最初の記憶は、眼前で息絶えた父の姿だった。あの人は最後まで、私に対する罵詈雑言や恨み辛みを語っていた。
生まれて五十年余り、私は『失敗作』としてそこにただ存在していたに過ぎない。
死物狂いで鎚を振るい、玉鋼をかき集め、火を燃やし、また失敗しては私を罵る。他の兄弟たちはその場で溶かされていたけれど、私だけは残された。父の暴言を受け止めるためだったのか、兄弟の中で一等美しいものであったからか、それとも、儚く美しい黒髪の、あの娘が刀身を褒め称えたからか。真相はわからない。
もし、私が日の目を見ることができていれば、父の名声は高まったのかもしれない。無銘では終わらなかったはずだ。だが、父にとって地位や名誉は何もかもが無意味であった。自分が作りたいと願った呪物を作ることができなければなんの意味もないのだと、毎晩語っていた。禍を退け福をもたらす刀を作らなければ、という強迫観念に取り憑かれていて、お前がきれいなだけの刀でなければよかったのにと泣き漏らす。そんな人間だった。
ただの刀であった私は、その嘆きを、怒りを、五十年聞き入れ続けた。あの頃は、そのためだけに存在していた。
そんな父が死んだと同時に、神としての意識を持った。あの人が望んでやまなかった刀になった。恨み事ばかり聞いていたせいだろうか、あの人が執着していたものとは真逆の力を得た。
こんな皮肉な話がどこにあるというのか。
数百年、私はいろいろな人の手を転々とした。「刀匠を呪い殺した刀」という噂もついて回った。
この噂を最初に口にしたのは、父が死んですぐ、たまたま家に物盗りに入った人間だ。私を美しいと褒めそやして、父の遺体の前から盗っていったあの男は、すぐに体調を崩し、金の足しにと私を手離した。その際に、そのような「曰く」を付けたのだ。私に手を伸ばしながら苦悶の表情を浮かべたまま事切れた父の姿を見たのだから、そう思っても致し方ないのかもしれない。
私を長く手にした人間は、切り口から溢れ出る呪いで敵を殺せることに喜んだが、次々と自身も苦しんで、酷い時には死んでいく。周りの人間も程無くして体調を崩していくため、気味悪がって皆すぐに私を遠くへ手離した。だからだろうか、私は長年『天照』に捕捉されなかった。「人間を呪い殺す刀」の噂だけが、私の消えた地に残っていたからか、私自身、あの頃は刀神として姿を現すことがほぼなかったからか。今で言う都市伝説のような扱いだった可能性はある。
持ち主の中に、私を三日で手放した女がいた。あれはいつの頃か。乱世と呼ばれるような時代だったと思う。いつかの娘と真逆で、赤がよく映える白い女だった。供を一人連れて屋敷に侵入すると、その時の所持者の首を斬り捨て、細い足で玉のように端に転がし、床の間にいた私を持って、その場から撤退した。
まるで、嵐のような、そんな人間だ。名前も知らないのに今でも覚えている。
呼吸するように人を殺すその目には、確かな目的があって、それ故に何も写していなかった。唯一連れていた供は女を止めることはせず、ただ身の回りの世話を焼いていた。彼もそれなりの実力者であったことは、私にもわかった。
彼女は鬼のように強かった。今の世で言う壱段に当てはめることすら臆するほどに。
共に村をいくつか滅ぼした上で、「呪いで人を殺すなんてつまらない」と私のことをすぐに捨てたのだから、流石に驚いた。まぁ、呪いと純粋な力は相容れぬ。彼女の戦い方に私が合わなかったのだから、致し方ないことだと受け入れた。
あの女は結局どうなったのだろう。どの文献にも残っていないので、幻だったのかと思ってしまうが、滅ぼした村の話が一つだけ、「鬼女と呪い刀」という伝承として後世に伝わっていた。あれは紛れもなく人間だというのに、おかしな話しだ。
長い旅路の中で、人間は私に名をつけた。その呪いの力に畏怖を込め、かの神の片鱗を見たのだろう。紛い物の禍津日神で「紛津日」と。
名を付けられた事で知名度が上がったのか、また暫く人の手を渡り、江戸の末期か明治のはじめか、私はとうとう現代で言う『天照』という組織に所蔵される運びとなった。しかし、困ったことに使い手が限られた。呪いを扱う刀だったから、よほど精神が強いか、影響されにくい人間でなければ、刀遣いといえど参ってしまうようだったのだ。
