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    たまごやき@推し活

    アンぐだ♀と童話作家アンデルセンのこと考える推し活アカウント

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    現パロアンぐだ♀、ブラックリーマン童話作家×お惣菜屋さんのぐだち

    2020.9

    ##FGO
    ##アンぐだ
    ##現パロ
    ##成長童話作家

    お惣菜のふじまるの彼女 ブラック企業。
     劣悪な労働条件や就業環境の中で従業員に過重な負担を強いる企業のこと。無論、長時間労働や過剰なノルマの常態化など日常茶飯事で云々以下省略。ーー平たく言えば、それは今俺が置かれている環境のことを言う。

     やれどもやれども終わらない仕事の山、残業どころか朝も始発で電車に揺られて、タイムカードだけが定時を刻んでいる。俺は企業に勤めて金を稼ぎながら執筆をしているが、こんな企業では執筆は滞るばかり。執筆が軌道に乗ったら会社を辞めてそれ一本で暮らしたい。とは言えまず先立つものがなければここを辞めるわけにもいかない、負のスパイラル。日々の食事ですらままならない、第一こんな都会じゃヘタクソな自炊よりもコンビニのカップ麺の方が安上がりだ。

     そんなある日、社内に週二〜三回来ている弁当屋のワゴンがふと目に止まった。……出来合いの弁当は好きではない。
     こんな生活だ。コンビニ弁当なら飽きるほど食べたことがあるが、あれは妙に脂っこくて胃もたれする。申し訳程度に入ってる漬物やキャベツも好きじゃない。温め直せどほぐれにくい米の塊もパサパサした鮭も、しなっとした唐揚げも箸が進まなくて……こんなものを買うくらいなら俺はカップ麺で構わない。弁当は出した金に見合うメリットを俺に与えてはくれないからだ。

     だと言うのに、目の前の弁当はどうだろうか。彩りからしてコンビニのものとは違う。赤、緑、黄色とまともで鮮やかな色がちりばめられている。珍しく揚げ物が一つも入っていない弁当もあるようだ。鯖の煮付けの入った弁当……これなら食べやすいだろうか。魚は久しく食べていない。価格もコンビニで買うよりずっと安い。これくらいの価格なら、味に満足できればまた買ってもいいかもしれない。
    「……この鯖の煮付け弁当をひとつ」
    「はい! ありがとうございます!」
     当然ながら昼休みなど無いに等しい俺は、その日初めて買った弁当を食べながら、仕事を進めることにしたのだった。

     相変わらず散らかった自分のデスクで、適当に書類を避けて弁当を広げる。俺がカップ麺以外を食べているのが珍しいのか、周りの連中は俺が聞いてもいないのにこの弁当の情報をたくさん落としていった。

     「お惣菜のふじまる」というのがこの弁当屋の名前だ。お惣菜の、というからには本業は弁当屋ではなく惣菜屋だろう。弁当の他に飲み物やデザートもワゴンに乗せてやってくるのだという。しかも、聞けば同じビルの中にこの弁当屋は存在する。社内には常連も多く、店は繁盛しているようだ。ワゴンを引いてやってくるのは一人で店を切り盛りしている娘で……と、そこまで聞いて疑問に思う。ワゴンにはかなりの種類の弁当が乗っていた。あれを、一人で? というよりも一人で店を経営するオーナーだというのか? ずいぶん若く見えたから、アルバイトが何かかと思えば、やはり人は見かけによらないものだ。

     そんな同僚の前情報を受け取っている間に、無いにも等しい昼休みが終わってしまうところだ。適当に話を切り上げて、俺は弁当の蓋を開けた。そして。
     ーー食事一つで世界が変わる、とまでは大袈裟かもしれないが、この弁当は俺の生活を大きく変えることになったのだ。
     

