メイビーウィズユー 在籍学生のほとんどが大学院進学を前提に学ぶこのゼミでは学問と同じくらい学生間での活発な意見交換が重視されていた。
「……これで終わります。何か質問事項はありますか」
ともすれば冷淡と取れるほどに淡々としているものの、聞き惚れてしまうような美声が教室にこだました。その主はシャーロック・ホームズ。四年生の中で最優秀と名高い学生だった。発表中に三年生達の筆記の音がほぼ聞こえて来なかったのは、彼の独特な声に聴き入っていたという訳ではない。ほとんどの学生が途中で理解を放棄していたからだ。
今日の授業の趣旨は彼の研究内容を三年生に解説するものだった。質問は、と言われたものの三年生の手が上がる気配はない。そしてホームズ自身もそれを予想していたようで、早々に片付ける準備をしていた。
無理もないな、と彼の発表を聞いていたジェームズは内心溜息をつく。そもそもこの論文内容は大学の卒論レベルなのかが怪しい上に彼自身噛み砕いて説明しようという気すらないのだから。
「あのなあ、」
「じゃあ、僕から一ついいですか?」
後輩達に何かを教えようという気もないホームズを見かねて教授が説教を始める直前、あえて明るく声を上げて嫌味なほど愛想良い顔を作る。長い説教でこの後の予定を台無しにされてはたまったものではない。
かつかつと前に出てチョークを取る。小気味良い音と共に数式がその先から紡がれていく。
「三ページ目の五行目ですけど、その数値を導くのならばこの公式の応用で良いんじゃないですか?」
「ああ、よく気付いたね。これは……」
冷え冷えとした視線が少し緩まる。分かりにくいが微笑んだのだと気付いた。
彼の女子からの評判は「超絶イケメンだけど変人」。それは概ね的を得ている。派手な顔立ちというわけではないが寸分の狂いもない完璧な左右対称は数学的にも美しい。一方で性格はとっつきにくく、多くの後輩達からは苦手にされているようだ。
彼の偏屈さも少し面白いと思っているジェームズはむしろそれすら好ましく見ていた。それに、その冴え渡る頭脳には素直に敬意を持っているのだ。
無事にゼミが終わり、背中を伸ばしていた所にモリアーティくん、と担当教授が声を掛ける。彼は厳しいことで有名な教員だったが、成績優秀で礼儀正しいジェームズには特に目をかけていた。
「きみが以前興味があると言っていた研究者の本を取り寄せたから、明日取りに来なさい」
「はい。ありがとうございます」
にこり、と品のいい笑みを浮かべて教授を見送れば今度はゼミの女子学生から声がかかる。
「ねえ、モリアーティくん。来週のゼミの後飲み会しようと思うんだけど、来てくれる?」
「うん! ぜひ行かせてもらうよ」
そうこうしている間もずっと視線を感じていた。その主はホームズである。彼はたまにこうしてジェームズを観察してくる。意図はよく分からないがおそらく悪意はないのだろう。自身と対等に話せる相手が物珍しいのかもしれない。
こちらも彼とはかねがね話したいと思っているのだが次の機会だ。そろそろ出ないと待ち合わせの約束に間に合わない。
急ぎ足でキャンパスを出て下宿に帰る。鞄を交換してすぐにまた出掛けた。待ち合わせ場所は電車で三十分程度離れた繁華街。
指定した銅像の前には三十代くらいの男一人しかいなかった。中肉中背、グレーのコート、レザーのバッグ。チャットで話していた特徴と一致するのでおそらく彼だろう。
彼が今日の援交相手だ。近づいていってゆっくりと話しかける。
「あのぉ、『てつ』さんですか?」
「えっと、まさか……きみが『M』くん?」
「ハイ」
男はひどく驚いたようだった。この反応には慣れたもので、ジェームズはうっすらと微笑んだ。どうやら自分のこの見た目からはとても援助交際するような人間とは思われないらしい。
「じゃあ、行こっか」
「う、うん……」
男の身なりは悪くないし優しげだったが、どうにも相当緊張しているようだった。おそらくこうやって男と会うのに慣れていないのだろう。
緊張で勃ちが悪くなってはこちらも楽しめない。ホテルまでの道すがら、取り止めのない話をして相手の緊張をほぐしていく。
「へえ、じゃあてつさんは出張でこっちに?」
「うん」
二言、三言交わしていくうちに彼の表情の強張りが解けていく。たった五分の間に自然な距離感で相手の懐に入り込んでいた。
「あ」
「どうしたの?」
「ううん。知り合いが同じ時計持ってたなって思っただけ。綺麗だよね」