私の本体は、狭い蔵の中に数年は押し込まれていた。出番をもらってもすぐに戻される。神としての体は出歩くことはできたが、結局は本部預かりの身だ、自由ではない。私は自由が欲しかった。なにせ今までは数多の人間の手に渡っていたのだから、長期間同じ場所に押し込められるのはたまったものではない。しかし、人間は我々よりも脆く儚く、私を畏れてしまう。こんな刀を扱える人間は、もしかしたらあの女以外この世に存在しないのではないかと思い始めていた。
或時、一人の人間がやってきた。他の人間は私と対面するだけでもびくびくしていたのに、あの男はそのような素振りもなく、真っ直ぐにこちらに向かってきた。
柄を握ると、数度振り回して一言、
「ただの刀だな」
と言った。
名を、木ノ花兼次。当時十九歳。
六十年を共に過ごした、人間の名前だ。
その顔は歳の割にやや幼く、二十歳を越えたあとも年齢を確認されることが多かった。スグリを思わせるような赤い目と、あの当時はかなり珍しい茶色の髪を備えていたから、色素が薄かったのだろう。先祖に海の外の人間が混ざっていたのかもしれない。
性格は、無いと言えばいいのだろうか。それとも薄いというのが正しいか。ある物を除いて、誰にも、なににも関心を持っていない。
自分の痛みにさえ鈍感だった。
「もし、致命傷ならば教えてほしい。僕にはわからないから」
「……わからない? 君は人間だろう、私の知る人間は脆く、斬りつければ悲鳴を上げるのに、君はそれがわからないの?」
「やってみせようか」
私の目の前で、手持ちの小刀を用いて手首を切り、血が溢れても、兼次は微動だにしなかった。声を噛み殺すわけでもなく、涙を堪えるわけでもなく、静かにその現象を眺めている、というのが正しいのだろう。
「たしかに僕は脆い。でも、それを理解出来なければどうということもなく動ける。違うかい」
「理論上はそうだ、でも、それを続けたら動けなくなる」
「ああ。だから教えてくれ、紛津日。僕の健康状態なら、気を摂取することで理解出来るだろう?」
「……君は狂人か何かか?」
「そうかもしれないね」
強迫観念に取り憑かれた父より、私を捨てたあの女より、得体の知れ無さを持つ兼次は恐ろしかったけれど。
「あ、あと、僕は君のことを道具だと思って接するよ。何が宿っていても、曰くがあっても、ただの刀だからね」
今でも耳に残っている。
「上から割り振られた時に、貴方の来歴も聞いたけど、僕には興味がない。ただ、僕がこの職を退くまで、刀として使う。それだけだから」
他の刀遣いに比べて、兼次には純粋に力が足りなかったから、妖魔の首なんかを斬り落とすのが辛そうだった。でも、私の異能で相手を弱らせた上であればどうということもなく、兼次は私の異能に感心していた。
「とはいえあまり使いたくはないな。こちらも疲れる」
「なにせ呪いだからね、呪詛が使用者に返ってくるのは当たり前だろう。異能名にもケガレという単語があるじゃないか」
「穢れ、ではないのか?」
「気枯れ、でもある。使い続ければ君たちの気を枯らしてしまうんでね」
「扱いにくい刀だな、紛津日」
「はっ、……まぁ、散々言われてきたよ」
「でも、僕には関係ないことだ。使えるならそれで構わない」
「奇遇だね、私も君が動ければそれでいいんだ。でも、本当に危うくなったら、きちんと伝えよう。君が死んでは困る」
我々は最前線で妖魔と戦い続けた。容赦なく私を酷使する主と、その主の命の危機を感じ取った時のみ撤退を忠告する私は、かなり危うい相棒関係であったと思う。
さて、兼次は殆ど何にも関心を示さないどころか、感情もあるのか怪しい男だが、その心を唯一動かせるものがあった。盆栽、木々の手入れ、庭の整備、接ぎ木。兼次は樹木を前にすると、人が変わったように笑顔になるのだ。無邪気な子供のそれと変わりなく、永遠に樹木の話をし続け、壊れたラジオのようになる。
「もし僕に子が生まれたら、その子のために木を植えるんだ」
なんて言っていた。
「そんなに樹木を好むなら、庭師にでもなったらよかったんじゃないの?」
