鴨居百の百物語 試験 後「まず、こっちの銃に弾が入ってると思います」
カモイはそう言って、いきなり床に転がっている2丁の銃のうち片方をヒョイと手に取った。
右手の人差し指から小指まで4本指をきっちり揃えてグリップを掬い上げ、浮いたグリップの側面を親指で支える。その動作の緩慢さといったら、まるで緊張感の欠片も見当たらなかった。銃を取る為に頭を下げたのだから、此方から目を逸らしたその3秒の内にサクッと殺されても全くおかしくない程の無防備さ。
しかしそんな呑気な雰囲気を纏う男は、今右手に銃を握った。
弾が入っていると主張する、銃を。
「トカレフTT-33の装弾数は8発。弾頭の重さだけで1発5.5から5.8グラムです。それが8発だから計44から46.4グラム。約45グラムも重さに差があれば、投げ出された銃のうち重い方が先に落ちます。だから多分、先に地面に落ちたこっちに8発入ってます」
「......成程?両方握らなくても、その重さの違いが分かるって?」
「正直、分かりません。でも春の仕事で武器は沢山運びましたから、何か細工がしてあったら分かると思うんです......分かってないとスズシロさんにタコ殴りにされるんですよ......」
シュウの問いに、カモイは歯切れ悪くそう答えた。
(ハッタリだ)
怒りに任せて食いしばった、その奥歯がギリと鳴る。たった半年裏社会で生かされてきたガキが、自分達を舐めきっていると証明されたからだ。
自慢げに武器の重量について語る、平和ボケしたガキ。
俺はあの日からずっと、このガキを殺したかったのだ。
○○○
シュウと出会ったのは、十七の頃。
親父と二人暮しだった。
俺は中卒だったから近所の作業所で働いていたが、僅かな稼ぎは全て親父の酒代に消えた。
親父は気に入らない事があると俺を殴り、コンビニで買った安いプラスチックライターの火を顔に近付けて「燃やすぞ、ゴミガキ」と俺を脅した。俺はライターの火が怖かった。親父の顔よりライターの火を見る日が長く続いていた。
ある夜、とうとう気が触れた親父は俺の首を絞めて殺そうとした。親父は俺の名前を覚えていなかった。
親父に殺されかけたから、親父の頭をかち割って殺した。
車からガソリンを抜いて岩のように物言わぬ親父にふりかけた。親父のライターで火をつけた。初めて、ライターを使った。
吹き上がった炎が俺の目玉を舐めた。親父の笑い声が聞こえた気がした。
家を飛び出す間に火はゴミ屋敷を飲み込み、俺のバイクも親父の車も、色々なゴミがごうごう燃えた。星一つ見当たらない夜を、炎だけが燦々と照らしていた。
がむしゃらに走って逃げた。
何から逃げるのか?警察?野次馬?親父の亡霊?炎?それとも、自分から?
最早何から逃れる為に走っているのか分からなかった。或いは、全てから逃げたかったのかもしれない。
走って走って走って、両足の裏がズル剥けて血の足跡をつけていた事に気付く頃、俺はシュウと出会ったのだ。
「ーーよう、大丈夫?」
煤けた路地裏を照らすネオンライトの下、シャッターが降りたパチンコ屋の入口。
身綺麗な少年が、そう言って俺の顔を見た。
シュウは、その時から四季会の人間だった。
「足、それ立ててるの?それとも座れないくらい酷い怪我?」
「......誰だお前」
「シュウイチロウ。んでこの店の地下が俺の家。あ、ウチ上がる?取り敢えずその足洗っちゃえば」
「......」
傷一つ無い顔。綺麗なシャツ。ぴかぴかのローファー。帰る家。
俺に無いものを全て持っているように見えた。途端に自分が惨めに思えて、唇を噛み締めた。鉄の味が口内に広がる。
シュウは俯いて動かない俺の顔を、白魚の様な手で柔らかい果物に触れるようにやさしく挟んだ。冷たかった。
「お前からは煙と血の匂いがするよ。いい猟犬になるだろう」
シュウの白い手が俺の溶けた目玉に触れる。最早感覚も無かったが、シュウの指先が動く度に目から頬にかけて微かに暖かくなるような気がした。それに気付いてしまったら、もう限界だった。
膝から崩れ落ちる俺をシュウはあっさり受け止め、服や体に血がつく事も厭わずに軽々と俺を担ぐ。
「お座りも上手じゃないか、Goodboy。
さぁ、お前のウチへ帰ろうな」
そう言って、シュウはパチンコ屋の錆び付いた裏口のドアノブを捻る。
その日から俺は四季会の人間になったのだ。
家族なんて逃げ道は要らない。
俺にはこの人さえあればいいと思った。
シュウは俺以外を長く傍に置くことは無かった。沢山の救えない人間を拾っては捨てるシュウはいつだって聖人ヅラで、なまじ優しい言葉で拾うから拾われた側の人間が自分は特別なのだと勘違いする事もあった。
