『時追人 Vol.1』第一話 夜に潜みし、時の物語(前編)――いやもう二時半に近い時間だ。ようやく夜の一仕事を終えて、自由になれると 思う瞬間だ。
ここは陽下という国の中心都市である堂響。その中にある眠らない街と言われている新祝の外れ。ここにあるホストクラブ「エオニオ」では各々の役目を終え、皆帰ろうとしていた。
「じゃあ、みんなー気を付けて帰ってね~!」
ここのオーナーである三澄千夜さんは、大きく手を振って俺達を見送ってくれた。俺も皆と挨拶をして別れ、家への道を歩き始める。暗くてぼんやりとした光を灯す街灯しかない道を。
「この仕事も、ようやく一年目か」
去年の夏のことだ。俺は次の職になかなか就けない状態に陥り、面接帰りの公園で途方に暮れていた所を、千夜さんにスカウトされた。とてもイケメンだから、店にいて欲しいと言われ、背に腹は代えられない事情というものもあり、俺は渋々とだったがホストクラブに勤務することとなった。
この一年は本当に大変だった。けれど次第に仕事にも馴染んできて、ようやく軌道に乗り始めたところだ。
俺―― 美羽 一時は、育ての親である美羽 暁さんが亡くなった十歳の時、 時雨家に引き取られた。一人になってしまった俺を引き取ってくれた、時雨 史紀麻さんと紗新さん。そして二人の子供である、姫美華ちゃん達が、まるで本当の家族のように扱ってくれて、二人は俺をここまで育ててくれた。
姫美ちゃんは最初俺の事をどこか拒否をしていたが、ある事をきっかけに仲良くなり今は関係良好だ。楽しい日々を送っていたけれど、途中で紗新さんが交通事故で亡くなって、三人での暮らしになった。
俺が中学を卒業したあとは、史紀麻さんの助手として働く事になり、俺が一人前になるまで史紀麻さんの傍にいた。けれど、状況は一年前に突然変わってしまう。
史紀麻さんが突然行方不明になった。その後、失踪扱いの研究員として判断を下され、助手だった俺は研究室を問答無用で追い出されてしまう。
陽下は研究技術が発達し、様々な研究が日夜行われており、研究員は成果を上げ、中には地位 や多大な金を欲する人がいる。酷い話ではあるけれど、他の研究員がライバル研究員を蹴散らすために、裏稼業の人に依頼をして失踪させるなんてこともある。史紀麻さんの場合はそれではないか、と言われていた。
さらに研究員は自身がもし失踪した場合、遺産その他諸々を継ぐ人を決める制度があるのだが、 それらを継ぐ人が俺だったとそこで初めて知った。つまり、まだ十七歳の未成年である姫美ちゃんの保護者としての立場にもなるし、時雨家にあるお金やらなにやらまで俺が持つ事になる。それを知った時は驚いたし、史紀麻さんは俺に託したのが一番驚いたけれど。
しかし、騒動はそれだけで終わることはなかった。姫美ちゃんが学校で史紀麻さん失踪につい てのいじめに遭い、心に大きな傷をつけられてしまった。史紀麻さんの失踪で学校中から注目の 的となり、さらに根も葉もないうわさ話が一人手に歩きまわる始末だ。
それが原因で、姫美ちゃんは学校に通う事ができなくなり、今は通信制に切り替えて家に引きこもっている状態だ。それだけではなく、昼間の外に出るのが次第に怖くなり、今や夜じゃないと外に出れない状態にもなってしまった。
そんな一年を俺は過ごしてきた。それでも残されてしまった姫美ちゃんのために、大人になる二十歳まで支えてあげないといけないという一心で、俺は今までやってきて乗り越えられてきた ……と思う。
「……暑いなあ」
今は九月。スーツを着て帰ってきているが、やはりまだ蒸し暑い日々が続く。黒いスーツは千 夜さんが選んでくれた俺の勝負服。でも今の暑さには少ししんどさを感じる。そんな暑さに耐えながらやっとの思いで家に帰って来れた。
時雨家は閑静な住宅街の一角にある。玄関の門を引き、そして玄関ドアを開けようとドアノブ を引いたら鍵がかかっていることを忘れていた。ポケットの中にある鍵をいそいそと取り出して、 鍵穴に刺し、回す。
「ただいま……」
玄関は暗い。靴を脱いで、自室がある二階へと上がる。物音が聞こえてこないので、姫美ちゃんはどうやら眠っているみたいだ。
部屋に入って明かりを付ける。ベッドの上にダイブして、身体を休めた。ふかふかのベッドが癒しだ。
「疲れたな……」
この日々はすっかり俺の日常に溶け込んでしまった。もしもこのまま史紀麻さんが帰ってこな かったら……。常にそんな考えを持っていた。そんなことはないと俺は史紀麻さんを信じている。 けれど、音信不通のまま、一年が過ぎてしまった。
――史紀麻さん、貴方は今どこに?
