窓から漏れる朝日と、隣で身体を起こす衣擦れの音で目が覚めた。
俺がまだ目が完全には開ききらなくてくずぐず目元を擦っていると、いつもなら同じくあくびを繰り返しながらぼんやりしているはずの青年から声がかかった。
「賢者様」
「……ん、おはようございます、ミスラ」
いつもと違い挨拶もなく呼ばれたことを不思議に思って目を上げる。ベッドの壁側にいる赤毛の青年の視線は俺の上を通り越した向こう側にあって、「どうかしました?」首を傾げればようやくこちらへ顔を向けた。
「俺の指輪がひとつなくなりました」
「え、なくしちゃったんですか」
「昨夜まではあったんですよ。そこに置いたはずが見当たりません」
言って机を差す指の先には、ふわふわと彼がいつも身につけているアクセサリーが浮いて輪を描いている。その指をひと振りすると指輪や耳飾りはいつもの場所へと収まっていった。「ほら、ないです」右手を俺の顔の前に突き出して見せてくれたが、ミスラの装飾具は彼の気分や使用用途(呪具として都度適したものを選んでいるらしい)によってころころと変わるため、正直なところどれがなくなったのかわからなかった。
「あー……たしかに?」
「でしょう」
曖昧な同意だったものの、彼は満足したらしく頷いた。
「気配は近くにある気がするんですよね」
そう言うと、なぜかじっと顔を見つめられた。
「……あなたが寝ぼけて食べたんじゃないですか」
「そ、そんなわけないです!」
「はあ覚えていないでしょうけど、俺が掴まえていないとあなた、たまに夜中にふらふらベッドから出て行くことあるんですよ」
「え」
何を言われてもミスラみたいに悪食ではないと即座に言い返すつもりだったのに、完全に身に覚えのないことを言われて軽いショックを受ける。彼の顔は嘘を言っているようには見えず、おそらく今言われたことは事実なのだろう。
でも、まさか食べ物でないものを口に入れるだろうか……自分の知らない自分がいるようでちょっとばかり自信がなくなる。
「確認するので口を開けてください」
「か、確認ってここでですか?」
「勝手に持ち出した相手を呪うようにしてあるので、賢者様あなた呪われますよ」
「それは、困りますけど……」
(そもそもたぶん食べてないんだけど……)
腕を引かれベッドの上でミスラの目の前で強制的に膝立ちをさせられたと思えば、急にぐいっと顎を掴まれた。
「呪われて死にたいんですか。さっさと口を」
「でも……」
「簡単なことです。ほら、『あ』ってしてください」
自分の真似をしろとでもいうのか、ミスラは口を開いてみせる。まるで子供のように促されている状況に、彼からどう見えているのかわからないが一応これでも自分は成人した大人なのだが……と思いながら、同じく「あ」と発し遠慮がちに口を開いた。
ミスラは、俺の顎を掴んだままじっと覗き込むように顎を引いてみせる。
(は、恥ずかしい……)
ちらりと見下ろせば、細かく検分するようにミスラが目を細めている。幼い頃ならともかく、この歳になって他人に口の中をこんなにもまじまじと見られた経験は俺にはない。
少しでも早く終わってもらうため、必死に動かないでいようと思うのに、視線を感じた舌が意思に反して勝手にちろちろと動いてしまう。
「……よく見えませんね」
「っ、んぐ……!?」
案の定、焦れた青年はこちらの口に無遠慮に指を入れて舌を掴んだ。
「んふ、んっ」
「面倒なんで胃まで手を突っ込んで直接とってもいいですか」
「っ!? ふっ、っんん……っ」
このままだと本当にやりかねない雰囲気がして、喉の辺りまで伸びてくる指に涙目になりながらも必死に細かく首を振る。「は? あなたが勝手に食べたのに文句言う気ですか」拒否していることが伝わったのはいいが、一方でもうミスラの中では俺が完全に寝ぼけて食べたことにもなっている。
「っ、たべてなひでふっ……」
「俺は昨晩あそこに置きましたし、そこにないならあなたが……ん?」
今にも手を入れようとしたところで、ミスラの動きが止まる。少し考えるように瞬きし、彼はおもむろにズボンのポケットを探った。
そしてそこから取り出したものを見下ろして、
「ありましたね」
(み、ミスラ〜っ)
声にならない叫びを上げつつ、こんなことでは身体がもたないとようやく解放された舌を脱力だせて痺れをとる。
見つけた指輪をはめたミスラは、舌を突き出したままどうしても締まりのなくなってしまう俺の顔を見て、「なんですか、その変な顔」可笑しげに笑うのだった。