チェリーキッス海の上で生鮮食材を手に入れることは難しい。魚や海獣の肉は海の上でも運が良ければ手に入るが、こと野菜や果物に関しては、ナミのみかんのほどこしを受ける栄誉を得た場合を除き、生で食べられる機会はどこかの島に上陸できた直後だけとなる。
今回の島でサンジが少し奮発をして買ったのは大粒のさくらんぼ。半分は冷凍して次の島までの間のスイーツに使うとして、やはり新鮮な果物は生で食べるのが一番美味しい。宝石のようにきれいなさくらんぼは麗しのレディたちに、傷などの訳ありで安く購入させてもらったさくらんぼのうちマシなものは男たちの分の嵩増し用にした。
それでも、大きく切り分けられる肉と違い、さくらんぼは量を多くしたところで小さいものは小さい。
初日は量を多く出していたが、一口が大きい者たちには物足りなかったようで、デザートの後しばらくは、保存用に手を出しに来た不届き者たちを撃退するため、サンジはキッチンの番人を務めていた。
最初の襲撃はルフィ・ウソップ・チョッパーのいつもの三人。その次も同じ。三度目はウソップとチョッパーは懲りたのか、ルフィはブルックを連れて侵入してきた。この時点で午後十一時。これまでの戦果はサンジのキツイお仕置きを受けた後のお情けの一粒ずつだけだ。リスクと報酬が合わないためにウソップとチョッパーは二度で撤退したのだが、ルフィだけは三度目の侵入を試みた。仏のサンジもさすがに微笑まず、あえて見せびらかすようにブルックにだけほどこしを与えてやった。
食いたい奴には食わせてやるが信条とは言え、盗み食いは別の話だ。空腹なら考慮はするが、食欲だけで手が出るのならばこの船全員の食料を預かる料理人として許してやるわけにはいかない。
しかしながらこのやり方はかえって逆効果であった。自分には与えられないさくらんぼにショックを受けるルフィの顔を見てサンジ自身が罪悪感からダメージを受けただけでなく、ルフィの闘争心にも火をつけてしまったらしい。
かくして深夜零時過ぎ、ルフィ単独での侵入が試みられたのだが、なんとなく寝られずに起きていたサンジとしっかり鉢合わせすることになる。
そして現在、全身縄で縛り上げられたルフィは、サンジの尻の下に敷かれていた。
「サンジィ〜なあごめんってば〜謝るからもう一個だけ食わせてくれよ〜」
「お前清々しい程に反省してねェな!お仕置きが足りねェか?あ?」
靴をカッカッと鳴らせば身をすくめ「ごめん!」と言うものの、その一秒後には同じ口で「だって〜」が出てくるのだから呆れてしまう。縛り上げるまでは怒り心頭であったサンジもいい加減脱力し、ルフィの上から腰を上げた。
「そりゃ果物は生がいいけどよ、せっかくなら航海中も食えるよう美味い菓子作ってやろうかと思ってんのに、保存用にも手出そうとするってことは、お前はおれの作る菓子はいらねェんだな。そーかそーか」
わざとらしくため息をつきながら責める言葉には、一割程は本音も混じる。そのせいかは分からないが、ルフィもようやく顔色が変わり、芋虫状態のまま身体を器用に起こして「やだ!」と吠えた。
「サンジの作ったおやつも食いてェ!」
「じゃあ、もうこのさくらんぼには手出さねェな?」
念押し、確認のために言ったにも関わらず、この期に及んでルフィはまだ「分かった」を言い淀む。
「お前なァ!しまいにゃ泣くぞ?!」
「だってサンジさっきブルックにだけやっておれにはなしだったから!さっきの分くれ!」
