青い瞳と黄色い瞳「あ、メユリさーん!」
その明るく鈴の鳴るような声には聴き覚えがあった。タンク街の服屋でめぼしいものを物色していたメユリが振り向くと、遠くの人混みの中から、ひょっこりと揺れる明るい髪が見える。自分より少し黄色みが強い橙色を三つ編みにした少女が義手の手を大きく振っていた。
「ナツメじゃん!やっほー!」
メユリもまた手を振る。それを見て少女は嬉しそうに駆けてきた。人懐っこくて可愛いな、とメユリは笑った。
ナツメという名の少女は、ついこの間地下での戦闘で知り合ったタンカーだ。ギアのメユリとはそんなに顔を合わせる機会は無いように思われたが、意外とすぐに再会できるものだ。デカダンスは入ってみると広いようで思った以上に狭い。
今日のナツメはサンダルだけの軽装で、誰がどう見ても一般の女の子であった。とてもメガロアインを一人で倒した新進気鋭の戦士には見えないだろう。しかしメユリは戦場に到着する間際、彼女が華麗な身のこなしでガドルの攻撃を避け、その躰に針を突き立てたのを見たのである。タンカーの、それも女性は戦闘を好む者が少ないと聞いていたが、なかなか有望である。これでギアだったらいい友達になれるのになぁ、と苦笑するメユリの目の前に、人を掻き分けてナツメが辿り着いた。
「えへへ、聞いて下さい!アタシ、今日かの力に正式に入隊したところなんです!来週行われる作戦会議にも参加させてもらえるんです!」
「へぇ、手続きとかなんかあったの?」
「あれ、メユリさんの時はなかったんですか?」
「え、あぁいやね、ギアとタンカーはちょっと色々違うから」
「へぇ〜戦闘民族はやっぱり違うんですね」
危ない危ない、とメユリはこっそり冷や汗をかいた。ギアからタンカーに秘密を漏らしたり疑われるようなことをするとバグ認定されて最悪スクラップである。よくてメユリの勤め先の矯正施設に落とされ壊れるまで労働だ。多くのギアがタンカーとの触れ合いはしていても必要以上に会話を重ねないのはこのためである。タンカーからも見た目や性格の違いからギアとの一定の壁は感じるらしく、深入りする者はあまり多くない。だが、低身長の女性素体であるメユリは話しやすいのか老若男女問わずタンカーから話しかけられることが多い。ナツメもこの間のクラナガとは必要以上の会話は少なかったが、メユリに対しては喋りやすいのか屈託のない笑顔でよく話してくれる。
クラナガに買い物の案内代としてこの間買ってもらった分でそれなりにバリエーションは揃ってるし、服はこれといったものがなかったので、すぐにその場を離れてナツメと歩きながら話すことにした。
「じゃあ今日はお祝いってことね。食料品売り場行く?」
「はい、行きます行きます!色々買っていこうかなって。組長とパイプにもごちそうしようと思って」
「くみちょう……あ、あの時の」
メユリの記憶回路にナツメのそばに居た無愛想な男が浮かび上がってきた。気難しそうで取っ付きにくくて、メユリにとっては苦手なタイプだ。
「あの人ナツメの何?お父さんではなさそうだけど」
タンカーは一般的な生物と同じように有性生殖で増えるということも、一個体から男親の方を「お父さん」等と呼称するということも、知識として得ている。年齢的には有り得そうだったが、どうやらそうではなさそうである。ナツメからの男への呼称がそれに相当するものでは無いのも分かっているが、そこから推測できる関係性がタンカーの労働組織に疎いメユリには今ひとつ掴めなかった。
「あぁ、組長……カブラギさんはアタシの上司なんです。元上司、の方が正しいですかね。アタシ元々は装甲修理人見習いやってて、そこのカブラギ組っていうグループのリーダーだから組長って呼んでるんです」
「へぇ、カブラギさんっていうんだ」
「はい、でも元戦士だったらしくて、あの人から戦い方とか色々教えてもらったんです。戦士になって、かの力に入ることがアタシの夢だったんで」
「おぉ、じゃあ夢叶ってよかったじゃん!お礼も兼ねてるわけね」
「そうなんです!組長には本当にお世話になったので!」
ナツメがニコニコと笑いながら話す。メユリにとってはおっかないオッサンだが、ナツメにとっては大事な恩人ということらしい。
(戦士になるのが夢……ねぇ)
