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    翠蘭(創作の方)

    @05141997_shion
    一次創作/企画/TRPG自陣&探索者のぽいぴく
    一次創作の設定等はべったーに

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    翠蘭(創作の方)

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    最初から思い出してみよう。私のこと

    企画/刀神

    出演
    自宅
    木ノ花なお(視点)、紛津日/サイカ、木ノ花慶次

    よそのこ(敬称略)
    黒田賢一さん(恋歌さん宅)
    花ちゃん/此花之咲耶姫(啄木鳥さん宅)

    元ネタ
    2022.8〜2023.6くらいまでのツイート、及びDMの内容
    を、一部変更したり、追加して書いています。

     穴が埋まらない。

     物心ついたときには既にそうだった。何をしても、どうにも埋めることができなくて。それと同時に、穴を見るとなんとなく指を入れたくなる。埋まると安心するから、蟻の巣でも、公園の遊具でも、金具でも、なんでも。穴であるならそこに指を入れたくなる。穴に指を入れて抜き差しすることを、多分『楽しい』と思っている。

     自分が何を感じているのか、言葉に表すことが出来ない。そもそも私はなにか感じているのだろうか。例えば、怪我をした時に「痛み」を理解することができても、泣いたり、怒ったり、そういう感情がわからない。動けるなら動くし、動けないならその場にいたらいい。それだけ。

    「お前、なんか機械みたいで気味が悪い」

     そう言われても、あぁ、そうなんだなぁと、その事実を受け止めて終わり。反論も反応もしない私のことを、同級生は変なものを見るような目で見ていた。
     自分のことがわからないから、人がどう感じているのかも、理解に時間がかかって、それが余計に、私を孤立させていた。

    「私達は、……木ノ花の血筋は基本的に、自分の感情の機微に疎いのよ」
     と、いつか香梅こうめさんが言っていた。
    「貴女は特にそうね。若い時の私みたい」
    「……それは、よくないこと、でしょうか」
    「そうだね……、生きていくのは、少し難しいだろうね」
    「むずかしいのですか」
    「自分の痛みがわからないと、他人の痛みを想像できない。それは、時に相手を傷つけたり、不快にしたりする」
    「ひいおばあさまは」
    「名前でお呼び」
    「……こうめさんは、どうやってそれを会得しましたか」
    「最初は本を読んだよ。まあ形からって言うしね、場面を覚えて、言葉だけでも真似てみると、世渡りはうまくいくものだから、たくさん読むといい。知識も身につく」
    「わかりました」

     あったかい縁側で、梅の木を眺めてお茶を飲む。日課みたいなものだった。ゆっくりした時間の中で香梅さんは淡々と話してくれた。自分は、好きな人に出会ってからとても人間らしくなって、だけど息子を妖魔災害で失ってからは『元』に戻ることが増えたのだと。元、というのはよくわからなかったけれど、ふとした時、私みたいな話し方をしていたから、きっとそれのことだったんだと思う。

    「貴女も好きなものを見つけなさい。物でも趣味でも、人でもいい。慶次は自分を着飾ることを、貴女の父親は人と話すことを選んだ」
    「それがあれば、わたしもかわれますか」
    「……無理に変わろうとしなくてもいいんだよ。でも、そうね。いつか、その穴が埋まる何かを見つけられるかもしれない。そのままの貴女を愛してくれる人がいるかもしれないね」

     私の両親は、仕事で海外を飛んで回っていて、祖父母は共に亡くなっていたから、香梅さんがよく私と兄の面倒を見てくれて、いろんなことを教えてくれた。例えば血筋のこと、知識、礼儀作法、話し方、死生観、言霊などの精霊信仰アニミズム。私が『痛み』がわからないと言った時は、大量に唐辛子を食べさせて
    「それが痛い、だ。辛い、も通り越すと痛みになる」
     とんでもない荒療治をやってのけた。あれはもう二度とやりたくない。それを伝えたら、
    「それは嫌ってことだね。進歩だ。プラスの感情は追々理解できるだろう。でも、早めに嫌いというマイナス感情だけでもわかるようになさい」
     と、その後もいろいろ試してくれた。
     普段とても影の薄い兄がネイルをして、初めてスカートを履いた時、
    「よく似合ってるよ。綺麗だ。好きなことを見つけたんだね」
     と、誰よりも褒めてくれた。
     寝る前に、刀遣いだった私の高祖父・兼次かねつぐさんのお話を何度も聞かせてもらった。呪いをまき散らす刀を振るって、相手を切り裂き、体力を奪い倒すというのが、新鮮に思えたから。

     香梅さんは、私の人生においての師であり、大切な人だ。

     香梅さんが亡くなる時も、私が一番長く側にいた。
    「死ぬのは怖くないよ。次の世界に行くための扉みたいなものだから」
     あの日はふたりで庭にこぼれる梅を眺めていた。梅の木は、香梅さんが生まれた年に、父親である兼次さんが植えたものだという。
    「永遠の別れではない。別の次元に行くだけさ。だから、いつかまた会えるよ。……約束だ、なお」
     私に笑いかけて、手を握ってくれた。
    「はい、また逢いましょう」
     その温もりが徐々に消えるのが、力が抜けていくのが嫌だった。嫌だけど、どうにもできないことだとわかっていた。涙は出なかったけれど、胸が酷く冷えて、痛んで、凍えて。暫くの間、いつもとは違う穴が大きく空いていた。

     刀遣いになろうと思ったのは、香梅さんが兼次さんの話をしてくれたからだ。実際の剣術はどんなものかと、兄と共に剣道をはじめて、その上で、刀遣いになりたいと思った。護身のためと思って合気道もかじった。
     相変わらず友達のひとりもできなかったけれど、そんなに支障が出ることじゃないから、気にしなかった。

     兄と二人で暮らしはじめて、先に刀遣いになった兄がバディを連れて帰ってきた時は、ちょっとだけ変化があった。兄のバディである此花之咲耶姫コノハナサクヤヒメ──花ちゃんは、美しい女性の神様だ。普段は犬の姿をしていて、丸くてふわふわで、いい匂いがした。私も兄も、抱っこしたり、移動時に頭へ乗せたりした。
     花ちゃんは、私が思っている「可愛い」と「綺麗」を体現してる神様だった。特に犬の姿の時は可愛らしかった。まん丸くて、華やかなさくらの匂いがして、柔らかくて。
     私にとって可愛いは、小さくて、パステルカラーで、誰にでも好かれるような愛嬌がある人や物、或いは少女趣味と言われるようなふわふわフリフリのものを指す言葉で。
    「なおもかわいいよ」
     なんて兄は言ってくれるけど、そう思えなかったし、私に可愛いは似合わないと思った。

     剣道を始めても、刀遣いになっても、私の穴は埋まらなかった。
     全部が私の中をすり抜けていってしまう。
     だから、私にとっては、感情そのものが絵空事で。
     このまま、結局何もなかったなって、人生が終わるんだって考えていた。