彼の左腕についていた何の変哲もない、シンプルでクラシックな革ベルトの腕時計。しかしシンプルだからこそ、一片の狂いもなく計算し尽くされたデザインが味わえる。
それはあの人によく似ていた。というかホームズがいつも着けている時計もおそらく同じものだ。これ一つあればどんな服にも合うし、流行にも左右されない。美しいと感じだから素直にそれを褒めた。
「ありがとう。結構高かったけど気に入ったから買ったんだよね」
「よく似合ってる」
彼の身に付けているものはどれも華美ではないが上質なものだった。彼のイメージにぴったりのこの時計もその一つ。今度この話を彼にしてみようと心に留めておく。
男同士でも入れるラブホテルはまだ貴重で、いつも同じホテルを使っているため何も考えずとも脚がそちらの方へ向く。受付を済ませてホテルのエレベーターに一緒に乗り込む。気の早い客ならばここでも触ってくるが、彼は奥ゆかしい質らしい。
「二時間二万円ね」
「う、うん」
しっかり約束した金額を前金で貰い、「ありがとう」と微笑みかける。援助交際、という名目で身体を売っているが特に金に困っているわけではない。後腐れない関係で色々な男を味わいたいという、ジェームズ自身の性欲を満たす為だ。その副産物として貰えるものは貰っておけというだけで。
「シャワーどうする? 一緒に入る?」
先ほどまで歳の離れた友人のように接していたからか、そう水を向けると男の肩がびくりと震えた。遠慮がちに、しかし値踏みするような視線が肉体に注がれる。
「Mくんが、良ければ……」
「いいよ」
ベストを脱いでワイシャツのボタンを一つずつ外していく。男の視線に明確な欲が混ざり、その興奮がジェームズにも伝わっていく。
「ふふ、えっち♥」
「う、だって、ピアス……」
「ああ、コレ? 可愛いでしょ?」
彼が指摘したのは、臍についていたシンプルな一粒のピアスだった。深いブルーの石がジェームズの白い肌によく映えており、自然と下腹部へ視線を集める。
「こっちにも付いてるよ♥」
べろ、と大きく舌を出すと舌の真ん中あたりにつけた金属のピアスが唾液に塗れて鈍く光った。男が息を呑む。ほんの小さな金属だがそれをうまく使いながらフェラチオすれば悦ばない男はいない。
真面目そうな外見のくせにこの手の装飾を着けているというギャップがたまらないのだと以前遊んだ男に言われた。
「あは♥じゃあ、しよっか♥」
下宿先として使っているワンルームマンションに帰ると「書籍」と書かれたダンボールが置き配されていた。本にしてはかなり軽く、そういえば今日到着だったと思い出す。
その中身は本ではなく通販で購入した新発売のバイブだった。さっきのセックスでは丁寧にされすぎて欲求不満が残ったし、とジェームズはカメラを用意して配信の準備を始めた。
「やあ、今日は新発売のオモチャが届いたから緊急生配信だよ。最後まで楽しんでいってね!」
『Mくんリアタイできてラッキー!』
『早く脱いでくれ』
ジェームズが配信を始めると、次々とリスナーからのチャットが飛ぶ。中には早々に有料チャットを飛ばしてくるリスナーもいるので、それに礼を言いながら少々雑談する。
身バレ防止のため黒いマスクで口元を隠し、前髪の長い黒髪のウィッグを被っている。しかし隠されていたとしてもその美貌は明らかで、続々とリスナーの数が増えていく。「それじゃあ始めようか」と明るく言って届いたバイブをカメラの前に出す。一応レビューと銘打ってるからにはパッケージから紹介しておこう。
「今日届いたのはコレ! アナル用のバイブなんだけど、こうやってV字に開いてるから、アナルの中めちゃくちゃ広げられちゃうんだ♥結構上級者向けだから自信ある人にオススメ〜」
それは黒い蟹爪のような形のシリコンバイブだった。指で抑えれば閉じるが手を離せば開く。挿入する時は閉じているが、中で開いて強く前立腺を押し上げるという仕組みだ。
「バイブは……わっ結構強い! 強さは変えられないけど、振動タイプは十種類あるよ。後で試してみるね」
「ワイヤレスリモコンもちゃんとついてまーす。十メートルまでイケるらしいよ。これで虐めてもらうのも楽しそうだなぁ♥」
画面外に置いておいたローションボトルを片手にカメラに向かってウインクする。
「じゃあ、さっそく挿れていこうと思いまーす♥」
『ならさなくていいの?』
『もう準備してたんじゃないか』