シュウは聖人じゃない。阿修羅だ。
家も身寄りも無いホームレスを拾って肉の盾に使う。施設で虐待を受けていた少年を拾って武器テストの的に使う。
悪魔の手だと分かっていても縋り付くしか道が無い様な、追い詰められた人間ばかりを狙った。
暇潰しで人を殺す。目を血走らせて死体を解体する少年が何日「持つ」かに昼飯代を賭ける。
そんな滅茶苦茶な男なんだ。
だから俺はシュウに命を懸けた。
それなのに、ある日突然、シュウは汚いガキを拾って来た。
今迄の暦とは違う。シュウに首根っこを捕まれているガキはメソメソ泣いて鼻水を垂らしていて、まるっきり一般人だった。
汚れてはいるが普通のカッターシャツを着て、普通のスラックスを穿いて、普通のローファーを履いている。怪我ひとつしていない。健康そうな、健全そうな、ごく普通の少年だった。
「......何の冗談だ、シュウ」
「モモちゃんっていう子。今日から俺が身元引受け人だよ〜〜、ねっモモちゃん」
「ンヒィ」
「ハハハ!まだ泣いてら」
俺はシュウに命を懸けた。彼の傍で彼と共に返り血を浴びる道を選んだ。
偶然生かされただけのガキ一匹にくれてやる物じゃない。
(......いつも通り死ね)
俺は暦を殺す相棒が見たいんだ。
○○○
銃は前日に俺が揃えた。
シュウには片方に弾を込めたと伝えた。
俺は、2丁共にきっちり全弾装填した。
何方を選んでも弾は発射される。万が一こちらに向けて撃たれてもシュウと俺はパーカーの下に防弾チョッキを着けている。夏の構成員は常に死と隣り合わせだから、防弾チョッキなんてほぼ下着と同じ扱いだった。
俺達は死なない。
この試験で死人が出るとしたら、カモイただ一人だけだ。
「カシロさん、 確認なんですけど」
「何だ?」
「撃たなきゃ終わらないんですよね」
「まぁな」
「ぬん......わかりました」
カモイはまだ何かを躊躇う様にそう頷くと、こちらに1歩踏み出した。
「!」
「動くな愛出」
反射的に左足を半歩引いた俺に、シュウが短く囁く。その間にもカモイは右手に銃を持ったままつかつかとこちらに近付いている。
なぜ接敵する。
まさかシュウか俺を狙うつもりか。近付けば当たるとでも思ったか。
確かに的に近付けば近付く程命中率は上がるが、反撃された場合の致死率は一気に跳ね上がる。
俺達に近付く程に死が近くなるというのに、カモイは止まらなかった。
とうとうカモイはシュウの真ん前に立つ。距離にして20センチ。背の低いカモイは喉を反らしてシュウを見上げた。
引いた左足に重心を乗せる。何時でも右脚でカモイの顔面を蹴潰せる体勢。
命知らずの平和ボケガキ。
夏の怪談を狙ったらどうなるのか、教えてやる。
「......命乞いか?」
「いいえ。銃を撃った時暴発したら俺が死ぬので、暴発しても試験に合格できそうな条件を揃えようと思って」
「ほお?」
「試験って言う位だから、多分カシロさんに何かしらダメージを与えなきゃいけないのかなって思うんです。服の下は防弾チョッキを着てますよね、なんか衣擦れの音おかしいし。
だからむき出しの急所を狙います」
カモイは胸の前で、両手で銃を握り直し
「先ずは一発」
銃口をシュウの顎に付けた。
反射だった。
カモイの指がトリガーに掛かる直前に右脚を振り上げ、カモイの両腕ごと銃を弾き上げる。腕が捻れるゴリンという音が一拍遅れて聞こえ、何が起こったか分からない顔をしているカモイの顔面を掴んで地面に叩き付けた。
人間の頭部は硬いゴム球によく似た靱性を持つ。カモイは後頭部を強く床に打ち付け、二度、その場で身体ごとバウンドした。
「ガ」
脳味噌を強く揺すられたせいか、カモイは一瞬で白目を剥いて気絶する。
気絶しただけだ。
確実に息の根を止めなければならない。
それが、この男に武器を向けた代償。
それが、この男を主人とする猟犬の役目だからだ。
「待て愛出」
「......」
カモイの顔面を蹴潰そうと足を浮かせた所で、シュウは俺に待てを出した。
浮かせた足をそのままにゆっくりとシュウの方を見ると、彼は満足そうに笑っていた。
「アハ。肝だけは据わってンだな、この子は」
「シュウ、何の冗談だ」
「シラを切るか?愛出。お前がどんな細工をした所で、この場じゃ死人は出ねえように調整済だ」
ジッポーの光が揺らめく。
シュウの冷たい双眸が俺の片目を見詰めていた。見慣れた筈の主人の目は、まるで別人みたいだった。
「......お前が来るまでに、片方の弾を全弾抜いてもう片方は弾を込め直した。但し実弾は一発も入れていない。実質音が鳴るだけのおもちゃさ」
「......興醒めだ」
「興醒め?何巫山戯た事言ってやがる。俺の顔に泥を塗っておいて、興醒めだ?
