お酒に酔うということ多分この人は、酒がそこまで強くない。
切島は、目の前でふわふわと楽し気に微笑みながら酒をあおる上司――ファットガムを見つめてそう思った。
切島の両親は、今思えばふたりともとても酒が強かったのだと思う。
共働きだった二人は、時折どちらかが飲み会に行ったり、ふたりでリビングで酒を飲んだりしていたが、これっぽっちも顔色を変えることはなかった。見る間に瓶が2本、3本と転がるのを、あんなにたくさんの水分をよく飲めるなって、ペットボトルのコーラ1本で腹がいっぱいになる自分と見比べて驚いたものだ。
けど、大人になって知った。酒はあんな飲み方をしないものだと。
切島が知り合った周りの大人は、あの瓶の半分くらいで前後不覚になってへろへろになって、ひどいときはトイレに篭ってしまうのだ。そうか、酒を飲んで酔うってのはこんな感じなのかと。両親譲りの肝臓を持つ切島は、ハタチになってお酒が飲めるようになったものの、いくら飲んでもやっぱり全く酔わないので。可愛げがないと言われながら、そんな冷静な目で周りを見ている。
天喰先輩は既に潰れて、居酒屋の個室の隅に積んである座布団に埋もれるようにして眠っていた。ファットガムもそろそろ駄目だろう。この人抱えて、個室の扉から出れんのかなってちょっと心配。
「きりひまくん、のんれないんか?」
ファットガムはテーブルに突っ伏すようにして、へろへろとろれつが回らない唇を動かす。それを見て、切島は微かに笑った。
「飲んでますよ。あ、お代わりください」
馴染みの飲み屋の店員に声を掛ければ、グラスごと持っていかれて新しい氷を足され、キープしてあるウィスキーのボトルから茶色くていい匂いのする液体が注がれる。きっちり指2本分入れて、戻ってくるそれを切島はぐっと呷った。一気に半分ほど減ったグラスを見て、ほーん、と感心するように揶揄うように、ファットガムが目を細める。仕事終わりの今日は、脂肪が落ちて低脂肪になっていたので。据わった目はいつものファニーでキュートなファットガムとは違い、下手したら子供が逃げ出しそうな凶悪な顔。
「よゆうれすねえ」
「なにがですか?」
「すみませんね、おればっか、よっぱらって」
あ、面倒な絡み方してくるな。切島は肩を竦め、そんなことないです、と呟く。
「どうせ、さけよわいれすよ」
「そんなことないですよ、ファットは強い方でしょう?」
「きりひまくんにまけたら、いみないんですぅ」
ふんと鼻を鳴らした。なんだよそれ、とじっと見つめていれば、ファットガムはヒヒ、と唇の端を上げて笑い。テーブル越しに、手を伸ばしてくると、切島の、グラスを持つ右手に自分の指を絡めるからどきりとした。
「きりひまくん」
ファットガムはずっと仲良くしていたテーブルから身体を引き剥がし、切島の手を掴んでいるのと逆の手で、切島のロックグラスをスッと取り上げた。と、そのままぐいと口の中にその液体を流し込む。
「え、え!?」
今飲んだら本気でぶっ倒れんだろと焦って身を乗り出すと同時に、ファットガムは、ごつ、とグラスを勢いよくテーブルに起き。にやんと笑うと、切島の後頭部をその大きな手で掴んだ。
一瞬。
周りの音が全部、聞こえなくなった
個室の中までも響く、店員の威勢のいい声とか、客が話すざわめきとか。そういう、さっきまでは騒がしいと思っていた音が一切消えたような気が。すべての感覚が、触れあった唇に集中したみたいに。
「ん、ん!?」
口の中に、甘くていい匂いの液体が流し込まれる。それを、こく、こく、と嚥下しながら切島は気付けば閉じていた目を、うっすら開けた。頬を赤く染め、どこか焦ったような、必死な顔で。ファットガムの唇が、角度を変えてさらに深くなる。すべて流し込んでしまえば、大きな柔らかな舌がちゅるりと、零れた分を拭って、離れた。
キス?いや、口移しされたのか、って、その顔を見てぼんやり思う。
「俺ばっか先に酔ったら、酔っぱらった君にこんなこと、できひんやん、なァ」
な?と首を傾げ、そのままファットガムはテーブルにまた突っ伏して、今度こそ、店内に響き渡るような大きないびきをかき始めた。
切島は動けないまま、呆然と。その、金色のつむじを見つめる。
「ファットさん潰れたんやろ、そろそろおあいそ?」
扉を少し開けて、店員がそう声をかけた。切島はハッとして振り返り、はあ、と返事。すると、店員が驚いたように目を見開いた。
「なんや、切島くんもそんな真っ赤な顔して。珍しいな、酔うたん?」
頭の中がふわふわして、顔が火照る。ドキドキ鼓動が早くて、どうにかなってしまいそうなくらいくらくらした。
はい、多分、初めて酔ったんじゃねえかな。