赤い彗星との衝突事故「ヒューッ!ここまでおーいで!」
蝶結びにされた緑のリボンが空中に旗めく。その主は岩の間を飛びまわり、まんまとおびき寄せられ岩で針を折られたイガーに景気よく針を打ち込んだ。正面から吹き出す緑のオキソンが、回り込んで背中のタンクに吸収されていく。
『メユリ、大丈夫?』
友人から通信が飛んできた。
『へーきへーき!今そっち行くから待ってて!』
ゲーム開始すぐ仲間との間にこのイガーが突っ込んできて一人で対応していたところだったのだ。引き離されたあの子らはたしか今先頭にいたガドル達と交戦しているはずだ。メユリは仲間達の戦っている所へ向かって飛んで行った。
その休日、彼女は仲間達とガドル狩りに勤しんでいた。デカダンスに向かって走ってくるガドル達の顔を見た時は彼らについて愛情深く語るクラナガの顔が過ぎり戦意が削がれてしまったが、間近でこちらに向かってくるのを見るとすっかり身についた闘争意欲に火がつき罪悪感も感傷もどこへやら、いつも通り容赦なく針を叩き込んでいた。
「あいつが見たら泣いて喚き散らしそうだなぁ」
道すがら飛んできたピットーを針で殴り倒しながらメユリは考えた。小さいガドル相手だと刺すよりこっちの方が無駄がなくていいと仲間から教わったのだ。
青い空の只中に薄墨色の身を翻しながら進んでいくと、ネモスと交戦している仲間を見つけた。素早く針をセットする。
「みんな!来たよー!」
囮役と追い詰める役、止めを刺す役を通信で話し合い、それぞれの位置につこうとした時。
ブォン、と風を切る音に振り向くと、背後からセルドラムの大きなハサミが降り掛かってくるのが見えた。予想のしなかった敵にメユリは反応しきれず、迫り来るハサミを凝視していた。直撃する、と思った瞬間、
ドドドドドドッ。
連射音とともに、セルドラムの右胴の硬い殻が大破し弾け飛ぶのが見えた。遅れてオキソンが噴水のように吹き出し、セルドラムはゆっくりと左側に倒れ込んだ。割れた殻には、いくつもの吸血針が全て深深と突き刺さっていた。
仲間のうち誰かが放ったものなのか、と周囲を見渡したが、仲間たちは誰も連射できるような武器など持っていなかった。
「メユリ、大丈夫?」
仲間のひとりが泣きそうな顔で呼びかけた。
「うん、平気。誰かが助けてくれたみたいだけど……」
答えながら再び周囲を見渡す。他のギアもそれぞれ目の前の敵との戦闘に夢中になっていて、倒れているセルドラムには一瞥もしない。普通ならガドルの死の確認とオキソンの回収のために接近するはずだが。更に遠くの方へ視線をやると、視界に引っかかるものがを感じる。ピントを合わせると、数百メートルはるか遠方に、こちらを―――否、倒れたガドルを見つめる赤いギアの姿が確認できた。
髪も、肌も、瞳も赤い。その風貌も去ることながら、その手に引っ提げた射出機も見たことの無い珍妙なものであった。
一見普通の射出機のように見えるが、異様に銃身が長く、しかも側面に何やら複雑な機械をいくつも搭載したような武器であった。持ち主本人の身長は百六十センチにも満たないはずなのに、そんな重量級武器を抱えているアンバランス具合はどう見ても周囲から浮いていた。あの体躯であんな大きい武器を使って針を放とうものなら空中で体ごと回転してしまいそうなものだが。
しかしそのギアはメユリから見て左方向へ向いて再び射出機を構えると、ドドドドドと細かく振動しながら遠くのダルマモスに向かって針を連射した。側面から見て分かった。連射するのと同時にレバーを調整してオキソンタンクを小刻みに噴射させることで、反作用での後退や回転を防いでいるのだ。
かなりやり手の戦士だ。メユリの目は尊敬に輝いた。後でお礼を言って、それからできたら戦い方のコツを教えてもらうなどしよう。どさくさに紛れてちゃっかりしたことを考えながら、メユリは伸びてきたユムシの触手を引きちぎった。
今日の戦闘は全て終了した。ガドルを殲滅し、仲間とハイタッチをする。談笑しながらも、メユリは視界の端であの赤いギアの姿を探した。意外と時間はかからなかった。前方の岩の上で、仲間らしきギア二人と話している姿を見つけることができた。本人も全身赤ずくめで本当に目立つ風貌であるが、その仲間たちも肌も髪も全身黄色ずくめのものと、同様に青ずくめのものもいて、遠くからでも本当に分かりやすかった。グループ内でそういう色の揃え方をしているのだろうか。メユリは友人たちに向き直った。
「ねぇねぇ、あの人がさっきあたしを助けてくれた人っぽいんだよね」
「えっ本当?よく分かったね」
「うん、お礼言ってきていい?みんなも来る?」
「行く行く!あたしらも助けてもらったみたいなもんだもん」
きゃいきゃい笑いながらメユリ達は岩の横まで走った。
「あのぉ、すみませーん!」
