「……ッ、」
全身が軋むような痛みが走り、きつく歯を食いしばる。自分の身体を抱えるように自室の床に蹲り、必死にそれを鎮めるように荒い息を吐いた。
月が巡る度に訪れるその発作とも言うべきものは、魔族として一人前になるためのある種の通過儀礼でもある。
床を這い、辛うじて伸ばした指先でカーテンを引く。その窓の四角に切り取られた夜の闇には、自分達の光を邪魔するものがない星々がいつもよりきらびやかに輝いてみえた。
こうして時が巡る度に訪れる、月の無い夜。普段は月の力の影響で図らずも均衡を保てている自分の内に秘めたものが、その枷を失ってしまえばこうして容易に暴れ回る。
この溢れ出る自身の力を新月の夜にも自在に制御できてこそ、一族の成人として認められるのだ。
人間の基準でいえばそろそろ大人の仲間入りを果たしても良い頃合いだが、ただ歳を重ね肉体的に成長しただけでは認められないのが自分の生まれた血筋の運命。
今度は頭がまるで殴られたかのように鈍く響き、両手で抱えて蹲った。普段は整えている髪が乱れるのも厭わずに、その衝動を押さえ付けるように掻きむしる。
解放を待ち望む力が、身体の奥で渦を巻くように錯覚する。
また今回も、耐えられないかもしれない。
まだ鍛錬が足りなかったかと朦朧とし始める意識の中で自省して、せめて粗相はしないようにと辛うじて残った理性で上着の裾へ手を伸ばすとそれを勢い良く脱ぎ捨てた。
そしてその瞬間を待ち構えていたかのように、どくりと強く心臓が高鳴る。
「ぐ、あぁ……ッ!!」
内側から溢れる熱に侵され、まるで溶けて無くなってしまいそうになる恐怖。
ついに堪えきれなくなった悲鳴に似た声を零して、背を強くしならせる。
ばさりと背後から響いた風切り音をどこか他人事のように知覚して、夜の闇に身を委ねるように意識が深く沈んでいった。
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月のない夜。何時もよりどこか静かだと錯覚する夜の街の気配を窓の向こうから感じながら、自室のベッドに横になりぼんやりと天井を見上げていた。
そんな静寂に反してどこか浮ついた感情を覚えるのも、夜空に浮かぶ魔力の塊に影響されてしまう夜の種族の性なのかもしれない。
この月が満ちるときには自分も到底冷静ではいられないのだと、今は獣の耳の影も形もない頭の上を掻く。
不意に窓の向こうから、ばさばさといやに派手な鳥の羽音が響いた。
その音に弾けるように半身をベッドから起こせば、窓ガラスに何かがぶつかったのだろう小さな音が聞こえてくる。
狭いワンルームの部屋に唯一据えられた、ベランダとを隔てる扉を兼ねた大きな窓。それを隠す薄いカーテンを引けば、ガラスを隔てた向こうに大きな影が一つある。
まるで飛び方の覚束ない鳥のようにベランダへ転がり落ちてきたそれは、しっかり手足のついた人の形を持って座り込んでいた。
頭の上には、艷やかな白銀の二本の角。
そして肌を晒した白い背から生える、闇を映したような大きな皮膜の翼。
夜の世界を統べる上級種族とひと目で知れるその姿が、薄く金色に輝く瞳に涙を浮かべる様子に知れず喉を鳴らす。
普段は微かに見下されている視線に今は縋るように見上げられ、まるでその瞳に吸い寄せられるように躊躇いもなく鍵を開き静かに窓を開け放った。
その瞬間に伸びてきた両腕に半身を絡めとられ、抵抗を許さない程の力で押し倒される。
そのまま縺れるように室内に侵入を果たした姿が、瞳を輝かせながら熱を含んだ指先で俺の頬を撫でた。
「全く……またダメだったのかよ?」
「……はや、く」
努めて冷静に軽い口調で言葉を返したが、普段の真面目な態度をかなぐり捨てた今の姿にはもはや意味がないらしい。
荒い息に混じりただその言葉だけをうわ言のように何度も繰り返し、こちらの首元に頬を擦り寄せて顔を埋める。
その溢れ出る力と熱に充てられてしまえば、もはやそれに抵抗できる術など何処にもない。
目の前に見せ付けるように晒された首元へ、吸い寄せられるようにゆっくりと牙を立てた。