     のに。

     初対面の人を投げ飛ばしてしまった。

                *

     きっと『気が動転した』ってやつだったのだろう。とにかくどうしたらいいかと迷って、咄嗟に投げてしまったから。私みたいな人間に声をかけてくる人ははじめて……初めてではなかったかもしれない。思い起こせば知らない人に話しかけられても全部「暇なんですか?」とか「仕事中ですので失礼します」で切り返していたような。
     しっかりした(?)ナンパははじめてだったし、同じ職場の人をあしらうのは良くないと思い断りきれなくて、結局物理的に投げ飛ばしたから、やっぱり気が動転していたんだと思う。
     合気道を護身術として習って良かった、それにしてもこの人ベルトの金具が、穴がたくさんあるな……なんて考えて。後半は口にも出ていたようだ。

    「はは、知ってるかいJK。人間って皆体に穴があるものだよ」
    「あ、ご、ごめんなさい、お怪我はありませんか」
    「ああ、なかなか刺激的な感じだ。悪くはなかったとも」
    「……?」

     黒田さんとは、そうやって出会った。
     改めて思い返しても酷い出会い方だし、我欲まみれだ。
     私はその後、見かけるたびにベルトの金具が気になってしまって、指をいれさせてもらえないかとお願いした。とんだ変態もいたもんだ、と、後々出会ったバディは呆れていた。
     黒田さんはそれすら許してくれたし、本当に悪いことはちゃんと叱る。優しくて、兄みたいな人だ。
     ……初対面で背負い投げをして、後日金的までした挙げ句、金具を触らせてくれなんて意味のわからない事を言う私を無碍にしないで話してくれる、珍しい人、でもある。
     どうやら女性が好きな様子で、結構頻繁にナンパしているところを見かけた。私に声をかけたのも、そういう事なのだろう。刀神様に関しては性別関わらずナンパしていたし、そのまま任務をサボることが多い。
     軽薄さがある笑い方をよくしていた。シャツを全開にして惜しげもなく鍛えられた筋肉を晒している姿を見て、いつか補導されるんじゃないかと様子を見ていたが、次第に慣れてしまった。寒いのでは、と思ったこともあるけど、どうやら平熱が高いらしい。既に薄着だと言うのに更に脱ごうとするので止めることもあったし、見られて興奮していた。あとシャツにボタンがない。なんで取っちゃうんだろう……。
     サボりが多い彼だけれど、一度ひとたび戦場に出れば妖魔を霧散させていく。刀を振るう姿は熟練者のそれで、目はギラついている。その剣技も太刀筋もとてもかっこいいけれど、なんだか違和感があった。こんなに強いのに怪我が多いのは何故なのか。
     ある時、この人は捨て身で戦っているんだと気がついた。

     自己犠牲によって民草を守ることを美徳とし、死後は英雄として祀られる。そういう思想の家庭で育ったのだと言った。その思想に倣って英雄になりたい。だから誰かを守って早く死にたい、その為に生きて戦場に出る。自分はそう在るべきだからと、いつもみたいに笑って話す姿に、じくりと胸が痛む。これまで垣間見えていた自尊心の低さに説明がついた。
     半ば強迫観念にさえ感じられる希死念慮と、そう思いながら任務を避ける、という矛盾しているような言動に、何かを言いたかった。
     本当は、生きたいんじゃないのかなって思った。
     ──死にたくないんじゃないですか。
     でも、それを口に出すことはできなかった。この人の人生そのものを否定するみたいで、それはつまり、私が誰かに精霊信仰アニミズムを否定されることと同義であると、理解できたから。そもそも、ぽっと出の小娘がなにか言ったところで、不快にさせるだけ。
     代わりに、心臓あたりがじくじくと痛むのはどうしてだろうと、そんな事を考えた。

                 *

    「君は本当に味がしないね」
     天照から宛てがわれたバディはそんな事を言う。
     高祖父である兼次さんのバディだったこの神様のことが、私は苦手だ。凄く胡散臭いし、人間を馬鹿にしたような喋り方をする。神様だから当たり前なのかもしれないけれど。でも花ちゃんはもっと俗世に染まりきった感じだ。嗜好品にしかならない人間の食べ物が好きで、この間は犬の姿でチョコレートを食べていた。……もしかして花ちゃんは比較対象に向いていないのでは……。
    「私の生気に文句があるなら解消して頂いて結構ですよ」
    「感想を述べただけだって。私はねぇ、我が生涯唯一の主の子孫を見たかったし、その子と組みたかったんだよ。移送中に君を見つけられたのは僥倖だったぜ」
    「そうですか。目的は達成しましたよね。もう戻られたらいかがですか」
    「やだよぅ、君とのバディを解消したらまた蔵送りだもの。僕は外にいたいの」
    「そうですか」
     もう返答するのもだるくなってしまった。
    「君、機械みたいだね」
    「そうですね、よく言われます」
     そんな事無いと言ってくれたのは、あの人だけだ。機械は背負い投げなんかしないよと、笑ってくれた。
    「そういえば、首から下げてるそれは何? よほど大事なの?」
     太陽光を反射して鈍く光るそれを、怪訝に見つめる。
    「……強奪した、」
    「は?」
    「あ、えっと、無理を言って頂いたものです」
     輪郭をなぞる。そういえば今日はまだ会っていない。まぁ、毎日会うほうが珍しいのだけれど。
    「大事な、もの……」
    「一瞬とんでもない単語聞こえた気がしたけど……なに……?」
    「気のせいですかね」

     私の刀神様バディ、名前を紛津日マガツヒと言うのだが、日本神話において同音の二柱の禍津日神という厄災の神様がいらっしゃる。
    「俺も厄災を振りまく身だから、重ね合わせたんだろうねぇ。この名は私を見つけた人間が勝手に付けただけで、刀匠おやは名をくれなかったけれど。まあ、紛い物の厄災神で紛津日ってことさ」
     とは本人談である。
     私は言霊を信じているので、あまり力のある神の名を呼ぶのも、と考えた末に、異能から単語を取ってサイカという仮名を付けた。
    「これまではマガ、とか呼ばれていたからねぇ」
    「お気に召しませんか」
    「いや、とても気に入ったよ! ありがとう今の主」
     普段からこのくらい素直ならいいのにな。

     サイカは無性である。ほぼほぼ全裸、ないしは黒系のラバースーツを着ているような姿をしていて、髪の先と、膝から下はドロドロと流動している。陶器のように生白い顔面にはヒビが入り、頭に角と羽根がついている。髪も一房白い部分があるが、黒と赤錆のような色をしている。禍々しいを体現した、如何にも人外の風貌だ。
     しかし神様なので、人間の形を取ることが可能である。それがとても美人なのに、胡散臭いのだ。
     特に男性体の時のサイカは、胡散臭さが限界突破している。そして非常に馴れ馴れしい。
     すごく苦手。
    「……離れてほしい」
    「いいじゃないか、ねぇ今の主。あそこでカップル割とかやってるけど行かない?」
    「行かない」
    「つれないなぁ」
     この美形の神様は良くも悪くも目立つ。本当に本当に近くにいないでほしい。
    「あーんまり嫌そうな顔しないでよぅ、流石に傷つくよ?」
    「一ミリも思ってないくせに」
    「思ってないけどさぁ〜〜」
    「……サイカ。離れて」
    「はぁい」
     ようやく距離を取ってくれた。本当に疲れる。
    「僕は駄目なのに、あの人間はいいんだね。あの、普段から上裸みたいな刀遣い」 
    「……黒田さん?」
     言われてみれば、サイカと黒田さんの距離の近さは、結構似ているかもしれない。でも、サイカには傍にいてほしくない。何故だろう。
    「まぁ、……そう、ですね。良い人なので」
    「私は?」
    「ちょっと鬱陶しいですね」
     ぎゃあぎゃあ文句を言われているけれど、全部聞き流した。聞き流しながら、この間黒田さんを見かけたときのことを思い出す。いつも通り女の人をナンパしていた。よくある光景なのに、胸がざわついた。
     遠目だったけど、綺麗な人だったと思う。女性的と言うべきだろうか。全体的に私とは違う雰囲気で。
     まぁ、彼が誰と付き合っていようが、どんな人と会おうが、私には関係ないことだ。そもそも何故今思い出したんだろう。同時に、じゅくじゅくと何かがあふれるような、妙な胸焼けを覚える。
    「……サイカ」
    「なにぃ?」
    「あんまり女性体で黒田さんに近づかないで下さいね」
    「???」

