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    sannomekun

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    sannomekun

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    #類司
    Ruikasa

    波の音と潮の香りに導かれ、緑道を抜けると視界に飛び込んできたのは、鮮やかな青が広がる何処までも果てしない海の景色だった。

    空を見上げてみれば、彼方まで続く空にゆったりと浮かぶ雲。その空と海との境界線付近には淡い桃色と水色の水彩が溶けて混じり合い、その下に広がる海に滲んでまもなく訪れる夕暮れ時を知らせている。

    その美しい色彩のコントラスト達に、呼吸を忘れて見入った。

    ーーキレイだ、

    隣で同じく景色を眺めていた類の横顔は、夕焼けの色を受けてわずかに橙色に染められ、ビー玉のようにきらきらとした目は熱心に海へと向いている。

    その横顔を暫く盗み見ていたけれど、その目線に気付いた類のはにかんだような笑顔がとても美しかったから、きゅうっと胸が締めつけられるような感覚になって、

    ーーきれいだ、

    慌てて視線を逸らした。ドクンドクンと鼓動が逸る。頬が熱い。

    「新しい景色は、夕暮れ時でも眩しいね」
    「ああ、オレといるともっと、眩しいだろう」
    「でも君は、見惚れすぎだよ」

    直球で核心を突かれ、未だきゅうっと締め付けられるように痛む胸を抑えながらしどろもどろに誤魔化す。
    きれいだなんて、恥ずかしいだなんて。

    「君といるだけで景色を素晴らしいと認められるのなら」

    再び海に目線を戻したので難を逃れ、気付かれないようにそっと安堵の息を吐き出す。

    「僕は、君とずっと一緒にいる必要を感じる」
    「気に入ったか?」
    「うん」

    その声を受けて再び見た横顔は、先程より瞳も頬も耳も橙色に染まっており、自分と同じようにこの夕焼けを気に入ってくれたのかと思うと無性に嬉しくなって大きく頷いた。

    適当な草むらに腰を下ろし、大の字に寝転がってみる。瑞々しい新緑の香りが鼻をくすぐる。

    「随分遠いところまで連れてきてくれたね」
    「ここが一番いいと思ったからな」

    記憶に新しい昨日からの旅を回想する。

    錆びれた音を立てて進む電車の中は、ふたりぼっちの世界だった。ふたり分の息遣いだけが響く空間は酷く居心地の良いもので、この不可侵な静寂がずっと続けば良いとも思った。小さな箱に押し込められて流れ行く景色を黙って見詰めていた。

    ーー海が見たい

    唐突に言った類の望みを叶える為に少ない荷物を持ってふたりで電車に飛び乗ったのだ。

    「なんだか、すごいことに思える」
    「なにがだ?」
    「連れて行ってくれる人がいることさ」
    「オレの行動力の賜物だろうな!」

    司とて自分の行動力に改めて脱帽したが、きっと類も本当に連れ出してくれるとは思ってなかったに違いない。

    最初はサラリーマンで犇めく満員電車から始まり、段々と人が居なくなって遂にはふたりだけだ。
    類を気遣い都会の喧騒を避けてひたすら田舎の方へ向かった。

    司も類も都会育ちで田舎というものは漠然としか知らなかったが、目に眩しい緑が何処までも続く長閑な風景に感動した。車窓から見える山々は猛った深緑が力強く、神々しかった。

    平日の昼間から山に囲まれた辺鄙な所に来る人間も少ないようで、ふたりが居る車両に他の人間が乗り込んでくる気配もなかった。

    そもそも、駅に人影が見えない。
    唯一あった隣の車両には、年老いた夫婦が穏やかな顔付きで乗り込んできていた。お互いを支え合いながらがらんどうの車内に入り、緩慢な動作で腰掛けると窓の外を見て微笑む。司はその夫婦を一瞥して、いつか自分達もああなれたら良いと思った。

    「一体何が、後ろ暗いのか分からないままだ」
    「何でも話してくれ、類」
    「言葉にできぬことさ」
    「通じ合えないものなのか?」

    ーー君といるだけで景色を素晴らしいと認められるのなら

    「きっと、いつか交差することに思えるよ」

    ーー君とずっと一緒にいる必要を感じる

    声を受けては不意打ち、肩を揺らしてしまう。

    「人生に迷えることは、貴重なことだと、オレは思っている」
    「へえ、意外だね」
    「だが、そうでなければお前と一緒にいることなどできないだろ?」
    「どうしてそう思うの」
    「お前には、場所が必要だと思ったからだ」

