抗う者達⑫「そういえば結局あれって誰だったんだろうねー」
おもむろにえべたんが言う。
「シウミの場所を指差していたっていう影か?」
コージーが問うた。
「そうそう。それがあったから、ウチ等も懸垂下降の準備してたわけだし」
それが功を奏して八木山の危機を救い、速やかに洞へと入ることができたのだ。
「ヤギヤマの親友ではなかったんだろう?」
「うん。写真も見せてもらったけど違った。第一次登山隊でもなかった」
「俺も他に思い当たる節はないしなぁ」
首をかしげる八木山。
「っていうか、そもそもあの七浦の夢な、罠だったんじゃないかと思ってるんだ」
とたんにべたんが批難する。
「え、なんでー! 七浦サン可哀想じゃん!」
「いや、考えてもみろ、狂気山脈だぞ? あれは志海を餌にして俺をおびき寄せようとしてたんじゃないかと思うんだ」
幸いにもかすかな異音に気付いて早急に立ち去ることができたが、あのまま長居していたらどうなっていたことか。あの瞬間は今でも思い出すたびにぞっとした。
「えぇ~」
相変わらずの悲観に、せっかくの美談が台無しだとえべたんはがっかりする。
「ねぇねぇ、志海サン。本当に心当たりない?」
えべたんは志海に向き直った。しかし志海は両手を広げて肩をすくめ、
「いや~、ないですねぇ。だいたい僕みたいな人間を助けるような酔狂な幽霊いないでしょ」
と、へらへら笑う。……うっすらと脳裏をかすめる記憶があったが、志海はそれを無視した。そんなはずは絶対にないから。可能性として、ちらとでもそれを思い出してしまった自分に反吐が出そうになった。
それはさておき、志海の返答を聞いてコージーは八木山を横目で見た。
「そうでもないんじゃないか?」
「あー」
実例がすぐ側にいた。こういう人間が酔狂な幽霊になるのだろう。
「酔狂で悪かったな」
八木山がこれ見よがしにニヤリと口角を上げる。
「一人いればおなかいっぱいですねぇ」
「全部で四人いたけどな」
とコージー。
「胸焼けしちゃいますよ、ホント」
やれやれと志海は首を振った。しかもその酔狂というヤツが、これからも続くらしいのだから、本当に面倒である。
──助けたもの、と言えば。
「徹心が言うには」
「ん?」
志海の呟きに三人の注目が集まる。
「僕を助けたのは“山”なんだそうですよ」
「あ! そういえば徹心そんなこと言ってたっけ」
あの時一緒にいたえべたんが思い出す。
「山? 狂気山脈か?」
コージーが問う。
「広義的な意味での山ですよ。もしかしたらそういうものが形を成したのかもしれませんねぇ」
「お前もそういう非現実的なこと言うんだな」
感心する八木山。志海はあははと笑った。
「やだなぁ、適当にそれらしいことを言ってみただけですよ」
「デスヨネー」
とえべたん。
「少し感動したのにそれかよ」
コージーも呆れる。
八木山はため息をついた。
「お前はそういう奴だよな……でもまぁ、“山”が助けたって考え方は嫌いじゃないな」
「徹心って時々ロマンチストだよねー」
笑うえべたん。
「たぶん、言ってた時も内心いいこと言ったってドヤッてたと思いますよ」
「絶対してた」
本人がこの場にいないのをいいことに、えべたんと志海は言いたい放題だ。
「可哀想だからそれ以上はやめてやれ」
同情した八木山が言う。
「でもアイツ確かに第一印象と実像がぶれっぶれだったよな」
とコージー。
「でもお前が下山したあと、かなり活躍してたんだぞ。二回目の時なんか、徹心がいなかったら失敗していたかもしれない」
フォローする八木山。
「まぁ、それは聞いたけどよ」
コージーは苦笑いを浮かべた。
「やる時はやる男ってことにしといてやってくれ」
「先生も地味に容赦ないですよ、ソレ」
「写真撮ろ、写真!」
昼食の片付けをしたあと、えべたんが提案した。
ちなみにSNSには載せない。普段からフォロー数の多いえべたんのインスタグラムのアカウント、狂気山脈登山のメンバーが写っているとなればなおさら注目の的となる。人が増えると比例して妙な輩も増えるので、その厄介な反応が他の三人に波及してしまうのは不本意だった。
四人で集まり、自撮り棒でスマホを掲げて写る。ばっちり決まった。
スマホに写った画像を確認しながら、えべたんが笑う。
「なんか、いいよね! すっげー嬉しい」
コージーと、八木山と、自分と……そして志海。生きて写真に写っている。そのなんと幸せなことか。杉山含めた四人で撮った時にもえべたんは思った。全部、大事な思い出だ。今度、穂高とK2も一緒に、七人で撮りたい考えている。
「……」
人生の出来事や記憶を、良き思い出として大事にできるのはとても幸福なことだと志海は思った。彼にはできないことだ。できていたら、こんな生き方はしていない。
スマホが鳴る。見れば今えべたんが撮った写真が送られてきていた。彼女は、志海が写真を見直すことなどないと知っているはずなのに、それでも撮るたび律儀に送る。時々ノリに任せて変な画像も送って寄越す。志海はさせたいようにさせていた。時々笑える物も来るので侮れない。
写真と言えば、杉山もほぼ毎日タピオカドリンクの画像を送りつけてきていた。暇なのだろう。志海はそれをこまめに消している。履歴がタピオカドリンクで埋まるのは嫌だった。あと実験で妙なドリンクを作るのはやめた方がいいんじゃないかと思っている。言わないが。
──他人の人生はこんなにも鮮やかなんだな、と写真を見下ろしながら志海は思った。もちろん一概に言うことはしないけども、少なくとも志海の人生には、山以外に色はなかった。
それすら、狂気山脈での出来事を経て霞もうとしている。
もう生きている意味なんてない。慢性的な絶望が心の奥底に滞留していた。
でも、生き残ってしまったんだよなぁと、志海は内心で何度目かのため息をついた。
「志海サン、届いたー?」
えべたんが尋ねる。
「来ましたよ」
画像をフォルダに引っ込めながら返す。
『お前の中にはまだ“山”がある』
杉山の言葉が甦った。
ふと思い立ち、カメラアプリを立ち上げて山頂からの景色を収める。
「キレイに撮れた?」
スマホをのぞき込むえべたん。志海は撮ったばかりの画像を表示させて見せた。
「えべたんほど綺麗には撮れてませんけど」
「いいじゃん、いいじゃん。インスタにアップしなよ」
「そうですね」
ささっと操作して、ほとんど稼動してないアカウントにアップロードする。
さっそくいいねが付いた。えべたんだった。続いてコージーも。
「……」
八木山にえべたんとコージーの視線が集まった。
「分かったよ」
少しして、観念した八木山のいいねも付いた。……なんですかね、この茶番。
「志海さんのアカ寂しいから、次の山に登ったらまた山頂の写真アップしたらいいよ」
とえべたん。気が向いたらね、と返しておいた。
『お前の中にはまだ“山”がある』
再び杉山の声。
『それこそがお前を生かしたものの正体だ』
次の山へ行け、と急かすように。
良いものにせよ、悪いものにせよ、必ず何かが見えてくるはずだ──そんなことを言っていたけども、どうなんでしょうねぇ?
『それはきっと、お前の指針となってくれる』
「八木山先生」
「ん?」
志海は八木山を呼び、問いかけた。
「ちなみに次はどの辺りを考えてますか」
終