8/24 伊剣webオンリー「わくわく!夏の慶安大江戸デート」展示 近代的で広々としたフロアに、見渡す限りの煌びやかな内装。そこに並ぶ見たこともない店の数々に、伊織とセイバーは圧倒されてしまう。
「ここがどばいもーるか…」
「すごいぞ、イオリ!色んな店がある!」
「まてセイバー。まずは地図を…」
そう言う暇もなく、セイバーに着物の裾を強く掴まれたのだった。
カルデアでは毎年夏になると何がしかの催し物があるそうだ。南国だったり無人島だったりと様々な様相を呈した特異点が発生し、マスターもサーヴァントも任務をこなしながら思い思いに夏を楽しむのだという。
今年は中東のドバイというリゾート地を模した特異点が発生したそうで、早速噂を聞き付けたセイバーに連れられて、伊織もこの地へ足を踏み入れたのだった。
日本で生まれ育った伊織とセイバーには想像もできなかったドバイの都市は、美しく近代的で、それでいて雄大な砂漠もあり、何もかもが新鮮だった。肌を焼くような暑さも、湿気が多い日本とはまた違うものだ。
セイバーもまたドバイの地を、特に甘味が気に入ったのか、毎日さまざまなものを食べながら楽しく過ごしている。
ドバイを訪れて四日目。異国の地にも慣れてきたふたりは、中央広場で偶然出会ったBBドバイにおすすめされたドバイモールを訪れていた。普段とは違う衣装を纏った彼女は、伊織とセイバーがカルデアに召喚されて初めての夏だということを聞き、ドバイモールの店でほぼ何でも買えるカードを贈ってくれたのだった。
そして、ドバイモールに着いてから数時間。伊織とセイバーは休む間もなく館内を散策していた。
「イオリ、あれは何だ?甘味か?」
「イオリ、帽子がいっぱいだ!私にも似合うものがあればいいが…」
「イオリ、あの店は日本発らしいぞ!」
「――セイバー、落ち着け。全部付き合うから袖を引っ張るな」
セイバーは目に着いたすべての店に興味津々で、まるで幼子のようにその琥珀の瞳をきらきらと輝かせた。菓子があればとりあえず買って食べ、服屋では気に入ったものを試着する。放っておくと際限なく何かを買いそうだったから、何度か伊織が制止していた。
「ん~!このすたばなる茶屋も良し!甘くてうまい!」
流石に足が疲れてきて、ふたりは近くに会ったカフェで休憩することにした。クリームが乗ったいかにも甘そうなドリンクを美味そうに嚥下するセイバーを見て、伊織は思わず胸やけがしそうになる。今まで食べたものやその飲み物も、いったいこの小さな身体のどこに入っているのだろうと疑問に思った。それでも、幸せいっぱいといった笑顔でカフェを楽しむセイバーを眺めていると、伊織もまた自然と笑みがこぼれるのだった。
普段も天真爛漫なところがあるセイバーだが、ドバイに来てからはまるで子供のように毎日はしゃいで過ごしている。そんなセイバーと共に過ごしているうちに、伊織は不思議と胸の奥が温かくなるのを感じていた。
――生前、といっても記憶が残る限りだが、伊織には剣しかなかった。生まれた時からその道しかないようにも思えたし、逆にそれ以外の選択肢を斬り捨ててきたのかもしれない。友と過ごす幸せも、こうして娯楽に耽る楽しさも知らなかった。
けれど、セイバーと共にカルデアに召喚されてからは、剣以外の世界にも触れるようになった。彼に振り回されてばかりだが、それでもこの生活は悪くないと思えた。
「うまいか、セイバー」
「うむ!」
にこりと微笑むセイバーの頭に掌を乗せ、そっと撫でる。昔見た妹の姿が重なったのかもしれないが、それだけではないことも内心では自覚していた。
「俺にも一口くれないか?」
「えっ?」
意外な申し出にセイバーは目を丸くする。そして少しだけ頬を染め、彼はおずおずと手にしたカップを差し出す。
「…一口だけ、だぞ」
「忝い」
セイバーからドリンクを受け取り、ストローから一口飲む。口の中に広がる濃厚な甘さが今は心地よく感じた。
「どうだ?」
「甘いな」
「むぅ、感想はそれだけか?だったら私が全部飲むぞ」
伊織からカップを取り返し、セイバーは少し照れたようにぷいとそっぽを向いてしまった。
そうしてふたりでゆっくり休憩していると、ふいにセイバーが口を開く。
「…懐かしいな」
「懐かしい?」
このような豪華な商店で買い物をするなんて、後にも先にもこれが初めてのはずだ。伊織の問いに、セイバーがこくりと頷く。
「盈月の儀で江戸に現界したときも、伊織と色々な町を歩いたものだ。目に見えるものすべてが新しくて、何か見つける度にあれは何だときみに訊いていたよ」
そう話すセイバーは、ここではないどこかに視線を向けていた。黙ったままの伊織に気付くと、どこかすまなそうに眉尻を下げる。
「…あの日々も、楽しかった」
もう戻らない日々を慈しむように、ほんの少しだけ悲しげな瞳で笑うセイバーに。伊織は怒るわけでもなく嘆くわけでもなく、そうか、と返した。
生憎今の自分にセイバーと過ごした日々の記憶はなく、過ぎ去った日々を取り戻すこともできない。それは十分に理解しているけれど、まだ見たことのないセイバーの色々な表情を見ていたのかと思うと、その時の自分が少し羨ましく思えた。
