近況報告ならまた後日にでも「同窓会だと? 酔って醜態を晒すのがオチだ、やめておけ」
家に届いたはがきを手に、同窓会に行ってくるねと彼に声をかけたときの反応はそんなものだった。
普段一緒に暮らしていて、わたしが外出するのに文句を言われたことなんてない。せいぜい「終電までに帰ってこい」と保護者のように言われるくらいで、場合によっては「いちいち俺の許可など必要ないだろう勝手に出かけろ」と言ってくる。だから次第に出かける当日、念のため彼に一声かけるだけになっていた。
だから反対してくるなんて思っていなくて、ひどく驚いた。
「え、でも本当に久々に会うんだよ!」
「久しぶりということは今も交流したいほどの奴らでもないんだろう」
たしかに今は疎遠になったけれど、彼がそこまで言うことでもない。……普段と比べて嫌に当たりが強い返答だ。
「……ちゃんと終電で帰ってくるよ?」
「そんなのは当たり前だろう」
しかも終電のことを気にしているわけでもないらしい。
「そんなに心配しなくても……」
「誰が心配するものか。たかが同窓会くらいで」
今まで飲み会だって外食だって嫌がらなかったのに、同窓会になった途端これだ。今までのお出かけと今回で違うことがあるとすれば……。
(――共学の学校の、同窓会)
男性の知人や友人はアンデルセンとわたしとの共通の友達ばかりだ。だから、わたしの方に誘いの連絡が来たことを知らせると「たまには間抜け面を拝みに行くか」と言い出す。それがいつもの流れ。
今回は同窓会だ。アンデルセンがついてくる理由はない。
そんなことに気がつけば当然、彼の不機嫌の理由に思い当たるものが出てくる。
(……焼きもち、やいてるんだ)
これと分かりやすい嫉妬の仕方をしないから、推測でしかない。アンデルセンがそんな性格であることを含めても、普段はその不器用なところも好きだなと思う。
でも、もう結構長い付き合いなのだから、ハッキリと「他の男のいる飲み会に行くな!」とか「他の男に絡まれないか心配だ、俺はついていけないんだからやめておけ」とか。……たまには、わたしだって分かりやすい嫉妬の言葉が欲しいのだ。
絶対に妬いてるくせして、肝心なことを言葉にはしてくれない。はぐらかして、やめておけだなんて。
「でももう出かける準備しちゃったよ。参加するって返事もしてあるし」
「それは……」
「もう、いつも許可なんて必要ないって言うくせに! 心配ならお酒は飲まないからいいでしょ、行ってきます!」
「おい待て立香、まだ話は……!」
彼の言葉を遮るように玄関を飛び出す。ちょっとした当て付けだった。ハッキリ言葉にしてくれないのなら、わざわざ気を遣いたくない。……それに反対されたとしてもドタキャンはさすがにためらう。
久しぶりの同窓会への出発は、彼とのちょっとした口論と少しの不満で幕を開けた。
同窓会会場の居酒屋に着く頃にもまだ不満を引きずっていたけれど、久しぶりに会う友達との会話はやっぱり楽しい。少し心の奥底にわだかまりが残っていたけれど、気にしないように過ごすことにしていた。
「立香ちゃん、久しぶりだね」
「……久しぶり……?」
声をかけてきたのは男の人だった。同窓会に来ているのだから元クラスメイトだ。けれど久しぶりすぎて誰なのか。正直なところわたしを名前で呼ぶような親しい人がいた覚えもない。
「今何してんの? 俺はさ、今ちょっと役職とかもついちゃって忙しくってさ――」
「う、うん……」
悟られないように周りを窺う。ほぼ一方的な近況報告をしてきた彼は満足そうに話を続けている。
誰がそれとなく助けてくれる人がいないかと周りを見ても、久しぶりに会った友人達はもう別のグループで話に夢中になっているし、あまり交流のなかった人達は助けてくれそうにもない。
(こういう時、アンデルセンは――)
それとなく会話に混ざってくれたりして、それでスマートに会話を終わらせてくれる。わたしが助けを求めて周りの様子を見る前にはすでに、そんな風にしてくれているはずだ。
目の前の元クラスメイトの話を聞き流しながら、言い争って出てきた後悔がどっと押し寄せる。……意地を張って言いすぎただろうか。心配してくれたのは確かなんだから、直接妬いてると言ってくれないことくらい、気にしないのが大人だっただろうか。
この同窓会が終わっても、正直家に帰りづらい。
「――でさ、今度遊びに行こうよ」
「え? 遊びに……?」
アンデルセンのことを考えるあまり、目の前の人は聞いたそばから脳内から抜けてしまっていた。いつそんな話になったのだろう。
「うーん、わたしもちょっと最近は忙しくて」
「同窓会の時間作れるなら大丈夫だって! てか時間合わせるし連絡先――」
人の話を聞かない相手には少しハッキリ言わないとダメだろうか。……恋人がいるから他の男の人と遊びに行きません、と。口を開いたその時だった。
「――いつまで油を売っているんだ、もう帰るぞバッグを持て」
「え、ちょっと、アンデルセン⁉︎」
いきなり居酒屋に現れた恋人に目を白黒させながら、思わず彼の言った通りにバックを手に持った。
なんで、どうしてここに?