     サイカは、私が学校にいる間、ひとりでふらふら街を歩いたり、私にくっついて現代の学校を観察して暇を潰している。
     先日も女性体で街に繰り出したらしく
    「スカウトされてきちゃった!」
     と、名刺を見せびらかしてきた。楽しそうで何よりだ。
    「今の主はいつもここでご飯食べてるのかい?」
    「そうだよ」
     屋上行きの階段の前で、一人焼きそばパンを食べるのが日課になっている。物語では屋上に立ち入るようなことが多いけれど、現実はそこまで甘くない。まぁ、生徒が知らぬ間に立ち入りなんかして事故でも起きた日には、学校側も対応に追われるだろうし、大変なんだろう。
     そんなわけで本校の屋上前には人気ひとけがない。友達のいない私にとっては、お昼を食べるのにいい場所である。
    「もしかしていじめとか」
    「違うよ」
     もしかしたら、一種のいじめなのかもしれない。けれど、気にしたことはない。私が怖がられるのはいつものことだ。物を隠したり、使い走りにされたり、暴力に……なんてこともない。ただ、友達がいないだけ。
    「…… 寂しい学生生活なんだね」
     そうだろうか。
    「ところで主、改めて聞きたいんだけれど」
    「なに?」
    「とうとう敬語が取れたねぇ……」
    「神様と人間ではあるけど、バディになったということは対等だから」
     微かに目を見開く。
    「……兼次でさえそんなこと言わなかったのに」
    「そうなんだ」
    「彼は私のことを、完全にモノとして扱っていたからね。だから特別なのだけれど」
     そういえば生涯唯一の主だって言っていた。サイカにとって余程のことなんだろう。
    「で、なに?」
    「君、あのー、何だっけ、黒田……? っていう人間のことをどう思っているのかなって」
     この神様、人間への興味があまりないので高祖父以外の持ち主の名を覚えていないということはすぐにわかった。私の名前を覚えているかも定かではない。
     それを前提として、だ。他人の名前を出してくるのは珍しい。
    「君、私のことよく胡散臭いって言うけどさぁ、彼だって胡散臭くないかい?」
    「黒田さんは胡散臭くないよ」
    「えぇ? 端から見ていてもわかるんだけど、彼って軽薄で適当、女好きじゃない? それに、なんというか……怖くないの?」
    「怖い……? そんな事無い。確かに女性好きな人だけど、私にも優しくしてくれる。あ、笑い方は軽薄かな……」
    「他には?」
    「適当って思われてるけど、目的の為に努力している凄い人。太刀筋が綺麗で、相当な手練れなのに、怪我が多いのは……仕方ないことなんだけれど」
     サイカが首を傾げた。思想について勝手に話さなくてもいいだろう。それ以外のこととなると、私も詳しくはない。過去のことについて下手に詮索するのは失礼に当たるし、知らなくても会話は出来るから、尋ねた事はない。
     私の知っている黒田さんは、私が投げ飛ばした以降の黒田さんだけだ。
    「……指輪を、貰った時に」
    「あぁ、彼がくれたんだ」
    「そう。私が無理を言った。でも、親族以外から初めてもらった物だから、大切にしたいって、初めて思った」
    「ふぅん、そうかいそうかい」
     急にニヤニヤし始めた。凄く気に食わない。
    「お昼の邪魔しに来たの?」
    「違うけど、ちょっと、ねぇ?」
     よくわからない神様だ。
                 *
     その日の黒田さんは、普段の倍くらい怪我をしていた。
     初めて見たときは驚いたけれど、なんでも無いように振る舞うから、そこまで大したことないんだなと、いつも通り接した。
     思想の話を聞いた後からは、英雄になろう死にに行こうとしてるんだと理解した。戦闘中の彼の目は獣のようにギラついている。当然妖魔の攻撃を避けたりしない。攻撃が飛んでくれば身を挺して他人を庇い傷を増やす。いつか来るその日を早めるために。……今回の怪我も、そういうことだろう。
     怪我を見るたびに、明日も会える確証なんてどこにもないんだなと実感させられる。最近は頻繁に会うから、忘れそうになってしまうけれど。
    「またダメだったよ」
     そうカラカラ笑うのもいつものこと。
     もう、慣れっこだと思っていたのに。
     
    「いつになれば終われるんだろうな」
     そんなこと言わないで下さい、まだ終わらなくて良かった、なんて。
    「かわいい顔が台無しだぞ、女の子は笑顔が一番だよ」
     私、可愛くないですよ、普段から笑ってないです。
     口を開こうとして、すぐに閉じた。たくさんの怪我に視線が彷徨う。胸の中で、重りみたいなものが沈んでいく。
     私は、今どんな顔をしているんだろうか。

    「……鏡見ておいで。酷い顔だ。感情の無い人間にそんな顔は出来ないから、その……安心して」
     おかしい。
     私を気遣って無理矢理笑う。
     痛いのも、辛いのも、きっとあなたのはずなのに、そのあなたが気を遣うなんて変だ。今も頭を撫でてくれている。どうしてこんなに優しいんだろう。優しくしてくれるんだろう。
     黒田さんの顔が大きく揺らぐ。
     無理に笑わないでほしかった。そんな崩れた笑顔が見たかったんじゃないのに。軽薄さがあってもいいから、いつもみたいに笑ってほしかった。
     大きな手が頭を撫でる。ぼやける視界を擦っていたら、強く擦らないほうがいいよと、言ってくれた。
     あぁ、目の前で困っている。困らせたかったわけじゃない。あなたが悪いわけじゃない。あなたのせいじゃない。私が勝手にいっぱいになっているだけだ。
     香梅さんが死んだ時だって、こんなにならなかった。笑ってお別れしたかったから。普段だって、そうそう泣くようなことはないのに、どうして私、涙が止まらないんだろう。
     ぐちゃぐちゃで、苦しい、痛い。
     こんな時でも、黒田さんは優しい。
     優しいけれど、「俺のせいであったほうが嬉しいって言ったら困る?」と尋ねられて、困りはしないけど、なぜそんな事を聞くんだろうと疑問が残ってしまった。
     ただ、子供みたいに泣きじゃくる私を、大丈夫だからと、泣き止むまで抱きしめてくれた体躯が、凄くあったかくて安心したことを、私はまだ覚えている。

