出来心時そば 一昨日辺りから蝉が鳴き始めた。そろそろ梅雨も明けるのだろう。
「京極堂、今日はこれをもらうよ。雪絵が読みたいと言っていた本だ」
近頃文壇を賑わわせている女性作家の本を死神もかくやと顰めっ面で和綴じの本を読んでいるこの古書店の主に見せると一瞥し、眼鏡に適ったのか読み止した本を置いて手を差しだした。
「いくらだい?」
「三十五円」
関口は草臥れた洋袴のポケットから紙幣と小銭を掻き出して掌に広げる。
「ひいふう、ああ、百円っきゃない。おつりをくれよ」
百円札を一枚、京極堂の本より重い物は持ったこともなさそうな薄っぺらな掌に乗せた。
「六十五円のおつりだがこちちらも生憎五十円札を切らしている。細かくても構わないね?」
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