聞きたいことがたくさんあるのに、彼は早く早くと急かしてきてわたしに靴を履かせるばかりだ。
明らかに同窓会の参加者ではない彼の登場に、やたらと目立って会場の注目を集めてしまっている。
「何だよお前、立香ちゃんが迷惑がってんだろ? それに今俺が立香ちゃんと話して――」
「そちらこそ」
アンデルセンは今、原稿の三徹明けより酷い表情だ。
「僕の妻に何の用事が?」
「は……?」
口を開きっぱなしの元クラスメイトを放置して、長い脚で大広間を闊歩する。靴を履きかけたまま放心しているわたしの前で苛立つように言い放つ。
「靴を履くのに何十年かける気だ⁉︎ さっさと帰ると言っているだろう!」
彼はラフなスリッポンにざっと足を突っ込むとわたしを置いてさっさと居酒屋を出て行ってしまう。
「え、待ってよアンデルセン! あ、あの会費……」
「……いや、今度でいいから。大丈夫、早く帰りなよ」
「あの、でも……」
店の玄関が再び音を立てて開く。
「おい、まだ時間がかかるのか? ……何だもう履いているじゃないか、帰るぞ」
彼に手を引かれて店の玄関を通る瞬間、会場の友達が生暖かい目つきでわたしに手を振って見送っているのが見えた。
「…………」
「…………」
繁華街の帰り道、発端となった口論のこともあってわたし達は無言だった。
繋がれた手の温度に意識を持っていかれながら駅へと歩く。
(――僕の妻に何の用事が?)
都合の良い幻想のような、ついさっきの出来事を思い返す。まさか、焼きもちを通り越してそんなことを言うなんて。
嫉妬してくれないなんて怒ったのが嘘みたいに、後からじわじわとくすぐったさが湧き出てくる。
わざわざ同窓会の会場まで乗り込んできて、それで、あんなことまで言っちゃうなんて……!
「おい、何を笑っている。愉快なことでもあったか」
彼の気まずそうな表情と、それから真っ白な街灯の光に照らされた顔色がよく見える。
(そんなに恥ずかしがるなら言わなきゃいいのに)
不満そうな仏頂面と裏腹に、血色の良い顔色。照れ隠しなのだと、分からないほど短い付き合いじゃない。
「もう、いつの間にわたし、アンデルセンの奥さんになったの?」
ほんの軽口だった。勢いであんなことを言っただろう彼への、僅かなからかい。最初に嫉妬を隠したことに対するほんの少しの仕返し。
ぴたりと彼が足を止める。
「――別に今日からでも俺は一向に構わない」
駅前のなんてことない歩道の上、指輪もない。
まして家からちょっとコンビニに出てきたみたいな適当な格好で、彼はそんなことを言うのだ。
(もうちょっと、雰囲気とか……!)
そう思うものの結局、浮かれてしまう自分がいるのは否定できなくて。
同棲生活の終わりは、駅前のネオンがひしめき合う賑やかな通り。
――新しい生活が始まろうとしていた。