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    itigatsu

    うた腐り那翔文字書きです

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    itigatsu

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    那翔の日に間に合わなかった

    通りがかったショーウィンドウ。ふと目の端に見えた商品が気になって翔は足を止めた。
    全国どこにでもある眼鏡のチェーン店。
    平日の昼という事もあってか店内は閑散としている。
    「似合いそうだな」
    細身のシルバーフレームの眼鏡。
    先日予備のものを壊してしまったとため息こぼしていたから、タイミング的にも悪くないかもしれない。
    だけど似たような物を持っていたような気もする。
    手にして、顔を上げて、そうして苦笑い一つ。
    似たような物どころか、同じ物を彼は持っている。
    顔を上げたそこに貼られていたのは、彼を起用した広告。今まさに手にしている眼鏡をかけた彼がそこに居た。
    そうだそうだと思い出す。僕の度数でもこんなにレンズが薄くして貰えたんです!と嬉しそうに見せてきたのは1ヶ月と少し前の事だった。
    CMの撮影では眼鏡を外すタイミングが数度あり、打ち合わせから帰ってきた後ほんの少し不安を見せていた事も思い出した。
    「良ければ試着してみてくださいね」
    店員の声に長考しているように見えるほど立ち止まっていたことに気づかされた。
    「ただそちら、在庫の方がなくて取り寄せでのお取り扱いになるんです」
    「取り寄せ……」
    「ST☆RISHの四ノ宮那月さんが宣伝してくれた後から注文が殺到し、て……」
    止まった店員の言葉。チラリと横目で確認すれば、少しばかり驚き混じりの探るような表情が見えた。
    顔の半分を覆う大きめのマスクに帽子、遠目であれば「ST☆RISHの来栖翔」とわかりにくいだろうが、こうも至近距離でマジマジ見られては見抜かれるのも時間の問題。バレて問題があるというわけでもないが、だけど一人にバレて連鎖的に何かが起きるのは面倒くさい。
    店内は閑散としていてもその周囲は人の往来多く賑わっている。
    「急ぎじゃないんで、また今度にします」
    「ぁ。……えっと、多分来月にはまた在庫持てるようになると思うので」
    一瞬しまったという表情をした店員に軽く苦笑しつつ、眼鏡を棚に戻すと店を後にした。

    現場に向かうために捕まえたタクシー。行き先告げつつ乗り込んで、座席に背中をつけると同時タクシーは緩やかに走り出す。
    現場までは少し距離がある。カバンから台本を取り出そうとして、だけど、さっき買ったばかりの雑誌もあることを思い出して雑誌を引っ張り出した。
    「……こういう時ってあるよなぁ」
    目当ての記事があったから買った雑誌だったが、件の眼鏡のCMに間する那月へのインタビュー記事も掲載されていた。狙って買ったわけではないのに、まるで狙って買ったかのようになってしまって、思わずこぼれた苦笑い。
    那月の仕事の全てを把握しているわけではない。だからこうして、何気なく手にした物でこういう仕事もしていたのかと知る事もある。
    この雑誌のインタビューに答えていたのは知らなかった。目当ての記事は後回しに、インタビューの記事を開けば例のメガネをかけた那月のスナップが数枚。中には眼鏡を外しているものもあって、なんだか懐かしい姿が垣間見えたような気がした。
    「やっぱまだ苦手なんだな」
    ざっと目を通したインタビューのなかにあった「四ノ宮さんはコンタクトにはされないんですか?」の言葉
    「周りがぼやけて見えるというのが好きじゃないので……コンタクトは入れるまで少し時間がかかるでしょ?だからあまり好きじゃないんです」
    昔からだ。昔から那月は乏しい視力で見る世界を苦手としている。いつも見ている鮮明な光景とは違うぼやけた光景。目の前に居る人の姿すら違って見えてしまって、別の世界に放り込まれたような不安と恐ろしさを覚えるのだという。
    「……今回は一人でよく頑張ったな。花丸だ」
    文字の上に描く花丸。学生時代、那月を不安定な光景から守ってきたのは砂月だった。
    その砂月に「メガネ以下のくせに」と毒を吐かれたことがある。思い出して引き攣ったこめかみ、引き攣りを抑えるように指で抑えたものの思い出は止まらない。浮かんだのは那月と付き合っても良いだろうかと、まるで親に許可を得るかのように砂月に問いかけた日の事だった。
    那月と恋人同士になったのは学園を卒業してすぐだった。
    那月の持っていた可愛い、好きの感情が、友愛的なものではなく恋愛的な意味合いに変わっていったのがいつ頃なのかは不明瞭。
    翔自身が持っていた嫌い苦手という思いが、こいつの側に居ないとダメだ、むしろ側に居たい。という思いに変わったのかも不明瞭。
    だけど、どちらも卒業オーディションの後には恋心に自覚は芽生えていて。互いにそういう関係になる事を望んだ。
    そうして互いの気持ちを確認した後に砂月にも伝えれば、先程のセリフだ
    「メガネ以下のくせにな」
    那月を不安定な世界から守る存在。
    眼鏡と砂月。
    眼鏡が見せるクリアな視界。
    砂月が見せない不安定な視界。
    那月の不安要素を排除するその二つ。
    メガネ以下という意味がわからないわけではない。
    ふと窓を見れば、不機嫌な表情。翔はそれを吹き消すかのように大きく息を吐くと、スマフォを取り出した。