    類は痩せた肩を揺らして笑う。

    ーーならば、行こう!海

    本を乱雑に閉じて片付けると未だぼんやりした表情の類の手を引き、学校を後にした。家に寄り最低限の荷物を詰めた鞄を抱え、類の家でも同じようにして飛び出した。真上から降り注ぐ燦々とした陽射しがふたりを苛むのを煩い、この逃避行はまるで駆け落ちみたいだと錯覚した。

    「覚えているだろうね、今日のことはずっと」

    誰にも告げずにサラリーマンで溢れ返った満員電車に乗り込む時、司はこの後の算段がついていなかった。ただただ、類を何処かに逃がしてやりたい気持ちが彼を突き動かしていたのだ。

    「その台詞、最近何度も聞くぞ」

    そう言えば、そうだねと笑った。
    そのあとなぜだか、ふ、と二人の間を流れていた空気が止まり、類の目線が徐々に下に逸れていく。

    「良い思い出になるね」

    その言葉を受けて思わずむくりと体を起こした司は、目の前の濃度がいつの間にか薄くなって、辺りを紺色が覆って来ていることに気付いた。

    相変わらず太陽はジリジリと地平線に浮かんでいたが、確実に夜は近付きつつある。

    「あっという間だな」

    この夕暮れの色彩だってありふれたもののはずなのに、類と見るこの夕暮れは酷く静かで、それでいてとても寂しい。

    人波に逆らって電車を乗り継ぐそんなときに見た以前の覇気がすっかり失くなった類が、司の目に酷く幼く映っていたからだろうか。出会ったころの自信や余裕を失い身を縮める姿が迷子のようだった。人が疎らになった車内に並んで座れば、華奢な身体がゆるりと凭れてーー

    「君は、どうして進学を選んだんだい」
    「何故だろうな、その方がいいと思ったからとしか言えんが、」
    「そう」

    目を瞬いて類が混乱した様子で視線を注いでくる。どうしてそんな顔をするのだろうか。何かいけないものを掠ってしまったかのように、突然空気がピシッと凍りつくような感覚だった。

    「......君にも、迷えることはあるのかい?」
    「えっ、」
    「海のように、はかり知れないこと」

    その先に言葉は続かなかった。沈黙の間に聞こえた波の音がやたら大きく聞こえ、弾かれたように口を開きかけたものの、なんと言おうかと言い淀んでいる間に、僅かに眉を顰めた隣の類が正面に向き直り話を続けた。

    「そんな君を、ずっと見ていたい」
    「ああ。オレもお前を見ていたいぞ」

    笑って返すけれど類の表情に笑みはなく、数秒固まった空気に僅かに力の入った声が響き渡る。

    「君なら出来るだろう」

    じわ、と苦い味が口の中に広がるようだった。安直な事に思えて、もうこれ以上言える筈もなかった。結果的に司は微妙な返事をするしかなくて、類もそれきり黙って空を見上げている。

    「司くんには、悪いことをしてしまった」

    平常を取り戻した声で類が言う。
    白昼夢に思えるくらいには、いつも通りだった。皆に見せていた神代類。

    こいつの強がりは最早癖のようなものかと頭の片隅で考え、首を振ってすかさず否定の言葉を口にする。

    「何も悪いことないだろう!丁度暑かったしな!」

    声をはずませて態とらしく明るく振舞う。心労を少しでも軽くしたいと思った結果無意識に取った行動。聡明な類は彼の気遣いに気付いていながらふと笑みを溢す。どちらからともなく話を止めて。

    これ以上何かを言ってしまえばふたりの逃避行は直ぐにでも終わってしまうと、直感で分かっていたから。

    何処かも分からぬ土地に着いて駅に降りると駅舎の中で椅子に座って欠伸を噛み殺していた駅員の男がギョッとしていた。

    『いやあ、おどろいたなあ』

    曰くこの時間に人が来るのは珍しいそうで、ふたりは随分と田舎まで来たのだなと実感したのだ。人見知りをしない司がいつの間にか男と仲良くなり、今日泊まる為の宿を紹介してもらっているのを類は遠くから見ていた。彼にとって初対面の人間はどうも好きになれないものだ。きっといつまでも、自分から他人に声をかけようなどとは思わないんだろうと類は何となく自嘲する。

