何をとち狂ったのか、閉店ギリギリに突撃してきた客をしばい……いや捌いて、何とか疲労困憊ながらも自宅へ帰還を果たしたのは、もうそろそろ日付も変わろうかという頃だった。
ガチャリ、とドアノブを捻り、中に入る。そこは恋人である彼と暮らすために引っ越したばかりの新居。ただいま、と出た声は自分で思うよりもずっと疲れたものであったが、リビングから聞こえてきたパタパタという足音に、自然と頬が緩む。
「おかえりなさい、彰人」
ドアを開けてひょっこりと顔を覗かせたのは年上の愛しい人。エプロンを付けた彼はオレの傍まで駆け寄ると上着を脱がせてくれて、それをコートハンガーに掛けてくれる。
「ん、ありがとう……悪い、遅くなって」
「彰人は悪くないだろう」
お疲れ様、と微笑む冬弥を見て、先ほどまで体を支配していた疲労感が薄らいでいく。疲れた肉体に恋人の優しさが染み渡り、思い切って同棲を提案してよかったと心から過去の自分に賛辞を贈っていると、そうだ、と冬弥が声を上げた。
「ご飯は温め直してあるが、先にご飯にするか?それともお風呂?」
こてん、と癖のように首を傾げて、彼はその言葉を口にした。
『ご飯にする?お風呂にする?』
昔からあるこのフレーズは男であれば誰しもが夢に見て、一度は愛するその人に言ってほしいと願ったことがある台詞だろう。もちろん、オレだって例外ではない。しかしまさか、この天然で純真無垢な恋人からそれが聞けるとは思っていなかった。
けれど、その言葉の真髄はご飯と風呂ではなく、オレが最も欲しいものもまた同じく、別にある。
「……冬弥さんってのはダメ?」
敢えて甘えるような猫撫で声で、オレは言う。自分の方がずっと可愛い癖にオレのことを可愛いなんて思っている冬弥はオレのこの声に弱く、少しだけ恋人より低い身長も、この時ばかりは役に立つ。
この強請り方で負けたことのないオレは、勝利を確信していた。恋人との甘く熱い夜を手にしたと思っていた。しかし、その幻想は冬弥の慈愛に満ちた笑みの前に脆くも崩れ去る。
「そんなに慌てなくても俺はどこにも行ったりしないぞ、彰人」
だから、と言葉を繋ぎ、彼はオレの頬に手を添えて、子供に言い聞かせるように優しい口調で続けた。
「冷める前にご飯を食べて、お風呂でゆっくりするといい」
聖母と見紛う表情に、撫でられる頬が熱くなる。
そんなオレにクスリと笑った冬弥はそっと耳元に唇を寄せると、ポツリと一言。
「寝室で待ってる」