    「こんばんは」
    小さな箱を携えて那月が顔を見せたのは、少し遅い時間。勝手知ってるなんとやらとばかり、合鍵で勝手に入ってきた那月に、翔はソファーの上に寝転がったまま、だらけた姿を隠す事もなくヒラヒラと手を振って答える
    「ごめんね、遅くなっちゃった」
    「構わねーよ」
    告げる翔の目はスマフォに向けられ、その指は画面をタップしている
    「……クリアできそう?」
    「無理!」
    キッパリ言い切ったかと思えば投げ出されたスマフォ。画面を見ればクリア率70%
    「惜しかったんだ」
    投げ出したスマフォをすぐに回収して、翔は小さくため息こぼす
    「ここまでは結構いけんだよ……あ。くそぉ、トキヤのやつクリア出来てんじゃん」
    「今日の動物さんはどんな子ですか?」
    「雨ガッパ着た犬」
    「え、可愛い。僕やってもいいかな?」
    「やだよ!それでクリアされたら悔しいじゃねーか!つか、お前もアカウント作れよ。後、お前と聖川だけだぞ。やってないの」
    「うーん。こういうの苦手だから」
    だから翔ちゃんのアカウントでやらせてと差し出された手をしっしっと追い払って、再び画面をタップしはじめる
    「いいなぁ」
    「だからアカウント作れって。俺やってやるから」
    スマフォの画面から目を離し、那月へと視線を向けた翔は、おや?と首を傾げた
    「那月、それ……」
    「駅前のお店が半額セールしてたんです」
    「いやそれじゃなくて」
    いつの間にやらテーブルの上に置かれていたケーキ二つ。持っていた箱の正体はあれかと思いつつも、目元に手を触れさせ眼鏡と口にする
    「あぁ、この眼鏡ですか」
    「お前がCMに参加したやつだよな」
    「同じようなもの何本かあるのによくわかったね」
    「まぁ……」
    ちょうど午前中に店先で見ていたのも気づけた理由だろう。普段使いしていたっけと首を傾げれば、那月が苦笑を見せてきた
    「暫くは他のメーカーの眼鏡は避けるようにって日向先生に言われたんです」
    「え、あれ単発じゃねーの?」
    「仕事自体は単発だけど、今使われてるでしょ」
    「あぁ、そっか。イメージ的なもんか……」
    俺も飲料のCMに出た時人前で飲む時は極力そこのメーカーの物を呑むようにって言われたな。なんて零しつつ立ち上がると、那月の方へと歩み寄った
    「どっち食べます?」
    「それ良く見える?」
    重なった質問。おやと二人瞬いて、そうしてどうぞと促したのは那月の方
    「ぁ……いや、その眼鏡。他のより見えやすいとかあんのかなって」
    「レンズがすごく薄いのでスタイリストさんなんかは顔のラインを気にしなくていいから楽って言ってましたね」
    「あー、そか。お前レンズのせいで輪郭線バグるんだっけ」
    「度数がきついとどうしても」
    こればっかりは修正必須なんですと那月は苦笑をこぼしたが、翔が顔に手を伸ばせば僅かに眉根を寄せて逃げるように顔をのけぞらせた
    「……眼鏡外すのやっぱ苦手か」
    手を引きぽそりと呟かれた言葉。おやと那月は片眉あげて、そうして困惑気味に苦笑を零した
    「誰だって急に顔に触られそうになったら逃げると思うけど?」
    「それは確かに……」
    まだ続きそうな言葉。隠された逆説の接続詞。
    どんな言葉を飲み込んだのだろうかと、那月が少し会話を思い返していれば、翔が今度は触るぞと声をかけて手を伸ばしてきた
    逃げずにどうぞと差し出す顔。眼鏡を外される時、瞳を閉じれば、瞼をゆるりと撫でられた。
    「俺が居てもやっぱり眼鏡外すの苦手か?」
    そろりと頬を撫でてくる翔の手。かと思えば包み込むように頬に手を触れさせてくる。
    「……俺が居ても不安になるか?」
    「急にどうしたの?」
    ふっと聞こえたため息に似た吐息。至近距離にあるはずなのに、ぼやけて見える翔の顔。どんな表情をしているのだろうかと目を凝らせば、不意に視界がクリアになった。
