今夜、まほろばで夜でも、蝉の声が煩い。
不意に目が覚めてしまったのは、エアコンのタイマーが切れた途端暑くなった室内のせいだろうか。切島は枕元に投げ出していた、エアコンのリモコンに手を伸ばし、設定をさらに低くしてスイッチを押した。ごう、と小さくため息をつくみたいに風を吐き出した後、エアコンは涼しい風を無音で流す。もう一度タイマーを二時間でセットして、これから朝までつけててもそう変わんねえな、と少しだけ思いつつ。目を伏せても、じわじわじわと外で鳴く蝉は、昼の喧騒がないせいか余計に騒がしく感じた。すっかり、頭がさえてしまった。
スマートフォンを見れば、2時を少し過ぎたところ。丑三つ時を怖がるガキではないので、眠れないならいっそ買い忘れてた明日の朝食を調達しに、近くのコンビニでも行こうかなって、切島はベッドから汗ばんだ身体を引きはがすように、ぽんと跳ねた。
寝巻にしているTシャツに短パンの恰好のままマンションのドアを開ければ、夜でも変わらぬ温い空気に思わず顔をしかめる。高校のころは、場所としてはどちらかといえば田舎だったし、広大な敷地に建物がそこまで多くなかったからか、夜に外に出ても気持ちがいい風が抜けていくだけだった気がする。と、そう思ったけれど。卒業して2年、そろそろ記憶は美化される。あの頃の生活は、思い出せば大変だったが今となればどれもキラキラ輝いて見えた。
決して、今が輝いていないわけじゃないけれど。
ただ、ひどく暑いというだけで気分が鬱になるのはどうなんだと思いつつ、徒歩5分のコンビニに着くころにはもう一度シャワーを浴びようかと思うくらいに切島の背中は汗でびっしょりだった。ワックスであげていないので、無造作に垂れ下がる前髪をかきあげ、アイスでも食っちゃおうかなって思って。それを咎める人がいないことが、大人に近づいた証かと思うと少しおかしい。
コンビニが見えた。住宅街の、蝉の声以外は聞こえない道の先で、そこだけが違う世界みたいに明るい。
「あ」
ぽかん、と思わず口を開けてしまった。少し腰をかがめてコンビニの自動ドアをくぐろうとする、見慣れた大きな身体は。
「んあ?お、おお」
驚いたように、あっちも切島を見て目を丸くする。
「なんや、こんな時間に珍しない?」
「目が覚めちまって……ファットもこのコンビニなんすか」
「そうやねん、この先の角んとこやから」
指さす先に、何があったかまで覚えていない。切島はそうですかとだけ言って、首を傾げた。
「ファットこそ、こんな時間に?」
「あー、俺はあれや、夜警当番やったから」
ああ、と俺は頷く。この辺りは5年目から夜警当番に加わると聞いた。今日がファットガムだったのは知らなかった。
「お疲れさぁっす!」
「ええねん、今日は平和やったし」
暑かったけどな、と苦笑する。
「こんだけ暑いと、悪さしようっていう気も無くなんねんな」
「夏は増えそうな気がするんですけどね」
「さすがにヴィランでもうちにおろうかなって思う暑さなんやない?」
俺もほんま帰りたかったもん、とファットガムはカラカラと大きな口を開けて笑った。大きな身体は、よく見れば切島が帰るときよりも縮んでいるように見えた。
「早く、帰った方がいいっスよ、すみません引き留めて。明日は朝から来るんスか?」
「いや、明日は午後からやな、朝礼のことは環に伝えてあるし」
「っス、了解っス」
「君も、早く寝るんやで」
する、とその手が切島の頭を撫でた。事務所でシャワーを浴びてきたのか、その身体からは汗ではなく、微かに石鹸の匂いがするだけで。なんだか意味もなくドギマギする。プライベートでファットガムとこうして、二人きりで会う機会はほぼない。だからだろうか。離れた手を、どこか残念に思いながら切島は、特に何を買うか決めてもいなかったなと思いつつコンビニの入り口に積んである籠をひとつ手に取り、パンの棚から食パンを一袋掴んで、それからサラダチキンのパッケージを取った。ゆで卵も買っとこうと、腕に下げた籠に放り込む。牛乳も一リットルパックを突っ込んで、レジに向かえば、先に会計をしていたファットガムがこちらをちらりと見て、唇の端で微かに笑った。俺の番になり、レジで支払いを済ませて袋に詰め、コンビニを出たら大きな身体が街頭の下でゆさりと揺れたのでぎょっとする。てっきり帰ったのかと思ったファットガムは、コンビニ前の喫煙場所で、煙草を一本くゆらせていた。
「お疲れ様です」