    「いらっしゃいませ!」
     店内で愛想よく挨拶をする彼女に軽く会釈をする。ここで惣菜や弁当を選んで買って帰るまでのほんの五分間程度。毎日ここにくるか、ワゴンで買い物をするうちに顔を覚えられてしまったようだ。……店員に顔を覚えられたらもうその店には行かないと決めているのに、ここの弁当に代わるものがないから、仕方なく来ているのだ。
     この店員、もといオーナーはいつも愛想よくオススメの惣菜や弁当の話をし出して、勝手に喧しくしている。この前、気が向いたので雑談の際彼女にあの弁当のあの惣菜が良かった、などと一言感想を述べたのだ。それを聞いた彼女が目を輝かせながら、嬉しそうに俺に礼を言った。その顔が、今も妙に印象に残っている。
     それは、金を払ったものが予想を超えてきたから伝えただけだ。品物と受け取る対価が釣り合わなければ、どんな仕事もやってはいられない。気に入っている昼食の出所に潰れられては俺が困る。
     大したことは言っていないが、俺が感想を述べたその品は彼女の自信作だったらしい。何だか妙に懐かれてしまい、ここに来るたびに少しばかり会話するようになったのだ。自分の方が歳下だろうから敬語はいらないと彼女が言うものだから、窮屈な喋り方はやめた。

    「唐揚げ弁当、今なら揚げたてですよ」
    「それじゃあ唐揚げを一つ」
    「あと、そこのサラダは自信作です」
    「ドレッシングと一緒に一つくれ」
    「ドレッシング、いつものでいいですか」
    「ああ」
    「それから、お兄さん。甘いもの、好きですか?」
    「甘いもの? まぁそうだな、エネルギーの足しにはなると思うが」
     たまに無性に食べたくなってスーパーでミニドーナツを買うことがある。とは言え好きというほどのものでもない。あれは単なるエネルギー補充みたいなもので。
    「……もし嫌いじゃなければ、これもどうぞ」
     小さな容器にささやかな量の大学いもが盛られている。艶々と光るそれは、きっと丁寧に作られていて、齧り付けばパリパリと音を立てるのだろう。それでいて、なかはホクホクしていて……。
    「これは……」
    「少しですけど、美味しいさつまいもが手に入ったので」
     常連の店でサービスをもらうだなんて、俺には考えられなかったことだ。
    「そうか……ありがたくいただこう」
    「はい! 皆さんには、内緒ですよ?」
     毎日来てくださってありがとうございます、と頭を下げる彼女をぼんやりと見る。今まで顔を覚えられるたびに店には行かなくなったものだから、こんなことは新鮮だった。

     あぁそうだ。例えば、毎日食べるのならこんな飯がいい。温かいものはちゃんと温かくて、それでいてその隣のサラダは冷えてシャキシャキしている。もちろん味だって他のものとは比べ物にならない。そんな食事を、毎日。
     その食卓で聴くのなら、こういう声がいい。賑やかで、喧しくて楽しげな会話を、毎日でも。だが、そんな言い分はまるで。

    「…………」
    「あの、やっぱり大学いも、嫌いでした?」
    「いや、どちらかと言えば……好きな方だ」
    「良かった! お口に合うといいんですが」
    「? 腕前は折り紙付きだろう。心配はしていない」
    「! ありがとう、ございます」
     そんなやりとりをして、代金を支払って会社へ戻る。いつもと変わらない流れ。

    「明日はワゴンでお邪魔しに行きますね!」
     レジの前で手を振る彼女は、やはりオーナーには見えないほど若々しい。
    「あぁ、それじゃあ……また明日」
     そんな彼女につられて手を上げかけ、しかしもういい歳の男が手を振るなんて状況に寒気がしてくる。咳払いでごまかして、そのまま手を下げる。
    「はい。また明日」
     彼女の笑顔を少し視界に入れ、そのまま店を出る。

     店を出て、エレベーターの前まで来て、一息。走ったわけでもない、数メートルの移動で妙に動悸が激しい。いや、これはおかしいだろう。相手は自分よりかなり歳下で……いや、歳下に見えるというだけの話だが。実年齢は分からない。
     それに、美味い惣菜を作れるということ以外は知らないに等しい相手で……だが、憎らしい取引先の相手のことなんかよりも深く知りたいと思っている。
     これは。こんな理不尽な感情は久しぶりで。

