夏の話 痛いほど明るい空だった。
何もかもをジリジリと焦がそうとするそれが嫌で、き、と頭上を睨み付ける。目に刺さる光は、一体どれ程昔のものなのだろう。思い出そうとしたが、暑さでろくに回らない頭だ、なにを考えても意味はないと頭を振る。直視したせいで、残像が視界を泳いでいた。
周囲を気にすることなく、目を閉じる。短い生涯で子を残そうと、一生懸命鳴いている声が鮮明に聞こえた。最近になって、一週間よりもっと長く生きると判明されたのだったか。どちらにせよ、人間より短命であることに変わりはない。それでも、ここにいると必死に伝えている。
夏は生の季節だ。生き物全てが最盛期を迎え、一年で命が輝く。世界が鮮やかに染まる。
瞼を上げると、ゆらゆらと揺れるコンクリートの上で、干からびているそれを見つけた。足元を見ない者に踏みつけられたのか、潰れている。涼を求めて地上に出たのに、この仕打ちである。
夏は、死の季節でもある。
暑さは命を干からびさせ、あっさり奪い取る。
干からびた命と別れた先には、川があった。透き通る水の中に、小さな子供の靴が片方沈んでいる。水辺に近づくと連れていかれるとも言われるが、これは迷信の類いだろうか。そんなことを思いつつ、流れを横切る。沈んだ靴はそのままに、ザブザブと対岸へ向かう。
日本では、死者が帰ってくる季節も夏だ。夏には、生も死も似合う。生命の季節と呼ぶべきかもしれない。
ところで、あの世とこの世の境界線には色々あって、身近なところでは鳥居や山の入り口、橋なども境目だと言われている。
そして、川も。
蝉が死んでいる。死んだばかりのミミズに、蟻が群がっている。水中に置いていかれた靴は、長い間忘れられたせいでくたびれていた。
目に染みるほどの青を眺める姿は、どこにもなかった。