随分と湿気た根性じゃねえか、愛出」
「お前、何考えてんだ!!」
突然叫んだ俺に、シュウが怯む訳も無かった。ただいつも通り無感情な瞳で俺を見詰めている。
「試験?弾を込め直した?何だよそれ、今迄そんな小細工した事無かったろうが!!今迄通りに殺せよ、こんなガキ一匹!!
運良く死にそびれただけの一般人に、死体処理しかした事ねぇような一般人に、人殺しすらマトモにできねぇ一般人に!!お前はなんでそこまで入れ込む?!
俺はこんなガキにタマ賭けた覚えは無え、今迄通りに、お前に!シュウにタマ賭けたんだ!!
このガキがお前の、何を変えた!!」
二人の間に炎さえ無ければ、俺はきっとシュウの胸倉を掴んで噛み付いただろう。
炎その物が恐ろしい訳ではない。いつの日か親父が俺に向けて掲げたライターの火が、あの日親父に向けて使ったライターの火が、俺の本能を逆撫でするのだ。
シュウはきっとそれを分かって、態とオイルジッポーを選んだ。俺からカモイを守る為の盾を選んだ。
その事実が許せなかった。
「......俺が変わったんじゃァ、無い」
一拍の静寂の後、シュウは寝言の様にまろやかにそう切り出した。
「お前が、あの日からなンにも変わっちゃいないのさ」
「......は...」
「マ、俺はそんなお前に惚れ込んだがな」
シャキン。
ジッポーの蓋が下ろされ、辺りは暗闇に包まれる。天井から漏れる薄明かりに目が慣れる迄は何も見えない。
瞼を下ろす事も出来ずに立ち尽くす俺の肩を、主人がポンと労う様に叩いた。
「さ、ウチへ帰ろうな。
モモちゃんを救護室に運んでやってから、な」
〇〇〇
後日談にあたる。のかよく分からない。
というのも、目が覚めたら救護室と言う名の医師免許を持たぬ医師団の巣窟に放り込まれていたし、両腕を骨折した上に頭も八針縫ったし、お陰様で全治三ヶ月だとかで入院(という名目の軟禁)させられていた。当然こんな民家の中身だけを医務室チックに改造した法治外エリアにカレンダーなんか無い訳で、一体あれからどれくらい時間が経っているのかさっぱり分からなかった。
診察に来る医師(四季会の構成員ではあるらしい)は軒並み思想が強い狂人だったので、なるべく彼等とは診察外の事は話さないように努めていた。
だから、痛みを抱えたまま只管寝て起きるだけの地獄の日々を過ごす俺にとって、お見舞いに来てくれた人はお釈迦様に見えたのだ。
「ありがとうございます......!ありがとうございます...!!」
「いーえ。今回も死ななかった訳か」
「本当に運の悪いガキですね」
フルーツ盛りと酒瓶を携えてお見舞いに来てくれたのは、オツルさんとアンバイさん。
パイプ椅子に腰掛けて優雅に酒盛りをするオツルさんも、その隣でリンゴをウサギ型に切ってオツルさんに渡すアンバイさんも、さして俺の容態を心配している様子は無い。アンバイさんに至っては「君はどうやったら死ぬんでしょうねえ」とボヤきながら二個目のリンゴを切り始めている。
しゃくしゃくウサギ型リンゴを齧りながら、オツルさんは俺の両腕に巻き付くギプスを眺めた。
「良かったねえ」
「ハイ......両腕ぶっ飛ばなくて良かったです」
「違うよ。構成員への昇格おめでとう」
「エ?!」
「は?聞いてないの」
「エェ、合格だったんですか、あの試験......」
「試験?知らないけど。その辺なんか知ってるの、塩梅」
「さーぁ?連中の考えてる事はさっぱり理解不能なもので、何か言われた気はしますが忘れてしまいました。夏の人間は暑さでシナプスまで傷んでるんでね、マトモに取りあうだけ無駄ですよ」
「ちゃんと聞いとけよ雑魚」