いくら慣れていたとしてもいきなり挿入できるとは思えない太さのバイブに、コメントからは心配の声が上がる。
「ううん。今日はぁ、出会い系で会った人とえっちしてました♥歳上の人だったけど、あんまり男としたことなかったみたいで可愛かったなぁ♥」
喋りながら、ゆっくりと焦らすようにワイシャツとスラックスを脱いでいく。リスナーの興奮と比例して有料チャットの額も増えていく。金が欲しいわけではないがこうして数値が増えていくというのは楽しい。
クッションを腰に敷いた形で仰向けになると、ちょうどカメラにひくつく秘部が映る。コメントの盛り上がりも最高潮に達した。
「だからぁ♥もうこんなぶっといのがすぐ入っちゃうくらいゆるゆるになってまーす♥」
くぱり、と指で軽くそこを広げる。男や玩具を数えきれない程に受け入れてきたジェームズのアナルは見事なほどに縦に裂けて、まるで女性器のような姿になっていた。
「じゃあ、入れてみるね♥」
ローションを注入して、黒いシリコンが小さな穴の中に挿入されていく。
「んっ……くっ、うっ、、ぁ〜〜っ!♥は、入ったぁ……♥」
一番太い所が狭い入り口を通り過ぎた瞬間、目の奥に星が瞬くように気が遠くなったが、間を持たせる為にどうにか口を開く。
「も、この段階でえ……♥お腹の中、凄いことになってる……♥いれてるだけで♥前立腺グリグリ押し上げてきまぁす♥♥」
はへ、とだらしない息を吐いて震える指をリモコンに伸ばした。コメントを見る余裕はないが、怒涛の勢いで通知音が鳴っているのだけは知覚している。カメラの向こう、見えない相手に向かってどうにか微笑みかけた。
「じゃあ、スイッチ入れてみるね♥ひぎぃっ!♥っ♥ぉ♥♥♥ぁっ!♥♥」
ボタンを押した瞬間、ばね仕掛けの人形のようにビクッ♥と大きく痙攣して背筋がしなる。わざとらしく媚びた甘い声すら保てずに獣じみた本気喘ぎが喉から迸った。人間を効率的に獣に堕とすことに特化したこの道具に責め立てられ、人としての体裁を失う姿をたくさんの人に見られているーー
前立腺を殴るように強い振動と、直腸を押し広げる異物感が強制的にジェームズを絶頂へ押し上げていく。
「いぐっ♥いぐいぐいぐぅっ!!♥♥♥♥」
ぷしゅっ♥ぷしゃぁっ♥♥と潮を噴き上げながら、ジェームズのアナルはバイブをぎゅうぎゅうに締め付けながら果てた。息も絶え絶えのままリモコンを操作してどうにか止める。緩みきった穴からごとりとバイブが抜け落ちて、ぽっかりと空いた肉穴が毒々しいほどの赤を晒す。
コメントを読む気力はないが、次々と投稿されているのは音で分かる。この映像が知らない男たちの性欲処理のために使われるのだと思うだけで恍惚が胸を満たした。
でもああ、まだ足りない。
★★★
午前中の授業が終わり、購買で買った昼食を持ってカフェテリアへ向かう。甘い紙パック紅茶を一口飲んで糖分を補給した。
「すまない、少しいいかな」
「ホームズ先輩?」
ぱちりと目を瞬く。サンドイッチを食べるために大口を開けていたのが恥ずかしくて口元を覆った。タイミングは最悪だが、まさか彼の方から話しかけてきてくれるとは思わなかった。
何か用があるのだろうか。ただ見かけたから話しかけてもらえたのであれば嬉しいなと気を取り直して向かいに座る彼に微笑みかけた。
「これ」
彼はポケットからスマートフォンにを取り出した。その画面に映ったものがジェームズの眼前に晒される。
『現役男子大学生♥ドM援交ビッチが新発売のバイブを試す』
それは、先日の配信のアーカイブ映像のサムネイルだった。そして、次に映し出されたのは出会い系サイトでの自分のプロフィール。
「きみだね?」
「……っ!」
目を見開いてから、すぐに下手打ったことを自覚する。
万一知人に見られても気付かないくらいに変装しているのだから、顔色を変えずにしらを切り倒すべきだったのだ。しかしもう遅い。
「……ここではなんだから、私の家で詳しく聞かせてくれないか」
断ればどんな噂を流されるか分からない。ジェームズはゆっくりと頷いて彼の口を塞ぐ方法を考え始めた。
ホームズの家は大学から徒歩五分程度のマンションだった。学生アパートなどではなく、コンシェルジュ付きの豪華な建物で、この男は何者なんだと眉を顰める。
高層階の見晴らし良いリビングに通されてソファに座るよう促された。彼も向かいに腰掛ける。コーヒーのひとつも出さずに彼は即座に口を開いた。
