これ以上の幸せはあるよ 春の風が吹く。桜の花びらがいくつもそれに攫われまたひとつ大寿の目の前をひらひらと舞い落ちて行った。
「ご卒業おめでとうござます」
壇上の男が話す言葉が左から右へと流れる。正直こんな茶番に出るつもりは無かったし、言ってしまえば卒業するまでここにいるつもりすらなかった。しかしアイツが言ったのだ。
『卒業はしといた方がいんじゃない?』
口の端に生クリームをつけながら三ツ谷隆は眠そうな目をにこりと垂れさせてそう言った。その一言がどうしてか胸に残り、結局、最低出席日数を満たし、テストはほぼ1位をとって卒業してやった。そして昨日も『大寿くん卒業式明日だよね? 終わったらうちで飯でもどう?俺大寿くんの高校迎えいくよ』なんて決定事項のように喋る三ツ谷に「卒業式に行く気が無い」とは言えずそのうえ念を押す様に『楽しみだなぁ~大寿くんの制服姿』なんてふざけた事をぬかされたせいで元々行く気が無かった卒業式にまで出る事になってしまった。
別に式が終わってから来ても良かったがわざわざ制服に着替えて式後に来るのも意識しすぎていて嫌だし、どうせなら出てやろうと思ったのだ。きっとアイツはそれにも手を叩いて笑うんだろう。
制服を着なければいいと言われたらそれまでだが、アイツは俺の制服姿を見て嬉しそうに笑うだろうから、その顔が見たくて制服を着ないという選択肢は出てこなかった。
そうしてまんまと三ツ谷の作戦に乗せられてやって今に至るのだ。
(……ダッセェ)
この2年で三ツ谷にだいぶ絆された自覚はある。そしてそれが嫌じゃない自覚も。この感情の答えもずっと前に分かっている。しかしそれを言葉にすることも行動に移すことも怖かった。今の春の様な穏やかな関係が心地いい。ビビってんのか、俺は。そう何度自問しても三ツ谷隆を失う選択肢をどうしても選ぶ事は出来なかった。
(本当にダセェな……)
目を瞑ると沈む様に眠気が襲ってきた。
そのまま眠気に体を任せる。春の日差しと長ったらしい話は眠気を助長させるにはぴったりで気づけばそのまま浅い眠りに落ちて行った。
がしゃん、と大きな音で目を覚ませば周りが全員立っていて手前の方から退場していたのでもう終わりだと分かった。まだ自分たちのクラスの番では無いが面倒なので出ようと思い立ち上がると隣の女がびくりと体を揺らした。睨むとすぐに何かを察して道を開けたのでそのまま体育館脇の扉から外へ出る。
寝起きに浴びるには少しまぶしい日差しに目を細め校門へ向かう。途中で持っていた邪魔な証書をゴミ箱に丸めて入れた。
桜の花びらが何枚も落ち、そして足元を舞っていた。それを目で追っていると前から軽い足音がしたので顔をあげようとすれば先にきたのはふたつの衝撃だった。
「大寿くん! 卒業おめでとう!」
「おめでとう!」
衝撃の元を見ればアイツによく似た垂れ目が二対こちらを見上げていた。
走ってきたのか頬を赤らめながら満面の笑顔で俺の足にしがみつく小さい頭ふたつは三ツ谷の妹二人のものだった。
「なんでお前らがいんだよ」
三ツ谷と約束はしたがチビ二人の事は聞いてなくて面食らう。というよりこいつら二人で来たのか? 三ツ谷んちから割と遠いが危なくなかったのか? といくつも疑問が浮かぶが興奮しているチビ二人が答えるはずも無くワーワーと甲高い声でそれぞれ喋っている。
「ルナ大寿くんにね! おめでとう言いにきたんだよ!」
「大寿くんマナ来て嬉しい?」
スピーカーの様に喚くふたつの頭をどうしたものかと見ていたが気づくと体育館から出てきた卒業生在校生がこちらを物珍しそうに見ているのに気づいた。