「うちはあまり裕福ではなかったから、親としてはしっかりした地盤が欲しかったらしい。この仕事は国公認だから。ただ、親にはその適性がなく、僕には備わっていたから、どうしてもと懇願されたんだ」
「ふうん」
「まぁ、樹木に触れ合えないわけじゃないし、触れ合うために生きて帰ってきているわけだけど」
「己の命より樹木か……」
やや呆れてしまった。
そんな兼次が三十を超える頃、婚姻が決まった。あの時代ではかなり遅かったのだけれど、無愛想な男の元に行きたくないと突っぱねたご令嬢が数多く、本人も関心がなさすぎて大体のお見合いがお流れになっていたのだ。このまま未婚なのかしらと思っていたが、とうとう身を固めるらしい。
「樹木の話を、隣で静かに聞いてくれる方なんだ」
淡々と、しかし、嬉しさを滲ませて彼は教えてくれた。
「でも、ただ聞くだけではなくて、わからない単語を聞き返してくれる。世話の仕方を聞いて実際にやってみたという文もくれる。あの人は、とても素晴らしい方だ。……僕は、彼女の元に帰って来たいと思ってしまったよ」
「結婚したら、この仕事は辞めるのかい?」
「まさか。でも、前線には行けなくなるかもしれない」
「そうかい」
前線に行けなくなるという事実は、少し複雑だった。
「紛津日、君が戦闘を望むなら、僕は君との関係を解消するけれど」
「まぁ、最前線に行けないのは残念だけど、戦えないわけではない。それに私は、君以外を主とは認めない」
「……それはどういう」
「私を贔屓目なく見てくれたのは君が初めてだからね。刀として扱ってくれたのも。だから、私の主は君だよ」
呪物のなり損ないではなく。
呪われた刀ではなく。
数多ある刀剣と同様の扱いをしてくれた。
私が彼を主と認めるには、それで充分だった。
「君が行くなら何処へでも。君がこの職を退くまで、共にいる」
「僕のような人間も、この先現れるだろうに」
「いいや、君がいいのさ。出会ったときからそれは変わらない」
ただの刀だなという、その言葉が、私にとってどれほど嬉しいことだったか、君は知らないだろう。
主が所帯を持って、前線から術式を用いた援護部隊に移動して数年、彼は父親になった。生まれた日に、庭に梅の木を植えた。
娘の名は、香る梅と書いてこうめ、と読むのだと言った。私は性質上、彼女に会うことで危害があっては困ると思い、最初の数年は別室に引きこもって話だけを聞いているつもりでいたが、時折主に無理やり呼び出されてその顔を見ることになった。
なんと小さくて、脆い生き物だろうと。
幼い彼女は私を見てすぐに泣き出した。本能から呪いを見分けるなんて賢い子だと感心していたら、「ただの人見知りだ」と夫婦に笑われてしまった。
歩くようになってからは、私を見つけるとすぐに寄ってくる。
香梅、と呼べば返事を返す。
話し始めれば、父や母の他に私を呼んで、拙くも何かを話してくれて。
父親に似て感情も表情も無いに等しかったが、そんなことはどうでもよかった。
母親に似た目元や声色は、とても優しかった。
この子の気を吸わないように、直接触れないように、人の姿を模して、手袋をして頭を撫でた。柔くて、愛らしい、我が主の娘。
あの二十年余り、どれほど幸福に満ちていたか。呪いとして生まれた私には、勿体ないくらいの平和な時間だった。もちろん所属が変わっても妖魔と戦わなければならないし、安全な世の中ではないけれど。それでも、私にとっては幸福だった。
……私の感覚は、人に近くなっていたのかもしれない。
香梅が成人して、想い人を見つけて、朗らかさを見せるようになって。
結婚して、また子が生まれて。
一人目の子が、妖魔のせいで死んだ時。
香梅の感情が抜けて、灰のようになってしまったのを見た時。
兼次は、守れなかったことを酷く悔いた。
私は。
人の命は呆気ないものだと、久し振りの感覚に陥っていた。忘れていたわけではない。しかし、近しい者の死というのは、如何せん強く響くのだ。私の父が死んで、私が覚醒めたのと同様に。
私は人ではないのだ、と、思い出した。
どれほど幸福でも、私と彼らは異なる。私の感じていた「幸せ」は、果たして彼らと同等なのだろうか?
