抗う者達①※ちょこっとだけ「カエラズノケン~狂気山脈第三次登山隊の顛末~」のネタバレを含みます。
※設定の捏造を多分に含みます。
※展開や描写についての注意書きはしません。なんでも許せる方のみお願いします。
※登山のとの字も知りません。付け焼き刃もできませんでした。
※リアリティを追求したら物語そのものが成り立たなくなると思うので、ファンタジーってことで一つよろしくお願いします。
志海を捜しにいくお話です。
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気温マイナス30度。風はさほどではなく、高所登山に慣れた八木山にとって身を縮ませるほどの外気ではない。
しかし彼の心に吹き込む冷気はそれを大きく下回っていた。遥か前方を見上げれば、天を突かんばかりのいくつものピークが視界を鋭利に侵す。
脳裏をよぎるのは忌まわしい記憶ばかりだ。現実の出来事としてはあまりに異質でおぞましい、数々のそれ等。思い出さずに済むならどれほど幸福なことか。
しかし八木山は逃げることなく向き合い、決意のこもった眼差しで眼前の山を見据えた。
彼は知っている。この山脈の向こうにはさらに巨大な山々が待ち構えていることを。
目指すは標高七千メートル。最初の難関と言われた乗越の先の、向こう側。
はたして誰が呼んだか、狂気山脈。
八木山は今からその山を登る。地獄のような過酷な山を。
再び。
志海三郎の安否を明らかなものとするために。
下山してからわずか一ヶ月だ。
正気か、と若いアルピニストに怒鳴られたことを思い出し、八木山は苦笑した。正気かと問われたら、正直答えに窮する。自分はそれだけのことをやらかしに来たのだから。
デスゾーンを越え、標高一万メートル超の山頂にたどり着き、その付近から三千メートルまでベースジャンプで降りて、そのあとまた六千メートルまで登り返し、やっと下山して……からの、一ヶ月以内の再出発。
八木山自身すら笑うしかない。
しかし、猶予がなかったのである。
ベースジャンプ中に行方不明になった志海が生き長らえることができる、ギリギリのタイミングだと思った。自分達がデポしてきた荷物や、第一次登山隊が残したそれ等からかき集めた食料を切り詰めれば、なんとか生き延びることができるかもしれない。そんな希望的観測がかろうじてまだ通用する期限がそれくらいだと、八木山は考えていた。
……それに。八木山は口許を引き結ぶ。
己のタイムリミットも、一ヶ月と踏んでいた。
若きアルピニスト、コージー・オスコーとの会話を思い返す。八木山が再登山の支援をしてほしいと頼み込んだ時のことだ。
案の定、コージーは反対した。
「体だってまだ本調子じゃないだろう! 死にに行くようなものだぞ!? 承諾できるか!!」
彼の言うことはもっともだった。しかし八木山は首を振った。
「どうせ、長くはない」
「は……? それは、どういう」
言葉の意味が分からず、コージーはいぶかしむ。
そんな彼に八木山は訊いた。
「一日睡眠時間30分しか取れない人間がどれだけ生きていられると思う?」
「そ、それは」
理解して口ごもるコージー。八木山は説明する。
「元々ショートスリーパーではあるが、それでももう一ヶ月以上まともに眠れていないんだ。睡眠薬の効きもあまり良くない。俺には、戻る以外に選択肢がないんだよ」
心配の種が取り除かれない限り、自分に安眠は訪れない。七浦を心配している間に、八木山はかなり消耗していた。親友の安否を確認でき、やっと二時間眠れたと思ったら、今度は志海が行方不明ときた。
心配だったのに。
八木山には、諦め放置するという選択肢はなかった。
今現在、実際に不調を感じているわけではない。しかし、睡眠不足からくる限界はある日突然やってくる。そうして亡くなった創作者を、八木山は何人も知っている。このままでは自分も二の舞となろう。