自分が近寄りやすそうな人間だとは思っていないし族の総長だったからか近寄ってくる奴はいなかった。そんな男に小さい子供が物おじせずひっついているのは学校の人間からしてみれば珍しいし興味をそそられる以外の何物でもないだろう。
俺からしてみればマナとルナがひっついているのは見慣れた光景だしなんでもないがこうも奇異な目に晒されるのは不快だし写真撮った奴は携帯へし折るから今すぐ寄越せと怒鳴ってやりたい。しかしそれをしないのは足元のチビふたりがいまだに楽しそうにわいわいとはしゃいでいるからだ。
「大寿くん制服かっこいいねぇ」
「かっこいねぇ」
ブレザーが珍しいのか裾をめくったりネクタイをひっぱったりするふたりに静かにしろという意味を込めて頭を撫でるとその間だけは大人しくなった。
三ツ谷に連絡するか……? と小さい頭をぐりぐりと撫でていればギャラリーが一瞬ざわめいたので、なんだと顔を上げれば校門から見慣れた顔が近づいてきた。
「ごめん大寿くん! そいつら大寿くんみつけたら走り出しちゃって」
苦笑して頭をかきながら三ツ谷は白のロンTに薄いベージュのシェフパンツというラフな格好で現れ、そして俺の全身を何度か眺めると目を細めた。
「うわ~やっぱ制服大寿君いいね激レア」
思っていたとおりの嬉しそうな顔で大きな口を開けて笑われた。この顔が見れたならまだ制服で茶番を我慢したかいはあるが今のこの不名誉な状況は予想外である。
「テメェ……こいつらちゃんとしつけとけ」
「大寿くんが大好きなんだから仕方ないじゃん。な―ルナマナ?」
うんっ‼ と大きな声がシンクロしてそれをにこにこしながら聞いている三ツ谷に何を言っても無駄だと息を吐く。
気付けばギャラリーも増えていてまた無意識に舌打ちが出てしまった。
視線だけでなくひそひそとこちらをうかがう声が聞こえる。
「アレ、三ツ谷じゃない? 東卍の」
「え、柴くんと友達なの?」
「てかめちゃくちゃかっこいいじゃん」
「あれ妹さん? 可愛い~」
うるせぇ黙れ。と思いながら三ツ谷を見る。
甘い顔をしているとは思う。そしてラフすぎるスタイルでもセンスよくまとまってるその姿を見ているとまわりの女がざわめいている理由も分かる気がした。
じっと見ていると妹たちからこちらに視線を移した三ツ谷が首をかしげてこちらを見上げた。
「大寿くん?」
伸びてもきれいに染まっている銀髪に桜がふわりとのる。その細い髪質では滑り落ちるかと思ったが桜はしぶとく三ツ谷にくっついているので手を伸ばしてとってやり、ついでに風で乱れた髪を撫でてやれば三ツ谷は間抜けに口を開けてこちらを見ていた。
「……桜がついてた」
「……あ、あぁ! 桜ね!」
なぜか急にあたふたする三ツ谷に妹たちと同じ扱いは駄目だったかと反省していればチビたちは今度は三ツ谷へまとわりついて喚いていた。
「今お兄ちゃんドキッとしたでしょ!」
「してた!」
「あ~! も~! お前らうるさい! 大寿くんもう帰れるの? 荷物とか教室にある?」
「無い。もういける」
手ぶらだが携帯財布は持っているし教室にはもともと何も持ってきていない。増えた荷物は全部おいてきた。三ツ谷にまとわりつくマナを抱き上げてやれば意識はすぐに俺にうつりマナは楽しそうに俺の髪を弄っている。足元でルナが自分も! と騒いでいたので手だけ繋いでやれば嬉しそうにぶんぶんと振り回して静かになった。
三ツ谷は「ありがと」とこれまた二人と同じような顔で笑った。そして何かに気づいたように俺の全身をみる。
「あれ、卒業証書は?」
「あ? 捨てた」
何の気も無く事実を言えば三ツ谷は大きく目を見開いて口をあんぐりと開けた。
「ハァ!? なんで⁉ どこに!?」
「どこでもいいだろ。行くぞ」
