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    ys1347

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    ys1347

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    大丁
    丁に内緒で縁談を断る大

    あいにく一途な恋なので アパートの大家はなかなか押しの強い女性で、肝っ玉が据わっているというかなんというか、かなりパワフルな人だった。おかずが余ったからと言ってはお裾分けをしてくれるし、うちの旦那には内緒よとたまに銭湯の割引券もくれる。姉御気質な性格は悪くはないが、少々世話を焼きすぎるきらいがあった。

    「――あ、赤鹿くん。この前の釣書、見てくれた?」
     月曜の早朝、出勤するためにアパートの外階段を下りていると、例の大家に声を掛けられた。ふと視線を落とすと、大家が大蔵を見上げていた。ふっくらとした面差しが快活さを醸し出していて、彼女に会うと妙にほっとした。
    「梅雨入りしたっていうのに、天気が良いわね」
     おはようの挨拶もそこそこに、大家の手が忙しなく動く。あちらこちらへ箒を動かし、地面に落ちた小枝や落ち葉をかき集めている。太陽にも負けない笑顔が朝から眩しかった。
    「ほんと、良い天気だね。…てか釣書って何の話?」
    「玄関に掛けといただろ、紙袋に入れて」
    「………ああ、あれか」
     三日ほど前、仕事から帰宅するとドアノブのところに紺色の紙袋が引っ掛けてあったのを思い出した。差出人も中身も、見るまでもなく容易に想像が出来たので、たいして確認もせずに玄関の隅に追いやったのだった。きっと今頃埃をかぶっている。
    「ああ、見た見た、見たよぉ」
     嘘も方便だとおざなりに相槌を打ち、大家の前を通り過ぎる。これでこの話はおしまい、と思ったのも束の間、勢いよく腕を掴まれてひっくり返りそうになった。
    「わっ、おばちゃんなにすんだよ急に!」
     危ないだろ、と大蔵が声を荒げても、大家は一向に気にしていなかった。
     それどころか、まるで大蔵に対抗するように、ずいと顔を寄せてくる始末。
    「――で、どうだった?」
     がっしりと腕を掴まれ身動きが取れない。かなり強引な大家である。
    「は? 何が?」
    「中身見たってことは、相手さんのお顔も見たんだろ? どうだい、美人だったろ?」
    「え? ああ、そうだね、超美人だったね。………さ、俺仕事行かないと」
     ちょっと腕離してくんないかな。努めて優しくお願いをしたが、今日の大家はいつになく頑固だった。
    「私もそのお嬢さんのこと、昔っから知ってるんだけどね、気立てが良い子なんだよ、料理も裁縫も出来るんだって」
    「へえ、そうなんだ」
    「そうなんだって、あんた、他人事みたいに…」
     にべもない大蔵の態度を受けて、大家ががっくりと肩を落とす。それは少し気の毒になるほどの落胆ぶりだったが、だからと言って安請け合い出来るような案件ではない。同情を誘うような顔をされたところで、この縁談を受けるつもりは大蔵にはみじんもなかった。
    「そんなつれないこと言わないでよ。あんた前も良家のお嬢さんとの見合い、断ったろ」
    「そうだっけ? ん~、おばちゃん悪いんだけどさ、俺まじで、今はそういうの考えてないから」
     前も言ったろ。暗に有難迷惑だと伝えると、大家が困ったように眉を下げる。
    「………分かったよ」
     消え入る声で呟き、ようやく大蔵の腕を離してくれた。ふと吹いた風によって、ほのかに甘い花弁の香りがする。柑橘を思わせる清潔な匂いに、丁呂介のことを思い出した。
    「………ちょっとくらいじゃじゃ馬の方が張り合いあるんだよね」
     それに多少口が悪いくらいが、むしろ可愛いとさえ思う。
     大蔵の独り言を大家が不思議そうに聞き返した。
    「ん、なにか言ったかい?」
    「いいや、別に」
     ごめんだけど断っておいて。有無を言わさぬ口調で続けて、アパートを出る。梅雨入りしたというのに、六月の空はやけに鮮やかで、初夏の空気をまとわせている。
    「――あんたが恋人に会わせてくれたら、諦めもつくんだけどねぇ」
     背後から聞こえる大家の嘆きを、とりあえずは聞かなかったことにした。

