ジューンブライド赤木が、黒いタキシードに袖を通す。
同じく、黒いタキシードを着た木暮は、鏡越しにその姿を見て「剛憲、似合ってるよ」とニッコリ微笑んだ。
赤木は、照れ臭そうに微笑んだ。
「公延、おまえも素敵だ」
赤木の黒いタキシードは、レンタルではなく、今日のために誂えてもらった一着だ。
レンタルで、赤木がギリギリ着られるサイズもあったが、デザインがしっくり来なかったので、一から作成してもらうことになったのだった。
今日という日を迎えるまで、紆余曲折があった。
遡ること約半年前、二人は史上最大の大喧嘩をした。
基本的に、滅多なことでは喧嘩しない二人である。
滅多なことどころか、二人が「恋人」として付き合いを始めた以降、喧嘩らしい喧嘩をしたことはなかったかもしれない。
※※※※※
切っ掛けは、赤木が実家から、見合いの「身上書」を持ち帰ってきたことだった。
二人の関係は、身近な人にもほぼ明かさず、双方の両親にも秘密にしてきた。
そんな親が、三十歳近くになったも浮いた話の一つもない息子を心配し、見合い話を持ってくるのは不思議なことではない。
「赤木、お見合いするの?」
木暮は赤木に尋ねた。
「…ん、そうだな…」
赤木は身上書をヒラヒラと動かしながら、黙り込んだ。
木暮は、すぐに否定してほしかったわけではない。
赤木の立場も分かる。
木暮だって、実家に帰る度に「公延、誰かいい人はいないのか?」と訊かれる。
…木暮は、ザワザワとする心を落ち着けるため、大きく息を吸ってから、赤木に言った。
「で、どうするの?」
「一度、会ってみる。すまん…」
木暮は、目の前が真っ白になったような感覚に陥った。
「すまん」と付け加えた赤木。
親の体面を保つためだけだ、という意味。
分かる、痛いほど分かる。
でも、木暮には抑えられない別の感情があった。
いつまで、自分たちの関係を隠し続けなければならないのか。
一生このまま?
木暮は重い口を開いた。
「別れようか」
不意打ちを喰らった赤木は、暫く口を半分ほど開いたまま、木暮の表情を伺った。
木暮が「冗談だよ」と言ってくれるのを待った。
でも、真剣な木暮の表情が崩れることはなかった。
「両親の手前、断りにくいだけだ。それはおまえも分かっとるだろ、木暮」
沈黙に耐え切れず、赤木が口を開く。
木暮は首を横に振る。
「分かってるよ。でも、お互いのことを考えるいい機会じゃないかな」
「そ、そんな…木暮っ。ほ、本気で言ってるのか!?」
赤木は木暮の腕に手を伸ばすが、木暮が軽く振り払う。
赤木は訴える。
「木暮、おまえが俺のことが嫌いになったというのなら、潔く諦める。でも、そうじゃ…ない…だろう?」
赤木の声が震える。
木暮は俯き、唇をギュッと噛み締める。
「俺たちの未来は、どこにあると思う?」
赤木は、木暮の質問に答えられない。
「赤木、俺たちしばらく会わないでおこう。…じゃあ、帰るね」
木暮は立ち上がり、部屋を出て行った。玄関の重い扉が閉まる音がした。
※※※※※
タキシード姿の二人は隣に並んで手を繋ぎ、ホテル内のチャペルへと向かった。
中には、神父、カメラマン、数名のスタッフしかいない。
誰も呼ばずに、二人だけで式を挙げることに決めたのだった。
二人きりの誓いの儀式。
二人は、互いの左手の薬指にプラチナの指輪を嵌めて、誓いを交わした。
シンプルなデザインの、なんの飾り気もないプラチナの指輪。
でも、そこには、二人の想いが込められている。
※※※※※
木暮が別れを告げて、赤木の部屋を出た後、半月ほど、互いに全く連絡を取らなかった。
次に、どちらから連絡を取ることになるのか?
