③ あのあとハッチンときっちり終業時間まで仕事をした。合間で繰り広げられるハチミツの話やヤスの話(幼なじみだそうだ)は興味深かったが、彼の仕事ぶりに関しては……。もし次にまた来ることがあれば振り分けるものを再検討しなければならないなと少し悩んだ。
職場から出た今は分かれてひとり取引先のバーに向かっている。すっかり日も暮れ暗くなった街は電灯や淡く光るネオンに彩られ、日中とは違った夜の街へと姿を変えている。そんな街で数多のミューモンが行き交う道から少し外れた場所、薄暗い路地裏にひっそりと佇むのが『Bar夜風』。仕事の取引の際も、非番の際でも俺が贔屓にしている場所だ。
カランカランと乾いたドアベルの音を鳴らしながら店に入る。店主であるバーテンダーのウララギがこちらを見てニコリと笑った。
「おやリカオさん、いらっしゃいませ」
「こんばんは……です。今日は『B』で頼む……です」
「ふふ、聞いていますよ。奥でお待ちになっていますのでそちらにどうぞ。お飲み物はいつものでよろしいですか?」
「ああ、よろしく頼む……です」
ウララギと軽く言葉を交わしてから店の奥のテーブルへと向かう。他の客からは死角となる、秘密の取引を行うには最適な場所に目当てのミューモン、クースカは座っていた。彼は主にネット上での情報を精査し、時にはハッキング等で各種データベースに侵入し情報を集めながら活動している情報屋だ。
「クースカ、すまない待たせた」
「チャオチャオ〜!リカオちんおつかれ〜!ウェイ!!」
「なぜジャロップがここにいる……です」
「無視しないでよ!リカオちんウェイ!」
「…………ウェイ……です」
クースカの奥の席、死角になって見えていなかった場所から賑やかな声がかかる。ぴこぴこと長い耳を揺らし机に身を乗り出して話しかけてきたのはジャロップだった。ジャロップも本業の美容師を行う傍ら、その広い交友関係を活用し活動している情報屋だ。思わぬミューモンの登場にため息を吐きながら席につく。
「今日はクースカしか声を掛けていなかったんだが?」
「ボークもひとりの予定だったんだけどね」
「オレィは今日たまたまこの店に来たんだけどさ!この席にクースカちんがいるの見つけて、依頼人が来るまで話そ〜って声掛けちゃった!」
「この通り絡まれていたんだよ」
「まあ、概ね予想はついた……です」
リカオが来るまでの間にプレゼン内容を再確認しておこうと思ったんだけどと渋い顔で洩らすクースカだが、ジャロップに悪気は全く無い。
普段からおちゃらけていてどこか抜けている印象を持つジャロップだが、直感が鋭いところがある。俺とクースカが何度も情報のやり取りをしていることをジャロップは知っている。今日この店に来たことは本当にたまたまなのだろうが、クースカが馴染みのこの店の、このテーブルにいるということは、自分の抱えている案件と同じ案件を、同じミューモンから依頼されたと気付いて彼に話しかけたのだろう。でなければいくらジャロップといえど秘密をやり取りするためのこの席に座っているミューモンに話しかけはしないはずだ。クースカも本気で追い返していないあたり、気付いていたようだ。
「オレィの方もちょうど今日裏が取れたからね、1杯飲んでから連絡しようと思ってたんだよね」
「どうせ同じタスクなんでしょ。ならもう3人で情報をシェアしながらブラッシュアップしていけばいいんじゃない?」
「それもそうだな……です」
ふたりに頼んだのは例の卸売会社の調査だ。クースカにはその会社の過去から現在までの金の出入りの変化、繫がっている企業の市場の様子などを。ジャロップにはその会社や関わる企業の、現在から過去に至るまでの人員の声を調べてもらっていた。
ふたりの持ってきた情報を聞き、内容をすり合わせ整理する。表向きはまともな会社に見えるが、それは中小企業に対してのみ。新規企業や弱小企業に対しては巧妙な手口で理不尽な要求を飲ませ、私腹を肥やしていることがわかった。そしてもうひとつ気になることが。