あんな紙切れあっても邪魔なだけだ。必要ない。そう伝えたが三ツ谷にとってはどうでもよくないらしく食い下がって来る。
「駄目‼ ほら取り行くぞ」
「……いらねぇ」
なんでこいつがこんな必死なのか分からない。今お前の妹のせいで両手も埋まってるし本当にいらない、と伝えても三ツ谷は不満そうに眉を寄せた。
「いる! なぁルナ、マナ?」
「いる!」
「マナもみたい~そつぎょうしぉうしぉー‼」
チビ達は三ツ谷の意見に同調する様に喚いてマナにいたっては髪をひっぱってくる。もういい加減外野の視線もうざいし、こうなると三ツ谷は頑固なのでここでこれ以上の言い争いは無駄だと判断し、ひとつため息を吐いて三ツ谷を睨んだ。
「……すぐそこだ」
「さっき捨てたばっかだよね? 俺とるから案内してよ」
頷き、三ツ谷とチビ二人を連れてゴミ箱へ向かう。校門から少し離れたそこはあまり人もおらず静かで先ほどと何の変りも無くゴミ箱はそこにあった。
「俺がとる」
「いいよ、ふたり見てて」
流石に手を突っ込ませるのは、と思ったが三ツ谷は言いながらもう手を突っ込んでいたのでそのままチビふたりと見守るしかなかった。
「お兄ちゃんね昨日すごい張り切ってたんだよ」
「あ?」
ルナが手を引っ張りしゃがむように促すので膝をおってやれば耳元へ口を寄せ囁いた。
「大寿くんの卒業式だからごちそう作るって」
「……んだそれは」
それを見ていたマナも反対の耳へ小さい声を弾ませた。
「マナもねハンバーグ作るの手伝った!」
「……そうか」
礼を込めて頭を撫でてやると照れながら嬉しそうに笑う様子にこの兄妹はどいつもこいつも同じ顔をすると思った。そしてそれが悪くないとも、そう思った。
「あった! 柴大寿殿! これだ~」
こちらの様子なんておかまいなしにゴミ箱を漁っていた三ツ谷だったが目当てのものを見つけると満面の笑みでこちらを振り向いた。確かにその手にはしわくちゃの数分前にもらった証書がしっかり握られている。三ツ谷はそれを地面に置いて丁寧に伸ばすと自慢げにこちらに持ってきた。
俺の手に戻って来るよりも先にルナとマナが「見せて!」と言うので証書は小さな手に渡っていった。「汚すなよ」と注意を受けふたりで楽しそうに眺めている。
「良かった、汚れとかも無いよ、しわくちゃだけど」
そんなこと見れば分かるがあれをどうしようというのか三ツ谷の意図が分からず困惑する。何をそこまであの紙切れに意地になる必要があったのか分からない。
「……なんに使うんだよ」
うろんげな声で言えば三ツ谷は目を数度瞬かせてから穏やかな顔で笑った。
「大寿君のおかあさんのお墓に見せに行かなきゃじゃん」
ね、と笑いかけられたが何も反応出来ず固まってしまった。
母の墓へ、見せる。
考えてもみなかった。そしてこんなしわがはいった証書を見せて母は喜ぶだろうか、と生前の姿を想像したが答えはすぐに出た。「絶対に喜ぶ」だ。
「三ツ谷」
思わず目の前で微笑む男の名前を呼んだ。春の日差しのような、優しいあたたかさが胸に満ちる。この気持ちを表現する言葉を探して三ツ谷を見た。あたたかな春の様なこの胸に満ちる幸福と泣きたくなる様な胸の焦りを表現する言葉は見つからなかったが自分にとって三ツ谷こそがそれなのだと思った。
「大寿君のお母さん絶対喜ぶぜ」
俺を覗き込んだ三ツ谷は嬉しそうな顔で笑っている。そうだ、三ツ谷隆という男のこういうところに絆されたのだ。人の大事にしているモノを大事にするその姿に、自分もこの男に対してそうありたいと思った。
「三ツ谷」
「ん?」
「……ありがとな」
伝えなければと出した声は思ってたよりも小さくなり掠れたが三ツ谷にはきちんと届いたらしく垂れ目を更に垂れさせながら目じりを赤に染めて笑った。