我慢比べのような日々が続いた。
三週間が過ぎた頃、木暮が赤木の携帯電話に電話をかけた。
赤木は仕事が終わった後、自宅で一人、空虚な時間を持て余していた。
そのタイミングで、電話が鳴った。
赤木はディスプレイに表示された「木暮」の文字を確認し、震える手でボタンをプッシュした。
「木暮…」
赤木は、それ以上の言葉を紡ぐことが出来なかった。
「赤木、おまえの部屋に置いてある荷物、引き取りに行きたいんだけど、いつがいいかな?」
赤木の胸に、ズドンと重いものが落ちた。
「待ってくれ。一度、話をさせてくれ」
赤木が振り絞るような声で、木暮に請う。
赤木の瞳からは、熱いものが流れていた。
「…分かった。いつがいいかな?」
※※※※※
誓いの儀式の後は、二人一緒の写真を沢山撮影した。
二人の「結婚」話は、両親、きょうだい、その範囲にしか知らせていない。
これから、皆に知らせていくことになっていた。
今日撮った写真は、その報告に一部利用することになっていた。
※※※※※
木暮が赤木に電話した日の次の日曜日の昼下がり。
赤木の家で、二人は会うことになった。
いつも二人で楽しく食事をしていたダイニングテーブルを挟んで、二人は座った。
「赤木、ちょっと痩せた?」
木暮は、赤木の頬が心なしかこけていることに気付いた。
「木暮、おまえだって…」
赤木は、木暮の腕が若干細くなっていることに気付いた。
………。
沈黙の時間が、二人の間に流れる。
「木暮」
赤木が沈黙を破る。
「俺と、結婚してくれないか?」
「えっ!?…え、えーっ!?」
木暮が素っ頓狂な声を上げる。
「…そ、そんなに驚かんでも」
「ご、ごめん」
赤木は木暮の瞳を真っ直ぐに見つめて、話しかける。
「勿論、日本の法律では、男同士は結婚できん。残念ながらな。何をしたいかというと、お互いがパートナーであることを宣言したい」
赤木は「オホン」と軽く咳払いをした後、続ける。
「周りに明かすことで、リスクがあるのは百も承知だ。心無い言葉がくるかもしれない。会社での立場に、悪影響があるかもしれない」
二人とも、一介のサラリーマンだ。男性がパートナーであると知れたら、これからのキャリアに対して足枷となる可能性もある。
「俺は、全部受け入れる覚悟を決めた。その覚悟が遅くて、木暮、おまえを苦しめてしまった。反省している」
木暮の瞳からは、既にポロポロと涙が零れ落ちていた。
「木暮、おまえが受け入れる覚悟がないというなら、この話はなかったことにしてくれ。先日のおまえの望みどおり、別れよう」
赤木は太ももの上に置いた拳をギュッと握り締めて、判決を待つ。
「赤木、俺…」
木暮の声は、涙で震えていた。
「赤木と、結婚…したい…」
「木暮…いい…のか?」
赤木の目からも、熱いものが自然と込み上げてくる。
木暮は、しゃくりあげながら、赤木に言う。
「お、俺のほうこそ…一方的にわ、別れたいなんて言って…ご、ごめん。赤木が…どこまで覚悟を持っているのか、ちゃんと聞くべきだったよ…」
赤木は居ても立っても居られず椅子から立ち上がって、椅子に座ったままの木暮の横に膝立ちになって、木暮の身体を強く抱き締めた。
「こんな不甲斐ない俺でいいなら、おまえとずっと一緒にいたい」
「何言ってんだよ、赤木。不甲斐ないなんてことないから」
二人とも、少しの間離れたことで、一番大切なものが分かったのだった。
いや、一番大切であることは、分かりきっていたのだ。
それを曝け出す覚悟が少し遅かっただけで。
その覚悟を決めた二人に、もう何も迷いはなかった。
…ずっと一緒にいたい。
一緒にいよう。
※※※※※
二人の式が執り行われたのは、六月十一日。
いわゆる「ジューンブライド」というやつだった。
結婚記念日は分かりやすい日にしようかと、二人の誕生日の真ん中の日に決定したのだった。
これから、二人にどんな困難があるか分からない。
でも、誰に何を言われようと、二人が離れることはない。
覚悟を決めたのだから。
(終)