メユリは手を振って呼びかけた。多分相手はその時ガドルの方を見て自分を認識してはいないだろうから、お礼の前に自己紹介しておいた方がいいだろう。振り返ったそのギアは気だるげな顔でこう言い放った。
「あ、さっきのマヌケ面」
仲間と共に一瞬固まった。認識されていたのは予想外だったが、勿論それが原因ではない。初対面で、会話の第一声で、ファーストコンタクトでいきなりの暴言を吐き捨てたのだ。クラナガですらここまで失礼ではなかった。メユリは絶句していると、隣の青いギアが慌てて喋った。
「こ、こら、イチ!知らない人にいきなりなんてこと言うの!ごめんなさい、言葉遣いが悪くって……!!!」
声が高いのでどうやら女性型サイボーグらしい。素体も背が高く髪も短くしっかりした体格だったのでてっきり男性素体かと思ったが、よく見ると骨格は女性のものだった。イチと呼ばれた赤い方のギアもどうやら女性のようだが、青い方とは違う意味で女性らしさが欠片もなかった。どっかりと胡座をかきながら面倒くさそうに頭をボリボリと掻いている。
「うるせぇな、本当のことを言っただけだろ。不細工すぎて新種のガドルかと思った」
「は、はァ!?ガドルってアンタ、恩人だと思って言わせておけば、何を好き勝手言ってくれてんのよ!」
「いや恩人とか知らねーし。お前みたいなアホ助ける価値どこにあんの?」
「この、口の利き方ってものを……!!!!」
「ちょ、ちょっとメユリ!落ち着いて!」
思わず拳を振り上げそうになったところを後ろから友人二名に取り押さえられる。通常助けてくれた相手に取るべき態度ではないとは思うが、それを差し引いてもこの相手の態度はあまりに酷すぎた。
「モウ、駄目だよ、イチノセ。何も悪くない人に失礼なこと言っちゃ。謝りなさい」
黄色い男性素体のギアがぽふ、とイチノセの頭を軽く押さえる。こうして見るとなかなかの高身長だ。右目を軽く瞑りながら、相変わらず怠そうにそっぽを向いているイチノセの代わりに頭を下げた。
「ごめんね、人との会話が苦手な子で……何か用かな?」
「……」
会話が苦手とか最早そういう次元の問題ではない気がする。メユリの知っている会話が苦手なタイプというのは、クラナガのような、人に話しかけるのに消極的だったり、会話が続かなかったりするような者だが、このイチノセという奴の場合は口を開けばあからさまな悪口で人を馬鹿にする発言しかしていない。完全に悪意があるか、そうでなければ基礎常識データが完全に散逸している。バグなんじゃないか、こいつ。すぐにでも上司に連絡して施設にぶち込むか、いや顔も見たくもない。スクラップになってほしい、今この場で。
最早感謝の念も抱けず尊敬の意志も消え失せたメユリにとって、イチノセは話す用などなくなり、ただただ不快な存在としか映らなくなった。
「いえ、いいです。別に大した用事じゃなかったんで」
メユリはくるっと背を向け、そのまま砂を蹴り大股で歩き出した。
「ま、待ってよ、メユリー!」
友人たちが後ろから追いかけてくる。あれを目の前で見たので流石にお礼を言えとは言ってこなかったが、振り返って後ろのイチノセ達を気にしているようなのはなんとなく分かった。
「でもあれがあのイチノセさんかぁ……まさかあんな人だったとは思わなかったな」
ひとりがぽそっと呟いた。
「知ってるの?」
眉間にシワを立てたままメユリが尋ねると、軽く頷いた。
「一部の間では有名だよ。イチノセ、ニカモト、サンジョウ。ソリッドクエイク社調整部門のギアなんだけど、三人とも滅茶苦茶強くて、Sランク達同士で組んでるんだ。短距離のサンジョウと中距離のニカモト、遠距離のイチノセでそれぞれ役割分担して連携プレーで戦うからどんなガドルでも仕留められちゃう。ただ自社の他部門のギアがあまり強すぎると戦士部門との関係が悪くなるからか、そこまで前線に出る訳では無いからトップランカーにはならないらしいけど。会ってみたいなとは思ってたけど、性格があれじゃあなぁ。災難だったね、メユリ」
「ふーん……まぁ、もういいや。今日帰り皆でビーム浴びる?このまま帰るのもあれだし、スッキリしようじゃん」
「おっ、いいね、賛成!」
「そうしよ、そうしよ!」
「あたしカイカンがいいな、割り勘する?」
メユリの表情から怒りが消えたのに安心した様子の友人たちは揃って手を挙げた。
メユリはというと、表には出さずにはいたがまだイチノセに対する憤懣は溜まっていた。先月今月と続いて慇懃無礼なギアに会いやすいものなのだろうか。クラナガとはまだ和解できたが、イチノセは仲良くなれる気がしないししたくもない。できるなら今後は関わりたくなかった。
二度と会いたくないが、そういう出会いに限って再会する。クラナガにせよ、イチノセにせよ。この先彼らとはだいぶ長い付き合いになることを当時のメユリは全く知らなかったのであった。