こう、先生が中に入ってると守ってあげたい小動物系女子みたいな感じだよね。中身が違うだけで何でこんなに違うのかな……」
自信無くしそう、そんな風に彼女は肩を落とす。
「……そんなに自分のことを褒めちぎるのは楽しいか? 顔は変わらないんだ、自分は小動物系の可愛らしい少女だと自慢したいのか」
中身が違うと言えども、顔立ちが変わるわけではない。大体、俺から見たマスターをそのまま演じただけだ。それが"可愛らしい上に守りたくなる小動物系の少女"に見えるだと?
……待て。俺は普段通りのマスターを装ったはずだ。それがどうしてそんな感想を抱かれるようなことになる?これでは、まるで俺が。いや、それはない。いくらなんでも。……ないだろう?
サーヴァントはマスターを守護するものだと言っても、「守るべきもの」と「守ってあげたい」の微妙なニュアンスの違いで意図が変わってくる。このマスターのどこが可愛らしい? 喧しいの間違いだろうそれは。
脳内で目まぐるしく広がる考えなど知るわけもなく、マスターはイスに座って鏡を見ながら表情をころころと変えながら、つまらない顔面をしつこく見ている。
「そんなことをして楽しいか?他人のものを気安く観察するな、料金をとるぞ」
「だってアンデルセンはこんな顔して笑ってくれないでしょ? 珍しいから、記念にたくさん見ておこうと思って」
ふわりとした笑顔はとても俺の顔には不似合いで寒気がする。元の身体に戻るまでは、余計な表情は控えてもらいたいものだ。
「その顔と話し方をやめろ」
「ーー何だ、いつもはレイシフトで馬車馬のように働かされているところを今日は自室待機で済んでいるんだ。これくらいは可愛いものだと思うがな?」
「……いちいち俺の真似をしなくていい」
「もう、アンデルセンは文句ばっかりなんだから」
「…………」
他愛無いやり取りを交わしてため息をついているこの瞬間にも、自分の思考は「可愛らしくて守ってあげたい小動物系女子」というパワーワードに飲み込まれていく。そんな風に彼女を見ているつもりなど、俺には微塵もない。ないはずだ。
いや、そもそも”可愛らしい”やら”守ってあげたい”という女の喜びそうな正統派の誉め言葉が似合いのマスターではないのだ。
そうだな、もっと……”人たらしもといサーヴァントたらし”だとか、”端整”だとか。いや、端整は違うだろう訂正が必要だ。そうだな、まぁ別に見た目は悪くはない。男好きするその容姿と性格で無自覚にサーヴァント達に囲まれているのはどう考えても欠点だが。
そんなくだらない考えに溺れて自らの首を絞めていく俺と、この状況を大いに楽しんでいるらしいマスターに今夜の「入浴と睡眠」という大問題がのしかかってきたのはその後すぐのことだった。