十二月も半ばを過ぎて、すっかり寒くなりコートが手放せなくなる季節。
そんな寒い気候とは裏腹に、俺の心境はとても暖かいもので溢れている。
今日の最初の講義へ向かうべく広い構内を歩きながら、鞄の中を弄ると二枚の紙片を取り出した。
その紙の表面に書かれているのは、バースデーライブという見出し。今月の二十三日と二十四日に開催されるそのライブのチケットだ。
今朝発券してきたそれを何度も見返しては、ちゃんとそのチケットが手元にあるという事実に思わず口元を綻ばせてしまう。よくみるとそこに書かれた整理番号も、おそらく最初の方に会場入りできるだろう随分と若い数字が刻まれているから尚更だ。
毎年こんな年の瀬の週末は、俺が密かに応援し続けているアイドルユニットの誕生日という、一年で一番大切なイベントが控えているのだ。
昨年もその誕生日に合わせてライブが開催されていたのだが、今回は一日違いの彼らの誕生日に合わせた二日間の開催になり、着実に規模も大きくなってきている。
そんな折角の貴重なチケットを失くさないように再び丁寧に鞄の中へしまい込むと、目の前に現れた目的の建物の中へ足を踏み入れた。
迷いない足取りで目的の教室に辿り着き、まだ人も疎らなその空間の何時もの前よりの席に腰を下ろす。
そして机の上に筆記用具やら教材やら必要なものを取り出して準備を済ませ、開始時間まで講義の復習をしておこうかとテキストを捲った。
「おはよー徳川」
程なくして不意に掛けられた朗らかな声に顔を上げれば、そこには馴染みのクラスメイトの姿があった。
同じ学科の同期で自分がたまに顔を出しているサークルにも所属しているということもあり、恐らく一番学内で交流を持っているそんな彼に挨拶を返せば、ひとつ空席を挟んで隣に腰掛けこちらへさらに顔を近付けると声のトーンを一段落として言葉を続けた。
「ダメ元で一応聞いとっけど……クリスマスの週末暇だったりしないよな?サークルの皆で飯食いにいかねって話出てたから」
「すまない、そこは先約があって……」
「いいんだよ分かってるって!!むしろお前みたいなのが予定なかったらどうかしてるわ!一応聞いとけって先輩が言ってたんで念の為な」
この週末はクリスマスだから、そんな枕詞を置いてここの所は毎日のように誰かしらが俺に土日の予定を伺いにくる。
そもそもクリスマスとは基本的に家族と穏やかな時間を過ごすものだろうし、俺自身もこうして大学進学の折にあわせて実家を出て独り暮らしを始めるまでは、当然のように毎年そうしてきた。
そんなクリスマスなのに普段交流のある同じ学科や講義を受けている人ならまだしも、禄に会話もした覚えがない学年すら違う人々まで同じように言葉を掛けてくるのだから尚更、わざわざこうして誘いを受ける理由もよく分からない。
しかしそれを差し置いてもそもそも俺には非常に大事な先約があるので、そんな声を掛けられる度に断り続けていた。
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待ちにまったこの週末だが、いざその日を迎えてみればあっという間に過ぎ去ってしまった二日間だったような気がする。
昨日は兄のリョーガのバースデーライブ、そして今日は一番楽しみにしていた弟のリョーマが主役の日だった。
家に帰り着き未だ覚めない余韻に浸りながら、今日のライブグッズが詰め込まれた鞄を下ろすとそのままベッドの上に身を預けた。
ぼんやりと白い天井を見つめながら今日の出来事を思い返していれば、とても楽しかったという強い印象と興奮が先行して、いざ具体的に今日のライブの内容を思い出そうとするとどこか記憶がふわふわと朧げだ。
ただ昨日の兄に引き続き披露された彼のソロの新曲は、本当に素晴らしかったことははっきりと覚えている。
少ししっとりとした曲調のそれは、普段の彼の少し生意気だがとこか可愛げのあるイメージとは裏腹にどこか大人びた印象を受けて、その曲を耳にしたときの衝撃はもはやこの感情を表現する最適な言葉が見つからない程だ。
そして終演後の見送りをしてくれるタイミングでほんの数秒直接話ができるチャンスがあることは昨日のライブで把握していたので、どんな事を伝えようかと昨夜から必死に頭の中でシミュレーションを繰り返していたのだが、いざその時になり本人を目の前にすると当たり障りのない誕生日を祝う言葉しか伝えられなかった。
しかしそんな言葉も彼は正面から受け止めたうえで、いつもありがと、と笑って返してくれた。
俺はただ彼の事を陰ながら応援し続けられればそれでいいと思っていたが、それでも彼の口から確かにその言葉を聞けたことで彼の方からも確かに存在を認められていたこと、その応援の気持ちが確かに届いていたのだろう事実に、喜ばしい感情が自然と湧いて溢れてくる。
やはり彼のことが好きだと、いつまでも応援し続けていたいと、改めてその思いを噛み締めてただひたすらにそう強く願うしかない。
そんなことを思いながら、溢れる感情をじっくりと染み渡らせるように深く息を吐いて瞳を閉じた。