蘭武2025「蘭 誕生日おめでとう」
クラッカーが弾けて、紙吹雪が舞う。想像以上に大きな音が出て内心焦るも、肝心の祝われた本人の視線は冷たい。暗紫色の瞳がオレを静かに見下す。
はいはい。分かってましたよ。
散らばった紙吹雪を掻き集め、ゴミ箱に突っ込む。微かな火薬の匂いが、独り身の乱雑な部屋に漂う。
「本命はこっちでした」
クラッカーと一緒に入っていたビニール袋から、小さなスティックを取り出すと、タンスの上で警戒モードだった相手の目の色が変わる。
「にゃん」と高い声を上げると、一息でオレの足下に纏わり付く。
「ゲンキンだな」
催促されるままに、○ゅ~るの封を開けると相手の口元に向ける。大好物を前に興奮しているはずなのに、がっつく事なく、小さな舌を出してぺろぺろと舐め始める。オレが押し出してやらないと、じっと待つ姿勢だ。
どんなお貴族様ですか。
漏れる笑みを押さえながら、オレも胡座を掻いて落ち着く。
日付は0時過ぎ。夜勤終わりに愛猫と過ごす時間が、疲れによく効くようだ。
クソクレーマーとか、万引き犯とかとかにすり減ったMPが回復していく。
「オマエを飼って正解だったぜ」
千冬には止められたけど。
まあ千冬の心配もご尤もだ。
この春専門学校に入学して一人暮らし。バイトと学業を掛け持ちしているオレに、ペットを飼う余裕は本来ならない。
しかし、どうしても見過ごす事ができなかったのだ。
事情があって返されてしまったと、千冬のバイトするペットショップに居た猫。
短毛のしなやかな体に、暗紫色の瞳。子猫の時期を過ぎてしまい、値段を下げても売れないのだとか。
「それよか、性格に難ありだと思うな。餌あげるオレらにも懐かねぇの」
愚痴る千冬の言葉は耳に入っていたが、オレはその猫の情報に釘付けになる。
『シャム猫。血統書付き。オス。誕生日5月26日。 体重3kg』
硝子越しに覗き込むオレに怯える様子もなく、堂々としていて、逆にオレを見下しているみてぇなビー玉みたいな瞳。
「……オレ、こいつ飼おうかな……」
思わず思考が漏れてしまう。
「はあ? 本気か? タケミっち。あのな、いくら安いっからって、これから病院だ、ワクチンだ、餌代だって掛かるんだぜ? オマエ一人でカツカツな生活だろーが」
千冬に詰められるオレに、硝子越しからも圧が掛かる。
「バイトも増やすし、それに犬と違って散歩もいらないから留守番も平気だろ? ちゃんと世話するし!」
いざとなったら千冬に助けてもらうし!
という本音はしまい込んでいたが、猫用ベッドとかオモチャとか、千冬がなんだかんだと世話してくれた。
オレが同じ猫派だと、嬉しくなったのもあったらしい。
オレは猫派というか……。
「ま、千冬は知る訳ねぇか」
○ゅ~るをあげ終わると、オレはそのまま横になる。
猫は満足したのか、ペロペロと手先を舐め、口回りを綺麗にしている。かしこエライ。
――言える訳ない。
猫の目が誰かさんに似ていて、誕生日も同じで運命感じたなんて、いくら少女の漫画好きな千冬にも……。
「……っ風呂入ろ! その前にオマエのトイレ掃除な」
オレはルーチンをこなす事で、胸のモヤモヤを振り切った。
東卍を解散してもみなとの繋がりは切れてはなかったが、顔を合わせる頻度は落ちていく。
特に元天竺組は、会合という名の飲み会にもあまり顔を出す事はない。
そんな感じでズルズルと過ぎてしまい、今更好きだったと自覚しても遅すぎた。
連絡先は一応知ってはいたが、こちらから声を掛ける理由も思いつかない。
想い人とペットを重ねるなんて我ながら気持ち悪いが、それくらいは許してほしい。
なんせ相手は、オレとはほど遠い場所にいる相手だし。
風呂から上がると布団に直行だ。愛猫は始めは猫ベッドで、時間が経つとオレの足下で丸くなる。オレは蹴飛ばさないように、無意識に体に力が入るのだった。
日頃の疲れが溜まっていたのか、起きたら夕方だった。
一応何回か起こされ、餌だけは与えてまた眠っていた。
布団の上にオモチャがズラリと並べてあって、ビビる。
なんだ、寂しかったのか。
オレの顔はでろりと緩む。
「ごめん、ごめん。飯食ったら遊んでやるから」
愛猫の喉元を擽って、許しを得る。
食い物あったかな? とキッチンに立ったタイミングで、玄関の扉を叩く音が。
宅配でも頼んでたっけ?