    「近くに宿があるらしい。案内してくれるみたいだから、行こう!類」

    夜が辺りを覆う。じきに日付を跨ぎ今日と明日を繋ぐ。昨日、勇気を出して類に電話していたときも窓の外はこの夜の色と同じ濃紺で覆われていた。

    もう夜だと言うのに、司は太陽のようだった。眩しくもないのに目を細めて類は曖昧に微笑む。宿へと歩く道中も、気の良い駅員の男はふたりに話しかけてきて、その全てを司が返答していた。

    類はその後ろ姿を見詰めているだけで、形の良い唇はいつも以上に固く閉ざされている。男も類が人見知りをするのだと察して、司に話しかけることが多かった。

    紹介された宿は駅から十分程で着いた古い民宿で、愛想の良さそうなおばあさんが笑って出迎えてくれた。

    駅員の男は司と少しの言葉を交わすと手を振って去っていく。最後に類も感謝の意を込めて会釈をした。宿の主人であるおばあさんは、こんな遅くに転がり込んだ客に嫌な顔もせず「余り物で良ければ、」なんて食事まで用意をしてくれた。ここでも話すのは司ばかりだったけれど。

    風呂に入って部屋へ戻ると直ぐに布団に寝転んだ類と違って、司は廊下に出て直ぐの所にあった電話でどこかに連絡をしていた。多分電話の相手は家族だろう、と分かった。突然出てきたのだから連絡をするのが普通であることも重々承知しているのに、類はそれをしようとは思わなかった。

    まるでぽかりと胸の内に大きな空洞があるように、何も、感じないのだ。

    「類も、連絡をしておいた方良いんじゃないか?」

    電話を終えた司が、ぱたりと部屋の襖を閉める。うつ伏せで枕に顔を埋め、聞こえない振りをした類は一度足を揺らすことで拒絶を示す。

    これみよがしの溜息が耳に届いたけれど無視を貫く。けれど司は類の意思を尊重し、それ以上の催促を諦めた。

    離れて敷かれていた布団をぴたりと寄せて寝転べば、窓から差し込む月明かりで類の白い肌が暗闇に浮かぶ。司の方を向かないままの類をそっと背後から抱き締めれば、腕の中の身体は依然として少し冷たい。

    「明日は、きっと天気が良い。今日は満月だからな」

    カーテンも何も付いていない窓を見上げて呟く。雲ひとつない空に大きく浮かんだ月を見て、今度は類がくすりと笑い持ち上げた指先で月の輪郭をなぞる。

    「あれは満月じゃない。まだ少し欠けている気がするから、満月になるのは明日かな」

    そうして静かに自分の腹に回っていた司の腕に手を重ねて穏やかに、

    「おやすみ」

    司にはその時の類の横顔が無性に儚げに見えて、思わず抱き寄せた腕の力を強める。今にも月に攫われてしまうんじゃないかと不安が過り、どうかコイツを連れていってくれるなと、もう一度だけ月を睨め付ける。

    次の日、先に目を覚ましたのは司の方だった。腕の中にある確かな温もりに酷く安堵してその寝顔を見詰める。身体を丸めて眠る類の頬を撫ぜて身体を離すと口元に耳を寄せる。

    類の眠っている様はいつも静かだ。
    身動ぎひとつしないで死んだように眠るので、司はふたりで朝を迎えると時折こうして呼吸を確認する。

    無意識にそう身体が動いていた。

    耳を澄ましてやっと聞こえる呼吸音。そこでやっと満足して再び布団に寝転ぶ。まだもう少しだけ、類の眠りを見守りたかった。

    「ん、」

    寝転んだ時の僅かな衝撃が腕から伝わったようで、類は睫毛を震わせるとぱちりとその目蓋を持ち上げる。緩々と振り返って見詰める司と視線が絡み合えばふと微笑んだ。

    司が覚えてる限りそれは久々に見た類の笑顔だった。


    「起きて、司くん」

    目を覚ませば電車の中。心地の良い声にまた眠りに誘われそうになりつつ、頭を振って脳を覚醒させると隣の類が懸命に自分の肩を揺さぶっている。

    「此処、終点だって。降りようか」

    自分はそんなに長く眠っていたのか、荷物を持って駅へと降り立てば辺りは鬱蒼とした緑に囲まれ、どこからともなく蝉の鳴き声まで聞こえてくる。

    スンと鼻を鳴らせば本当に微かだが潮の匂いもする。海が直ぐ近くにあるのだろう。

    「遅いよ」

    駅のホームで呆然と立ち尽くしていたら痺れを切らした類が細腕に荷物をふたつ抱えて歩き出したので司は急いでそれを追い掛けた。

    切符を捥ぎる駅員に司は人懐っこく話しかける。

    自分達が何時間も夢中で電車を乗り継いで辿り着いたのは日本列島の中央、近畿地方と呼ばれる場所にある大きな県の最南端だった。太平洋に面している地域らしく、歩けば三十分足らずで海に着くと駅員は自慢気に教えてくれた。

