変化したのは俺の方ぱち、と目を開けたら、天喰の顔がやたら近くにあったので思わずファットガムは飛びのいた。
「うえ!?」
「あ、良かった、起きた」
慌てる自分とは違い、ホッとした様子で天喰はそう言うと、なかなか起きないので心配しましたよ、と呟いて肩を竦める。なかなか起きない。つまりは自分は寝ていたということだが、然し寝る前の記憶が曖昧だ。確かヴィランを追いかけていたような気がするのだが、まさか捕物の真っ最中に寝落ちるほど寝不足ではないはずで。身体を起こしてよくよく周りを見つめ、ファットガムはぽかんと口を開けた。
「なんや、ここ」
真っ白い壁が四方を覆う。窓も扉もない空間だ。天井も床も同じ材質で作られているようで、それぞれの境界線がぼやけて見えるほどに真っ白だ。光源がどこなのか分からないが室内はやたら明るい。そもそも壁自体が発光しているのかもしれない。まぶしさに目を細め、ファットガムは起き上がると立って周りを見渡した。それほど広くはなく、4畳半くらいか。天井は、ファットガムが腕を伸ばすと簡単に届いてしまう高さだ。
「閉じ込められてんのか、そういう個性やろか」
「さっき、ファットが寝ている間に蛸の足で叩いてみたけど、傷一つ付かない」
ファットガムが曲げた指の背でこんこんと叩いてみる。質感は大理石のような、のっぺりとした感触だ。これが壁で、どこかの部屋の中であるならば、叩けば多少は響く音がするだろう、がそれもない。そもそもドアらしきものもないのだ、どうやって入れられたのか。
「んん……なんやろな、普通の単純な部屋や箱とかやないなこれ。異次元のようなものか、そうでなきゃものすごく地下深くとか」
「ええ……」
天喰の顔色が悪くなる。ぶつぶつと口の中で何かつぶやきだしたので、こんな時にネガティブになられてはたまらない。バン、と背中をたたく。
「大丈夫、大丈夫やって!ファットさんに任しとき!どうにかしたるからな!」
「ファット……」
しょんぼりとした顔の中に、少しだけ期待と尊敬が入り混じったような瞳で見上げられたら、つい、可愛い、と思ってしまう。いやいや相手は男の子だしなにより高校生!ヒーロースーツの自分とは違い、天喰は雄英の制服を着ていた。そうだ、今日からインターンに来る予定ではあったが、さっきまでの捕物に天喰は居なかったはずで。
「……環、そう言えばここに来る前はどこにいたんや?記憶在るか?」
「丁度、新幹線が着いて……駅前、かな」
多分ですけど、と言われて頷く。丁度ファットガムの捕物も駅の近くではあった。天喰もヴィランの個性か何かに巻き込まれたということなのだろうか。
「そぉか……と、ん???」
ふと、目の前の壁にザザッとノイズのような色が走る。なんだろうと目を凝らしていれば、それはだんだん、渦を描くように集まり、形をとり、ぼんやりと浮き上がって来た。まるで小さな蟻のような虫が、集まって文字を形作るような。
「「は?」」
そこに出来た文章を読んで、ファットガムと天喰は揃って声を上げた。
『パンツと靴下だけにならないと出られない部屋』
絶句。
しばらくその文字を見つめてから、それがそれ以上変動しないことを確かめて、ちらりとファットガムが天喰を見下ろせば、天喰もファットのほうを見上げていた。
「――なんや、これ」
「なん、でしょうね」
文字そのままならば。
服を脱いで、パンツと靴下だけになりゃ出れるということか。
「いや、どういう意図やねん」
「その姿を撮られてて、あとでばらまかれるとか……?」
「やだ怖い!想像がえぐいで環!ありえそうやしそれ!」
思わず頭を抱えて、ファットガムは天井を仰ぐ。まあでも、だ。自分はべつに脱ぐくらいならやぶさかではない。全裸ってわけではないし、パンツ姿くらいは晒されても困るわけでもない。実際、酔っぱらって脱いでる写真がSNSに上がったこともある――事務所のサイドキックたちにめちゃくちゃ怒られたけど。
「うん、まあ、しゃーない!なら俺がささっと脱いで、出れるか試してみたらええんやろ」
失敗したわ、今日のパンツちょっとくたびれてんねん、と笑いながらヒーロースーツのファスナーに手をかけたところで、天喰にぐいと袖を引かれて、あ?と顔を向けた。
「ファット!あれ!」
「へ?」
天喰が指さす方向に、また、渦が出来ている。さっきの文字は黒かったのに、今度は渦は小さいが赤い色をしていた。それもだんだんと、文字を作る。さっきよりも細かい文字だったので、ファットガムは近寄ってよくよくそれを読み上げた。
「但し書き、やな。ええと……ただし、二人以上で入った場合、年下がその姿をすること。また、年上が年下の服を脱が、す、こ、と?」
はあ???とファットガムは声を上げた。えええ、と後ろで心底嫌そうな天喰の声。
「お、俺?」
「えええ……」
首をひねって振り返れば、今度こそ真っ青な顔をして天喰が自分を指さしている。先に生まれてもうてごめんな、君より年下やと良かったな。
いやそれでも、とりあえずやってみようって、ファットガムはがばっとヒーロースーツを脱いだ。ヒッと後ろで息を飲む声。いや、いちいちビビりすぎやろ。俺の裸なんざ、更衣室でしょっちゅう見てるだろうに。ファットガムはパンツと靴下になると、へて、と可愛くほっぺに手を当てて、天井を見た。