     狭い村なので年頃の男がいつまでも独り身で暮らしていると、変な噂が立つのは仕方のないことだった。
     大家のような世話焼きは、辟易するくらいに大勢いた。村の婦人会メンバーをタクシーに乗せた日には、プライバシーに関わるようなことまで矢継ぎ早に質問され、軽くトラウマになったほどだ。
     大蔵の気持ちを汲み取ってくれたのか、あれ以来大家が縁談を持ち掛けることはなかった。あまりにも平穏な日々に縁談の話なんてすっかり忘れていたある日の午後、駅のタクシー乗り場で丁呂介に会った。
     中央に花壇のあるロータリーを一周し、乗降スペースへとハンドルを滑らせる。ちょうど死角になっていた丁呂介の背後が、角度がついたことでよく見えるようになった。丁呂介は誰かと楽しげに話をしていて、その人物が大家だと気付いたときは、さすがに面食らった。
    「――奇遇だね」
     タクシーを停車させ、窓ガラスを開ける。丁呂介と大家が大蔵を認め、「あらら」と見事にユニゾンさせた。
     見たところ大家は両手にかなりの荷物を抱えており、タイミングの悪いことに空がぐずつき始めた。雨が降るぞ、と思った瞬間には遠くの方で唸るような雷鳴が鳴り響き、雨の存在感がいっそう増す。
    「………あ、もしよかったらお先にどうぞ」
     丁呂介が眉を下げ控えめに言う。
    「えっ、良いのかい?」
    「…私はほら、荷物も少ないですし」
    「じゃあお言葉に甘えちゃおうかねぇ」
     順番で言えば丁呂介が先客だが、さすがにこの状況では、気を遣うほかない。大家がしきりに感謝を伝えるものだから、丁呂介も気恥ずかしそうにしていた。
    「じゃ丁呂介さん、おばちゃん送ったら戻ってくるね」
    「はい、分かりました」
    「他のタクシー来たら乗ってもらっても良いけど」
    「いえ、大蔵さんを待ってます」
    「…あ、そう」
     ふいと視線を外す丁呂介の耳が赤かったので大蔵も照れた。真正面から甘えられると、案外悪い気はしない。
     後部座席を開け、大家が乗り込んだのをルームミラーで確認する。大家の体がすっぽりタクシーの中に入ったところで、ドアを閉めようとボタンに手を掛けた。その時、大家が予想だにしないことを告げた。
    「――あ、赤鹿くん、また良い縁談があるんだけど」
    「――え?」
     まるでそれが合図のように本降りの雨が降り始めた。湿気によって丁呂介の前髪が濡れていくのが、視界の端に映る。加えて稲光まで。
    「………縁談って?」
     丁呂介の目元がぐしゃりとゆがんだ、気がして、心臓が跳ねた。焦燥にも似た気持ちが胸を締め付ける。
    「――あ、違う、これにはわけが…」
     丁呂介が明らかに困惑していることが分かり、大蔵の心臓がきゅっと軋んだ。雨の中ひとりきりで立ち尽くす丁呂介はまるで迷子の子どものようで、息が詰まる。そんな悲しい顔をさせたかったのでは、もちろんない。
    「…おばちゃん、ごめん」
     ほとんど反射的に、それこそ無我夢中に、ドリンクホルダーに突っ込んであった紙切れを乱暴な手つきで探した。
    「…おばちゃん、まじで悪いんだけど、これタクチケ、使ってもらって良いから、今日は譲ってくれない?」
     ぞんざいな扱いをしたため、タクシーチケットは折れてしわくちゃになっていた。運転席と助手席の間のスペースからチケットを差し出すと、大家が驚愕の表情を浮かべる。
    「――え?」
    「ほら、おばちゃんが見たがってた恋人だよ」
    「――は?」
    「丁呂介さん、ごめん、今日は助手席乗って」
     大家同様、目を見開いて驚く丁呂介を半ば無理やり車内に引き寄せる。
     松葉色の着物には雨のしずくが張り付いていた。丁呂介がシートベルトを締めるのを確認してから、再び大家に向き直った。
    「――だからさ、」
     口を開く前に、少しだけ深呼吸をした。すっと息を吸って、気合いを入れる。緊張と高揚がうまく調和して、なんだか無敵な気分だった。
    「――だから、この人、おばちゃんが見たがってた恋人だよ」
     これで諦めついた?
     いっそ清々しい気持ちで笑い掛けると、大家がこくこくと小さく頷いた。