子供のようなルフィの理屈にほだされ、ここでさくらんぼをあと一つやればすぐに解決する話かもしれない。しかし自分のお仕置きが裏目に出たことはともかく、そもそもルフィが悪いことをしたので叱っただけだ。ブルックだけにあげたと言うが、ルフィにはその時すでに余分に二つ与えた後だった。思い出すほどに「なんでおれが折れてやらなきゃならないんだ」という思いが強くなり、はいはいと与えることができない。
不毛な睨み合いをしばらく続けたのち、わがままを主張しながらテコでも動かなさそうなルフィに、ついにサンジの我慢の糸が切れる。
「そんなに欲しけりゃこれでも食ってろ!」
そう言ってルフィの口にサンジが放り込んだのは、机の上にうっかり残っていたさくらんぼのヘタ。一瞬期待したルフィの表情はすぐに曇り、食べられないヘタを吐き出そうとしたが、その前に、サンジが続けた。
「それかそのヘタ、口の中で結べたらあと一つだけおまけやるよ」
「ふぉんふぉか?!」
途端、ルフィの瞳が輝くが、サンジは鼻で笑って頷くだけだ。
まあ無理だと思うけど。その言葉は口にせず。「結べたら持って来い」と言いながらルフィの縄を解こうとしている間も、当の本人は口をもごもごと動かしている。
この条件を口にした理由は、さくらんぼのヘタが目に入ったからが大きいが、同時に、条件を思いついたときにルフィにはできっこないと確信していたからだ。
しかし、サンジのその考えは、ものの数秒で否定される。
「まあお前にゃ無理だろ。さくらんぼのヘタを舌で結べる奴は……」
「んあ、れきらろ!」
縛り上げた縄をほどききる前に、サンジの言葉をさえぎる形で発せられた声に、とっさに反応できなかった。そんなサンジの様子に気付くことなく、ゆるんだ縄を自らほどいたルフィは立ち上がり、舌をべっと突き出す。真っ赤な舌の上に乗ったさくらんぼのヘタは、器用に固結びにされていた。
「結べたぞ!さくらんぼくれ!」
「あ、ああ……」
両手が解放されたルフィは結んださくらんぼのヘタをつまんでサンジの眼前に突き出す。自分で約束した手前反古にもできず、冷蔵庫から新しい一粒を取り出した。一粒にしては大きく開きすぎる口にさくらんぼに放り込めば、ようやくルフィは満足気な表情を浮かべた。
「ホントにこれで最後だぞ。次はねェからな」
今度は素直に頷いたルフィは、サンジに礼を言ってキッチンを後にした。
――さくらんぼのヘタを舌で結べる奴は、キスが上手いんだってよ。
最後まで紡げなかった先の自分の台詞が頭の中に響く。
ルフィが結んださくらんぼのヘタをしばし眺めた後、煙草の火を消し、今ルフィが食べて残った真っ直ぐなままのさくらんぼのヘタを口の中に含む。拳を口元に当て、傍から見れば何か考え込んでいるような姿勢のサンジは、そのまま数分口の中をもごむぐと動かしていたが、やがて口の中から出て来たのは、真ん中辺りで二つ折りになっただけのヘタだった。
「……なんっで、あいつはできんだよ?!」
くだらない俗説に過ぎないと分かっている、分かっているのだが、よりにもよってルフィにできて己にできないという事実に、サンジの男としてのプライドが大きく傷つけられた。
その翌日より、サニー号のおやつには必ず少量のさくらんぼが使われるようになるのであった。
数日後。
本日のおやつはクリームソーダとナミのみかんのフルーツサンド。普段なら男衆には見た目の華やかな飲み物の代わりに食べ物が二倍というような配給が多いのだが、甘いものを好まないゾロを除き、珍しく他の男たちにもクリームソーダがふるまわれていた。