    戻された眼鏡をかけ直して改めて目を向ければ、仕方ないかと言うような表情。
    「ケーキ食おうぜ」
    このやり取りは終わりとばかりに向けられそうになった背中。慌てて腕を掴んで引き止めれば、翔は小首傾げつつ体を向けてくる
    「翔ちゃん、逃げないで」
    「逃げるって……別に逃げたつもりは……あぁ、いや逃げようとしたか」
    那月が腕から手を離せば、翔は後頭部を軽く掻いて大きく息を吐く
    「どうしたの?」
    「いやぁちょっと昔言われた辛辣な言葉を思い出しただけだ」
    「辛辣な言葉?」
    「俺は眼鏡以下なんだってさ」
    「え……っと」
    向けられる困惑。翔は那月の頬に手を触れさせ、そうしてメガネのツルに指先を触れさせる
    僅か、ほんの僅か逃げた首。翔が少しばかり瞳をすがめれば、那月は苦笑を見せてきた
    「癖のものです。別に怖いから嫌とかではないですよ……それで誰にそんな事言われたんですか?」
    「……砂月」
    「さつ……ぇ、え?」
    「つい最近の話じゃねーよ、まだ学園にいる頃」
    「さっちゃん、そんな事を」
    「まー、わからなくもねーけど。あいつも眼鏡もお前を不安から助け出せる存在なのに、俺は……」
    「翔ちゃんそんな事ないよ」
    「あぁ、いいんだって。気にすんな。なんかちょっと思い出しただけだし」
    ニャハハと誤魔化すように笑う翔に那月は小さく吐息をこぼして、そうしておもむろに眼鏡を外すとその顔を覗き込んだ
    「……さっちゃんは僕を確かに不安から守ってくれていた。翔ちゃんは……そうだね、僕を逆に不安にさせるね」
    「お前なぁ……」
    引き攣った翔の笑み。那月はその顔に手を触れさせ、ゆるりと輪郭をなぞった
    「だって見えないから」
    「いや、だからさ。砂月や眼鏡はその見えない世界からお前を」
    「貴方が」
    「へ?」
    「世界よりも何よりも翔ちゃんがそばに居るのに、ぼやけて見えるのがなによりも不安になるんです。霞んで、時に消えてしまう事もある光景……視力の良い人には想像がつきにくいかもしれないけど、僕の瞳が映し出す世界はそういう感じ……だから、嫌なんです。こんなにも側にいるのに、触れる事が出来るのに、見えにくいなんて……」
    ペタペタと触れる那月の手、ややすると翔は息を吐いてその手を止めさせ、那月に眼鏡をかけるよう促した
    「ったく……お前を不安にさせたくねぇのにさせちまうって、眼鏡以下どころじゃねーじゃん。諸悪の根源になっちまってる」
    「困っちゃうね」
    「困ってそうにみえねぇけどな」
    肩を竦めた翔に那月は笑う。
    「眼鏡をかけているときは世界が良く見える。だけど、それは当然のもので。外せば確かに不安にはなるけど、でもそれだけ……翔ちゃんはね、姿が見えれば幸せな気持ちになるし、嬉しい気持ちにもなる。傍でこうして顔を見れば、愛しいと思うし……可愛いって思っちゃう」
    クスクス笑いつつ、那月はその頬に手を触れさせて軽く顔を仰がせると、唇にキスを一つ。
    「さっちゃんも不安から助けてくれた。大好きの気持ちを感じさせてくれた。でも、愛しているは違うから……ね、眼鏡以下なんかじゃないんです」
    「……でも諸悪の根源だぜ?」
    「仕方ないですよぉ。ずーっと見ていたくて、見えないと不安になっちゃうくらい大好きなんですから」
    「砂月が聞いたらなんていうだろうなぁ……」
    「うーん……無機物と争ってどうすんだ、阿呆……かなぁ」
    「あー、言いそう。んで俺はお前が言ったんだろうがって食ってかかるんだろうな」
    アハハと声を立てて笑った那月に、翔はフッと笑みを浮かべて肩をすくめた。
    「バカバカしくなっちまった。ケーキ食おうぜ」
    「そうですね」
    「……でも、どんな時もお前の不安を取り除いてやれる男になりてぇよ俺は」
    零された言葉、那月は僅かに瞳を眇めて、そうしてから小さく笑みをこぼすとケーキの準備へと取り掛かった。
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