「何故こんなことを」
「ええと、お金に困ってて……つい出来心で」
こうすれば少しは同情を誘えるのではないかと、口から出任せの困窮状態を訴える。ホームズがジェームズの経済状況など知る由もない。これで誤魔化されてくれと祈りながら彼の緑灰色の瞳をチラリと見る。
「嘘だろう。きみならばもっと稼げるアルバイトがいくらでもできるし、それを検討しないわけがない」
「……」
彼と個人的な話をしたことはほとんどなかったが、どうやらホームズはかなりジェームズを高く評価していたようだ。そしてその評価は概ね正しい。
「……怖い人に脅されてて」
「もしも本当ならば全力で力になるが、とても脅されているようには見えないな」
楽しそうに汚喘ぎしながらバイブを咥え込む動画を見せつけられて俯く。誰にも知られたくなかったが、この人には一番知られたくなかった。
「正直に言いなさい」
そうは言われても、本当に理由なんてないのだ。
「……特に、事情はないです……」
「きみは自らの意思で見ず知らずの男に抱かれたり痴態を配信したりしていたと?」
ちらりと視線を上げて、厳しい顔の先輩を顔色を窺う。姿勢良くソファに腰掛けている彼はまるで生まれてこの方正しいことしかしたことがないかのようにジェームズの目には映った。彼には想像すらできないのだろう。こうやって性的な満足感を得る人間の存在など。
援助交際なんて教授や周りの学生に知られればまともに学生生活が行えなくなる。父親の耳にも入るかもしれない。ホームズは積極的に言いふらすような人間でないだろう、とは思うが確証は持てなかった。
……ならば彼も共犯にしてしまえば立場はイーブンになる。
「……だって、男の人にモノみたいに扱われるの、すっごくキモチイイんだもん♥」
意識して甘ったるく恍惚とした表情を作って見せた。だがその言葉こそが彼の求めた真実だ。
「配信は」
「みんなに、僕でヌいてもらうのも興奮するから……♥」
ジェームズの態度ががらりと変わったことで少し驚いているらしい。彼の言葉が止まる。ほんの僅かな間だったが、そのおかげで冷静さが戻ってきた。そもそもの話、これだけは彼に聞かなければならない。
「先輩こそ、どうやってこの動画を見つけたんですか?」
淫らな本性を晒すのにうってつけなこの配信サイトは基本的にはアダルト系の配信者しかいない。さらに全世界で何千人と配信者がいるので、わざわざキーワードで検索しなければこの動画が表示される確率は極めて低いのだ。
ホームズは一瞬虚を突かれた顔をした。その後バツが悪そうに目を逸らす。
「……それは」
「こんなサイトにいつもアクセスしてた? もしかして、僕がこういうことしてる姿をコッソリ想像してたりして?」
挑発する為当てずっぽうに言っただけだったが、どうやらそう的外れでもないようだ。そういえば教室で度々彼の視線を感じることがあったが、今から思えばそれはジェームズの肉体に興味があってのことだったのかもしれない。……ジェームズ自身やその頭脳に興味があったわけではなく。
「なぁんだ。色々言ってだけど結局センパイも僕とヤりたいってこと? イイヨ。センパイのならまあまあ大きそうだし? 一回だけさせてアゲル♥」
「は? 待ちなさい、そういうことでは」
この身体が彼にとって魅力的であるのなら、いくらでもやりようがある。人懐こい猫のようにジェームズはホームズの隣に腰を下ろした。太腿に手を置きながら男の身体に密着する。見た目よりも彼の体温は高い。
「先輩ってば性欲ないのかな、って思ってたんだけど……ちゃんとあるんですね。ずーっと僕のことやらしい目で見てたの?」
「やめなさい。変なことを言わないでくれ」
「自分で言うのもなんだけど……僕のカラダ、結構評判イイんですよ?」
座った彼の太腿に乗り上げて、対面座位のようにその腰に跨がる。ほぼ同じ高さになった緑灰の瞳が逸らされたのは己の身体の反応が後ろめたいからだろう。
「んっ♥ふふ、おっきくなってる♥」
「うっ…」
挑発的に腰を揺らすと彼の完璧な面が歪んだ。自分の行いで完璧な物を歪ませるというのは想像した以上に楽しい。男の生理は正直だ。欲を抱いていない相手に密着されてもこうはならないのだから。彼のことだからもう少し抵抗するかと思ったが、所詮男だったか。
ホームズは一つ小さく舌打ちをして、そのままジェームズを抱え上げた。
「っ、うわ、センパイ意外と力強いんですね♥」