だから、八木山は一ヶ月という短い空白期間を経て、再び狂気山脈に挑むのだった。志海を捜しに山にに登って死ぬか、何もせず睡眠不足で死ぬか、どちらを選ぶかといったら、前者を選ぶ。……死にたくはないけれど。
そう、死にたいわけではない。死ににいくのではない。生きるために、憂いを払って生き延びるために、長い目で見て目先のリスクを選んだだけである。
「今回は三千メートルより手前からのアタックか」
隣に並ぶ男が言う。元世界最強の格闘家。
杉山徹心。
「犬が怯えるんだし、仕方ないね」
答えるのは反対の隣に立つギャルである。彼女は登山系YouTuber。
ハンドルネーム:えべたん。
二人とも、頼もしき登山仲間だ。命に関わる強行軍だというのに、共に来てくれた。
特に杉山は登山だけでなく格闘家であることすら止めるというのに、それでも同行してくれた。志海が心配だという理由で。振り返ってみれば、彼は四人の中で一番情に篤い男だったのではないかと八木山は思っている。ベースジャンプから着地後、山に呑まれて行方不明になった志海をすぐさま捜しにいこうとしたのも杉山だった。見失い、結局できなかったけれども。
──さて、今回の再登山にはもう一人同行者がいた。
「今回の目的は志海さんの捜索。無茶はしない。デスゾーンへは行かない。守ってね」
八木山の後ろに立つ女性が念を押す。世界をまたにかける名医だ。
彼女の名は穂高梓。
なんと、彼女も再登山に付き合ってくれたのだ。
穂高はコージー以上に再登山に反対した。八木山は彼女に二度と聞けないのではないかという勢いで怒られ、止められた。それもそうだ、一ヶ月での狂気山脈再登山、その危険性は医者である穂高が一番分かるだろう。
だが再三の説得にも応じなかった八木山を見て、ならばついていった方が危険を減らせると考え直し、同行するこにした。
さすがに八木山は最初遠慮した。己の我儘で穂高までもを巻き込むわけにはいかないと思った。危険な登山であることは八木山もよく分かっていたから。
しかし八木山が譲らなかったように、彼女も譲らなかった。
こうして、第二次登山隊参加者四人による第三次登山が開始されたのだった。
今回スポンサーとなってくれたのは、世界に名を誇る北米大手アウトドアメーカー『ネオステリクス』だった。八木山もよく知っているブランドである。第二次狂気山脈登山の時にコージーがこのブランド製品で身を固めてきたので、さすがボンボンだなと内心苦笑していたのだが……なんと、かの有名な敏腕社長がコージーの異母姉なのだという。そういえばネオステリクスはオスコー財団の系列だったと八木山はあとになって思い出した。
コージーは義姉にスポンサーになってくれるよう頼んでくれたのだ。
最初は父に掛け合ったそうなのだが、第一次登山隊の顛末や、志海の行方不明を受け、オスコーの名に傷が付く恐れのあるバックアップはできないと言われたという。八木山はもっともだと思った。もし自分達に何かあれば、危険な行軍を後押ししたとして、世間から激しい批判を受けるだろうから。
そこでコージーは義姉に頭を下げ、結果、社長のデナリー・ウォシュバーンは条件付きで承諾してくれたのだった。
その条件というのは、二つ。
一つは再登山の事実をできる限り秘匿すること。理由はコージーの父の言い分と同じだ。何かあったらネオステリクスの汚名となってしまう。
ただ、八木山達が口を閉ざしていても、預かり知らぬところで漏洩してしまう恐れがある。それゆえ表向きには独自に捜索隊を編成して送り出したと公表し、加えて再登山に関わる人間達には、金の力でより信頼できる者が集められた。豪胆な社長だと舌を巻いたのは記憶に新しい。
「──それにしてもネオステリクスのウェアは快適だな」
杉山が言った。
「そりゃ一流メーカーだしな」
と八木山。
「まさかウェアとかだけじゃなく、装備品までネオステでそろえられる日が来るなんて思わなかったし。来て正解だったかも」
えべたんが笑う。
ウォシュバーン社長は登山装備と道具一式まで準備してくれた。社長自身も実力ある登山家だそうで、自社製品もこだわり抜かれた一級品ばかりだ。その総額を考えるとめまいが起きそうである。