「イオリ、あの店からいい匂いがするぞ!」
休憩を終え、また散策を始めたふたりの元へ、バターの焼ける香ばしい匂いが届く。セイバーが指差した先には、他の店より多くの人だかりができていた。よく見ると、みな行列になって順番を待っている。
「甘味だろうか」
「ふむ。この甘い香りは菓子だな。イオリ、私はあれに並んでくる。列が長いからきみは適当に休んでいてくれ」
そう言い残し、セイバーは一目散に店の方に向かっていった。
一人残された伊織は苦笑を漏らす。別にセイバーと一緒に並んでいてもよかったのだが、先程から何も買っていない伊織に気を使ってくれたのかもしれない。
さて、どこの店に入ろうか。辺りを見回すが、どの店もセイバーのように興味を惹かれるものはない。だが、せっかくのBBの厚意を無下にするのは憚られる。何か良いものが買えればよいが。
セイバーが並んでいる店から離れすぎないようにフロアを回っていると、ある店のショーケースがふと目に入った。そこに並ぶ品々に吸い寄せられるように、伊織は店の奥へと足を運んだのだった。
「楽しかったな、イオリ」
一日中ショッピングや買い食いを楽しんだふたりは、滞在先のホテルに戻って休んでいた。さすがのセイバーも満腹になったのか、大きなベッドに身体を投げ出している。
「もう食べられない…」
「あれだけ食えばそうだな。腹は痛まないか?」
「平気だ。イオリは楽しめたか?」
「あぁ」
そろそろ頃合いだろうか。伊織は手にした紙袋から小さな箱を取りだした。
「セイバー、これを」
横たわるセイバーに声をかけると、伊織の手にあるものが気になったのか、セイバーはのそりと身体を起こした。
セイバーの目の前で箱を開ける。そこには、薄水色に輝く一対の宝石が嵌め込まれていた。
「これは?」
「耳飾りだ。おまえに似合うと思ってな」
「私に…?」
きょとんと目を丸くして、セイバーは宝石と伊織の顔を何度も見返す。予想出来た反応ではあるが、やはり贈り物、しかも宝飾品などらしくなかったか。
ジュエリーショップの店先に飾られていたそれは、金製品や大ぶりの宝石が多い店内では目立つ方ではなかったが、伊織はほかのどれよりも目が奪われてしまった。ほんのりと青く色づく宝石は、直感的にセイバーのようだと思った。彼の剣や技、そして魂のように、清廉で高潔な美しさ。気づけばそれを手に取っていた。
「セイバーには世話になっているし、その……耳に穴を開けるのが嫌だったら、いやりんぐ?にもできるそうだ」
話しているうちに気恥ずかしくなってきて、伊織はバツが悪そうに目を逸らした。冷静になってみれば、これはどちらかというと女性用だ。それに、中性的な見た目ではあるがセイバーはれっきとした男だ。男が男にアクセサリーを送るなんて、自分は何を考えていたのだろう。
「すまない。不要であれば…」
「――ありがとう、イオリ」
嬉しそうにはにかんで、セイバーは伊織からピアスの入った箱を受け取ると、愛おしそうに胸に抱いた。これは喜んでくれているのだろうか。不安げに見守る伊織に、セイバーは箱を差し出した。
「なぁイオリ。片方はイオリがつけていてくれないか?」
「…俺が?」
突然の提案で、今度は伊織が驚いた。これはセイバーのために買ったもので、何より自分にはこんな煌びやかなものは似合わないだろう。しかし、こちらを見つめるセイバーのまっすぐな眼差しに、伊織は結局根負けしてしまうのだった。
「では、片方は俺が貰おう」
「本当か?」
「あぁ。耳に穴を開ける器具も買ってきたから、早速つけてみるか?」
「うむ!疾くやってくれ!」
ふたりで器具の説明書を読み、練習がてら最初は伊織の耳朶を穿った。自ら皮膚に穴を開けるのは少し緊張したが、手順通りにやればさほど痛みはない。はじめはどこか不安げだったセイバーも安心したのか、続けてセイバーの右耳にもピアスを嵌めた。
「できたぞ、セイバー。痛くはないか?」
「ふむ…少し違和感はあるが大丈夫だ!どうだ、似合うか?」
前髪を耳にかけ、セイバーは伊織にピアスを見せる。小さいながらも光を反射して輝くそれに、伊織はふっと口角を上げた。
「あぁ。やはり買って正解だった」
その輝きも透き通った水色も、そして身に纏うセイバーも、すべてが美しいと思えた。
「イオリのも見せてくれ」
伊織の脇に回り込んだセイバーは、同じくピアスが光る伊織の耳をじっと見て、そして部屋の中央にある鏡に自分のものを映した。
「こらセイバー。安定するまであまり触るな」
「…ふふ」
伊織の方を向いたセイバーは、頬をわずかに紅く染めて、花が咲くように微笑んだ。
「お揃いだな、イオリ」
子供のように無邪気で、それでいてどこかいじらしい。宝石より美しいその笑顔がたまらなく愛おしくて、伊織は思わずセイバーをその腕で抱きしめた。
――どうか、その笑顔を知るのは今の俺だけであれと。腕の中の温もりを感じながら、伊織は願ったのだった。
終
ブルーダイヤモンドの石言葉「永遠の幸せ」