「おう、こちらこそおめでとう大寿君」
桜がまた風に乗ってひらひらと三ツ谷に降り注ぐ様がきれいで俺は卒業してからこの後何年もこの美しい姿を覚えていた。
*
「三ツ谷先輩あの、このあと時間ありますか?」
「ごめん、俺予定あって」
何度目かのやりとりをして校門へ急ぐ。
桜の花びらが鮮やかで晴々とした今日は絶好の卒業式日和だった。
手に持った鞄と卒業証書を握りしめ階段を駆け下り玄関にいけばそこは別れを惜しむ生徒や保護者で溢れていた。母は今日先に帰っているので俺はそれらもスルーして上履きを吐き替える。もうこれも持ち帰らないと、とビニール袋に入れて鞄にいれていれば先の盛り上がりとは違う話題が耳に入ってきた。
「絶対堅気じゃないってあれ」
「黒セダン、しかもSクラスベンツってヤバい」
「でもかっこよくない? 誰かのお兄さんかな?」
その話題に思わず口角が上がってしまう。かっこいいのは全力で同意、そしてギリギリ堅気なんだなそれがと言ってあげたいのを抑え急いで校門へ走った。
桜がひらひらと舞い散る中、仕立ての良いブランドスーツで煙草をふかす姿を見つけ足を速める。入口に路駐しているのはいただけないが校門に寄りかかるどうみても堅気じゃないその男があきらかに居心地悪そうにしているのがおもしろくてまた笑ってしまった。
「大寿君!」
「……終わったか」
「うん、ごめんねお待たせ」
「あぁ、待たされた」
言葉は少ないがこちらを見て緩く笑ったその顔に見惚れてしまう。
行くかとたばこを携帯灰皿へ入れ大寿君が荷物を持ってくれた。
「昼飯は店予約してある。夜にはお前んち送るから」
「えっ、夜は帰るの?」
思わず出てしまった残念そうな声にハッとすれば大寿君はおかしそうに笑った。
「お前の母親には食ってけって言われてるから寄る。さすがに今日は家族にも祝ってもらえ。それルナとマナにも見せねぇとだし」
それ、と顎でしゃくられたのは俺が手に持っていた卒業証書だった。大寿君の卒業式の日これをゴミ箱から探した事を思い出す。
あの時は後日大寿君が『おまえも来い』と俺をお母さんのお墓に連れてってくれて一緒に大寿君の卒業証書を見せた。
『見せれて良かった』と言った大寿君の横顔はとても優しくて俺はそれにもどきどきしてしまったのを思い出す。優しくて不器用なこの人の大事なものを俺も大事にしたいと思った。きっとあの頃から俺は大寿君に恋してたのだろう。
「晴れて良かったな」
そしてあの頃よりも大寿くんはたくさん優しく笑うようになった。優しくなったのは手つきもで、走って乱れた俺の髪を撫で、伸びた横の髪を耳へかけてくれる。触れられた指先の熱さにその視線の隠さない愛情に胸がいっぱいになってしまう。
「卒業おめでとう、三ツ谷」
目を細め、低い声が優しく囁いた。鼻の奥が痛くて目の奥が熱い。俺は涙が零れてしまう前に『ありがとう』と返し勢いよく抱き着いた。俺が全力で抱き着いてもびくともしないその体で顔を隠した。大寿君のスーツは涙で汚れたがきっと許してくれる。
「大寿君」
「あ?」
「……はやく車いこ、キスしたい」
スーツに顔を埋め伝えれば大寿君がまた笑う気配がして頭を撫でてくれた。
これ以上しゃべると幸せが口から零れてしまいそうでこの口をはやく塞いでほしかった。
そうして車に押し込まれ大寿君が運転席に戻るとそのままキスをする。
しあわせで幸せで、これ以上の幸せってあるのかなってぼんやり思った。
俺はこれから何年先も春がくるたびこの日のことを思い出す。
そして薬指に指輪がはまったのはそれから5年後の良く晴れた春のことだった。
終