それはこの手口が数年前より突然行われだしたということだ。そしてそれと同時期にひとつの企業が新しく提携していた。
「この企業、他の企業よりかなり多めにマージンが流れてるんだよね」
「アヤシイよね〜。オレィもここに昔から務めてる上役のまともそうなミューモンと話したんだけど、あるミューモンがその企業と提携した日から突然いろいろ変わったって言ってたよ」
「突然変わった、か」
「相手企業の選び方とか妙な交渉術とか?変な入れ知恵をしてきたって。そのミューモン、そのやり方に嫌気が差して会社辞めようとしたけど辞めさせてもらえないんだって」
「個人からの情報漏えいや通報を恐れて会社が手放さないと言ったところか……です」
「勤めていても通報はできるけどしないってことは、何らかの圧力がかかっている可能性もあるね」
今回のふたりからの情報で例の卸売会社を潰す算段はついた。しかしそれを裏で操り懐を肥やしている企業がいるのならば、ひとつの会社を潰したところでまた他の会社に声を掛けて操ろうとするのだろう。そちらを潰さなければ被害はなくならない。
「リカオのことだから裏で操ってる企業も潰そうと考えてるんでしょ?」
「む……」
表情に出ていたのか、クースカがやれやれとため息を吐きながら鞄からひとつの紙の束を出す。
「これ、その企業についてまとめたレポート。今回以外にも色々やってるみたいだね」
「すでにまとめていたのか!……です」
「リカオの性格を考えれば予想はつくよ。先を予測し顧客のニーズに答えてこそだ。あまりリソース割けなかったから十分なエビデンスは取れてないけど」
「ありがとう、助かる……です」
クースカから渡されたレポートに軽く目を通す。確かに例の会社以外にも様々な会社と関わった悪事が簡潔に書かれていた。
「でもリカオちん、気を付けてね。この企業、ヤバヤバのヤバめなミューモンたちが裏にいるって話だよ」
「そう、それはボークからも忠告しておくよ。この企業を潰そうとするのなら、リスクヘッジはマスト。こちらの動きを相手に気付かれないよう万全の警戒をしておくべきだ」
「ここの秘密を探っていたミューモンは全て行方知れずになっていますから。リカオさんだけでなく、ジャロップさんとクースカさんも十分お気を付けくださいね」
「ウララギ…!?」
ジャロップとクースカから忠告を受けていると、いつの間にかウララギも会話に混ざっていた。驚く俺達にウララギは「すみません、少々気になるお話でしたので」といつもの笑顔でさらりと答える。
「ウララギもこの企業を知っているのか?行方知れずとは……」
「ここは色々な噂が集まるバーですから。行方知れずも噂で聞いただけですよ。本来なら僕がこの店で聞いた話を他のお客様にお話することはないのですが」
そう言うとウララギは俺達ひとりひとりと目を合わせて優しげな顔で笑う。
「リカオさんたちがこうしてお話しているのを見るのが好きなので、ついお節介を焼いてしまいました。……相手はとても危険な組織です。できれば相手が気付いていないうちに手を引いていただきたいのですが」
「残念だがそれはできない……です。そいつらのせいで苦しんでいるミューモンがいる、俺はそんなミューモンを助けたいんだ……です」
「たとえ自分が傷つくことになっても、ですか」
「承知の上だ……です」
真剣な、普段より少し低い声で忠告するウララギの目をまっすぐ見る。心配してくれるのはありがたいことなのだが、こちらにも引けない思いがあるのだ。
じっと目を合わすこと数秒。ウララギはふぅ、と息を吐いて目を伏せた。
「リカオさんに譲れない思いがあるのはわかりました。ですが、心配しているミューモンがいることは頭に入れておいてくださいね。」
「そうそう!オレィマブダチのリカオちんがいなくなったら超さみしいんだから〜!」
「ボークも。クライアントとしてのリカオも、ひとりのミューモンとしてのリカオも嫌いじゃないから」
