★嫌いな香り①★――――――
その日を特別に思っているわけではないし
体の関係を迫り悉く拒絶されるのはいつものこと。
同じ家で暮らしているのだから別にいつでも良い。
けれどふと思った。
角都にはそれらしい理由が必要だ。
なんでも良いから許してもいいと思える言い訳としては《誕生日》というのはちょうど良いのではないか。
帰りが明け方になることも別に珍しくはないのにその日は何故か帰ってくるものとばかり思っていた。
喜びはしないと思いながらコンビニでケーキやらチキンやらを買い込んで、あわよくば飲ませてやろうと酒も買った。
粋な贈り物など思いつかないからいつも咥えている煙草を1カートン。
夜、帰ってきてテーブルを見たら嫌な顔をするのだろうと思うと何だか可笑しくなって一人でニヤニヤしながら待っていると固定電話が鳴った。
角都が連絡を入れてくるならケータイに直接来るだろうし、もちろん彼への連絡も直接行く。
ただの飾りと化していたのに一体何だと警戒しながら受話器を握った。
電話の相手は奇妙に甘ったるい声で笑った。
「悪いが角都は数日帰せそうにない。一応伝えておいてやろうと思ってな」
「……アンタ、角都の…」
電話の主は名乗らないがペインだろう。
呟いて飛段はじっと考える。
角都は傍にいる…?なら何かしら云うだろうし、そもそも電話などさせないだろう。
芝居がかった声色。
普段は余程帰ってこられない場合にのみ本人から連絡が来る。
家主が居ないのを知っていて態々固定電話にかけてきたという事は。
「今日が角都の誕生日だって知ってて態々俺に-帰せない-って云うためだけに電話かけてきたのかよ?」
案外頭が回るじゃないかとと笑う声が聞こえる。
角都はコレに自分のことを何と云ったのだろうか。
「それだけなら切るぞ」
「俺とアイツの事を気にしないんだな」
「…気にしてどうすんだ」
この男はただ自分と話すために電話をかけてきたのだろう。
角都を何処かに追いやって。
それが仕事だと云われればそれまでなのだが何やら腹が立つ。
文句を云ってやろうと思ってやめる。
きっとそれはペインの思い通りの行動だ。
「君は、角都の事が好きなんだろう?わざわざ組の前まで来たりしていると聞いた」
「別に好きとかじゃねぇよ。誰のものにもさせねぇけど」
「好きでもないのに拘束はするのか」
「好きでもねぇのに金でオナホにしてた奴に云われたくねぇ」
電話の向こうでペインがまた笑う。
少し話せば総長の人となりが分かるかと思ったが、考えていたよりもずっと掴みどころがない。
この手の相手と自分は酷く相性が悪い事は分かっているので本当にもう切ろう。
「組での角都の事を知りたくはないのか?」
「アイツの事はアイツに聞く」
角都が話さない事を聞くつもりはないと受話器を乱暴に置いた。
電話の向こうでペインは肩を揺らして笑っていた。
角都本人は今日が何日であるかなど気にしてはいないようだったから約束などもしていないだろうし、飛段も何か準備をしていた口ぶりではなかった。
けれど、帰して次に会う時には角都は怒っているだろうから、あの若造と何があったか存分にからかってやろう。
「……、何をしている」
三日後の夕方。
電話で数日と言われたので当日と翌日は普通に暮らして今日はずっと玄関先にいた飛段。
帰ってきた角都は煙草も無く疲れた顔をしている。
それなのに髪は湿っていて、ふわりと甘い石鹸の香りがした。
「…アイツと何かしてきた……?」
「指定された子分を率いてある組を潰した。ついでに連れて行った子分も潰してきただけだ」
初めから二組掃除するつもりで彼らを下につけたのだろう。
帰る前にシャワーを浴びていけと強要したのは血と硝煙の臭いを消す為というよりは飛段をからかう為だ。
回りくどい真似をと眉を寄せる角都。
結果を見届ける気もない癖に面倒な総長だ。
飛段の横をすり抜けようとすると腕を捕まれる。
「何だ」
「…電話があった。ソーチョーから。家電に」
「あぁ…お前と話すなら俺がいないときにそうするのが確実だろうな」
何を云われたか問う気もないし無視しておけば良いと角都は云った。