そう声をかけると、ファットガムは切島のところまで咥え煙草のままやってきて。がさりと自分のコンビニ袋に手を突っ込んで、中から黄色いパッケージを引っ張り出す。きょとんとしている間に、ぺと、と頬に押し当てられて、切島は飛び上がった。
「つめた!」
「ハハ、俺のおごりや」
お休み、とファットガムは笑った。押し付けられたそれを手に取ってみれば、マンゴー味のアイスキャンディーだ。
「――あざっス」
「ん、君からしたら大阪の夏は暑いよなァ、ゆっくり寝てな、おやすみ」
「おやすみなさい」
ぺこりと頭を下げてからファットガムに背を向け、自分のマンションの方角に足を向ける。なんだかわからないけれど、どきどきと心臓が早かった。煙草の匂いとか、石鹸の香りとか。あんまり見たことないやさしい笑い方とか。頬に触れた、冷たいキャンディーとか。
「――あっつ」
ぴりとパッケージを破って、中から長方形の形をしたアイスを取り出し、がりりと噛みついた。それは冷たくて、口の中から、飲み込めば喉も胃の中までひんやりと冷たさを感じたけれど。なんでか、ほてったみたいな頬は、全部食べ終わって寝る直前までも、熱が出たときみたいに熱かった。
「あ」
「お、また会うたな」
自動ドアをくぐって、棚に沿って右に進んだところでばったりと会った。ひら、とファットガムが手を上げるので、つい手を振り返しそうになってから慌てて切島はペコと頭を下げる。多分バレたのか、ファットガムは楽しそうにけらけらと笑った。
前回遭遇してから、一週間だ。ここに住み始めて2年間、一度も会わなかったのに、まさかまた会うなんて。切島はちらとコンビニの時計を見上げた。時計の針は夜0時を過ぎてさらに半分回っている。住宅地のど真ん中にあるコンビニは、こんな時間ではファットガムと切島だけしか客はいなかった。
「ファットっていつもこんな遅い時間にコンビニ来てるんすか?」
「あー、まあなあ」
ファットガムは唇をゆがめて笑うと肩をすくめる。
「あんまり人の多い時間帯には来ぉへんかな」
(あ、そうか)
自分が一人でコンビニに来たところで、ヒーロースーツと普段の恰好にギャップがあるせいかあまり気付かれることはないけれど。ファットガムはその体つきだけでも目立つ。それに、キャラクター的な扱いをされているせいかやたらなれなれしいファンも多い。プライベートでまで絡まれるのは嫌だろう。
一度うちに帰ったからか、ファットガムは最後に事務所で会った時よりさらにラフな格好をしていた。どこに行ったらそんなサイズが売ってるのだろうと思うような大きなTシャツに、ハーフパンツ。その裾から覗く、がっしりと太い膝小僧や、素足にサンダルだけひっかけた足元なんて見慣れなくて、さらに風呂上りなのか石鹸の匂いまでしてちょっとドギマギとしてしまった。視線をどこに向けたもんかなと、商品の棚の方に意味もなく向けたら、ポツリとファットガムが独り言みたいにぼやく。
「ファットさんが煙草とか買うてたら、意外や言われたりするしな」
「かっこいいっスけどね」
ぽろ、とそう言葉がこぼれる。素直な感想だったのだが、え、と驚いたような声を上げるので見上げれば、ファットガムは少し赤い顔をして切島を見下ろしていた。
「――かっこええの?」
「かっこいいっスよ、身体のこと考えたらやめた方がいいんだろうけど、でも、俺はちょっとあこがれるかな」
「二十歳なったんやし、吸うてみる?」
「や、もっと身体鍛えたいんでやめときます」
切島がそういえば、ファットガムはフハと笑い。そうやな、君はその方がええよ、と切島の頭を撫でた。そういえば、と思う。こないだも、こうして頭を撫でられた。インターンの時は時折、頭をなでなでと撫でられることがあったけれど、サイドキックとして事務所に就職してからはなかった。それはファットガムの、インターン生相手と雇用者相手の態度の違いかなと理解していたのだが、なら今はなんだろう。考え込む顔つきをしていたからか、ファットガムは少し首を傾げ、それからひらりと手を上げた。
「あ、いややった?つい、な。子ども扱いしとるわけやないんやけど」
「いやじゃないっス。ただ、普段はしないなって思って」
「もう一人前のヒーローの頭、人前でなでなでするんはどうかなって思うからな」
「今はいいんスか?」
「仕事中やないもん」
それに、切島くんの頭ってちょうどええ位置にあるから、ほんまは時々撫でたくなるねん、と。くしゃくしゃと、ワックスを落とした柔らかな髪を乱されて切島はくすぐったさに笑った。
「ちょ、そろそろいいです」
「ええ、普段できひんのやから、撫でさせて」
「猫じゃねえし」