「オツルさんがいじめる!!」
どうやら、俺はあの試験に合格できたらしい。俺の記憶はカシロさんに銃を向けた辺りから曖昧で引き金を引けたか覚えていないが、何かしら合格条件は満たせた様だ。
ホッと胸を撫で下ろすべきなのか、十字を切ればいいものなのか。
「......あの、カシロさんて、無事なんですか」
「夏の怪談なら今頃餓者髑髏と乱痴気騒ぎしてんじゃないの」
「はえ」
「要は元気いっぱいお仕事中って事ですよ。怪我を負ったとか死んだとかいった噂話は聞きません。というかあの男死ぬんですか?私一遍でいいんで、怪談連中の骨を拾ってみたいんですが」
「えっ、元気なんですか」
「今朝見掛けた時は運転席からシャボン玉吹いて遊んでましたけどね」
「元気だ......」
「シャボン玉って吹き矢の事ね」
「物騒だ......」
カシロさんは元気らしい。
確かに、例えあの時発砲できていたとしても、銃の一発や二発で死ぬような人には見えなかった。それは多分彼本人の異質さだけではなく、傍に控えた懐刀の存在あっての印象だった。
覚えていないけど、多分この怪我もアサナギさんにやられたのだろう。そう考えたら両腕が引き千切られていないだけ奇跡だ。
あの日、カシロさんの傍に立ったアサナギさんは、ずっと俺の事を殺したそうな顔をしていた。初めて会った日は穏やかそうに見えていたけれど、きっとずっと俺の事を殺したいくらい憎かったのだろう。
(......顔の火傷、あれはきっとずっと昔にできたものなんだ。)
鬼も涙を流す様に、あの人にもきっとトラウマの一つくらいある。火が怖い訳では無さそうだったけれど、あの暗闇の中で頑なにジッポーを直視しなかったアサナギさんを見て、あぁやっぱりと思った。
オイルジッポーは、一度蓋を上げたら蓋を閉め直すまで火が灯り続ける。
あの時ジッポーの火を照明として使いたかったなら、その辺のテーブルや、それこそ蝋燭に火を点けたら済んだ。
それなのにカシロさんはずっとジッポーを手に持ち続けた。アサナギさんが立っている側の、右手で。
利き手が塞がった状態で敵に武器を渡す行為はほぼ自殺行為。しかも相棒の動きを邪魔する様な障害物を保持して。アサナギさんはそれにも気付いていた筈だ。
この世界で「バディー」「相棒」がどんな重さのある関係なのかまだ分からないが、きっと、ショックだったと思う。
それでもカシロさんとアサナギさんが俺を殺さずに見逃したのは、何か目的がある筈だ。
俺なんかには分からない、目的が。
「......カモイ君、回復する頃にはもう秋だろうな」
「あーらら。じゃあ両腕折られてるのって致命的では」
「エッ」
「まぁ、治ればいいじゃん治れば」
「エッ、致命的なんですか」
「大丈夫大丈夫、君の事だから次も何だかんだ死なないって」
「一応オツルさんと骨撒きのプランだけ考えておいてあげますね。私とびきり優しいので」
しゃくしゃく。リンゴを咀嚼しながら、オツルさんとアンバイさんはそう言った。
いや両腕使えない時点で何処の組織でもお荷物扱いだが、この二人が言う「致命的」は「墓石どこで買う?」くらいの致命的さだ。もうほとんど死んでいる。
「遺書の代筆してやろうか?書き出しはどうする」
「......ま、まぁ、長生きします......」
天井を見詰めながら、乾いた声で呟く。
遺言に似たその言葉に同情してか、オツルさんはウサギ型に切ったリンゴをそっと額に乗せてくれた。せめて口に乗せてくれ......。
拝啓、夏の怪談様。
長生きしますので、何卒宜しくお願い致します。
腕が治ったら、まず遺書を書こうと思った。
夏の怪談宛に。