哀しい、悔しいと、思えなかった己は、主たちと感情を共有することはできない。
「君は神であり、刀だからな、紛津日。人を理解できないのは仕方のないことだ」
葬列で、白髪混じりの髪を撫でつけた兼次が厳かに私に言う。
「君からしたら、人間なんていくらでも替えがきく。違うかい」
「……人間数多く有れど、兼次はお前だけだ」
香梅の最初の子が、あの子だけであるのと同じように。
「確かにそうだ。……なんだか人間臭くなったな」
「そうかい? そうかもしれない。こんなに長く同じ人間と共に居るのは初めてだからね。……主だって、初めて会ったときに比べたら、随分人間みがあると思うが」
「樹木と、彼女が私を変えたんだろう。香梅もそうだ、彼があの子を変えた。うちの人間は情緒の芽吹き方が少し特殊なんだ」
ゴホゴホと咳き込む。主ももうすぐ職を退くような年齢だから、あまり、体が強くないのかもしれない。
「中に入ろう、主。妻君が心配するだろう」
「あぁ、……やはり、人間臭くなったなぁ、お前」
主が亡くなったと報せを受けたのは、主と別れてから数年経ってからだった。
またしてもバディがコロコロ変わり続けて、本体が蔵にあるまま不自由を満喫していたときに、彼女は現れて、訃報を告げた。本来は危篤の時点で呼びたかったそうだが、兼次に止められたのだという。
「……そうかい」
「葬式に、来ていただけませんか。紛津日様」
「私が居ると迷惑になるのでは?」
「であれば。葬式の開始の前に。どうか、父の顔を見てやってください」
小さな小さな赤ん坊だった娘は、帯を締め、背筋を伸ばして私の前に佇んでいる。あの時、子を失って抜け殻になった母親は、確固たる意志で私を見つめていた。
「……わかった。少しの間だけだよ」
皺が増え、細くなった手に触れる。ありえないような冷たさが、もう主の命がないことを伝えてくれた。
「……主」
私の、唯一の主。私を置いて老いていく君を見る度に、私にない心臓が薄ら寒くなるのを、君は気がついていただろうか。
部屋は、シン、と静まり返っている。庭の梅は、まだ蕾のままだ。
「さようなら、兼次」
さらに幾年が過ぎた。私は木ノ花兼次の親族と会うことなく、新たな人間と組んではすぐに別れ、を再三繰り返していた。
時代の変わりは目まぐるしく、今では機械が横行するようになり、あの頃よりも便利になっている。
ある時。
私は天照内部をふらついていた。
その通りに、懐かしい色の髪を見た。
色素の薄い、今ではあまり珍しくもない髪を。
「ちょっと、君」
「何でしょうか」
スグリのような赤い目と、幼さの残る顔。聞き馴染みのない声色には、感情が微塵も乗っていない。それに、親近感を覚えた。
「君、木ノ花兼次の親族だろう?」
「……高祖父をご存知で」
高祖父。そんなに時が経ったのか。
「ねぇ」
──これが、木ノ花なおに出会うまでの、紛津日という刀の物語。