    道理で潮の匂いが漂ってる訳だ。司が駅員に東京から何の計画も無しに海を見に来たんだと言えば、昨晩の駅員と同じように泊まる場所を紹介してくれると言う。

    田舎の人間というのは他所者にも優しくて暖かく、その傍らで、東京にはなかった暖かさに妙な羨望感も覚えた。

    駅員は知り合いがやっている古民家だ、と宿への簡単な地図と住所を書き司に渡した。ついでに連絡まで入れてくれたというから至れり尽くせりだ。

    道行けど人は居ない。
    海風に吹かれて揺れる木々と蝉の鳴き声、それからふたり。
    誰も知らない街でふたりきりで歩くことは司にとって幸福以外の何ものでもなかった。東京では雁字搦めだったしがらみが此処には一切無い。正に夢のような現実だ。

    司は何も言わずに隣を歩く類の白い手を取り指を絡める。ちらりと視線を寄越した類の目にも歓喜の色が窺えたので、ふたりはそのままひっそりと唇を合わせる。

    「うわぁ!海だ!近いんだな!」

    ふたりは駅から一時間ほど歩き目的の古民家に着いた。小高い丘の上に建っている古民家は昔話にでも出てきそうな雰囲気で、朗らかな初老の夫婦が営んでいた。

    今ではもうあまり見かけない木造建築の家。所々ある太い木の柱は有りの侭の、木の本来の形を活かしているのか歪に曲がっていたりしてそれがまた趣きがある。肩の力が自然と抜けるような安心感が魅力的だった。

    これなら荒んでボロボロな類の心も良くなるに違いないと期待に胸をはずませる。

    与えられた二階の部屋の窓からは遠くに海が見える。夏の陽射しにキラキラと反射する海はどこまでも広く、波は宝石のようだった。遮るものも無い、東京では絶対に見ることの出来ない景色。

    主人は素直に感嘆の声を上げる司に笑って下の階へ降りていった。その気配が遠くなると類が控えめに司の横に並び、外の景色を見詰める。

    「綺麗だね、本当に」

    その一言に、此処まで連れてきたことが一瞬で報われたような気がした。

    ーー海に、行きたい

    何もかもを放り出して辿り着いた先、最愛の恋人が少しでも喜んでくれるならそれが喜ばしい。ふたりは荷物を置いて暫く休憩した後、海をもっと近くで見に行こうと腰を上げる。

    ふたりを知る人間が居ない土地だからか、司は迷いなく手を繋いで階下へ降りた。
    下で会った奥さんに海を見に行ってくる、と話せば彼女は深く頷いて勧めてくれたが、思い出したように慌ててふたりの背に向かって口を開く。

    「ほこらの奥の海は行ったらだめだよ、あそこは神様の居る海だ」

    軽く手を挙げることで応える司には、その時類の表情がよく見えなかった。

    歩いて丘を下ればものの数分で海に着く。古民家の窓から見えた海は近くで見れば見るほど透き通る輝きを増し、寄せては返す波がさらりと素足の足元を撫でる。遠くから見た風景とはまた違った美しさがあった。

    終わりの見えない青に胸を打たれ駆け出した。波打ち際に佇んでいた類の腕を引いて、無邪気に波と戯れる。

    類はそれを夢現に眺めていた。これは夢だ、自分が強く望んでいる夢。現実ではないけれど、この瞬間は永遠みたいだ、と。

    ふたりで年相応にはしゃいだ。置いてきた全部を忘れ、ふたりだけの浜辺で水を掛け合ったり砂浜に寝転んでみたり。思えばこんなに笑ったのはいつ振りだったか、司も類もそう考えた。

    夕陽が海に沈み始めた頃、波が作る線に沿って手を繋いで歩いた。肌にまとわりつく衣服ももう気にならない。穏やかに吹く海風に背中を押されて、何処へ向かうでもなくゆっくり歩く。