「豊満太志郎、16歳やでっ!年下、やで!」
ちょっとかわいい声でそう言ってみた。が、部屋は何も変わらない。後ろでドン引きしている天喰のことは見ないふり。
「――やっぱアカンかァ」
「それでよく行けると思いましたね」
「やってみんと分からんやろ」
ふんと鼻を鳴らし、脱ぎ捨てたヒーロースーツをもう一度着こんだ。天喰は一つ溜息を吐き、もういいです、と肩を竦める。
「脱ぎます」
「おお、潔いな、かっこええで環」
「はあ」
呆れ果てた声で返事を返しながら、天喰はしゅるりとネクタイをシャツから引き抜いた。普段、一緒に更衣室で着替えているので天喰の裸なんか見慣れているはずなのに。嫌そうな、けれど羞恥が滲んだ顔で、ぷつ、とシャツの一つ目のボタンを外す姿はなんだか、これからイケナイ事をするようで、少しばかり卑猥に見えた。いやまて何考えてんねん、おかしいやろ。ブルブルと首を振る。これはあんまり見てたら駄目だと視線を逸らすが、ファット、と天喰に呼ばれて仕方なく顔を向ける。
「そういえば、これ、ファットが脱がしてくれないとダメなんですよね」
「あ、ああ……そぉやったな」
ファットガムはなるべく視線を床や何もない壁に向けたまま、天喰に近寄り。さすがにやりにくいので膝を折って片膝を床についた。顔を見ないように、襟元の第2ボタンを掴む。
「全部、外していくで」
「はあ、お願いします」
諦めたような返事。ファットガムはじっとシャツのボタンを見つめ、大きな指先で器用にぷつりと外す。こういうのは一気に言ったほうがええんや、勿体ぶるからエロく――やない!そういうんやない!落ち着け!無や、いまこそ無の境地や。ぶつぶつ言いながら一気にボタンを外していく。ぱさりと天喰の、鍛えてはいるがまだ幼さが残る細い肩からシャツが床に落ちた。白いアンダーシャツにも手を掛けて、万歳させるみたいに手をあげさせ、ずるんと引っこ抜く。
ファットガムは視線を上に向けないまま、スラックスのベルトに手を掛ける。カチャカチャと外し、それから、それ以上は触れないように、指先だけでズボンのボタンを外すと、ファスナを落ろす。スラックスはベルトの重みを借りて、ずるずると天喰の太ももを落ちていくが、全部脱げるわけではなくて中途半端に引っかかった。白いなめらかな肌に、グレーのシンプルなボクサーパンツが、正直エロい。体毛が薄いタイプなのだろうか、太ももも身体も、ゆで卵のようにやけにつるんとしてるのが眼に毒だ。
「あ、あの」
「わ、かっとる……ちょっと、触るで」
太ももにわだかまるスラックスに触れれば、嫌でも白い日に焼けてない肌を直視するし、触れることになる。なんだかくらくらするが、もうやけくそだ。ずるりと下ろし、靴のところまで降ろして。
「片足、上げて」
天喰にそう言えば、素直に右足を上げたのですぽんと靴ごと脱がす。逆もそうすれば、すっかり指定通り。靴下とパンツだけになった天喰がそこにいた。
――うわぁ
ファットガムは立ち上がると視線を逸らした。なるべく直視しないようにしているつもりだが、それでも、つい気になって目に入れてしまう。真っ白な身体。恥ずかしいのだろう、頬を赤く染め、はにかむように口元を歪めている。少し猫背になって身体を屈め、隠していいのか分からないのだろう、中途半端に浮いている腕。きょときょとと視線だけが周りを見て、早く終われと言わんばかり。
あああああ、イケないことしとる気分!!!
そんな気はいままで、これっぽっちだって天喰に感じたことなどないはずなのに。どく、どく、と鼓動が早くなってくる。あの身体をかき抱いて、組み伏せてしまいたいという凶暴な衝動が湧き上がってくる。いや駄目や、駄目に決まっとるやろ。
『ハイ!合格です!おつかれさまでした!』
やけに明るい声と、キンコンカンコンと呑気なチャイムが鳴る。それと同時に、ぱっと白い壁は消えた。瞬きする間もなく、どこか見慣れた路地裏で、二人で突っ立っていた。
「た、環!?」
まさか裸のまま!?と焦って、せめて自分の身体で隠そうかと両手を広げて見下ろせば、まるでリセットされたように元の姿に戻っている天喰が居て、更に驚く。
「え、あ、あれ?」
ちょっと残念に思ったのは内緒だ。
「戻り、ましたね」
良かった、と天喰がホッとする。そうやね、良かった、と慌てて返事。はい、すみません、ごめんなさい。
「ほんま、いったいなんやったんや……」
「なんなんですかね」
「まあええわ、俺、ちょっとポリんとこ行って報告してくるな」
先事務所戻ってて、と言えば、天喰は分かりましたと頷いてさっさと歩いて行った。その背中をぼうっと見送りながら、とく、とく、とまだ少し早い鼓動を確かめるようにファットガムは手を胸に置いた。いつもの天喰と何ら変わらない、なのに、どこかその後姿が艶っぽく見えるのは何なんだろうか。さっきので何か、天喰が変化したというのか。
――あ、いや、そうやない、な、これ
変化したのは。
多分、俺の気持ちのほう。