見た目良くカットされた断面も見もせず口の中に放り込む男たちにナミは呆れるが、その後はパラソルの下でロビンと楽しく優雅に過ごしている。男連中はあっという間に食べ飲み終わり、食器だけはキッチンへ戻すよう言いつけているので、次々とシンクにグラスを置いては、「ごちそうさま」と言ってまた外へ飛び出して行った。
「おれはクリームはあまり好かねェ」
「そう思ってお前は茶にしてやったし、チョッパー以外の野郎共の分はだし巻きサンドも用意してやっただろうが!ナミさんがお恵みくださったみかんもありがたく食え!」
「食わねェとは言ってねェ。だし巻きは悪くなかった」
何だその言い草は!とサンジの怒り声を背にゾロは甲板に戻ろうとダイニングのドアを開ける。ゾロと入れ違いに、今度はウソップが部屋の中へ入ってきて、サンジの口撃が止んだ。
「まーた喧嘩してんのかお前ら。見えないとこでも元気だなァ」
呆れつつもキッチンに回り、「うまかった!ごっそさん!」とウソップはグラスをシンクに置く。その手を急に強く掴まれたものだから驚いて思わず「うおっ」と声が出た。ヤバい怒らせたか?でもそんな怒るようなこと言ったか?とサンジを見れば、サンジは憤っている様子ではなかったが、いつになく真剣な顔で、ウソップを見つめていた。
「ど、どうしたサンジ?」
「ウソップ、お前に折り入って相談がある」
「おれに相談?」
黙って頷くサンジに、わざわざ自分を選んで相談してくるなど、一体どんな話だと神妙な顔をして、身体ごとサンジに向き直る。サンジもウソップの手を離し、一つ息をつくとおもむろに口を開いた。
「お前、口の中でさくらんぼのヘタって結べるか?できるならコツを教えて欲しい」
「…………ん?……悪い、もう一回言ってくれるか?」
「口の中でさくらんぼのヘタ結べるか?」
改めて活舌良く発音された台詞に、聞き間違いではなかったのだとウソップは目をつむる。そして静かに背を向けようとしたので、サンジが慌てて再び腕を掴んだ。
「おい黙って去ろうとすんな!こっちは大マジだぞ」
「大マジってお前……何を真剣な顔をしてるかと思えばそんなしょうもねェことを……」
心配した分ため息が深くなるウソップの言葉に、しょうもないことにこだわっている自覚はあるのでサンジはぐっと詰まる。しかしここ数日どれだけ一人でチャレンジしてみても、惜しいと思える気配すらない。コツを掴むにもルフィに聞くのは敗北感が増すばかりだし、器用そうで、かつサンジがこのしょうもない頼みをするのにプライドが許せる相手はウソップしかいなかったのだ。
「舌で結べる奴はキスが上手いってやつだろ?んなもん結べるかどうかとキスの上手さは関係ねェだろ」
「そりゃ分かってるけどよ~。お前、これルフィができるんだぞ、あのルフィが!」
ルフィが、と聞いて目を丸くした後に、いや別に驚くことでもないな?あいつ意外と器用なとこあるしゴムだから舌も柔らかいだろうし?とウソップは思うのだが、肝心のサンジが納得しないのでどうしようもない。
このままではらちが明かないので、ウソップは仕方なく、自分のクリームソーダに入っていたさくらんぼのヘタを口に含み実際にチャレンジしてみる。目の前で同じように口元を押さえもごもごと動かしているサンジを見て、そう言えばここ数日はサンジの煙草の本数がいつもより少ないってチョッパーが嬉しそうにしていたことを思い出していた。
――結ぶっつっても指みたいに両端つまんで持ってくのは無理だし、両端寄せて輪っかみたいにして、端のどっちかをそこに突っ込っこめばいいよな?