メユリにとっては、戦士というのは単なる他部署の仕事仲間か、たまに遊びとして体験する『役柄』である。自分には矯正施設の管理という役目が生まれつき与えられており、部門の異なる仕事を自分のものにしようと目指す感覚がどうにも理解しかねるが、タンカーには生来用意される仕事がないからそんな発想をするのだろう。不便じゃないだろうか。小首を傾げながらも、少しだけ羨ましい気がした。あの薄暗くじっとりと湿り、収容される者も監視する者も嫌なせせら笑いで満ちた卑屈な職場は好きではなかった。好きではなかったが、そこから別の場所へ行くことはとても考えられなかった。全ての決定権はシステムが握っている。自分の意思で異動することは無いだろう。でも、もしそれができるとしたら。自分は、どこを希望するだろう。どこを望めばいいだろう。自分には、何が向いているのだろう。
「メユリさん?」
不思議そうにナツメから声をかけられた。はっとするほど青い瞳に見つめられ、遠くの方へ飛ばしていた意識を元に戻した。
「あっ、ごめんね、考え事!ナツメ、それならあの香草買ってったらいいんじゃない?細かく刻んだらいい風味が出るのよ」
慌ててさっきまでナツメが語りかけていた台詞を回路内で再生し、会話を辿って返答する。肉や炒め物以外にもスープを作ろうと思うがどんな味付けがいいか、という質問をしていたようだった。少し先の店に吊るされていた商品を指さす。
「あ、そうなんですか!ありがとうございます」
考え事をしていたわりに的確な返答が返ってきたことに驚きつつナツメは店の主人にこれ下さいと注文する。メユリは、会話中に上の空になるなどという自分らしくない行動を恥じていた。どうしてこんなことを。ぼそりと呟く。
「……あいつから変な影響受けちゃったかな」
「え、何ですか?」
「ううん、何でもないよ。あと何か食べたいものある?」
買い取った香草を買い物袋に入れ振り返ったナツメに微笑みかける。
「うーん、組長はあんまり食べない人ですからねぇ……あとおつまみと付け合せの野菜買っていくぐらいにしときます」
「そっかー。あ、ナツメって甘いもの好き?」
「あっ、好きです好きです!干した実とか、高いからあまり買えないんですけど、たまに食べるとたまらなく美味しいんですよね〜!」
「わかるぅー!あたしね、自分でデザートとか作ったりするんだけど、今度ナツメにも作ったげよっか!」
「えっ、いいんですか!?ていうか、作れるんですか!!??メユリさんすごーい!!!!お店の人みたい!」
「ふふふ、かの力エリアにギアカフェってあるでしょ。あそこで出てるお菓子ってどうやったら自分で再現できるかなって一通り納得できるまで作ったのよ。甘いものならまかせて!」
「いいな〜、あそこアタシまだ入ったこともないんですよ。流石ギア!」
「ナツメも稼いで行けるようになんなさい。戦士は給料いいわよ、たしかタンカーもそうだったでしょ?」
「わー!絶対行きます!」
ぴょんぴょん頭頂部の短く跳ねた髪を揺らしながらナツメは目を輝かせたが、メユリは
(そういえばギアカフェってタンカー入れたっけ……?)
とうっかり失言に若干の後悔を感じていた。が、
(まぁいいか、あたしがもっと美味しいの作ったげりゃいい話だわ)
すぐに開き直り、若干上背のあるナツメに笑いかけた。
「じゃあ今度来た時持ってきたげるね!約束!」
「はい!ありがとうございます!」
青い瞳と黄色い瞳が交差して共に細められた。
その日は二人買い物しながら喋り通し、夕方にはうきうきと荷物を抱えるナツメを街中で見送った。
「一人のタンカーとこんなに話したのは初めてじゃないかなぁ」
メユリは帰る前に、調味料の並んだ店でナツメの好きそうなものをわくわくと想像しながらお菓子作りの材料を漁っていった。
「そうだ、今度ニカモトにも作ってってあげる分のも作ろう。イチノセは食べなさそうだけど一応三人分用意して……」
このぐらいでいいかと摘んだ手を止める。
「……ついでに味見させてみるか」
誰にとは言わない代わりに、もう少しばかり多めに手に取り、財布から金を出した。余計な出費かな、でもまぁあいつのおかげで浮いたお金なわけだし、と独りごちながら帰路についていった。
了