     帰宅後に、とんでもない醜態を晒してしまった、申し訳無さすぎる、と部屋の天井を見ながら猛省する。あの場にサイカがいなくて本当に良かった。何を言われるかわからない。
     目を擦ろうとして、止めた。
     机を見ると、黒田さんがくれた文房具がある。
     生活のところどころに、彼の片鱗が見える。嫌だとは思わなかった。
     家族に向けるものとも違う、抱くことすら初めてのこれはなんだろう。少し戸惑った。でも、名前を決めつけるのはなんだかもったいない気がする。
     暫くこの気持ちを大事にしようと、そっと心の奥に留めて。
     首から下げた指輪を眺める。

     指輪の話をした時に、初めて顔をまともに見た。服装のほうが目立つし私はベルトの金具に夢中だったから仕方ない。
     長いまつげにやや下がり気味の目尻、全体的に整った顔立ちで、八重歯が見える。左の口元にほくろがあって、色気ってこういうところから来るのかなと思った。耳や服のリボンといいチョーカーのハートといい、ちょっと可愛らしいデザインもある。サイカとは別でかっこいい人。これはナンパなんかしなくてもモテるのでは。でも普段から終活の話に熱心だから、そこでマイナスなのかもしれない。
     そんな黒田さんに、無理を言って貰った指輪だ。
     指輪は、大体左手の薬指に嵌めるものだと思っていたので、その日はあんまり深く考えずに会話していたけれど、よく考えたらピンキーリングもあるし、そもそも自分が全部の指につけて殴れば殺傷能力が上がるって言っていたわけで、ならどの指につけても構わないのでは。そう気がついた時には既に指輪を貰っていて、自分の軽はずみな発言や行動を酷く恥じた。
     強奪じゃないか、と。
     ちゃんと贈ったものだからって言ってくれたけれど、申し訳ない部分もあった。
     だから、自分が指を抜き差ししやすくするための実用性も兼ねて、ちゃんと大事にしていますと伝わるように首から下げることにした。
     安物だけどなんて言ってた。それでも、私にとって大事なものだから。

     私は指輪を見るたびに、黒田さんのことを想うようになっていた。

                *

     その羽に一線入れたと同時に、目の前で紐が千切れて、頭が真っ白になってしまった。
     飛んでいく指輪がスローモーションのように映る。手を伸ばそうとした。
    「危ない!」
     と引っ張られて後ろに後退する。直後、眼前に鋭い歯が振り下ろされ鼻を掠めた。危なく顔の皮がこそげ落ちるところだった。
    「ボーっとしないで、我が主! 死ぬぞ!」
    「……ごめん、サイカ。ありがとう」
     眼の前のシラダチは、こちらを恨めしそうに見ている。秋刀魚みたいな姿に飛魚のような羽をつけた姿。昔食べて腹を壊した刀遣いがいるらしい。なんと悪食だろうか。お陰でこの魚のようなものは白身なんだなぁという余計な情報まで思い浮かぶようになってしまった。
    「首尾はどうだい?」
    「大丈夫。何体か斬ったよ」
    「うんうん上出来だ。じゃあやろうか」
    「わかった。お願い、紛津日」
    「あぁ」
     ひた、とサイカの手が首筋と顔に触れる。鉄錆のような臭いが鼻をつく。全身の力が引っこ抜かれる感覚に、未だ慣れないでいた。
     ゆらゆらとその髪が蠢いて、先が、普段よりも濃い色を帯びていく。
    「相変わらず無味な生気だねぇ主。そこが好きだよ」
    「うるさいな……」
    「ふふ。──毒には毒を、力には力を、まじないにはのろいを、穢れには呪詛を与えよう。我が異能を以て、全てのものに終焉を」

    「発動せよ、ケガレシサイカノヤイバ」

     錆色の流動体が、数体のシラダチの傷口から血液のように溢れ出す。それはじわじわと体を覆いつくす量にまでなった。ボトリ、と地面に落ちたそれは、這い回り、背を伸ばして他のシラダチにまとわりついては、隙を見つけて胎内へ向かう。

     サイカの本質は刀であり、呪いだ。
     
     呪物、という人に禍福をもたらすものがある。
     昔、ある刀匠が禍を避け福を呼ぶ刀を作ろうとした。しかし、生み出されたのは刀身の美しい刀。呪物としての能力を持ち合わせてはいなかった。刀匠はそれを駄作だと罵り、蔑んだ。以降五十年、刀は常に刀匠の恨み節や妬みを聞き続けた。
     ついぞ願いの叶わなかった刀匠が死んだその日、刀は神としての意思を持った。力を得た。
     生み出した刀匠の願いとは裏腹に、人に禍を与える力を。
     それが、紛津日という刀の成り立ちだ。
     遣い手の生気を代償に、斬りつけた妖魔を呪い、その周囲を巻き添えにしながら体力を奪う。斬りつけた箇所が増えれば範囲は広がり、明け渡す生気が多いほど、呪いは増大する。
    「今の子に説明するなら、持続系デバフってやつ? 使用者にも半永久でダメージ入る最悪の必殺技だよ」
     この説明を聞いた時、神様もデバフって言葉使うんだなと順応力の高さに驚き、ついでに聞いた発動時の文言が厨二病みたいだと思った。
     弱って空を飛べず、地べたに落ちたシラダチの頭を、一つずつ切り落としていく。異能は呪われた妖魔を全て倒すか、或いは異能そのものを解除するまで続くため、早くしないと生気を抜かれた私が倒れてしまう。
     この力は諸刃の剣だ。だから、一戦闘につき一度しか使えない。そもそもサイカがこんな性格だから、刀の扱い自体非常に難しい。高祖父が職を退いた後は、ほぼほぼ蔵行きだったと聞く。自分がこの神様を扱うようになってから、高祖父の凄さを改めて実感した。
    「終わった」
     最後のシラダチの頭を切り落として、汗を拭う。こんなに汚染された白身は、誰も食べようとは思わないだろう。
    「いやー、良かった良かった。でも戦闘中に気を抜くなんて珍しいね主。……主?」
    「……探さなきゃ」
     飛んでいったであろう方向に、足を向ける。
     一歩踏み出して、かくん、と膝をつく。視界が小刻みに揺れている。サイカが私の手を握った。
    「ちょっと、顔色酷いよ。今日はもうだめだよ。魔薬食べたら?」 
    「……でも」
    「そのままだと倒れる」
     変なサイカ。私が鼻血を出そうが切り傷を作ろうが、動けるなら行こうって無邪気に叫ぶのに、今日は違うみたい。
    「私、でも、指輪が」
    「指輪ぁ? ……駄目だよ、明日にして」
    「でも、」
    「駄目ったら駄目! 流石にまずいって!」
     男性体のサイカが、私を無理矢理背負って、天照本部に向かう。
     ……明日、見つかるだろうか。

     五日経っても見つけられない。一昨日サイカに諦めなよって言われてしまったけど、そんな事、できるわけ無い。新しいのを買うとか、そういうことではない。あれがいい。初めて人から貰ったものだ。初めて彼から貰ったものだ。あれじゃないと。あれがないと……嫌だ。
     事故だとしても私の不注意で無くしてしまったから、見つけなきゃ。
     指先が擦れて、茶色い。昨日は顔に絆創膏が増えた。膝が痛い。それでも諦めたくなくて。
     黒田さんには、まだ本当のことを言えずにいる。
     