頭の中で動きを想像しながら、ウソップも口をむぐむぐと動かす。一つ目はポキッと折れてしまったので、別のヘタでのチャレンジでは、まず全体を柔らかく湿らせようとしばらくは動かさなかったり、一か所しか抑えられないが、歯を指の代わりとして押さえるのに使ったりして試行錯誤をする。数分の格闘ののち、ウソップも何とか口の中でヘタを結ぶことに成功した。
「……できたァ!!」
「お、おおお~~!?」
ウソップが口の中から結べたヘタを取り出すと、サンジも驚きと感激と悔しさの何とも言えない表情を浮かべて声を上げる。自分から教えを請うておいて悔しそうにすんなよとは思いつつも、普段はサンジに頼られるより頼ることの方が多いので、少し得意な気持ちにもなる。けれど下手に自慢げにするとサンジはさらに拗らせて面倒なことになりかねないともよく分かっているので、ウソップは素直に、自分がヘタを結んだ時のポイントを丁寧に教えた。
「それ、やってる時の顔ブサイクにならねェか?」
「そーだよ、キスが上手いをアピールするのにブサイク顔晒す意味があんのかって話だよ。本末転倒だよ。こんなもん、一発芸みたいなもんで、できたやつが調子乗って言い出した俗説だろ」
ウソップの説明を聞きながら、サンジが最中の顔を想像して眉をひそめたので、思わずウソップも真顔になって返してしまう。ようやくサンジも少し冷静になってくれたのか「そうだな」と返す声のトーンは下がったものの、唇には新しいヘタが咥えられていた。
「ま、さくらんぼももうすぐなくなるんだろ?ヘタそのものがなくなりゃそんなもん気にする必要もないんじゃねェの?」
諦めを諭すような言葉をかけサンジの肩を叩き、お役御免とばかりに手を上げてキッチンから立ち去る許可を求める。発言に頷くことはできないまでも、サンジは渋々ウソップを解放した。
そんなやり取りをした数日後。
ウソップの言葉には不服そうな顔をしていたサンジだったが、相談と特訓を経て、意固地になっていた感情はほぐれていたらしい。
冷凍しているとはいえさくらんぼだって早く食べたほうがおいしいに決まっている。くだらない練習のためにヘタを確保しようと保存期間を引き延ばしていないで、ヘタがなくなるまでにできなかったらそれで終わりと決めて、残りのさくらんぼを贅沢に全部使い、大きなタルトを作ることにした。
夕食後、等分に切られたタルトが船員(クルー)全員にデザートとしてふるまわれる。食べ切る速度も味わい方もそれぞれだが、タルトを頬張ったときの瞳や笑顔の輝きは、サンジには誰もが一等星に映る。
幸福で賑やかな食事を終えたその夜更け、静かになったダイニングで、サンジは一人最後の挑戦をしていた。
タルトにはたくさんさくらんぼを使用したので、今宵のヘタの数は十分すぎるほどある。全部使うことはないだろうが、使わなくても、成功してもしなくても、今日すべて捨ててしまうつもりだ。
踏ん切りがついたとはいえできれば成功させたい。誰が見ていなくても自慢する相手がいなくても、これは意地である。
テーブルに肘をつき、口元を隠すように手を組んで、目を伏せ取り組んでいると、まるで何か真剣な考え事をしているように見えるが、実際サンジは真剣に、ウソップのアドバイスを思い出しながら舌を動かしていた。
――まずは十分湿らせて、柔らかくして、舌で押して丸くして、先端同士を交差させたらヘタの真ん中あたりを歯で押さえる。そんでどっちかを輪の中に突っ込みさえできれば……!
眉を顰めながら四苦八苦するサンジは、何とかヘタで輪を作り先端同士を交差させるところまではできるのだが、その後が上手くいかない。あと少し、あと少し押し込めば結び目ができるはずなのに、と、思わず強く噛みすぎて裂けてしまったヘタを口から取り出したタイミングで、ダイニングのドアが開いた。
「サンジ、まだ起きて……」
ダイニングに入ってきたルフィの言葉が不自然に途切れた。くだらない特訓をしているところを見られたサンジは恥ずかしさから慌ててヘタを隠そうとしたが、それがルフィには違う意味に映ったらしい。まん丸にしていた目を吊り上げ、頬を膨らませ、サンジの方に大股で歩み寄ってきた。
「ずるいぞサンジ!隠れてさくらんぼ独り占めにするなんて!」
「……へ?」
「こんなにいっぱい、一体何個食べたんだ!?そりゃサンジはコックだし味見もするだろうけど、職権濫用は船長としては見過ごせないぞ!」
サンジが隠そうとした手の下の、何本ものヘタの入った皿をルフィは指差す。船長としては、と言っているが、半分は個人的にずるいと思っている顔だ。そこでようやく、サンジはルフィの誤解を解くため弁明を試みるが、ルフィの食べ物への執着を解くのはなかなか骨が折れる。最終的には、食べたはずのさくらんぼの種はどこにもないだろうということで納得してもらったが、ヘタを持っていた理由については、洗いざらい白状させられてしまった。