暖かな大きな手にずっと、触れられていると。またむずむずと落ち着かない気分になるので、切島はするりとそこから逃げ出して、菓子類のコーナーに逃げた。ファットガムは楽しげに笑っている。
「猫よりは、切島くんは犬っぽいな」
「人間っス」
がさがさと、スナック菓子をいくつか籠に放り込む。そこではたと、そもそもなんでコンビニに来たのかの目的を思い出した。危ない危ない、ファットガムと遊んでたら忘れるとこだった。日用品コーナーに戻って、コンビニオリジナル商品の洗剤の詰め替えパックを手に取ると、ファットガムがそれええよな、とつぶやいた。
「あ、もしかしてファット、同じの使ってます?」
「うん、そうやねん」
「そっかあ、無香料だから匂いとかじゃ気付かないっスよね」
やねえ、とファットガムが、今度はひどく柔らかく笑った。心の奥をくすぐるような、切なげにも見える笑い方で切島は開けた口をつぐんだ。洗剤が同じだって、それが何かあるんだろうか。ちょっと気になる表情。視線を逸らし、一呼吸おいてから、レジ行ってきます、って踵を返した。
そういや、ファットガムはすでにレジ袋を腕から下げていた。自分の買い物は終わったのに、切島が終わるまで待っていてくれる気なのか。切島は足を止め、冷凍コーナーから二つ、アイスを掴み。レジで精算してコンビニ袋を右手に下げた。
「ファット」
自動ドアの向こうには、先日と同じように咥え煙草のファットガムが立っていた。目の前の、誰も通らない住宅街の道。それを見つめる横顔が、自分では届かないくらい遠い。ゆらゆら、煙草の先からは薄暗い空に向かって白い煙が立ち上っていた。ので。
「あ、つめた、?」
ぱっとファットガムが切島を見下ろした。ヒヒ、と切島は笑う。
「どうぞ」
降ろした手の甲にくっつけたアイスを、そのまま手に握らせる。真っ赤なイチゴのアイスキャンディー。ファットガムは目を細め、さっきみたいな顔でまた穏やかに笑った。
「おおきに」
「おやすみなさい」
「ん、おやすみ」
背を向けたと同時に、鼻をかすめるかすかな煙草の匂いに、どきどきする。普段、ファットガムは事務所で煙草を吸わない。煙草臭いということもない。飲み会の席で吸ってるのを見かけたことはあるけれどそれくらいで。だからこれはきっと、とてもレアな光景だ。私服だって、風呂上がりの石鹸の匂いだって、穏やかな笑顔だって、全部レアだけど。
(彼女さんとかは、ああいうの全部、見るんだよな)
夜道を自宅まで歩く道のりでふと、そう思った。
(ファットは、彼女に優しそうだよな。忙しいけどちゃんと、きっと、彼女のことも大事にしてそうな)
なぜかそれを、うらやましい、と思ってしまいそうになって。切島はそれを振り切るように走り出した。
「お、きりしまく~ん」
ふわふわした声が聞こえたので振り向けば、いつもより痩せた姿のファットガムがコンビニの前、スーツ姿で立っていた。そういや今日は、どこかでヒーロー事務所の所長のあつまりがあるとか言っていた。今日の会場が狭いから、でかい身体じゃ迷惑になるしなと、今日一日炎天下を駆けずり回って脂肪を減らしていたのだ。
そのせいか、珍しく見たことないくらい酔っ払っている。結構普段は酒に強いのに、と思うが、会合であれば先輩ヒーローなども来るのだろう、だいぶ飲まされたのかもしれない。出かけるときはぴしりと決まってて皺ひとつなかったスーツも、今はジャケットを脱いでいるし、よれよれになったシャツは第2ボタンまで開いてて、申し訳程度に結んだネクタイが首からぶらぶらとぶら下がっていた。
「お疲れ様っス」
「おつかれぇ」
自動ドアをくぐりながら、今帰り?というので、買い物を終えて出ようとしていた切島は頷いた。所長不在だからといって事件は待ってくれない。酔っ払いの喧嘩やらひったくりやら、大きな事件はないが、細かなトラブルは発生していたので、それを天喰と一緒に処理していれば、気付けばこんな時間だった。今日も、時計は0時を過ぎている。
「そんなえらい子にはァ、なんか買うてあげようなあ」
「や、今買い物終わったし、大丈夫なんで!ファットこそ、早く帰った方がいっスよ」
「ええ、なんで?遠慮?水臭い」
「違います、酔っ払いだからです!」
「酔ってへんし」
とろんと半開きの目で、こてんと首をかしげる。かわいいしぐさが妙に似合うのはなんなんだろうなと思いながら、切島は、ちょうど買ったばかりの天然水のペットボトルをファットガムに押し付けた。ファットガムは閉じそうになっていた目を開き、しげしげとペットボトルを見つめる。
「これ、あげますんで。帰りましょう」