    司は不意に立ち止まり、赤く染まった海を背にして微笑む類を抱き締めた。
    理由はなく、本能の赴くまま。

    すっかり痩せた身体を腕の中に閉じ込める。腕が司の背に回り、見つめ合ったふたりがまたそっと唇を重ねた。触れ合わせるだけの唇で充分満たされていた。その瞬間、ふたりが世界で一番幸せなんじゃないかと、倒錯する。

    「司くん。ずっと此処で、ふたりでいようか」

    唇が音を立て離れた時だった。
    思わず漏れた言葉に自身が目を見開き驚愕する。

    驚き過ぎて何を口走ったのかも理解出来なかった。目の前の司が困ったように眉を下げる仕草が鮮明に映ることで、禁句を言ってしまったと慌てて口元に手を当てる。

    急に速くなる鼓動、耳元で心臓が鳴ってるのではと思うほど大きく響いた。

    嘘でも良いから、ずっと続くと思いたかった。この瞬間に夢が覚めるのを何よりも恐れた。司は相変わらず何かを言い淀んで口元をまごつかせつつ、少ししてから意を決して口を開く。

    「駄目だ、帰ろう」

    夢が去っていく音がどこからか聞こえた。幸せだと思っていた景色が刹那色褪せていく。夢から覚めた瞬間煩わしい蝉の鳴き声が耳に付き、視界に映らなかったはずの家々の明かりに目が行くようになる。

    ーー嗚呼、

    予想していたより酷く冷静だった。

    「冗談だよ」


    古民家に戻れば司はまた家に電話をしていた。話の所々を掻い摘んでみるとから帰路に着くから、と。それから数度謝って電話を切る。食事をしながら黙ってそれを聞いていた類は静かに目を伏せた。自分の所為で司に負担が掛かっていたと改めて実感し、罪悪感に見舞われる。美味しかったはずの食事から、味がなくなった気がした。

    真夜中に目が覚めた。司が身体を起こせば隣で寝ていたはずの類の姿はなく、部屋を見回せば窓際に寄り掛かって外を眺めているようだった。

    一度だけ、「類」と呼びかける。
    振り返った彼は不自然なほどに穏やかな笑みを浮かべて小首を傾けた。

    「昼間に行けなかった海に行こうよ」

    その言葉が言わんとしている意味が分かった。

    類は、昼間咎められた神様がいるという海に司を誘っている。司は戸惑いを隠せず、言葉を発することも動き出すことも出来なかったが、類は返事を待たずに浴衣のままふらりと立ち上がってしまった。

    漂うように覚束ない足取りでそっと部屋を出ていく類を追いかける。主人も奥さんも寝静まった静かな古民家を抜け出して、所々街灯が立っているだけの閑静な道を海に向かって歩いて行く。

    数歩を後ろをついて歩く司には、今の類が海を見たいと言ったあの日と重なっていた。道の脇に建てられたほこらが見える。よく見ればそこには鳥居も供えられており、入るのを躊躇った。立入禁止の柵まであるのだから。

    「類、戻ろう。入っては駄目だとおばさんが言っていただろう」
    「僕ひとりで行こう」

    やっと司を振り返った類は悪戯に目を細めて笑った。軽い動作で柵を越えると向こう側から司を見詰める。どんなに司が渋っても類の意思は変わらないのか、口元に笑みを浮かべて更に奥へと足を進めていった。

    放っておく訳にもいかず司も急いで柵を跨ぐ。神様がいる海は、沢山の岩場に囲まれて波もない穏やかな場所だった。

    何がきっかけで立入禁止にまでなっているのかふたりには全く分からなかったが、月明かりだけを頼りに岩場を歩いて最奥で立ち止まる。少しの浜辺と黒々とした水面、無数の星に囲まれた月だけが目の前にあった。世界の果てにでも居る気分だった。

    「今日が満月だよ」

    類は嬉しそうに指を差す。習って見上げれば確かに昨日よりも丸く見えるが、今の司には然程重要なことではなかった。

    背筋を駆け上がる覚えのない不安。慌てて類の手を掴んだ。自分の勘は結構当たる方であると自負している。その勘が、今一際強くこの手を離すなと脳裏で囁いている。

    「明日になれば、僕たちはもう」
    「何、言ってるんだ。これからも海くらいいくらでも連れていく。ほら、もう夏休みだ、皆で来よう!ふたりきりでも勿論、お前が見たいのなら毎年此処に連れていくから」