ルフィに知られてしまった情けなさから、サンジはテーブルに突っ伏す。その隣で、サンジからタルトのあまりのカスタードを添えた翌朝用のスコーンを一つもらって、ルフィは上機嫌である。
「でもあれそんなに難しかったか?」
無邪気に首を傾げるルフィに、サンジのプライドがまた傷つけられる。しかし当のルフィに知られてしまっては意地もへったくれもない。もうこれでやめよう、と最後に一つヘタを口に放り込んだ。
サンジの投げやりな横顔を見ていたルフィは、自分もヘタを一つ取り口に含む。二人並んで無言で口をもぐもぐとさせている時間に、一体何をしているんだこれはとサンジが思い始めたタイミングで「できた!」とルフィが声を上げた。べ、と出されたルフィの舌先に、綺麗に固結びのヘタが乗っている。自慢かよ!と思わず怒鳴りそうになったサンジの口で、ヘタが今までにない形になった。
思わず口を押えたサンジに驚いて、ルフィが「どうした?」と声をかけるもサンジからの返事はない。両手で隠した口の中、サンジは落ち着け、と自分に言い聞かせる。ヘタの片側の先端を歯で挟み、もう一方の先端が輪から抜けないよう、慎重に結び目を舌で押し、輪を小さくする。
「…………っ、で、きた!」
口元から外された手の中に、ゆるく結ばれたさくらんぼのヘタ。出してから両端を引っ張って結び目を固くするのはご愛敬として、ようやくできたことには違いない。しょうもない、と思っていても何日もかけて成功した嬉しさのあまり、サンジは興奮気味に「おれもできたぞ!」と自慢げな顔をルフィに向けるが、ルフィには初日に難なくできていることなので、サンジの喜びがいまいち分からない。分からないが、この上機嫌のサンジをわざわざ否定してやる意味もないので「良かったな!」とにっと笑った。
善意しかない満面の笑みを返されて、サンジも冷静さを取り戻し、急に気恥ずかしくなってくる。とにもかくにもこれで目標は達せられたのだから、もうおしまい、とヘタを捨てるため立ち上がろうとしたところで、ルフィが手を掴んできた。
「なんだ、おかわりはもうねェぞ」
「あーそりゃ残念だけど、おかわりがしたいんじゃなくて」
おかわりじゃないなら何の用だと不思議そうにするサンジの、その後ろ頭にルフィは手を回す。
「サンジもできたなら、うまいかどうか試してみるか?」
言葉は問いかけの形であったが、ルフィはサンジの返事も待たず、唇を押し付けて来た。
ルフィの言葉の意味を咀嚼するより先にキスをされ、サンジは現状を理解できず目を見開く。
少しして唇が離れたときに、自然とはっと吐息をこぼすと、わずかに開いた唇の隙間から舌が侵入してきた。さすがに我に返り、ルフィを突き放そうとするも、サンジの後ろ頭を押さえるルフィの右手の力は強くなり、押し返そうとした右手は捕まってしまい、唯一自由な左手で肩を押すも、ルフィの身体はびくともしなかった。
「んんっ、ん、んぅ~~っ!!?」
抗議の声も口の中で不発するだけ。時折わずかに唇が離れるが、一呼吸するだけで今度は別の角度で重ねられる。
舌先同士を擦り合わせるように押し付けられ、そのまま舌の腹をゆっくりと舐られる。拒み押し返そうとした舌を絡めとられ、まるで自分から絡めにいったような仕草になりとっさに引っ込めようとすれば、今度は吸い上げられ柔く噛まれる。閉じられない口の端から唾液が溢れた。
「んっ……ふ……はぁぅ……っ」
そんなことを繰り返しているうちに、息継ぎの時に漏れた自分の声に、サンジは顔を熱くした。
何だ、今の声。甘えたような、ねだるような、そんな熱を孕んだ声。
そんなわけがないとぎゅっと目をつむり、ゆるみかけていたルフィへの抵抗を強くするが、ルフィの腕の力が弱まることはない。けれどこれ以上されるがままになっているのはまずい!と焦るサンジは、口内に我が物顔で居座るルフィの舌を噛んだ。
「んいっ……いってェ!にゃ、にゃにしゅんだよしゃんじ!?」
「は……そりゃこっちのセリフだバカ野郎!いきなり何しやがる!?」
噛まれた舌を突き出して、ルフィはサンジに抗議するも、口元を拭ったサンジがそれ以上の勢いで怒鳴り返す。何の脈絡もなくキスを、それも恋人とするような濃厚なキスを突然仕掛けられ、サンジの頭は大混乱中だ。
しかしルフィはサンジの剣幕など気にも留めず、サンジの問いにふてくされたような返事をする。
「だーかーらー、それはさっき言ったじゃねェか。『試してみるか』って」
「試すって……」
「だって、さくらんぼのヘタを舌で結べる奴は、キスが上手いんだろ?ホントかどうか確かめるにはキスするしかないだろ?」
あっけらかんと言ってのけるルフィに、サンジは絶句した。
――え?ルフィは知っていたのか?じゃあおれがムキになって練習してた意味も分かって……?