    「……はぁ。明日ワゴンが来たらどんな顔で買い物すれば良いんだ」
     彼女にとってはただの常連客だというのに、こんな感情は不要のものだ。

     ーーそもそも、俺は彼女の名前すら、まだ知らないじゃないか。

     こんな歳になって今更。いや、もしやこんな歳になったからこそ身を固めようという深層心理が滲み出てきているのだろうか。俺のような人間は、誰かと暮らすよりも一人で暮らす方がよほどいい。けれど誰かと暮らすとするなら、それは例えば彼女のような……。

    「ああ、クソ……午後も予定が詰まっているというのに」
     仕事の効率など考えられるほどの頭の余裕がなかったのが、最近まともな食事をとるようになったからか少しうまいやり方が見つかってきた。もう少し頑張れば……もっと早く帰ることができれば、帰りがけにあの弁当屋で惣菜を買って、俺は夜もあの飯が食べることができるようになる。そう考えている時点で、重症だ。 ここで宣言しておくが、俺は常連客であり、決して、ストーカーなどではない。

     名前も知らない彼女と、彼女が作る食事のことを考えながらエレベーターに乗り込む。たかが常連客である俺と彼女がどうこうなるわけもないが、そう。
     まずは明日、違和感なく名前を聞くところから始めようか。


    熱いうちに、火傷に気をつけて 2021.5

    「いらっしゃいませ!」
     挨拶に軽く会釈をして店内へ入る。一般客のランチタイムとはずれているから、店内は静かなものだ。
    「中華弁当のエビチリ、まだ温かいですよ」
    「じゃあ、それをひとつ」
    「はい、いつもありがとうございます!」
     スムーズなやりとりだが、今したいのは弁当を買うことだけではない。この惣菜屋『お惣菜のふじまる』の常連になってずいぶん経つ。
     目の前のオーナーの……名前を知りたいのだ。

     『男は胃袋で掴め』とはよく言ったもの。俺は彼女にまんまと鷲掴みされたままなのだ。
     毎日食べるなら君の作ったものがいいだとか、毎日会話するなら君のような賑やかな話がいいだとか、ストーカースレスレの会話をする気ではない。そう、少しばかりお近づきに……と考えたところでどうしようもなく、自分の行為が犯罪に抵触する気がしてくる。断れない店員に無理に名前を聞いて通報されたりしないものか。
     
    「お兄さん、何か悩み事ですか?」
    「いや、なに。ブラック企業から離れる方法について考えていただけだ」
    「……毎日忙しそうですもんね」
     こんな話がしたいわけではないが、ためらうのは仕方ないだろう。俺はこの手のアプローチにロクな思い出がないのだから。
    「俺がまともに食べているのはここの昼飯くらいだ。夜の分を買って帰るには俺の就業時間は遅すぎる。転職活動をするヒマもない」
    「…………」
     仕事が定時に終わるのならここの弁当を買って夜も食べられるというのに。
    「あぁ、そろそろ行かないと食べる時間がなくなる。それじゃあ、また明日……」
     結局また今日も名前を聞けずじまい。

    「あ、あの! お兄さん!」
     店を出ようとしたところを大声で呼び止められる。
    「良かったらお名前、教えてもらえませんか? それから、住所も」
    「……なんだって?」
     そもそも先ほどまで名前を聞こうとしていたのは俺の方で、いや、住所とは、俺のか? 一体何の話だ。
    「だってわたしにとってあなたは大事な……」
    「……!」

    「大事な、常連さんなので! 宅配もしますよ! ……あ、あまりに遠いと難しいんですけど、その、近ければ」
    「………………」
     一瞬、くだらないことを期待した自分を殴ってやりたい。
    「その、転職活動も、応援してます! 応援してますけど……別のとこに転職しても、ご贔屓にしてくださると嬉しいです!」
    「!」
     考えてみると料理を宅配してもらえれば仮に転職しても彼女に会えるのだろうか。