「んー……小腹も、空いてんねんけど」
「じゃ、俺も付き合います」
切島は籠を持ち、ゆらゆらと身体を揺らしながら歩くファットガムの横に並ぶ。普段ならコンビニの棚と棚の間に立つのもぎりぎりのファットガムだが、今日は細いだけあって並んで歩いた。あ、これ、これも、あ、新商品やん、とブツブツ言いながら籠に放り込まれる量が尋常ではない。もう一つ籠を持ってきた方がよかったかなって思ったところで、こんなもんやろ、と言われたのでほっとする。
「――全然、小腹じゃねえ」
「まあ、食わんといかんしなあ」
明日にはもう少し戻さんと環に怒られるし、とファットガムはふふと笑った。切島はレジまで籠を持っていくと、店員さんと一緒に袋詰めを手伝う。大きなレジ袋二つ分を下げ、会計を終えたファットガムと外に出た。今夜も熱帯夜だとニュースで告げていただけあって、温い空気がコンビニの冷房で冷えた体を一気に包み込む。はあ、とファットガムが息をついた。
「あつう」
「暑いっスよね」
「こんな日はコンビニの中が天国やんな」
ファットガムに並んで歩いていれば、がさがさとコンビニ袋が鳴った。それを怪訝そうファットガムが見下ろす。
「――どこまで、来てくれるん?」
「ファットんち?」
「ええの?」
「俺、明日は遅番でいいって言われたんで」
ああ、そう、とファットガムは前に向き直る。切島の家とは反対方向へ向かって、歩道をまっすぐ歩いた。ちかちかと黄色信号が点滅する交差点を抜け、その先の角にやたらにおおきなマンションが見えた。うわすげえと見上げた切島の手から、ファットガムがレジ袋をさっと取り上げる。
「ここ、異形型向けのマンションやから。こんだけおっきく見えるけど、5階建てなんやで」
「へええ!すげえ!ファットは何階っすか」
「5階」
ふ、とこちらを見下ろしたファットガムと、目が合った。
さっきみたいなふわふわした顔はもうしていなくて。どちらかと言えば複雑な、困ったような顔をしているから。切島は手の中のレジ袋がなくなってることに今更気付いて、あー、と一歩下がる。
「じゃあ、おやすみなさい」
「ん、おやすみ」
すたすたとファットガムは、両手からレジ袋を提げてマンションのエントランスに歩いて行ってしまった。自動ドアの向こうにその背が消えるところまで、ぼうっと見つめてから、切島は来た道をとぼとぼと戻る。
(やっぱ、彼女さんとかいるのかな、一緒に暮らしてたりして)
つい、切島が口にしそうになった言葉を感づかれて、拒絶されたのかなって。街灯に照らされてできる薄い影を見つめながらほんのり哀しい気持ち。
『部屋まで行ってもいいっスか?』
そう、口にしそうになった。レジ袋を奪われてなくて、さらにあの困った顔さえ見なければきっと、子供の我儘みたいにそう言ってた。
不思議だなと思う。別に、事務所にいるときはいつもの距離感。上司と部下。事務所の所長とサイドキック。それ以上でも以下でもない、のに。こうしてコンビニで、互いにプライベートで、話すときは。もっと距離が近いような気がしてた。近くなっていく、気がしてた。
(俺だけが、そう思ってたんだ)
近付いて、その先に何を求めてるのか。それがはっきり見えないくせに。けれどまるで振られたような気分で切島は、がさごそとコンビニ袋を揺らして歩いた。
さっき。ファットガムと会うわけないのにって思いながら無駄に買ってしまったアイスキャンディー二本は、きっと袋の中でドロドロに溶けて、食えない。
「週末やし!明日は事務所の休みやから、飲みに行くで!」
そんな号令で、事務所の面々で飲みに行くことになった。ファットガムの脂肪がこの連日の暑さのせいか、なかなか戻らないからいっそ普段いけない飲み屋に行きたいという理由もあるらしいが。
暑い暑いというからてっきり涼しい場所で飲むのかと思えば、近所のビルの上に数日前からオープンしたビアガーデンに連れていかれた。
「暑い」
「暑いからビールが美味いんやろ!」
溶けたようにテーブルの上でくたりとしている天喰は、それでもビールのジョッキをパカパカと空けていく。ファットガムより飲めるんじゃないかとここ最近の噂だ。
「美味いっスね」
切島は泡のついた唇を舐め、二カリと笑う。二十になってからいくらか酒は嗜んだが、最初のころはビールのどこが美味いんだろうと思ってた。けれど、こうして夏に入ってから、知った。暑い時に飲むビールは本当に美味い。
「おつまみも食うんやで」
枝豆と串に刺さったおおぶりの肉が回ってくる。アツアツのそれを串から引き抜くようにかぶりつけば、溢れる肉汁とスパイシーな味付けに、さらにビールが進んだ。