だが、そんな日常を一変することが起きるなんて、この時何も思わなかった。誰もが予想でき るものじゃないんだよな、未来って。そうしみじみと感じた始まりだった。
頭に突如、衝撃が走る。誰かに叩かれたような痛みで、頭がじんわりと痛みが伝わってくる。 ゆっくりと閉じていた目を開ける。
「一時、起きて。郵便の配達がきたから出てよ」
「んえ……?」
ゆっくりを身を起こして、俺は玄関の方へと向かう。ドアを開けると、配達のお兄さんが立っていて、サインを書いて小包を受け取った。後ろを振り向くと、乱暴に叩いてきた張本人――姫美ちゃんこと、時雨 姫美華ちゃんが立っていた。いつもの水色パーカーにミニスカート。ちらり と見える太ももが魅力的なニーハイ。これ実際に行ったら確実に殺されるので、俺の中で留めて いる。そして長い髪の毛に左サイドにはひょろりと伸びたテール。いつもの彼女のスタイルだ。
「で、誰からの?」
「あー、ちょっと待ってて……ね……?」
俺はその宛名を見て、驚愕した。うっかり小包を落としかけそうにもなった。
「一時、マヌケな顔してないでさっさと……」
姫美ちゃんが宛名を覗き込むと、なんで、と一言呟いた。その声は震えていて、俺も今、声を出すとなれば震えることだろう。
――宛名時雨史紀麻
一年前に失踪した史紀麻さんからの、小包だった。とにかく開けてみようと思い、俺と姫美ち ゃんは急いでリビングに向かった。この小包には何が入っているのか。そして手がかり――いや、 今どこで何をしているのか。ようやくわかるかもしれない。
小包をダイニングテーブルの上に置き、梱包段ボールをカッターで丁寧に開けていく。中を見 るとぐしゃぐしゃに丸めた新聞紙の中に小さな箱があった。それをそっと取り出してみる。とても軽い。
「手紙も何もない」
「……なんで。なんでそれだけなの、お父さん……」
姫美ちゃんは肩を落として項垂れている。何かメッセージ的なものがあると期待していたのだろう。
「とにかくこれ、開けてみよう?何かあるかもしれないし」
そう思って俺は小さな箱をそっと開ける。中には、小さな懐中時計がちょこんと入っていた。鎖が付いていたので、恐らくペンダント式の小型懐中時計なのだろう。とても可愛いなあと思っ てまじまじと見てしまった。
「これ、お父さんが持ってたやつ!一回お父さんの部屋で見た‼」
「えっ⁉これ史紀麻さんの私物⁉」
俺は見た覚えがなかったけれど、姫美ちゃんが中学生の時に一回見たそうだ。史紀麻さんはそ の時、これは時雨家のお守りみたいなものだよと笑って答えたと、姫美ちゃんが言っていた。
「にしてもお守りかあ」
『……やーっと、ここから出れたわね』
え、と思った。俺と姫美ちゃんじゃない声がどこからか聞こえた。
「おああああ誰⁉誰の声ー⁉」
あの姫美ちゃんもびっくりしたのか、俺にしがみついている。そういえば意外とそういう一面 もあったなと思い出しながら。
『あんたが手に持っている時計からよ。まったく、驚くなんて失礼ね』
「あのー……様でー……?というか時計からってちょっとしたホラーなんですけれど!?」
恐る恐る、その声の主であると思われる懐中時計に尋ねてみた。すると、不満げな声で彼女は 言った。
『私の名は、時の巫女――トキネ。かつて史紀麻に助けられて、今こんな状態よ』
にわかに信じ難い出来事に俺も姫美ちゃんも腰を抜かす。驚きのオンパレードすぎて、俺達はまず何から信じて、何から聞いていいのかわからなかった。
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