    「あとこれ、試作品なので明日感想聞かせてください!」
     そう言って俺の袋にサービスの品をつける。いつも貰っていては客の立場がないと言っているのだが、感想からまた上達に繋がるからと言ってきかない。そう言われては俺には断る理由がないのだ。
    「宅配の件、急でごめんなさい。あのご迷惑じゃなかったら、考えてみてくださいね!」
     こちらとしては願ったり叶ったりの提案だ。迷惑なんてどこにもない。
    「いや、こちらとしてもありがたい。届けてもらうにはいろいろ取り決めもあるだろうから、細かい話は明日にでも」
    「! はい、ぜひ!」

     こうして店を出て、何事もないようにエレベーターに乗り込んだ後、個室となったその場所で深く息を吐きしゃがみ込む。
    「まったくたかが宅配と、名前程度のことだろうが……! どうかしている」
     彼女が自分に興味を持っているわけじゃない。
    (大事な、常連さんなので!)
     ……いやいや、客として大事にされたところで、彼女を映画に誘えるわけでもなし。

     とにかく、夜もあの飯を食べられる権利が得られそうという事実だけで俺は終電まで爆走できそうだ。そのことに浮かれきったまま、肝心の彼女の名前もまだ聞けていないことはすっかり棚に上げていたのだった。


    じっくりコトコト、時々強火強硬手段

    「あぁ、そういえばお前の専門は魚料理なのか? よほど力を入れているんだろう。あれをメインに売り出さないのか」
     冷静そうな顔でさらりと言及されたのは、わたしが一番自信のあるお惣菜だった。
     定番の肉料理よりも魚の煮付けの方が私の得意分野だ。販売してもよく売れるのは人気のおかずばかり。人気のあるものを売るのは当然で、人気のないものを減らすのも必然で。一番自信のあるおかずが今日売れるのかどうか分からない。……この仕事に向いていないのかも、と思うことも多かった。
     ――それがこの人が何気なく言った一言で、やっぱり続けようと思えたのだ。

    (き、きた……!)
     店の目の前のエレベーターからすらりとした長身の男性が出てくる。それを見つけて背筋を伸ばす。
     あれからほぼ毎日お弁当を買ってくれているこの常連のお兄さんの好みは、わたしの得意なおかずに寄っている。それが分かるほどには彼はお弁当を買っている。揚げ物より煮物、肉なら鶏肉、魚や魚介類が好きな人。あんまり好き嫌いはないみたい。……きっとわたし達は好きな食べ物が似ている。
     お惣菜屋さんを続けているのは、美味しかったの言葉が聞きたいからだ。リピーターはありがたい。しかも、感想をくれる人は珍しい。お兄さんはあまり表情豊かとは言えないけれど、ピンポイントでわたしの褒めてほしいおかずに言及する。なんだろう、まるで悟られているみたいにいつもほしい言葉をくれる。
     わたしはどうしてもこの人が笑って美味しい、と言ってくれる顔が見てみたい。……少し欲張って言うならそう、もう少し仲良くなりたいのだ。

    「いらっしゃいませ!」
     ちゃんと笑顔を作れているだろうか。緊張してしまう。彼は相変わらずワゴンの中しか見ていない。お惣菜を気に入ってもらえてるのはお店のオーナーとしてはありがたい限り。だけど、でも、それがわたしには『お惣菜を作っている店員』以外に思われていない……つまりいわゆる脈がないとしか思えない。そのことに少し落ち込む。けれど男は胃袋で掴むとも言うじゃないか、胃袋を掴んでいる自信だけなら、他のどの女の子よりもある……!
    「中華弁当のエビチリ、まだ温かいですよ」
     だって中身はさっきできたばかりだ。
    「じゃあ、それをひとつ」
    「はい、ありがとうございます!」
    彼はいつもオススメしたものを買っていく。その日一番自信のあるメニューを彼にぶつけているのだ。職権濫用だとか怒らないでほしい。
     袋に入れたお弁当に割り箸を入れて手渡す。普段は僅かにやり取りしただけですぐ帰ってしまうのに、今日はぼんやりと立ち止まっている。いつも仕事で疲れていそうだけれど、表情も心なしか険しい。