「うっま」
「あ、これうまいね」
「おっちゃん!ビールも肉も、どんどん持ってきて!」
ファットガムの声がビアガーデンに響けば、今日の大阪の街は平和だと、周りの人たちが目を細めていた。
ふわふわする。
どこだろ、ここって思う。柔らかな感触に顔を埋めれば、このまま眠ってしまいそうだ。いや、今までだって寝てたのか。それともこれは夢なのか。ふわふわと心地よくて、だけどちょっと暑いかな。汗ばんだ背中に、Tシャツが張り付くような感覚だけが、この気持ちがいい夢の中で唯一、不快。全部脱いでしまいたい。家で風呂上りのときみたいに、全部脱いで、エアコンで冷えたシーツの転がるのが、気持ちいいから。
もぞもぞと身じろいでも、身体は思い通りには動かなかった。ふと、どこかから声がする。肌から伝わるみたいに、鼓膜に直接届く声。
「起きた?」
起きてますよ、と返事をしたいのに、切島の声帯はただ、ふぅん、と甘ったるい声を漏らすだけ。フハ、と笑い声。
「ほんまに起きてるんか?なあ、自分のうちどこか教えてくれへん?あと、家の鍵、出せる?俺、君んちの住所までさすがに覚えてへんからあやふややねんけど」
鍵?と思って。もそもそとポケットを探る。指先に触れたそれを、はい、と差し出せば、下から伸びてきた手がそれを取り上げ、おおきに、と言った。
「で、君んちは?」
俺んち。俺んちは。
「コンビニの、近く」
やっと出た言葉はそれだけだった。ファットガムは何やそれと可笑しそうに肩を揺らしたので、広い背中におぶさっている切島の身体も一緒に揺れる。いつもの脂肪に包まれる感触ではなく、ファットガムの背中はやわらかいけど弾力のある筋肉だ。
「それは、知ってるし」
「コンビニ……まっすぐ、ファットんちの、反対」
「ん、ほーかほーか」
あのコンビニもうすぐやから、そうしたらナビしてなあ、とのんきな声が響いた。眠たい。まだ世界はどこか薄くて白いものに覆われているみたいにぼんやりとしていた。金色が、揺れる。それはファットガムの髪とおなじ色をしてた。
「あ、いて」
引っ張ったら、痛いらしい。切島は手を離し、んー、と唸る。
「ひっぱらんといて」
「きんいろ、ですね」
「そうやね」
「これ、なんすか?」
「髪の毛や!せやからやめてぇな、禿げちゃうやろ」
「おれ、ふぁっとのかみ、すきです、きらきらしてて」
ふと、揺れていたのがぴたりと止まる。どうしたのかなと思っていれば、はあと大きく、息を吐く音が聞こえた。
「おおきに」
酔っ払いめ、と言葉が続いたので、むっとして。酔ってません、と返すとファットガムはカラカラ笑う。
「そうやね」
「ばかにしてます?」
「してへんし、ほら、コンビニ着いたで。俺んちと反対やったらこっちやな?」
歩き出そうとするファットガムの背中に、顔を擦り付けるようにして切島は首を振る。ふと、この間言えなかった言葉を。今なら言ってもいいんじゃないかって、思って。
「ファットんち、行きたいです」
また動きが止まった。そして無言。目を開けてみるが、相変わらず膜を張ったようなぼやけた視界は、いつもより近くにあるファットガムの頭しか見えない。どんな顔をしているのかは、背中にしがみつく切島にはわからなかった。あまりに無言なので、切島は、ダメならいいです、とつぶやく。我に返ったようにファットガムは、ダメやないけど、と首を振った。
「けど?」
「ん、んー……言葉尻なんて、気にするんやな君」
「彼女さんがいるからですか?」
酒の勢いは怖いなと、どこか冷静な自分がそう思った。でも、溢れた言葉は戻しようがない。これで、いる、と言われたら悲しいな、と思って。なんでそう思うのかなって考えようとしたけれど、ふわふわとした頭はそこで思考停止。
「そんなん、おらんよ」
ため息交じりで、ファットガムがそう答えた。ついホッとして、頬をファットガムの肩に擦り付ける。うう、とファットガムがうなった。
「君……なんなん、無自覚?怖ァ」
「何の話スか?」
「なんでもないですぅ」
からかうような言い草にムッとすれば、はあ、とファットガムは本日何回目になるか分からない深い溜息を吐いた。
「うん、まあ、ええわ。うち、来たいんやな?」
「いきたいれす」
「なら、ええよ。おいで」
ゆさりと、揺れた。ファットガムが歩き出したのだ。さっきの飲み会でファットガムが、一本だけ吸っていた煙草の匂いがかすかに、したような気がして。切島は目を伏せる。
次に感じたのは、冷たい感触。さらさらとした、滑らかな。