「はぁい?」
疑いもせず扉を開け、目に飛び込んできた光景が信じられずに硬直してしまう。
「ウケる。まだ寝間着のままかよ。それとももう寝るトコだったとか?」
形のいいジャケットを肩に羽織り、シンプルなネックレスが胸元でキラリと光る。
まず目線の先に、それらが映る。
徐々に目を上げると、緩やかな弧を描く唇に細められた暗紫色の瞳、短く整えられた髪……。
「ら……」
口を開けるが声が出ない。瞬きも忘れ、目の前の人物に見入ってしまう。目を閉じたら消えてしまうんじゃないかと……。
「とりあえず入れてくれる?」
首を傾げ尋ねてくるから、無意識に扉を閉めようと動く。が、艶ピカの靴に阻まれてしまう。
な、なんでぇぇぇ??
「お誕生日様を拒む権利なんてあると思う?」
かがまれ吐息が髪にかかった瞬間、オレの毛穴という毛穴から汗が噴き出した。
◆◆◆
思わぬ相手からの連絡に、何か裏があるのではと警戒する。何故なら同じチームではあったが、ほとんど交流のない相手だったからだ。
しかも誕生日前日に。
『多分っスけど、あんたへの片恋を拗らせてるっぽいスよね。もしタケミっちから誘いが来たら、きっぱり断るか、それとも受け入れるか、きちんと答え出してほしいンすよ』
なんで赤の他人に、こっちの気持ちまで決めつけられなければならないんだ?
突然の電話で一方的に言うだけ言うと、電話を切られる。
苦い薬を飲んだような後味が、いつまでも口の中に残る感じ。気持ち悪ぃ。
前夜祭だと浮かれた弟が山奥まで行ってゲットしてきたモンブランを口直しに食べても、胸の閊えは取れなくて……。
……そこまで言うなら、誘いに乗ってやってもいい。
自分から言い出せず、相棒に頼むなんて、奥ゆかしいじゃねぇか。
まぁ、オレが高嶺の花だからってのもあるんだろう。
……
ところが待てど暮らせど、肝心な相手からの連絡はない。
始めは0時ちょうどに、祝いのメッセージとお誘いがくるのかと思った。
次々に連絡は来るが、ソイツからはない。
取り巻き達とクラブで騒ぎつつも、携帯が気になって仕方ない。
夜明けに帰って爆睡し、昼過ぎに起きて携帯を見るけど、ソイツの名前はない。
……焦らす作戦なら上手くハマっちまったようだ。認めたくはないが、オレの負けだろう。
「え? 兄ちゃんどこ行くの? もう起きるの?」
寝室から出てきたオレに、竜胆が訝しげな顔だ。
「……まぁな」
シャワーを浴び、頭をスッキリさせる。二日酔いもいくらかましになったか。久々にオレが相棒(警棒)を取り出したのを見た竜胆は、体を半分扉に隠したまま「いってらっしゃい」とだけ言ってきた。オレの剣幕に怯えてしまったようだ。
そう、ここまでオレをコケにした相手に、一矢報わないと気がすまねぇ!
住処は控えてある。春から一人暮らしを始めた、ボロアパート。何度か前を通った事もある。
見てろよ、ハナガキタケミチ。
オレは懐に忍ばせた相棒をそっと撫でた。
◆◆◆
「汚ぇな」
これでも猫の蘭が来て片付けた方なんです。
とは、とても言えない。
土足で上がり掛ける蘭君を、慌てて止める。
「はぁ? 素足でこんなトコ入るの無理」
自分が無理矢理入ってきたくせにぃ。
スリッパなんてしゃれた物はないし、仕方なし靴下を渡す。
「代理 水虫とかねぇよな?」
さっきから言いたい放題だな。
しかし、オレは一言も返せず、黙って首を振る。
ホントに、誰かに喉を押さえつけられているみてぇに、言葉が発せられないのだ。
「客にクッションもねぇの?」
六畳一間の和室、キッチン、トイレ風呂付き。収納は押し入れのみ。そんな部屋にあると思う?