    「お兄さん、何か悩み事ですか?」
    「いや、なに。ブラック企業から離れる方法について考えていただけだ」
    「……毎日忙しそうですもんね」
    「俺がまともに食べているのはここの昼飯くらいだ。夜の分を買って帰るには俺の就業時間は遅すぎる。転職活動をするヒマもない」
     それを聞いて絶句する。彼は同じビルに入っているからここのお惣菜を買ってくれている、というのも理由の一つだと思う。忙しそうにしているし、ご飯は仕事しながら急いで食べるのかもしれない。いずれにしろ転職すればもうお店には来てくれなくなるのだ。

    「あぁ、そろそろ行かないと食べる時間がなくなる。それじゃあ、また明日……」
    「あ、あの! お兄さん!」
     会えなくなるかもと思ったら、引き止めずにはいられなかった。
    「良かったらお名前、教えてもらえませんか? それから、住所も」
    「……なんだって?」
     常連さんとは言え個人情報を聞くなんて、不審がられても仕方ない。けれどこのままでは仲良くなんてなれないまま会えなくなってしまう!
    「だって私にとってあなたは大事な……」
     言いかけて、一瞬息を止める。親密な仲でもないのに、大事だなんて困らせてしまうだろう。
    「大事な、常連さんなので! 宅配もしますよ! ……あ、あまりに遠いと難しいんですけど、その、近ければ」
    「………………」
     どうにか言い繕うのに出た言い訳は結局繋がりを断ちたくないわがままばかりで、迷惑だったかもしれない。でも、お惣菜を気に入ってもらえてる自信だけはある。このお店は宅配なんてやっていないけれど、一人で切り盛りするのだから頑張ればできるだろう、絶対! ……多分、きっと。
    「その、転職活動も、応援してます! 応援してますけど……別のとこに転職しても、ご贔屓にしてくださると嬉しいです!」
    「!」
    「あとこのゴマ団子、試作品なので明日感想聞かせてください!」
     畳みかけるように押し付けた小さなパックで心を掴めるなんて思わないけれど、特別な常連さんなのだと少しは意識してほしいと思っている。
    「いつも言っているが自分の技術を安売りするものではないぞ。俺はオマケがつくからではなく、金を出した以上の『味』があるからこれを買っているだけだ」
     本当にこの人の、こういうところが……とても好ましいと思う。
    「だってお兄さん、お世辞とか言わないから感想もらえると上達できる気がするんですよ。これは未来への出資です!」
    「まったく、頑固なやつだ」
     押し付けたに等しいお惣菜に、次の日律儀に感想をくれる。なんだかんだ言って彼は面倒見の良い人なのだと思う。
    「宅配のことは急でごめんなさい。あのご迷惑じゃなかったら、考えてみてくださいね!」
    「いや、こちらとしてもありがたい。届けてもらうにはいろいろ取り決めもあるだろうから、細かい話は明日にでも」
    「! はい、ぜひ!」
     相変わらず無駄話はせずに店を出て行ってしまった彼の姿がエレベーターの中に消えるまで見送る。彼は他のお客さんみたいに後ろに振り返って手を振ってきたりしない。だけど今、家にお弁当を届ける、という急な提案に乗ってくれた。

     掴みたいのは胃袋ではないもっと別のもの。それでも一歩前進して、明日には彼の名前を知ることができる。名前も知らない常連さんが、常連の◯◯さんに変わる。それがどんなに嬉しいか、エレベーターの向こうの彼は知らないのだ。明日に向けての仕込みだって、いつもより難なくこなせてしまう。
     早く明日が来てほしい、待ち遠しい気持ちに満たされながら、わたしはしばらく彼がさったエレベーターを眺めていた。
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