(シーツだ)
それも、エアコンが効いた部屋の、冷たいシーツ。そうそう、これこれ、って。切島はもぞもぞと、いま身体にまとわりついている布を全部取り去りたくて、そして全裸でこのシーツの上を転がりたくて。汗ばんだTシャツをぐいと引っ張り、腕を抜いた。うつぶせで大の字になれば、それだけでも気持ちがいい。次はズボンだと、履いていたズボンのウェストに手をかけたところで、待って待って待ってとやたらうるさい声が背中に響いた。
「ん、あ?」
「待て待てや!ほんま、君、ここどこか分かってるか?」
「ベッド」
「うん、正解!」
やなくて!と一人ボケツッコミが聞こえる。
「合うてるよ、合うてるけど、な!ここ、ファットさんちやから」
「ふぁ、っと、んち」
「そうやで、やからそれ以上脱ぐンはやめてね」
「んー」
切島は、すり、とベッドに顔をこすりつけた。なるほど家のシーツより上等な気がする。気持ちよくて、ふふ、と唇から勝手に笑いが漏れた。
「ファットんちのベッド、気持ちいいっス」
「うん、わかった、わかった。うん、けどな、そろそろ俺は限界やねん」
「ファット?」
顔を上げれば、天井のライトを覆い隠すようにこちらをのぞき込むファットの身体が見えて。そのせいか、陰になってしまった表情はあまり見えない。うつぶせで首を上げる体勢がしんどいので、ころりと仰向けになれば、ファットガムはううと唸りながら顔をそむけた。ぼんやりと見えた横顔は、ひどく困った顔をしている。
「ファット」
「もぉ……ほんま、何これ、苦行?」
「くぎょう?」
「あああもうええねん、ええから」
寝なさいと、身体に薄いタオルケットをかぶせられた。肌触りのいいそれを口元まで上げて、切島はじっとファットガムを見つめる。さっきよりはほっとした顔で、唇に苦笑を乗せたままファットガムはぼりぼりと頭をかいた。その頬が赤くて、なんだか。なんだかひどく、どきどきした。今更ながらだけれど、あ、俺この人の前で裸になろうとしてたのかってやっと気付く。
「あの、すみません」
「ん?なにがやねん」
「俺、ファットんちのベッド、占領してるし、裸になろうと、したし」
「あー……うん、まあ、俺んちやからええねんけどな。君、ほんま、気ィ付けんとあかんで」
俺以外のやつのうちでやったら、ほんま身の危険やで、自分、と。ファットガムは少し低い声で言う。それを咀嚼するのに少し時間がかかるのは、多分思考がとろりと眠気に襲われ始めたから。でも、完全に落ちる前にその言葉の意味が、腑に落ちて。
「すみ、ません」
「もうええって」
「ファット、は、危険じゃない、ンです?俺、じゃ」
そうならないですか?、と。言えたかどうかはよく分からない。そして切島の意識が飛ぶ、寸前。俺が一番危険や、と。吐き捨てるように言うのが、聞こえた、ような。
パッと目を開けたら見慣れない天井、なんて。
昔見たドラマではこれで、隣を見たら知らない女性が寝ていたり死体があって警察がなだれ込んできたりするんだよなと、切島が嫌な想像に慌てて飛び起きれば、隣に誰かが寝ていることも、事件の容疑者になるようなこともなく。ただただ広いベッドの上にポツンとひとり、それも落ちそうなほど端っこで眠っていた。遮光カーテンの隙間から、柔らかな光がこぼれている。朝か、とぼんやり思った。
とりあえず何事もなさそうなことにほっとしてもう一度寝転がって、身体に当たるシーツが気持ちいいな、ってぼんやり抜けない眠気に二度寝しそうになったところで、あれ?って自分の身体を見れば、ズボンは穿いているけれど上半身は裸だ。そりゃあ、シーツが気持ちいいはずで。
(ここ、どこ、だっけ)
身体をもう一度起こして、切島はぽかんと室内を見渡す。とにかく何もかもでかい、部屋も広いしベッドもでかくて、クローゼットや置いてある家具も全部大きい。もちろん部屋の天井も高い。3メーターはありそうだ。天井を仰ぎ見ながら、巨人の国に迷い込んだ小人の気分。
(昨日、は)
この間からのモヤモヤとくすぶる気持ちに任せ、やたら飲んだのはなんとなく覚えている。しかし店を出た記憶はないし、ましてやこんな部屋に、そんな。
(たぶん、だけど、ここって)
ファットガムの部屋だろう、と思う。たしか身体の大きな異形系に対応した部屋に住んでいると言っていた。この間一緒に手前まで来た、見上げるように大きなマンションの、5階。ここがそうなのだろうか。酔っぱらって記憶はないが、つまりは部屋に帰ることもできないくらい酩酊していた切島を、ファットガムが自分の部屋まで連れてきてくれたってことか?