     大家を降ろし―すぐに別のタクシーがやってきたので安心した―、緑土邸を目指した。
     たっぷり五分は沈黙を分け合っていたかもしれない。丁呂介は何か言いたげにしていたが、言葉を選んでいる様子だった。
    「――お見合い、するんですか?」
     丁呂介がようやく口を開いたのは、あと少しで緑土邸に到着するという頃合いだった。怒りと悲しみを抑えたような落ち着いた声がして、鼓膜がじんと痺れた。車のワイパーが動くたびに、窓ガラスと雨粒が擦れる音がする。
    「しないよ。断った」
    「本当に?」
    「うん、ほんと。あとさ、嘘つきたくないから敢えて言うけど、これで三回目」
     丁呂介が信じられないものを見たみたいな表情で驚く。 
    「は? さ、三回って、あなた、なんで一言も言ってくれなかったんですか?!」
    「う~ん、なんていうか、たぶん、それほどおおごとに捉えてなかったんだと思う。だって、俺には丁呂介さんがいるし」
    「………ばか」
     丁呂介の世界一甘い「馬鹿」が気の抜けたウインカーにまぎれていく。
    「相談くらいしてくれたって良いじゃないですか」
    「うん、ごめんね」
    「逆の立場だったら、どう思いますか?」
    「あちゃ~、それ言っちゃう?」
     意地悪だねえ丁呂介さん。含みのある声で言うと、丁呂介が意地悪はあなたでしょと呆れた。強くなる雨脚はタクシーをすっかり包んでしまった。結露した窓ガラスが白く濁る。
     信号待ちで手を握った。丁呂介の手は指先までつんと冷えていて、あたたかくなるようにぎゅっと強く握る。すべすべとした肌は大蔵の指によく馴染む。離すもんか、と思う。何度だって思う。
    「………きれいな人?」
     信号が青に変わったタイミングで丁呂介が聞いた。
     すぐに質問の意味を理解し、首を横に振った。
    「さあ、分かんない。だって写真見てないもん」
    「はあ? 写真も見てないんですか? なんて失礼な人」
    「だってさ、写真見ちゃったら、急に現実になるじゃん。その人の顔を知らなければ、おとぎ話で終わるでしょ」
    「…またあなたは、分かるような分からないようなことを――…」
     そう言って丁呂介が鼻をすすった。丁呂介がどんな表情を浮かべているか見たくなったので、一瞬だけ丁呂介を見る。
     どんな声や言葉に反応するのか、どこを触れれば喜ぶのか、抱きすくめるとどんな色に染まっていくのか。知りたいのはいつだって、丁呂介のことだ。それだけで良かった。
     この道を真っ直ぐ行けば、緑土邸が見える。
     急に視界がひらけ、大蔵と丁呂介の頭上だけ晴れ間が射し込んでいることに気付いた。山の奥の方は重い雲が立ち込め、雨が降っているように見えるのに、なぜか二人の頭上だけ太陽が微笑んでいる。
    「――俺、案外誠実だし、きっと一途だよ」
     そんなことを言えば丁呂介が、「私の方が一途です」と、大蔵の髪を撫でた。
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