雷雲を待つ二人 カルデアでは雷は発生しない。それは気候の影響だとかなんとか。とにかく快適な環境で長く過ごして、雷の音は久しく聞いていない。……だから、雷が苦手なことはカルデアの誰にも知られていなかった。
「アンデルセン、やっぱり通信もダメみたい。とりあえずは人のいそうなところを探そうか」
「まったく、こんな森林地帯から人里までろくな護衛もつかないなど……お前も運がない奴だ」
レイシフトのトラブルはもう何度も経験していた。突然の通信不調が起きたり、サーヴァントとはぐれてしまうことにもそこまで動じなかった。かろうじて同じ地点にレイシフトできた相手が彼であったことも、わたしにはかなり安心できる要素だった。
けれど移動しようとしていたところで黒い雲で覆われている空を見て、わたしらは嫌な予感がしていた。
「さっさと雨宿りできる場所を探すぞ」
「えっ、でも……」
雨の下での移動は体力を消耗する。けれど、まともな屋根のあるところに移動したい。――だって、屋外で雷が鳴ったら困るのだ。
「俺は戦闘向きのサーヴァントではないんだ、わざわざインクの滲む場所で働く趣味はない」
……出会った頃なら「彼が」雨に当たりたくないのだと勘違いしただろう。今ではそれが誰を心配して言ってくれたのか分かるようになった。早くここを離れて安全そうな家の中にたどり着きたい、なんてわがままは言えなくて。
だから結局、近くにあった小さな洞穴で雨宿りをすることになったのだ。
洞穴の中から見ると雨がどんどんひどくなってきていて、やっぱり無理に動かなくて正解だったなと思う。けれどもしかしたら雷が鳴るかもしれない。不安になって何度も外の様子を確かめてしまう。
「……そう頻繁に見たところで晴れるわけでもない。大人しく休める時に休んでおけ」
「うん……」
少し入り口から離れようとした途端に、洞穴の入り口から光が漏れてくる。それからすぐに、あのイヤな音。
「――――!」
雷、だ。久しぶりの衝撃に声が出ない。
「だいぶ近くに落ちたな。まぁここでは直撃の心配はないだろうが……マスター?」
元々苦手なのに、久しぶりに聞いたからか前よりもっとダメになってしまったみたいだ。
血の気が引くように手の先が冷たくなっていく。背筋が凍るようで、早く入り口から離れたいのに足がもつれる。
「あっ……!」
歩きにくい洞穴の中の岩に引っかかって転びかけたところに、腕を引かれてどうにか持ち直す。
「ありがとう」
「ただでさて足場が悪いんだ、無茶な歩き方はやめて座っていろ」
促されて岩の上に座ってからも、外が気になって落ち着かない。雷ひとつでこんな状態じゃマスターとしては失格なのに、彼の前だと気が緩んでしまうらしい。き他のサーヴァントの前だったなら、もっと平気なフリができたと思うのだ。
彼は雷のことについて一切指摘しない。でもあんな様子を見せれば雷が苦手なことくらいすでにバレているだろう。いつもは容赦のない彼が一切触れてこないのが逆に恥ずかしい……!
雷は全然鳴り止まなくて、何度も空が光っているのが見える。できるだけ視界に入れないようにと思うけれど、怖いもの見たさなのか視線を逸らせない。もう光りませんように、音も鳴りませんようにと願いながら、当然叶うはずもない。
「……っ!?」
そうして座り込んで空の様子ばかり眺めていると、いきなり頭の上から何かが降ってきた。ビックリしたのは一瞬で、すぐに降ってきたものの正体が分かった。
「アンデルセン、これ、」
「そんなものでもないよりマシだ」
まるで書庫の中に入った時のような、もしくは大量のインクで文字を認める時のような、そんな香り。決して柔らかくはないけれど、わたし一人くらいは覆えてしまうような『白色』。
――つまるところ、彼の白衣だった。
なぜ白衣をかけられたのか、頭の中が疑問でいっぱいになる。
「一応は俺の一張羅だ。鼻水をつけて汚すなよ」
「な、何で鼻水!? もう、汚さないよ! ……あ、」
抗議しようと上を向いて気がつく。頭から被った白衣で視界が狭まって、もう空の様子はよく見えない。まったくもう本当に、彼はこういうところがずるい……!
「ダメ押しだ。いいからしばらく大人しくしていろ」
「わ、ちょっと……!」
押し込むように頭へ装着されたヘッドホンが耳を塞ぐ。もう周りの音はよく聞こえない。目の前の彼の唇が動いているのだけが分かって、けれど音は響いてこない。こんなに近くにいたら、少しくらいは音が聞こえるはずなのに。
アンデルセン自身の逸話とは全く関係ないにしろ、これはサーヴァントが身につけている装飾品だ。もしかしたら魔術で防音機能の強化がされているんだろうか。
目の前の彼はわたしには音が全く聞こえていないのを確認したのか、それからすぐに喋るのをやめてしまった。
何の音も聞こえない。視界は遮られて白いまま。紙とインクの香りに包まれながら、続けてすぐ隣に座った彼の気配とかすかな温かさを感じている。
(あぁ、本当に敵わないなぁ)
目頭がじわりと熱くなる。まだレイシフトの最中で、気を緩ませてる場合じゃないのに。心を休めても良いのだと、体が勝手に判断するのだ。小さな優しさにぐらぐらと揺れている。大の苦手である雷を、少し得したかもしれないと思い始めている。
それに、こんな時に優しくされると吊橋効果で好きになってしまうじゃないか。……そんなの、本当は今に始まった事ではないのだけれど。
雨はまだ降り止まない。
熱くなる目元をぐっと堪えようとして、今度は鼻水が出そうになって鼻を啜る。
鼻を啜った音ですら、今のわたしの耳には入ってこなかった。