「でもよく考えたら、おれサンジの他にキスしたことねェから上手いか下手か分かんねェや!サンジはどうだ?おれのキス上手かったか?」
わくわく、という擬音を背負って無邪気にそう問いかけてくるルフィに、サンジの羞恥心は限界を突破した。
「知るかクソエロゴム!!」
思いっきり蹴り飛ばしたルフィが壁に激突し、蛙が潰れたような声を漏らしてずり落ちる。そちらには一瞥もくれず「二度とすんな!!」と吐き捨ててサンジはダイニングから飛び出していった。
少しして、のそりと身を起こしたルフィだったが、イテテと言うその口元は弧を描いていた。
ルフィが、さくらんぼのヘタの俗説を聞いたのは数日前のことだ。
さくらんぼのデザートが続いたある日、フランキーが口の中でヘタを結んで自慢げに見せて来たのが不思議で、思わず「それそんなにすごいことなのか?」と聞いてしまったのだ。
「なにを~?じゃあてめェもやって見せろよ、そんな簡単じゃねェぞ?」
そう言われたので前のように口の中で結んで見せたところ、フランキーだけでなく、側で呆れたように彼らの様子を眺めていたナミたちさえ目を丸くしたので、ルフィはますます首を傾げた。
「お、お前、なんでんなことできるんだ?!」
「なんでって、フランキーだってできただろ?そんな変なことか?」
「ルフィってば、無邪気な顔して意外とテクニシャンなのね」
「ちょっと、変な言い方しないでよロビン!大体あんなの俗説でしょう?」
「何の話してるんだ??」
首を傾げるルフィに、悪い大人たちがその俗説を吹き込み、今日に至る。
ダイニングでたくさんのさくらんぼのヘタを抱えるサンジを見て、最初はずるいと思った。
理由を聞いて、スコーンをもらい上機嫌な自分とは反対に、サンジはテーブルに突っ伏し落ち込んでいる。落ち込む理由は分からないが、そうかサンジはさくらんぼのヘタが結べなかったのか、と思うと何故かうれしいと感じた。
「おれもできたぞ!」
と、自慢げなサンジの顔。こちらもできることでサンジがここまで喜ぶ理由は分からないが、結んださくらんぼのヘタを見せてくるサンジの顔はいつもより無邪気で子供っぽく、可愛いと思った。
ルフィが笑みを返すとサンジは視線を外してしまい、ルフィは小さく肩を落とす。しかし、立ち上がりかけたサンジの耳がうっすら赤く染まっていることに気付くと、思わず引き留めるようその手を掴んでいた。
「なんだ、おかわりはもうねェぞ」
「あーそりゃ残念だけど、おかわりがしたいんじゃなくて」
無防備だな、と思いながら、サンジの後ろ頭にルフィは手を回す。
「サンジもできたなら、うまいかどうか試してみるか?」
「……うまかったなァ」
唇を舌で舐め、ルフィはサンジとのキスを反芻する。
予想よりずっと柔らかだった唇も、煙草の香りの苦みも、拒むような動きをしつつも簡単に絡められた舌も、キスを仕掛け直すたび甘くなった吐息も、熱くなった肌も。
また味わいたい、と思ってしまった。
「二度とすんな!!」と言われても、こちらも海賊、欲しければ奪いにいくだけだ。
――それに、サンジだって絶対嫌じゃないと思うんだよなァ。
そんなことを考えながら、ルフィもサンジのいなくなってしまったダイニングを後にした。