(俺の、Tシャツ)
ぺたりと身体に触れてみる。何か変わったようなことはない。ズボンもパンツもはいているし、ファットガムが自分に手を出すとか。
(ありえねえ、けど)
じわ、と頬が熱くなる。手を出されてたらいいな、なんて少しだけ思った。ありえない、バカみたいだ。もそもそと、広いベッドの上を四つん這いで移動すれば、ベッドの下にくしゃりと丸めて脱いだ形のままのTシャツが転がってた。自分で脱いだのか、なあんだ、って。切島の唇に浮かぶのは苦笑。そうだ、手を出すわけがない。
ファットガムには多分、可愛い彼女がいるんだから。今日はたまたまいなかったとか、そうでなければ。
(実はいて、朝食とか作ってくれてたり?無理だろ、3人で飯なんか食えるかよ)
そんなことを考えていたら、どこからともなくコーヒーの香りがして逃げ出したくなる。皺だらけのTシャツを着て、立ち上がると同時に大きなドアがゆっくりと開いた。
「あ、おはよ、起きたん?大丈夫?二日酔いとかなってへん?」
飯食うてくやろ?と穏やかな笑顔で言われ、切島は慌てて頭を下げた。今一人で考えていたいろんな想像が全部本当のこととして襲い掛かってきて、脳がパンクしそうだ。90度に腰を折り、頭を下げる。顔なんか、見れない。見せられない。
「すぃあせん!ご迷惑を、おかけしました!すぐに帰ります!彼女さんによろしくおつ」
「おらんけど」
言葉をかぶせるようにそう言われ、ぐいと肩をつかまれて起こされた。さっきドアの前にいたのに、すげえ早い、と内心思いつつ。怒ったようなファットガムの顔に気圧されて、切島は口をつぐんだ。
「なんや、昨日から君、誤解しとるみたいやけど」
彼女なんかおらんて、とファットガムが顔をしかめて低い声で告げた。切島はぽかんと口を開ける。だって、だってさ。ならなんで、あのとき部屋に来てほしくなさそうな顔してたんだよ。
「ほ、んとに?」
「嘘ついてどうすんねん」
「だって……イヤそうに、してたじゃないですか、こないだ。俺、一緒にこのマンションの前まで来たのに、帰れ、って感じで」
「あ?あ、ああ……」
ファットガムは切島の肩をつかんだまま視線をそらし、ぼりぼりと気まずげに頭を掻く。
「家に、あげたくなかったのは、まあ、そうなんやけど」
「す、すみません」
「ちゃうねん」
肩をつかんでいたファットガムの大きな手が、する、と切島の胸にあたりに当てられ。トン、と押された。それほど強い力ではなかったけれど、切島は少し後ずさり、そのままぽすんとベッドの上に座り込んだ。
「え?」
「うん、やからね」
ぐ、とまたファットガムの手が切島の肩をつかみ、今度はさっきより強い力でベッドの上に倒された。片足をベッドの縁に乗り上げ、覆いかぶさるファットガムを信じられないような気持で見上げる。ばらりと顔の横を縁取るように落ちる金色の髪と、少し影になった顔。その表情はやけに真剣で。はちみつ色の瞳が、ゆるりと細められた。
「君、ほんま無防備やからな。こういうこと、したくなるやろ?」
せやから部屋にあげるの、いややってん、とファットガムは苦笑する。切島はじっと、まっすぐファットガムを見上げた。その瞳の中に何か見えないかと思って。何か、言ってくれないかなって思って。ファットガムは、ただ切島を見下ろして、視線を合わせていたけれど。30秒ほどでファットガムが先に顔をそむけた。肩を抑え込んでいた手が離れ、身体を起こしたファットガムは冗談めかした風にひらりと両手を上げる。
「独身男の部屋に、のこのこ来たらあかんよ、ってことや――な、勉強になったやろ」
「――しないんすか?」
切島はむっとしてそう言った。なんだこれ、なんだよ、これ。今の俺の気持ち、わかるか?
(そこまで言っといて、しねえのかよ)
今すごく期待したのに。あのまま、例えばキスとかするのかな、なんて。勝手に期待してた自分が恥ずかしくて、わけもなく熱くなってきた頬を手の甲でこすった。ファットガムはすっと表情を消して。切島のほうにまた視線を合わせる。
「切島くん」
身体は起こしているけれど。けど、ファットガムはまだ切島の足の横に片足を乗り上げたままだった。じり、と両膝をベッドの上にのせ、切島の太ももをまたぐようにすると、覆いかぶさり両手を切島の顔の横につく。
「そういうことは、言うもんやないで」
ぎらりと光ったファットガムの瞳は、どこか、ヴィランを睨みつけているときのそれに似てて。切島はびくりと肩を揺らす。
「冗談でも、言うたらあかん――本気にされたらどうすんねん」
怖い。正直、怖い。でも。唇が震えそうになりながら、切島は、ぶるりと首を振った。
「冗談じゃ、ねえし」
「あ、ンな」
「俺!ファットのこと、好き、なんだと思います!」
ずっと、もやもやしてた。夜のコンビニでファットガムと会うのが、ちょっと秘密を共有してるみたいで楽しいとか、ファットガムに彼女がいるんじゃないかとか、いろんな気持ちでぐちゃぐちゃで、その先にあるこの感情が何なのかわかんなくなっていたけれど。口にして、腑に落ちていく。