「俺らで遊びたいの見え見えだからノってやるつもりなんか無いんだけどさ…!」
「……」
どうしても何かがひっかかって振りほどけないんだと飛段は呟いた。
例えそうだとしても気にしないことだと無理を云わざるを得ないと角都は息を吐く。
「離せ。今日はもう寝る」
「…ッ」
振りほどかれそうになった腕を反射的に全力で引く。
本当に疲れている角都はそのまま廊下に崩れ落ちたので抑え込まねばと飛段は慌てて上に跨った。
「どけ」
「嫌だ」
よく見ると手にも頬にも元からある大きな傷跡とは別に細かい生傷がいくつもある。
首元の傷に指先でそっと触れると小さく肌が震えた。
体温の低い手が疲れた体には心地よく感じられる。
「アイツ自分でやらねぇのかよ」
「必要であれば自ら出向く」
「……」
つまりそれはお前は捨て駒ではないのかと思って振り払う。
角都には頭を振る飛段の云いたい事はすぐに分かった。
しかし世の中そんなものだ。
実力を買ってくれている反面、不要になればまた別の捨て駒を使って自分を消すのだ。
もちろん素直に消されてやるつもりは無いが。
抵抗しない角都を見下ろした飛段は首を撫でた手を髪へ移動させる。
「やめろ」
湿った髪を動かすと嗅ぎなれないシャンプーの香りが弾けた。
それがあの声しか知らない総長の匂いだと思うとムッとする。
長と云うからにはそれなりの苦労や思想、目的があるとは思うが自分にとっては見えない何か。
角都が納得してやっている事なのだから口出しするべきではないけれど…匂いを消すぐらいはしたいと思っても許されるはずだ。
「飛段」
力ずくで振りほどく事が億劫なほど疲れている。
気を張る必要もなくなったので疲労に逆らえない角都は無駄と知りながら制すように名を呼んだ。
緩く締められたネクタイを引き抜く飛段。
「誕生日だっただろ。労ってやる」
「玄関前の廊下でか」
余りにも強引な理由づけに呆れると《そんなことはどうだって良い》のだと飛段はシャツのボタンを外した。
ふぅとため息をつく唇を親指の腹で押しつぶす。
「抵抗しないのかよ?」
「大人しく云うことを聞く気があるのか?」
「ねぇけど…」
「余計な体力を使って同じことになるなら、このまま黙っているほうがマシだ」
「…それはそれで納得いかねぇー……」
本当に疲れている角都によるやめさせる為の新たな手だろうか。
口を尖らせている飛段を見上げていると少し可笑しくなってくるのも疲れている証拠だろう。
この数日が殺伐としていたせいか三日会っていなかっただけなのに久しぶりにそんな顔を見た気がする。
「今、何が嫌でどうしたいのか云ってみろ」
「………アイツの石鹸の匂いがする…」
「そうだろうな」
「俺が嫌いな銘柄の煙草の匂いさせてるお前じゃねぇと、何か…嫌だ」
「おかしな奴だ」
ふいっと目を逸らすところを見ると自分でも変だと思ってはいるようだ。
「匂いが嫌なら離せ。明日には消えている」
「俺が…ッ!」
「ん?」
「アイツが強要した匂いなら、俺が無理にでも消すッ」
触れる事でどうにかなるものだろうか。
近づけば鼻につく匂いも強くなるだろうに。
飛段から視線を天井に移して考える。
風呂は元々帰って来てから入るつもりだった。
何か企んでいる顔でペインが奇妙な要求をしてくるから拒否して長引かせるのも面倒で云う通りにシャワーを浴びた。
帰り道、いつも通り煙草を…と思ったが箱の中の残り一本を見て気まぐれに吸うのをやめた。
これは恐らくいつもの《飛段に対する壁を作る》という気持ちが疲れによって薄れていたからだ。
ゆるりと飛段を押し返しながら起き上がる角都。
今度は無理矢理抑え込もうと思わずに押されるまま体の上から退く飛段。
「角都」
「床でゴロゴロしていたお前の匂いを押し付けられるのは御免だ。風呂に入る」
「……」
そう云う角都に釣られて立ち上がると《ついてくるか?》と視線が流れてきてギクッとした。
「どうした」
「一緒に入って良いのか…?」
「……俺は眠い」
風呂で寝てしまわないよう見張っていろ。
「洗ってやるから寝ていいぞ?」
「寝かせる気があるのか?」
―――――― 続く