閉ざされた世界で重ねた手(仮) 秋も深まり、茹だるような暑さを忘れたこの季節は気持ちのいい風が吹く。風に混じり、炭火で肉が焼ける匂いがなんとも香ばしい。
来年度から正式に所属することになるゼミの選考と懇親会を兼ねて、バーベキューが行われていた。同学年の中には、今までの授業で見かけた者や、あまり知らない顔ぶれなど様々だった。
「ねえ。ねえってば!」
横から声を掛けられたにも関わらず、帰蝶は反応しなかった。袖を引っ張られ、やっとその女子に目を向けた。
「帰蝶くんって、色白で綺麗だよね、お肌のお手入れとかどうしてるのー?」
「特には何もしていない……」
この女子は一年の時に必須科目で見かけたことがある気がする。横からもう一人顔を出して来た。
「あーっ、でも隈発見! ね。いい安眠法知ってるから今度教えてあげよっか?」
「いや、俺は……」
「うわ、目敏い〜。あんた、元就くんが気になるって言ってたんだからそっち行きなさいよ」
「なんか話しかけづらいオーラ出してるからさー」
「何弱気になってんのよ」
ふたりが話し始めたのを良いことに、自分の皿と紙コップを持って静かに移動した。
ひと学年上の先輩もいるこの会は、互いの学年にとってある意味出会いの場であるようだ。いたるところで固まって話している。まあ、懇親会なのだから、当たり前と言えばそうなのだろうが……。
帰蝶は社交辞令や見栄の飛び交うこの光景を眺めてため息をついた。
何台かあるバーベキューコンロの中で人が寄り付いていないところがひとつある。何度か視線を送っているそこでは、褐色の肌に、アシンメトリーに編み上げた銀髪の男子が黙々と肉を焼いている。この男子も見たことがある。一匹狼という表現が似合う。以前、違う学部の子分のような振る舞いの男子数人に囲まれているときがあるが、それも片手で数えるほどしか見たことがない。
先輩のひとりがその一匹狼に近づいていった。
「元就ぃ~! おっ、美味そうに焼けてるな!」
ずいっと自分の皿を出す先輩は顔が赤くなって、すでに気持ちよく酔っているようだ。
「どうぞ、先輩」
トングでその皿に肉を二枚入れた。たしかに美味そうだ。
元就はこうして人に振る舞うことはあっても、人から振る舞われるのはやんわり避けているように感じていた。
先輩が抱えてきたビール瓶から紙コップになみなみと注いで元就へ押し出した。
「ほら、飲めよ!」
帰蝶は無意識に身体が勝手に動いた――
「俺が代わりに貰います」
帰蝶が割り込んでそのコップを取り上げ、ぐっと煽る。先輩と元就の視線をしっかり集めていた。
「ん? なんだなんだ? 帰蝶いけるな! 飲め飲め!」
「先輩もどうぞ」
近くにあったビール瓶を掲げれば、先輩は気分よく飲み干す。
「お前らどんどん飲めよ!」
コップを空にした先輩は、元就と帰蝶を纏めて肩を組み豪快に笑った。どうやら満足したらしく別の人に絡みに去っていく。
元就はさり気なく肩を払った。帰蝶が見ていたことに気づいて元就は怪訝な顔になる。先輩に見せていたのとは明らかに表情が違う。
「……お前、なんでこっち来た」
「そうだな……呼吸しやすい方へ来た結果だ」
「なんだそれ」
また元就は肉を焼くことに専念し始めた。じゅうじゅうと肉汁が滴り焼ける音がする。
見ていて思ったとおりだ。元就の前にある紙コップは空。酒は飲んでいない。その代わりコーラの缶が置かれていたことから、下戸なのだろうと予想していた。
「元就は酒を飲みたくないんじゃないのか?」
「面倒で飲まねえだけだ」
強がっているようにも見えなかったが、真偽はわからない。
「そういうものなのか。女子がお前に話しかけたそうにしていた」
「いらねえ」
「その態度が良くない」
「ンな女、お前にやるよ……。なんだ? 女に焼いてもらう肉の方が良いか?」
元就が顔を上げて、帰蝶の皿を顎で指した。
皿の中には話に夢中になっている女子が焼いて寄こした肉がタレに浸かっている。端は焦げているかと思えば、うっすら赤い。焼きムラのあるこれらと、元就の前の網の上に並べられた肉を見比べた。
「いや、元就が焼く方が美味そうだ」
素直にそう言い皿を差し出すと、食欲のそそられる焼き目の肉が乗った。
「病弱そうな顔しやがって……肉食え」
「健康体だ」
「そうかよ」
元就は自分のさらにも盛ると、それ以上何も言わずに肉を頬張った。
これが、帰蝶と元就が初めて言葉を交わした日だった――