               *

     名前を耳元で声がして、肌が粟立つ。
     反射的に数歩後ろに退いてしまった。心臓が早鐘のように鳴る。動揺している自分にも困惑した。名前を呼ばれて、こんな風になったのは初めてだ。
     事の発端は私だけれど。
     普段は、ほとんど高校の制服を着ているか、動きやすい服装でいるのだけれど。今日は事務作業が主になるから良いかと思って、タンスの肥やしになっていた服を着てきた。
     厚めの生地の、白のワンピース。よく見ると同じ白色で刺繍が施されている。前に母親が購入してきたけれど、着る機会があまりなくて仕舞い込んでいた。
     卒論に追われている兄にはたいそう可愛らしいと泣いて喜ばれたのだが。
     ふと、黒田さんはどんな反応をするだろうかと思って、見せに行ったのだ。
    「どうでしょうか、兄は可愛いと褒めてくれたんですけれど。似合っていますか?」
     ふわりと一回転すると、黒田さんは笑って、
    「もちろん。可愛いよ、お嬢さん」
     率直に褒められて、なんだかむず痒くなる。兄に褒められてもこうはならないので、身内と他人だと結構変わるのかな、なんて。
    「ありがとうございます」
     黒田さんは普段から、私をJKとかレディ、お嬢さんなど、名前以外の敬称で呼ぶ。
    「お嬢さんだと、なんだか、他人事のように感じますね」
     私もそのうち女子高校生ではなくなってしまうし、他の呼び方にした方がいいのではと思って素直にお伝えしたところ、呼び方に希望はあるかと尋ねられたのだ。
     正直、考えたことがなかった。基本木ノ花さんと呼ばれるから。でも、ここには兄も所属しているから混ざってしまう。名前の方がわかりやすいのだろうかと、逆に黒田さんの希望を聞いたのだ。
     ゆっくり近づいてきたのでどうしたのだろうと思った。

    「なお」

     恋人みたいな趣だよねえ、と。耳元で聞き慣れたはずの低い声が囁く。
    「っき、木ノ花でお願いします……!」
    「はは、シャイだねえJK。だがそうだな、いきなり呼び捨てというのは段階を飛ばしすぎていたか」
     そういう問題ではない。
     指輪の紛失について伝えた後から、なんだか距離感がおかしい。近すぎるのだ。以前はもう少し間があった。……女性好きの本領発揮というやつだろうか? でも、どうして私に。
     結局なおちゃん、で落ち着いたけれど、家族以外から名前を呼ばれることがなさすぎて緊張してしまう。
     黒田さんは勝手に慣れればいいと言いつつ、
    「暫くは、君の照れ顔でも楽しもうかな」
     なんて、わざとらしくたくさん呼ぶから
    「……賢一さんのいじわる」
     と呼び返したところ、暫く固まってからご自分の口元を抑えていた。
     下の名前を呼んだだけなのに心音が酷くなったので、お願いされてももう呼ばないと決めた。

                *

     おかしい。
    「今日は熱がないんですか?」
     そう確認してしまうのも仕方がない。だって、普段腰に巻いている上着を着ているから。そう、着込んでいるのだ。どれだけ寒くても脱ごうとするあの黒田さんが。
     なにかの式典があるわけでもないし、天変地異でも起こるんだろうか。寒いから、とこちらにひっつこうとするものだからちょっと失礼して手や額を触らせてもらった。なんだか不思議な顔をしていた。
     寒いのは悪寒のせいだ。
     念の為病院に連れて行ったら風邪だと言われた。心配だったので彼の家まで付き添うことにして、サイカに買い物を頼む。メモを渡したら
    わたしにお使いを頼むなんて君も中々だなぁ!」
     なんて言われた。

     ……黒田さんの家は大きかった。家というか、屋敷だ。街から離れ、高い囲いに覆われた、古式ゆかしい日本家屋。庭もあった。お坊ちゃんというやつだろうか。凄い。
     そんなお屋敷の、日当たりがあまり良くない場所が、彼が普段使っている和室だった。いつも肌寒い部屋にいるから、自然に体温が高くなったのかもしれない。
     殺風景という言葉を使うのが正しいかはわからないけれど、棚や布団など最低限の物しか置いていない。小さな冷蔵庫は、恐らく自分で購入したのだろう。
     とりあえず布団を敷いて寝かせる。
     湯たんぽが欲しくなったけれど、普段から暑がりの黒田さんは持っていなさそうだし、仮に見つけても温めるのに時間がかかる。とは言えカイロを全身に貼ると低温火傷の可能性があるし。せめてお腹をと思ったら腹巻きは嫌がる。いつもより素直かもしれない。
    「湯たんぽなら……」
     私を見る。人肌という点では有りだけれど、流石に私ひとりでは黒田さんを温めきれない。当たり前だけれど黒田さんは私より大きいし、面積が広いから、足りない。
     悩んだ末、背中側に持っていたカイロを貼り、正面から抱きしめる。
     カイロを貼っている間不服そうにしてなにか呟いていた彼は、酷く驚いて、その後抱きしめ返してくれた。体調が悪い時は人恋しくなると言うし、きっとホッとしたんだろう。
     涙を止めてくれた時はもっとあたたかかったのに、熱のない黒田さんは、私より冷たく感じられた。
     汗が滲む。
     本当は先に体を拭いて着替えさせるべきなのだけれど。濡れタオルや軽食はサイカが買ってくるまで手元にないし、人の家を無闇に歩き回るのも憚られる。流石に──普段から見慣れているとはいえ──直接触るのはよくないかな、と思い留まった。黒田さんだって嫌……でもこの人見られて喜ぶタイプだし平気だろうか……?
     悩んでいるとお使いに出したサイカがやってきた。こういう時霊体は便利だ。
     サイカに体を拭いてもらう。あんまり見ないように目線を逸らしつつ、着替えの服を確認したらほとんどにボタンが付いていなかったので、逆に感心してしまった。
     額に冷却剤を貼る。薬を飲む前になにか食べてもらわないといけないので片手で食べられるタイプのゼリーと経口補水液を渡す。食べている間に失礼して冷蔵庫を開け、水の入ったペットボトルをひとつ拝借した。
     サイカは感心して見ているけれど、兄や香梅さんの看病を必死に思い出し、その真似事をしているだけなので、手慣れているわけではない。本当にこれで合っているのかはわからない。
     でも、弱っている姿を放っておけないし、ギリギリまで側にいたかった。
     黒田さんが眠りにつくまで、その手を握る。私より大きくて、厳つくて、たくさん刀を振るってきたことを証明するタコがある手だ。私の頭を撫でてくれる手だ。
     暫くして、穏やかな顔で寝息を立てはじめた。それを眺めながら、指輪を無くしてしまったと伝えた先日のことを思い出す。

     顔を見ることが出来なかった。どうしようと思った。落胆させてしまうかもしれない、怒るかもしれない。呆れられているかも──

    「次に贈る時はもっと丈夫なものにするよ」

     上手く頭に入らなくて、考えていたことが全部吹き飛んだ。次、……次? 次ってなんだろう。貰った指輪を首から下げたところを見て、「もっと素敵な男に、素敵な指輪を貰いなよ」って言ってたのに。
    「……次があるんですか?」
     私、どんな顔であなたを見ていたのかな。
     きっと、これが『嬉しい』なんだと、初めて感じた。