「そうっス、好き、なんです、あー!やっぱそうだろ、ああ、すっきりした!」
はあ、と大きく息をつく。もやもやが取っ払われて、青空が見えたような気分。そうだ、俺はファットガムのことが好きで、それで。
「だから!好きにしてください!」
「いやダメやからな!」
こつ、とファットガムの手刀が額をたたく。別に痛くはないが、俺はその手の向こうにあるファットガムを見上げて唇を尖らせた。
「なんで!」
「君な、好きやからってな!そんな、相手に全部どうぞ!みたいなこと、言うたらあかん!もてあそばれたらどうすんねん!」
「ええ……でも」
「ああ、もう」
額を小突いていた手が下りてきて、する、と切島の頬を撫でた。諦めたように、眉を下げてファットガムが困った顔で笑う。
「はあ……うん、そうか。俺が、一生捕まえとけばええ話か、うん、まあええか」
今なんかすごいこと言われなかったか?頭が処理しきれないでいるのに、コツ、と額がぶつかってさらに何も考えられない。鼻先が、触れた。あ、と思って切島が目を伏せれば、柔らかな感触が唇に触れる。それはすぐ離れたけれど、こういうときってすぐ開けていいのか分からずに目を閉じたままでいれば、また、触れた。ちゅ、ちゅ、と何度か、確かめるように触れて。ひたりとくっついて、それからさらに柔らかな、ぬめる感触が唇をなぞるから。
(う、わ)
舌だ、と思って。こんなキス、当たり前だけどしたことなんてない。でも口を開けるのだろうと、うっすら唇を開けば、ぬるりと舌先が切島の口の中に、触れて。
「ふ、ん、ん!?」
ぞくぞくと背中が震える。ぬるぬると口の中を探る、大きな舌が。まるで頭ん中までぐちゃぐちゃにかき回されている気分。うっすら目を開ければ、必死な顔のファットガムのガオが近すぎて、ぼやけて見えた。心臓が、痛いほどにどくどくと血液を吐き出していた。腰のあたりに熱が、集まっていくのを感じる。くらくらする。ぎゅっとファットガムの腕をつかんだ指が、震えた。自分の身体なのに、いうことを聞かない。
「んう、う」
「ん、は、あ」
唇が離れ、ファットガムの大きな手が切島の髪を撫でた。
「ちゃんと、息せんと酸欠なるで」
「ん、はあ、はあ」
肩で息をして。目をゆっくり開ければ、涙でにじんだ視界がぼやけていた。何度か瞬けば直ったその視界の中いっぱいのファットガムがにやんと笑いかける。
「若いなあ」
え?と目を丸くするのとほぼ同時に、つつ、とファットガムの爪の先でひっかくように股間を撫でられた。ああ、と油断した声が喉からこぼれて。
「がちがちやね」
「あ、ああ」
フルフルと首を振り、ダメ、とつぶやく。羞恥で頬が熱い。けれどファットガムは、そんな切島の反応を楽しむようにかりかりと固く育ったところを布の上から引っ掻くから、切島はただびくびくと身体をはねさせることしかできなくて。
「や、らあ、っ、ん、んん」
ファットガムの手から逃れようと自分の股間を手で覆えば、ファットガムはその上からぎゅうと大きな手で握りこんで、ぐりぐりとこねる。また嬌声が切島の喉から響いた。
「さすがぁに、最後まではできんけど」
逆の手が、切島のTシャツの裾から入り込んで、ゆるゆると肌を直接撫でる。それだけで気持ちよくて、壊れたみたいに口からは押えきれない甘ったるい声が、漏れて。
「あ、ああ、ん、っ、ふぁっと、ぉ」
「ん、お望み通り……したる、から」
覚悟してな?と笑ったファットガムの顔はまるでヴィラン顔負けの凄みのある顔をしていたけれど。とろけた切島は幸運にもその顔を見ていなかった。
気付いたら、昼だった。
寝室の遮光カーテンは相変わらずしまっているので、その隙間から見える光がやけにギラギラしているので、多分昼だろうというくらいしか現時点では判断できないけど。
背中に触れる柔らかな感触と、体温が。さっき、目覚めた時とは違うもの。
うんと腕を伸ばして伸びをする。抱き込んでいた腕の力が、少しだけ強くなった。
「……起きた?」
「はい、いま」
「ん、そぉか」
ぎゅっと、背中から腹に回された太い腕で抱きしめられる。切島は腹の上にあるそれを確かめるように撫でた。
うれしい、夢みたいだけど、夢じゃない。
「そういや、朝飯作ったんやけど……もう冷めてるやろな、ごめんな」
「や、ファットの飯、食いたいです」
腹減りましたよ、といえば、ぐう、と切島の腹が鳴った。ファットガムはカラカラと楽しげに笑う。
「ン、じゃ、飯にしよか」
「はい!」
するりと腕がほどけていく。それが少しだけさみしいと思いつつ身体を起こせば、先にベッドから降りたファットガムが切島を覗き込むようにひざを曲げた。
「切島君」
「はい?」
ふふ、とファットガムは照れ臭そうにはにかみ。
「君に、先に言わせてごめん……そのうえ、先に手ぇ出して、ごめんな。うん。俺も、君が好きや、俺と付き合うてくれませんか」
差し出された手を、握り返し。切島はそのままファットガムの首に腕を伸ばして抱き着いた。