「ジャロップさんとクースカさんもですよ」
言葉を交わし合う3人を見ながら、俺は良いミューモンに恵まれたなと思う。もしも、この仕事一筋でなく音楽を続けていたのなら。この3人と一緒に音楽をする未来もあったのかもしれない。頭の片隅でそんな想像をしながら次にしなければならないことを考える。
「ウララギ、ありがとう。ジャロップとクースカも危険なことに巻き込んでしまったな……です。ふたりには事態が落ち着くまで誰かを付けておこう……です」
「え、いらないけど」
「ウェーイ!だったらオレィはキャワイイ女のコがいいな〜!!」
「ジャロップには体格のいい男をつけるよう進言しておこう……です」
「ちょっと、スルーしないでくれない?」
ジャロップの想定通りの答えに予め考えておいた答えを返すとウェー!?と過剰に反応される。クースカに拒否をされるのは想定内だったのでそこもスルーだ。ぎゃあぎゃあと騒ぐふたりに、そういえば今日の昼間も騒がしかったなと思い浸る。ヤスはちゃんと家に帰れただろうか。
「さて、リカオさんはお迎えが来ているみたいですので行ってあげたほうがよろしいのではないでしょうか?」
「迎え…?」
「少し前から窓の外に。入ってこないあたり、こっそり来られたみたいですね」
そう言われてレースカーテンを開き窓の外を見る。外にいたミューモンとバチリと目が合った。ヤスだ。ヤスはバレたと言わんばかりに慌てて辺りを見回し、積まれていたビールケースの影に隠れる。
「ジャロップ、クースカすまない」
「いいよ。話は粗方終わったし、お代はいつも通りで」
「アレが噂のヤスちんか〜!若いね!」
「ウララギ、お代はここに置いておく……です!」
「ありがとうございました。気を付けてお帰りくださいね」
3人とそう言葉を交わして外に出る。ヤスは変わらず積まれたビールケースの影から尾羽根を覗かせたまま隠れている。
「ヤス」
「………」
連れていけないと言われた手前、来てしまったことに後ろめたさがあるのか。ケースの影から出てこないヤスにゆっくりと近づく。
「ヤス、帰るぞ……です」
「勝手に来たこと、怒んねぇのか…?」
「本来なら怒らなければならないんだろうな……です」
「愛想つかしたり」
「ない……です」
「嫌ったり」
「それもない……です」
俯いていて表情は読み取れないが、隠れていない尾羽根が不安げにゆらゆらと揺れている。
「ハッチンの方がいいんじゃねぇか」
ぐっと拳を握って絞り出すような声で聞いてくる。なぜそこでハッチンがと思ったが、ヤスとハッチンは幼馴染と言っていた。そんな彼らだから、なにか思うところがあったのかもしれない。
「ヤスの方がいい」
「…!」
「ハッチンも良いところはあるが、やはり落ち着いて仕事ができるのはヤスの方だ……です。今日も心配して来てくれたんだろう?……です」
「………」
「ほら、帰るぞ。守ってくれるんだろう?……です」
そう言ってコツンと頭を小突く。ピクリと反応したヤスの髪に指を絡ませがら、そのままするりと頭をひと撫でして手を離す。手が離れた瞬間、バッと顔を上げたヤスは、置いていかれた雛が帰ってきた親を見て安心したような顔をしていた。
「…ッ、ああ!俺が守るから、さ」
「なら安心だな……です。任せたぞ……です」
そう言うとふたり並んで帰路につく。口数が多いわけでもなく、静かに歩くだけなのだがそれが当たり前で心地良い。時折パチリとヤスと目が合うと、直前に言われた「守る」という言葉が、その真剣な表情が脳裏をよぎり胸がざわつくのは何故なのかわからなかった。
帰宅後、リカオが未成年を連れ回してしまったと落ち込むのはまた別のお話であり。後日、護衛をつけられたジャロップとクースカから「ジョウちんすぐ血吐いて倒れるんだけどこれ大丈夫なの!?」「彼煩くて仕事になんないし、アテンドされるにしてもナレッジ相当高めないと」と苦情が入るのもまた別のお話。