     今の彼は、なんだか目を離したら消えてしまいそう。薬を飲んだとは言えまだ具合が悪いことに変わりないし、弱っているからそう見えるのかもしれない。このまま帰るのは凄く不安だ。寒そうだったし、添い寝でもしてあげようかな。勝手に泊まるのは悪いだろうか。
     悩んだ末に結論を出した。明日、また来よう。お粥か何か持って、最悪、窓から侵入しようか。
     既に日が落ちた道を歩きながら、予定を考えた。

     翌日訪ねた際に、下の名前を口にしたけれど、本人には内緒にしておこう。
     黒田さんは私を見て驚いていたけれど、昨日とは打って変わって軽口を叩けるくらいには元気になっていた。杞憂だったなと帰ろうとしたら、何故かドーナツでもてなされてしまった。断りきれなかったのが少し悔しい。
     以降、ちょっと目を離したら居なくなってしまうのではないかと、言い知れぬ気持ちになることが増えたので、様子見を兼ねて遊びに行くようになった。了承を得て、稀に宿泊させてもらうこともある。寝ぼけて布団に入り込んだこともあったけど……まぁ、それは別の話。
                *
    「主、最近たまに色がつくね」
     ある日、寝る前に、サイカがそんなことを言いだした。
    「色? 色ってなに」
    「味って言ったほうが良いのかな。無味だったのに、たまに味がするんだよね」
    「……そんな事までわかるの? 神様って凄いんだね」
    「ふふ、そうでしょうとも」
     ちょっとイラッとした。なんでだろう、顔かな。
     サイカに会ってから嫌だと思うことが増えた気がする。完全に嫌の指標がサイカになっているので、良いことかもしれない。
    「とは言っても結構薄いから、私も全然わからなかったりするんだけど」
    「へぇ……」
    「あ、体調不良の時は一発でわかるくらい苦かったり鉄の味するから、誤魔化さないでね」
    「もしかして、前シラダチと戦った時も」
    「そうそう。君、自分の体調悪化もわからないのは余程だぜ? 意識しなよ」
     言われてみれば視界が揺れていた。
    「前、大規模任務中にやむを得ず路端で寝たりしたけどちゃんと戦えたから、今回も平気だと思って」
    「君ねぇ、自分が女の子の自覚ある? そりゃ防犯ブザー持たされるわけだ。そのうち変な男に騙されそうで不安だぜ」
    「投げ飛ばすから平気」
     ため息をつかれた。
    「……私はどんな味だったの?」
    「ん? んー……、最近だと甘かったかな。珍しいと思ったよ、君の感情がプラスに動いていたから」
     感情。
    「やーっぱり気がついてないんだねぇ」
    「嫌とか苦手はわかるよ、香梅さんが教えてくれた。嬉しいとか楽しいとかもちょっとずつわかるようになってきた」
    「進歩だ」
     サイカの言う通り、進歩だと思う。今まで私が感じられなかったのは、最低限の接触しかしなかったせいではないかと考えるくらい。
    「でも、他者への好意はよくわからない。なんとなくこれなんだろうなとは思うけど、言い切る確証がないから……」
    「え?」
     サイカが、変な声を出した。
    「うっそー……マジかよ今の主……そもそも感じ方なんてそれぞれだろうに。真の主もだったけど、木ノ花の人間は変なところで真面目すぎて困るな……」
    「……?」
    「君たちは鈍いんだなって話」
     端から見たら明白なのにねぇ、まぁそこはお互い様かなぁ、なんて、サイカはよくわからないことを呟いている。
    「……電気消していい? 眠い」
    「あーうん、いいよいいよ。おやすみぃ」

    「サイカ」
     暗くなった部屋で、なんとなく、刀に戻ったサイカに話しかけた。
    「……私は、サイカのこと、綺麗で素晴らしい刀だと思ってるよ」
     部屋に私の声が広がって、消えた。
    「私には当時の事はわからないし、刀匠の無念もは理解できない、けど……サイカは綺麗な刀だし、ちゃんと斬れるし、華やかで、才能がある、と思う」
     まぁ呪いの才能だし、漢字も災禍が正しいのだろう。でも、私だけでも、あなたを才華だと思っていることを覚えていてほしかった。バディだから。
    「それに、サイカは今、妖魔という禍を退けて、人に福をもたらしているから、刀匠が望んだ在り方に、成れていると思うよ。……おやすみ、サイカ」
     目を瞑ると静寂が訪れて。
     眠りに落ちながら、誰かの啜り泣く声を聞いた気がした。

                 *

     リングケースを差し出されて、なんだか本格的だな……と驚く。前回は、普通に手渡されただけだったから、少し躊躇した。
     それでも、受け取らないという選択肢は無かったわけで。
     恐る恐るケースを手にとって、指輪を確認する。シンプルで、美しい輝きを持つ指輪が現れた。本当に頂いて良いのだろうか。恐る恐る手にとって、左手の指に嵌めると、ぴったりだ。
    「君がそれを持っていてくれるのなら、俺がここに生きていたことの証明になる。だから……大事にしてくれよ」
     薄い微笑みを向けながら、私に言う。
     大事にしないわけがない。先日頂いた黄色いリボンも、他のものも、しっかり仕舞っている。この指輪も、今度こそ失くさないよう大事に仕舞っておこう。すぐに外してケースに戻そう。
     彼が、私の左手を掬う。
     どうしたんだろうと思い目で追えば、私の手は彼のすぐ近くまで持ち上げられ。
     指輪のきらめきに、そっと、口づけを。
     手に直接触れたわけではないのに、硬直と痺れを覚える。
     私自身はなにが起こったのか理解するのに数秒かけてしまう。とっさに出た
    「く」
     という声は見事にひっくり返っていて、本当に自分の喉から出た音なのかもわからない。
    「……黒田さん、は、普段からですけど、軽率過ぎませんか」
    「ん? もしかして照れてる? 可愛いね」
    「吃驚しただけです……」
     きっと、黒田さんにとってはよくあることなんだ、だから、何もおかしなことじゃないのかもしれない。私がついていけてないだけで──。
    「でもそんな男からこんな指輪を受け取って身に付けちゃう君も、軽率だと思うけどなあ?」
    「頂いたので、折角なら眼の前で着けようと思ったんです。あの、黒田さん今日はどうしたんですか、なんだか、」
     様子が、と口に出す前に、彼の指が、私の指の間にするりと侵入して、絡まる。
    「あの、何故手を」
    「ダメじゃないか。俺がどういう人間か知っているはずだろう? 軽薄、適当、女好き。こういう手合いは獲物を油断させてから喰らうものだと教わらなかったかい?」
     自分の卑下が凄い。自尊心が低いせいだ。女性好きは事実だけれど、日々欠かさず鍛錬しているストイックな人なのに。
    「黒田さん別にそこまで適当では。そんな事教わるような相手いませんし、喰らうって」
     絡みあった手をぐっと引き寄せられ、左手が腰を抱く。ダンスをしているみたいだ、なんて現実逃避をしてみたけれど。
    「嫌ならちゃんと抵抗したほうが身のためだ。でないとこのまま唇を奪ってしまうかもしれないよ」
     距離が、近い。長いまつげが、形の良い唇が、少しくすんだ柔らかい黄色の瞳が、しっかり見える。
     初めて名前を呼ばれた時と似て非なるものを感じて、全身が総毛立つ。
     いつもみたいに、他人にも鈍感な私が変な人間に引っかからないようにって、身を呈して教えてくれているんだ、きっとそう、ならば──そうじゃなかったとしても──最初に会った時みたいに投げ飛ばしたり、下半身に打撃を加えたら、それで終わりのはずなのに。
     出来ない。
     やりたくない。
    「だ、れにでも、こういう事したり、言ったりするんですか」
     俯いてしまう。いつか女性をナンパしていたみたいに。誰にでも贈り物をして、唇を奪っているのだろうか。
     そうかもしれない。
     だって、元々そういう人だと、私は知っている。
     わかっていたことだ。
     なのにどうして、こんなに揺れているんだろう。
     もし本当に誰にでもこんな事をしていたなら、それって、とても