オレの反応に、蘭君は勝手に敷きっぱだった布団から、枕を丸めるとそこに腰を下ろす。
ちなみに猫の蘭は、押し入れの隙間からこちらを窺っている。いつの間に。
「客に茶もない訳?」
慌てて板間のキッチンに走る。と言っても5歩ほどで着いてしまう、本当に狭い我が家だ。冷蔵庫を見るけどコーラしかなくて、仕方なしペットボトルのまま渡す。コップなんか出したらまたクレームを言われそうだったので。
「座れば?」
にこりと微笑む。相変わらず綺麗。ついぼぉっと見蕩れてしまう。
慌てて座って、蘭君が喉を鳴らしてコーラを飲む姿をチラ見する。喉仏はタートルネックに隠されて見えなかったけど、ちょっと会わない間に、ますます男らしさがましたかも。筋張った手とか、つい観察してしまう。
「で? オレに言いたい事 なんかあるよな?」
笑顔を浮かべているのに、なんか怖い。
首を傾げるから、胸元のネックレスがキラリと光って揺れる。高そう。……誰かからのプレゼントだったりして。
胸の奥が疼く。
それより答えなきゃ。オレ、蘭君に何も言えてない。
言葉を探っていると、押し入れの暗闇からキラリと何かが光る。
アレは……。
好奇心に爛々と見開いた蘭の瞳で、それは一直線に蘭君の胸元で揺れるネックレスを――
「蘭! ダメ! 止めて!」
慌てて立ち上がり止めようと動くが、足が痺れいて思うように動かなく、そのまま前のめりに倒れていった。
◆◆◆
呼び捨てにされるとは思わず、反応出来ない。固まっていると、胡座を掻いたオレの股間に倒れ込んでくる。
――いくらなんでも大胆すぎねぇか?
言葉を失っていると、目の前をナニかが掠めていく。チャリとネックレスが弾かれるように揺れる。
あ?
白いモノが視線を走ったので目をやると、猫だ。尻を上げ、爛々とした目をこっちに向けている。
……遊びに誘っていると思われてる?
猫と股間の人物――
同時に迫ってきた事柄に、金縛りに遭うようだ。
とっさにネックレスを外すと、猫に向けて投げてやる。
すると、オレに向けられていた興味はネックレスに移ったようで、後を追うように窓際に走って行く。
「えっ 高そうなネックレス! 大丈夫っスか?」
ここにきてネックレスの心配かよ。
オレは相手の顎を掴んで、自分に向ける。
まだ肝心な言葉を聞いていねぇ。
「ナニかオレに言いたい事あるよな?」
元々我慢強い方ではないオレが、ここまで妥協してやってんだぜ?
ブルーグレイの透き通った大きな瞳がゆっくりと瞬きをするから、時間もゆっくり流れているようだ。
「え……と」
東卍時代からちっとも変わっていない、男にしては高めのアルトの響き。
「お誕生日 おめでとう ございます?」
小犬のように首を傾げるから、笑ってしまう。
「今かよ!」
声を上げて笑うオレに、相手は訳が分からないと戸惑う様子だ。
六本木のカリスマともあろう男が、ここまで振り回されるなんて、おかしくてたまんねぇ。
コイツからのたった一言を聞きたくて、わざわざ足を運んだって言うのに――。
「まぁいいや。
それで? お誕生日様をもてなしてくれるんだろ?」
顎から手を外し、目尻から滲む涙を拭う。
今になって状況を把握したのか、後退ると耳まで真っ赤に染める。
「えっだっ……な、なんにもないよ? 家」
壁にへばり付いて焦る様子がおかしい。
「……じゃあ、まず猫の話から聞かせてもらおうかな」
明確な勝ちを実感し、心に余裕が生まれる。
見開いたブルーグレイの瞳は、瞬きを忘れたようだ。
オレは四つ足になると、タケミチに近付いて行った。
おわり