    類は一度だけ司を見て、その妖しく光る双眸から涙をころりと落とした。

    一粒だけ頬を伝って落ちるそれを反射的に目で追う。

    瞬きをした次の瞬間には涙など消えていて、慈愛に満ちた微笑みを携えた類が司の目に映った。

    強く握っていたはずの手から腕がするりと抜けていく。
    何かに足が捕られたように動けない司を置いて、類は、黒々とした海へと真っ直ぐに進んでいった。

    途端に水がうねって波を生むと、その大きな力で類を呑み込んだ。どぷりと沈む真白い痩躯を見て司は叫ぶ。

    「類!」

    それでも足は竦んで動けなかった。
    立ち尽くすその内膝から崩れて腕で顔を覆った。

    ーーそんなのまるで今生の別れじゃないか

    ただ打ち拉がれるだろう。
    ふたりならこの先何があっても上手くいくと思っていた自信が、今まで築き上げてきた何かが一瞬で波に呑まれていくようだ。

    知らぬ間に心の内で感じていた全能勘を否定される。ふたりなら大丈夫、なんて全能勘は傲慢だったと咎められた。

    子供でいられなくなったのだ。
    ふたりだけの世界で有りの侭で、なんて夢からとっくに覚めていたんだ。

    未だ夢の中を彷徨ってそれが現実だと信じて疑わなかった司。だから類は逃避行を望んでいたのか。あの頃の無垢な夢の続きを見る為に。

    俯いている司の頭上から滴が降ってくる。

    「司くん。僕らはもう会うのを辞めよう」

    海から上がった類が司の髪を撫でた。いつも通りの丁寧な仕草で、柔らかな毛を梳いていく。

    「冗談でも、そんなことを言うんじゃない」

    やっと自由になった足で立ち上がり濡れた類を勢い良く抱き締める。

    ーー明日からもずっと一緒だと言ってほしい

    時折こうして遠出して、卒業してからも一緒に、永遠に。

    司はふと昼間のことを思い出す。

    先に類を現実へ帰そうとしていたのは愚かにも自分だった。

    夢を見たままでいたい駄々をこねたくせに、最初に夢から覚ましてしまったのは司の方で。

    思い出したら目頭が熱くなり、視界が滲んで前が見えない。

    そんな司の手を引いて類は黙々と古民家への帰路に着く。暗闇の中で迷わず前に進む背中が遠い人に思えた。

    古民家に着いて濡れた浴衣を脱ぎ捨てた類を堪らず掻き抱いて布団に潜り込む。

    明日になってもまたふたりで笑い合って、いつも通り普段と変わらない、そんな時間を過ごしたかった。

    ふたりならきっと、永遠だって夢じゃない。自分がそれを叶えて見せれば類も安心してくれるはずだろうと。明日になってからまた話そう。

    重くなる目蓋を閉じれば段々と頭が霞みがかっていく。微睡んだ意識の中ではっきりと声だけが聞こえる。

    「僕はたぶん、一生君を嫌いになんてなれないだろう。会えなくても、ずっと」


    目を覚ますと、姿は跡形もなく消えていた。
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    PROGRESS※18歳未満閲覧厳禁※

    2024/5/26開催のCOMIC CITY 大阪 126 キミセカにて発行予定の小粒まめさんとのR18大人のおもちゃ合同誌

    naの作品は26P
    タイトルは未定です!!!

    サンプル6P+R18シーン4P

    冒頭導入部とエッチシーン抜粋です🫡❣️

    あらすじ▼
    類のガレージにてショーの打合せをしていた2人。
    打合せ後休憩しようとしたところに、自身で発明した🌟の中を再現したというお○ほを見つけてしまった🌟。
    自分がいるのに玩具などを使おうとしていた🎈にふつふつと嫉妬した🌟は検証と称して………

    毎度の事ながら本編8割えろいことしてます。
    サンプル内含め🎈🌟共に汚喘ぎや🎈が🌟にお○ほで攻められるといった表現なども含まれますので、いつもより🌟優位🎈よわよわ要素が強めになっております。
    苦手な方はご注意を。

    本編中は淫語もたくさんなので相変わらず何でも許せる方向けです。

    正式なお知らせ・お取り置きについてはまた開催日近づきましたら行います。

    pass
    18↑?
    yes/no

    余談
    今回体調不良もあり進捗が鈍かったのですが、無事にえちかわ🎈🌟を今回も仕上げました!!!
    色んな🌟の表情がかけてとても楽しかったです。

    大天才小粒まめさんとの合同誌、すごく恐れ多いのですがよろしくお願い致します!
    11

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