    「……え、えっちです……」

     反応が途絶えた。おずおずと見上げれば、何かに耐えるようにこちらを見る黒田さんがいた。
    「……俺がもし、他の女の子に同じ事をしていたら嫌かい? それとも、君にしかしていないと言ったら嬉しいの?」
     腰に添えられた手が離れて、顔に近づく。熱くて、ゴツゴツした手がそっと頬に触れるものだから、小さく体がはねる。
    「そんな可愛らしい目をされたら、期待しているように見えちゃうんだけど……俺の勘違いなのかな」
     体が、あつい。
    「もやもや、するかも、しれません。し、私だけなら、別に。い、や、でも、わた、初めて、で、でも、」
     口走る言葉の数々は、徐々に形にならなくなっていく。
     目を細めて私を見る黒田さんが、ますますいつもと違う気がして。
    「黒田さん、それじゃまるで、」
     こういうシーンを、何かで読んだことがある。タイトルは思い出せないけれど、女子高生の間で人気が出た恋愛小説のワンシーン。
    「私のこと、好き、みたいじゃない、ですか」
     読みすぎた覚えもないのに、なんでそんな風に思ってしまったんだろう。
     そんなわけ無いのに。
     そんな、こと。
     私が発した言葉にハッとした顔をして、呼吸をひとつ。
     先程とは違う、なにか吹っ切れたような笑みを浮かべ、彼は穏やかに告げたのだ。
    「…………ああ、そうだな。好きだよ、君のこと」
     柄をたくさん握ってきたからだろう。皮膚の硬くなった親指が、私の唇をなぞる。

    「ファーストキスの相手が俺じゃ、ご不満かい」

    「ぇ」
     わけがわからなくて、意味のない声が漏れる。
    「…………っ」
     飲み込んで、理解した時には、全身の血が沸騰したかのように、私の体が熱を帯びた。鼓動が速い。
    「だ、だっ、だめ、だめです」
     最初に口に出したのは、拒否。
    「えと、不満とかでは、不満なんて、そんなの、なぃ、あっ」
     不満があるからではないと言えばよかったのに。不満の有無なんて今言わなくてもいいのに。完全に失言だった。
    「いや、でも、キスする仲では無い、ですし」
     そういうのは、親しい間柄だとか、特別な相手とするものだ。……軽い人もいるけれど。でも。
    「……は、恥ずかしいと、思って、る、ので、」
     逃げたかった。なんて返答するのが正しいのかわからなくて。
     逃げたかった。この場にいたら、爆発してしまいそうで。
     だから、うまく回らなくなってきた舌で、一生懸命喋った。
    「手を、手を離して、ください、黒田しゃっ、く、黒田さん……!」
     指を引き抜いて、距離を取って、後退しようとしたのに。
    「おっと、……っここで逃げちゃうの?」
     手を離せない。
    「流石の俺も傷つくなぁ。勇気を出して告白したのに。君の気持ちくらい、聞かせてくれてもいいじゃないか……!」
     指の力が強くなる。いつものような、余裕そうな笑みが消えている。
    「あ、わた、私、ごめんなさ、」
    「……別に、君に無理強いしたい訳じゃない、そうじゃないけど、でも、自分でも今更どうやって引き返せばいいのかわからないんだ……っ」
     聞いたことのない、苦しそうな声がする。
    「このまま手を離して、そうしたらきっと、君は言葉を去ってしまうだろ、俺は明日からどんな顔をして君と会えばいい。もう、昨日と同じ関係ではいられないだろうな」
     呼吸音が、酷く耳につく。
    「だからさ。本気だから、本当に、君のことが好きだから、どうか、頼む。頼むよ。こんなまま別れて、死にたくない」
     その言葉に、良くない考えが頭をぎる。
     もし、このまま逃げたら。そしたら、黒田さんは、生きてくれるだろうか。私の答えを聞くまでは、死にに行こうとしなくなるだろうか。隣に居てくれるだろうか。……ううん、これはいけないことだ。彼の誠意を踏みにじる行為をしてはいけない。
    「……私、は希薄で、昔から、自分の気持ちもわからなくて。自分のことなのに、おかしいですよね」
     今だってわからない。
     でも、黒田さんといる時、自分の中の穴を感じることはあまりなかった。
    「黒田さんと一緒にいるの、嫌だと思ったことはないんです。き、キスの話の後から、ずっと鼓動が速いんです。初めての気持ちばかりなんです」
     今日はずっと、胸が苦しい。
    「私の感情が、好きなのか恋なのかはわからない、けど、会えなくなるのは、嫌です。死んでほしくない」
     明日のことを考える時、必ずあなたがいる。
    「明日も……隣に、いるのが、黒田さんならいいと、思うんです」
     ゆっくり解けた手が、物凄く赤い。
    「そこまで想ってくれているのに、本当にわからないの? 俺には、……っその、熱烈な愛の告白のように聞こえるんだけど」
    「……わからない、というか。大事だって思ってるんです。けど、私、恋愛とは程遠い人生だったので。判別しかねると言うか」
     顔を見れば、見たことないほど頬が紅潮している。目線は私の顔から外れていて、口元を少し隠すように抑えながら話す声は、少し震えていた。
    「死んでほしくない、なんて隣にだなんて、俺には呪いみたいな言葉さ。そんな事を言われて、……死ぬのが怖くなったらどうしてくれるんだい」
     彼の瞳が、改めて私を射抜く。ご自身の胸を指差した。
    「ねぇ、聞いて。俺の心音おと。今凄くドキドキしてる。君のせいだ。だから……この音を聞いて、もしも同じ音が君にも鳴っているのなら。その時は本当に、キスをしてくれないか」
    「……いいですよ」
     ゆっくり近づいて、左胸に耳を当てた。心音が聞こえる。
    「死ぬのが怖くなったら、一緒に生きてくれますか。英雄になりたいことも、その為に命をなげうつのが美徳なことも知っています。知ってるけど、私は、黒田さんがいなくなるのは嫌なんです」
     彼がいない明日は、きっと、穴がもっと広がるんだろう。寒くて、凍えて、痛くて──『寂しい』んだろう。
     香梅さんが息子さんを亡くしてから『元』に戻ることが増えたと言っていた意味が、今なら理解できる。大切な人がいない世界に生きるのは、とても辛い。
    「呪いでも構いません、我儘だと思います。私のエゴです」
     それでも。
    「私は、あなたが英雄として讃えられたとしても、あなたがいない明日のほうが怖いから、こんな私の為に、生きてくれませんか」
     明日も、明後日も、会いたいと思った。この先も生きていてほしいと、思ってしまった。願ってしまった。
     それが、彼の──黒田家の思想に反することだってわかっていても。
    「今だけでもいいから、隣に居てくれませんか。……重くないですか、これ」
     髪を、撫でる手つき。
    「重い、重いか。ううん、いいよ。重くていい。君の重量に生かされるなら俺はそうしたい」
     頭上から降る声。
    「俺が、英雄になりたかったのは、そうしないと存在を認めてもらえなかったからだ。捨て子のお前に家は継がせられない、英雄になり得ないお前には価値がない。そんなそしりを受けて生きていくぐらいならお望み通りのエンドロールを迎えた方が楽だって思っていたんだ。君に……会うまでは」
     全部が、優しい。
    「君が俺に生きてほしいと願ってくれるのなら。俺は英雄になんてなれなくていい。誰に認められなくても、きっとそれだけで生きていける。」
     あなたの言葉ひとつで、血液が沸騰したと感じるほど、体が熱くなる。
    「俺もさ、……っ君との未来を空想しては怖くなっているんだ。死にたくないなんて、とっくの昔に殺したはずの感情だったのに。もっと君と居たい、君と話したい、抱きしめたい、手を握っていたい。君を、好きでいたいから」
     その言葉が、心を柔く締め付ける。それが堪らなく心地よかった。
    「今日の黒田さんは、いつもより熱いですね。心音も、凄く大きくて、速いですね。……おんなじです。私も、おんなじ音がしていますよ」
     胸から少し遠ざかって、黒田さんを見る。
    「君の中で鳴っている心音が、俺とおんなじで良かった。……愛してる。ありふれたこんな言葉でしか伝えられないのが悔しいくらい。好きだ、もう、どこにも行かないでくれ。俺だけの、君でいてくれ」
     たくさんの言葉と一緒に、唇が、そっと触れた。思っていたよりも柔らかくて、気持ちよくて。ベタだけれど、この時間が永遠に続くのかなと思うほど、胸がいっぱいになる。だから、離れていくのがなんだか名残惜しい。

