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    青年と女の子とエキセントリックおじの原稿続き

    初めて悪魔を見たのは本の中だった。その児童書には挿絵がなかったが、実物を見ずとも確かに頭の中で存在した。クラスメイトとうまく会話ができなくても、悪魔とはいつでも友達だった。広大な海を眺め、見晴らしの良い山々に登り、様々な街へと出かけた。悪魔と自由に歩き回れるのは世界を征服したからに違いない。この世界では親からも友人からも気味悪がられることはないのだ。私と悪魔は最強だった。空想は私たちに優しく寄り添った。
     多くの天界・魔界出身者が人間界で暮らすようになった現在では、悪魔学はそれほど忌み嫌われておらず、むしろ相互理解のために積極的に学ぶようにと言われているが、私がまだ幼かった頃、悪魔に向けられた視線は冷たいものだった。人間を誘惑し、たぶらかす悪い存在だとの認識が一般的で、悪魔使いのおじを親は「普通ではない」と言った。おじは不良とつるんでいると思われたのだろうか? おじは母の弟にあたる。名を月影(つきかげ)という。母は時折弟に文句を言うこともあったが、定期的に連絡をとっていたし、奇天烈で変人のおじをそれなりに心配はしていたのだろう。だが、おじの話をするときの言葉の端々に現れる鋭い冷たさを目の当たりにすると、どのような反応を示していいのかわからなくなった。悪魔を好む自分も「まとも」ではないのだろう。私はますます無口となり、罪悪感に悩まされながらも悪魔との冒険に思いを馳せた。
     本物の悪魔に会ったのは、悪魔と世界征服をする空想にふけるようになってから一年後のことだった。おじの悪魔は真っ黒な毛に覆われた大きな狼だった。名をロウバイという。おじは彼のことを「ロウ」と呼んだ。
     二人は月の光が降り注ぐ肌寒い夜に死闘を繰り広げたそうだが、最終的には友達になったのだという。随分とドラマチックな話だが、嘘のような本当の話である。
    「火を吹く狼なんて初めて見たよ。おかげで服が焦げてしまったけど、それに気づいたのは太陽が昇ってからだった。僕たちには服よりも気にしなきゃいけないことがあってね。そう、腹だよ、腹。夜通し戦って互いに腹が減ってしまってね、バーベキューをしたんだよ。炙ったマシュマロがおいしかったんだ」とゲラゲラ笑いながら思い出に浸っていた。ひとしきり笑ったあと、「焦がすなら服より甘味に限るね」とおじは付け加えた。
     ロウの毛先は影のように揺らめいて、小さなろうそくの炎を思い起こさせた。触れるとぬくぬくとした柔らかな感触が手の平に広がった。
    「おじさんは世界征服をしたの?」と私は恐る恐る尋ねた。
     おじは眉を吊り上げた。
    「どうしてそう思ったんだ?」
    「悪魔と遊び回るには世界を征服しなきゃいけないから」
    「ふうん?」
    「悪魔を好きでいてもいい世界って、悪魔と悪魔使いが認められた世界なんだよ。征服したに違いないよ」
     この惑星は過ごしづらい。世界征服を実現しなければ居場所がない。
     おじは顎に手を当てて考え込むような仕草をしたが、次第に口元が緩んでいった。姪の問いを面白がっているのは明らかだった。
    「世界征服も魅力的だがね、せずとも悪魔と一緒にいられるさ。他人から承認を得ずとも我々はすでにここにいるのだからね」
     おじは悪魔に愛情を注ぎ、悪魔もおじを愛し、二人は私にもその愛を分け与えた。「面白いぞ」と得意げに手渡されたあの児童向け小説の作者がおじ自身だと知るのは、成人してしばらく経ってからのことだった。
     
    「二週間前の違法悪魔召喚未遂事件、あのときに私と捕らえられていた人を探しているんだ。右目に傷痕がある人なんだけど」
    「右目に傷痕? ああ、いるよ、うちに」
    「えっ?」
    「大事そうにトウカのコートとストールを抱えていたから、何かしら関係があると思ってね。用心棒としてうちの探偵社で雇った。ちょうど従業員の空きが出たところだったからね。彼は今二階で休んでいる。起きていれば話もできるよ」
     ぼさぼさの髪とよれよれのパジャマ姿を見ても、おじは動揺せず淡々と話を続け、ロウは腹を見せ床に寝転がっていた。早く撫でてくれという合図だ。
     私はおじのおかげで世界征服をせずに済んだが、悪魔を使って支配を企んでいる者は他にいた。悪魔使いから魔力を奪い集め、違法召喚を試みる教団に所属する人間だった。
     魔法具を製作する仕事に就いた私は、必然的に魔法や悪魔を扱う人々と知り合うことが多くなった。仕事を通じて仲良くなったある人物に「悪魔との世界征服を考えたことはあるか」と聞かれ、悪魔との交流を夢想した他人が自分以外にもいたのかと驚いたが、幼少期に思い描いていた世界征服とは違うものだった。私は悪魔と遊びたかっただけなのだ。仲間にならないかと脅されたが、拒否した。この世を征服せずとも悪魔と暮らすことはできるとおじから学んでいた。しかし、魔力は奪われた。裏切られた苦しみは居座り続けた。牢屋に放り込まれて、解放されてもなお。
     悲しみの蛇口が開きっぱなしになっている。栓を閉めようとしても、そこまで手が届かない。届く日があったとしても、握力が足りず栓を全く動かせない。心がぶっ壊れている。
     悪魔使いとしてもう生きていけないのではないかとほとんど毎日泣いたが、眠ると必ず右目に傷のある男の夢を見た。彼は「寒い」と何度も呟いていた。右目から涙がこぼれ出ている。背伸びをして涙を拭ってやる。彼の胸に引き寄せられる。夢の中で私は温め鳥だった。
     牢屋に閉じ込められていたときも彼は寒いと繰り返していた。コートを肩にかけ、首にはストールを巻いてやったが、震えは止まらなかった。魔力の大量喪失による影響が出てしまっている。意識も朦朧としており、こちらが声をかけても反応を示さないこともあった。
    「儀式を止めたはずだった……」と男は言った。「どうして奴らはまだここにいる?」
     私は鉄格子に体当たりし、蹴っ飛ばしたりもしたが、びくともしなかった。
     自由まで奪わせるつもりはない。脱出しなければ。しかし、武器もなければ悪魔の召喚もできない。使えるものは自分の体だけだった。
     何度跳ね返されても懸命に戦った。我を忘れて鉄格子にぶつかっていった。力を奮い起こして、何度も立ち上がった。
     突然、階段の方から騒がしい靴音が聞こえてきた。今度こそ命を奪われるかもしれないと覚悟したが、現れたのは教団ではなく、おじとロウと悪魔取締局の人間だった。
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