「……それだけ生きて帰れってことなんだろう。割りに合う捜索行だったらいいけどな」
八木山は苦笑いを浮かべた。
二つ目の条件はそう、必ず全員無事に帰還すること、である。ブランド名如何ではなく、義弟を後悔で苦しませないために、そして自分の決断を間違ったものにさせないために、とのことだった。
コージーの話し振りから、姉弟間に何やらわだかまりがあるように見受けられたが、互いに相手を愛し、思いやっていることもうかがえた。義姉は義弟の頼みだからこそ引き受けたのだ。二人の恩に報いるためにも、八木山達はなんとしても無事に帰還しなければならない。これは責任重大だなと八木山は苦笑したのだった。
「あ、写真撮ろ、写真。再登山記念に! せっかくネオステファッションなんだし」
そう言ってさっそくスマホを取り出すえべたん。
「あのなぁ、もう少し緊張感ってものをだな」
八木山は呆れた。
「少しくらい気楽な方が肩の力が抜けていいんだって。ね、梓ちゃん」
えべたんがにっこり笑って穂高に同意を求めれば、穂高はため息混じりに笑みを見せ、うなずいた。
「……そうね。気構えが強すぎるのも先行きに良くないかもしれない」
狂気山脈を再び前にして気を張っていた穂高だったが、彼女達が登山のための健全な精神を維持するためには、これくらい明るい方がいいのかもしれないと思い直した。
「ほらー、梓ちゃんだってそう言ってるんだし!」
「撮るなとは言ってないだろう」
「なら初めから文句を言うな」
杉山もえべたんに続いて写真に写る気満々である。
えべたんが穂高の肩に腕を回して引き寄せ、穂高の後ろに八木山、杉山はえべたんの後ろ隣に立つ。タイミングを合わせ、はいチーズ!
「いーじゃん、いーじゃん! 映えるね! 公開しないけど」
「あとでLINEで送れよ」
杉山の言葉にえべたんはうなずいた。
「オッケー。梓ちゃんと八木山サンにも送るね」
「ありがとう」
「はいはい、どーも」
こうしたささやかな約束は、下山の決意でもある。
全員そろって下山する。叶うなら、生きていた志海も一緒に。
──とはいえ。
「地形、また変わってるっぽい?」
山の中腹を眺め、えべたんが言う。
「再登山っていうか、完全に新たな登山だな……」
ため息をつく八木山。
「衛生写真から割り出したルートは、初めの方こそ前と同じだが、途中から大きく変わっていたな」
杉山が言う。
「登る距離も長くなってる可能性があるな……」
必要となる時間を考え、八木山は眉をひそめた。今回はただ登るだけではなく、志海を捜索しながらの登山となる。範囲が広がれば、それだけかかる時間も長くなる。
八木山達にとって、時間の消費はタイムリミットへのカウントダウンなのだ。猶予はあまりない。
なんとも幸先不安な再登山であった。
「……やっぱり、本当に山が動いてるのね」
ぽつりと穂高が呟いた。少しばかり顔が青くなっている。
「だから言ったじゃん。ヤバかったんだって」
えべたんが言う。
「あれは地殻変動では説明しきれない」
と杉山。
「ベースキャンプに戻るか?」
心配そうな八木山の問いに、しかし穂高はしっかりと首を振った。
「……いいえ、大丈夫。行きましょう」
そう言って確かな足取りで進み始める。穂高の目は既に歩くべきルートを見定めていた。
「じゃ、しゅっぱーつ!」
そこにえべたんが意気揚々と続き、杉山もよしと気合いを入れて歩き出す。
「……」
八木山は今一度、眼前にそびえる山々を見た。
実のところ、彼には一つ考えていたことがあった。
この、思い出すことすらはばかられるような出来事を次々と突き付けてきた、狂気山脈について。
八木山はある仮説を立てていた。
「八木山?」
動かない八木山をいぶかしみ、杉山が振り返る。
「今行く」
頭をよぎったそれを、八木山はいったん振り払う。挑むように雪を踏み締め、杉山達のあとを追った。
──もし、仮説が事実だとしたら。
何故、志海“を”。
オーロラは今回も美しかった。