     私の重さが、あなたの生きる導になるなら良かった。一緒に居たい、傍に居たいと思っているのが、私だけじゃなくて良かった。
     妹としての私や、刀遣いとしての私もいるから、黒田さんだけの私でいるのは難しい。……だけど、あなたしか知らない私は、紛れもなく『あなただけの私』だと伝えたら、言葉にしたままを受け取ってくれる君が好きだよ、と。
     ……黒田さんしか知らない私をたくさん見せよう。そしたら独り占めしてると言っても過言ではなくなるから。
     黒田さんだけの私になれるから。

     きっとこれが、幸いなんだろう。

     彼に抱く感情全てを、ひっくるめたら『愛してる』という言葉になるんだ。
     
     もっとちゃんと、私にとって『好き』はこういう気持ちなんだって、言えるようになりたい。
     全部、伝えたい。

     後日、時間差で初めてのキスに『恥ずかしさ』を覚えた私は、黒田さんをやや避けたりするのだけれど、……その話は別の機会に。
     
                *

    「はーあぁー、お熱いこって」
     サイカがぶーたれている。
    「サイカ」
    「なぁーにぃー?」
    「拗ねてる?」
    「呆れてるの! よくまぁ飽きずにどこでもイチャイチャと……」
     サイカは相変わらずの性格だけれど、なんだかんだお人好しで、お節介で、寂しがり屋だ。私が黒田さんと交際をはじめて、ふたりで過ごす時間を増やすようになってから、片鱗が見え始めた。本人にその自覚があるかはわからないけれど。蚊帳の外にされると、いつも羨ましそうな、呆れたような顔をしているし、私達を眺める時はため息を吐く。だしにされると怒るから、絶対にそう。
     私の刀神様バディは、呪いと厄災を宿しているけれど、一番の本質である刀の部分は変わっていない。人と生きていく神様だから、人間を小馬鹿にしながらも、愛おしいと思っているんじゃないかなと、ここ最近特に思うようになった。そもそも福をもたらすようにと制作された刀だ、人間に愛着が無いわけがない。
    「サイカあのね」
    「なにさ」
    「サイカは私達より長生きすると思うけど、サイカの本体かたなが壊れない限り、私が先にいなくなるでしょ」
     何を当たり前なことを……と目が言っている。
    「香梅さんが、死ぬっていうのは別世界に行くための扉で、死んだら別の次元に行くって言っていたの。だから、いつかサイカが折れるまで、向こうで待っててあげる」
    「……君には彼がいるじゃん」
    「うん。一緒に待ってあげませんかって聞くよ。そしたら、サイカは寂しくないでしょ」
     ざわ……と、風が葉を揺らしていく。三つ編みを結わえた黄色いリボンが、一緒になって揺れた。
    「ばっ……かじゃないの!?」
     今まで一緒にいて一番大きい声が、木々のざわめきを掻き消した。
    「真面目に考えてるんだけど……」
    「馬鹿な主! 私のことなんか放っておいて、伴侶殿のところにでも行けばぁ!?」
     言い捨ててサイカは何処かに行ってしまった。嬉しくなかったのかな……。

                *

     以前、可愛いについて、賢一さんと話したことがある。

    「私にとって可愛いっていうのは、小さくて愛嬌があって誰にでも好かれるタイプの人とか、少女趣味と呼ばれる物のことなんです」
    「愛嬌だとかそんなものよりも、思わず抱き締めたくなる感じじゃないかな? 俺にとってはそうだよ」

     確かに、犬とか猫とかぬいぐるみはそれに当てはまるなと、当時は納得した。私に向けられた眼差しに、気づきもしなかった。
     
     彼は無知な私に、たくさんのことを教えてくれた。
     初めて、失いたくないと強く思った。
     出会って、話して、触れ合えば触れ合うほど、貴方を知ることができて。
     それが、たまらなく嬉しくて、愛おしい。
     軽薄さの見える笑みも彼らしいのだけれど、今、こちらに見せる穏やかな咲みは可愛らしくて、なによりも素敵だ。
     もちろん、彼を好きな理由はもっとたくさんある。
     語りきれないほど、たくさんあるから。
     どんな貴方にでも、私の心臓は音を立て。
     その身体を抱きしめたいと強く想う。
     だから、だから仕方ないの。
     最期まで隣に居たいと、居てほしいと願うのは。

     私の心の穴はまだ残っているけれど、随分と小さくなった。この先、もっと小さくなると思う。完全に埋まらないかもしれない。それでもいいやって思えるのは、今が凄く幸せだから。
     彼のおかげだから。
     賢一さんも、そう思ってくれているかな。そうだと良いな。

    「賢一さん」

     声をかければ、こちらに手を振り、優しく笑ってくれる。その顔を見ると、貴方が大好きだと伝えて、抱きしめたくなる。
     全身で、気持ちを伝えたくなる。
     貴方もそう思ってくれているだろうか。
     願わくば、この先も貴方と共に、貴方の傍で、幸せでいられますように。
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