お館様はクラシックメイドがお好き4お館様はクラシックメイドがお好き4
緑の草原や森が流れて、汽車に揺られながら俺はぼんやりしていた。
もうメイド服ではない。襤褸を着て、どこにでもいる日雇い労働者の姿をしている。
郊外の都市を目指して移動していた。閣下のお屋敷はもう見えない。
多分最初は俺を探すだろうけれど、一ヶ月もすればあきらめるだろう。それに、縁談があるし。そこで運命でもなんでも探してほしい。
これは閣下の為。閣下の人生の為。
俺とは違うのだから、真っ当に生きて欲しかった。
「……はあ」
終着駅について、汽車を下りる。うらぶれた地方都市に足を踏み入れて、その情景に溶け込んでいく。とりあえず仕事を探そう。それから寝る場所も。
裏通りを歩いていくと、寂れた宝石店があった。きらきら輝く宝石。それは閣下にプレゼントされたものに似ていた。
忘れるなんて到底無理だ。だって好きだから。
でも好きだから、俺が傍にいてはいけないんだ。
「……」
ぼんやりしていて気配に気が付かなかった。
袋を見た次の瞬間、視界が奪われて俺は気絶した。
***
「……う」
目を覚ましたところはどこかの廃倉庫のような建物の中だった。どれくらい経ったろう。一日は過ぎている。さまざまな機器や用具が積み重ねられた広い廃墟は、埃っぽい。
後ろ手に縛られて、手錠をかけられている。足も拘束されていた。
「なに……」
黒ずくめの連中がたむろしていた。武器を所持している。どうやら勝ち目はなさそうだ。
お目覚めだ、と男が一人俺の前でしゃがむ。顔を掴まれて検分された。
「やめろ」
しかしこんなのでねえ――と連中は話す。
「俺を捕まえてなにするんだ? 誘拐? 身寄りもないのに」
睨んでいると、連中は入り口の方を向いた。誰かが来たらしい。
「茨!」
「か……っか?」
閣下は髪も結わないでそこにいた。そんな顔しないでほしい。
「……迎えに来たよ」
「なんで……、……! だめです、これ、取引があるんですよね!?」
「うん、直ぐ済むからまってて」
連中の一人が紙切れとペンを出して、ここにサインを、と迫る。
「閣下! やめてください、なんだか知らないけどサインしたらいけません!」
「これはね、あの屋敷の所有権とか相続の放棄のサインだよ」
「は!? そんな簡単に……!」
「茨が殺されなければなんでもいい」
「やめろ! ばか! 俺は死んでもいいよ!」
閣下は俺の話を聞かない。俺の話を聞いたことなんかない。だからペンを走らせて、連中の思い通りにサインしてしまった。
「閣下! ばか! やめろ!」
「茨を離して」
連中は鍵を放って、引き上げていった。
廃墟に残ったのは俺と閣下で、閣下は俺の縛めを解いて、いつもみたいに抱きしめた。
「……よかった、茨」
「よくない! 閣下、なんで」
「……ふふ、私、もうおうちも何もないんだね。茨だけしかない」
閣下はただわらってそこにいた。
「ばかじゃん……」
閣下の腕に縋った。
閣下の人生を台無しにしてしまった。
「ばかじゃん、俺、なんの役にも立たない、あんたの子も産めない、顔だってさぁ、年取ったら綺麗な人形じゃなくなるよ、ねえ、わかってる? 嫌になるよ、きっと。そうしたら何にも残んないじゃん、ばかだよ、かっかは、ばか……」
「ばかでいいよ。茨がいれば、それだけで十分だから」
廃墟に光が差した。きらきらと埃が光を反射して、それがただ、美しかった。
***
「こんなので焼けるんですねえ、パン」
「不思議だね。興味深い」
田舎の一軒家に住み着いて、なにももたない二人でなんとか日々を過ごしていた。魚を釣って、木の実を拾って、日雇いの仕事をして。貧乏暇なしで、でもずっと二人でいられた。
かまどに火をくべて少しの小麦粉で練ったパンが今焼けた。いままで食べていたような柔らかいものではなく、決しておいしくはない。それでも閣下はにこにこと食べてくれているから、なんだか嬉しい。
なんとか三カ月たち、季節が変わろうとしてた。冬になれば食料を確保するのが難しい。それまでに薪を割って売って、小銭を増やしておかないと。
「茨……私、髪を売って来ようとおもうのだけれど」
「髪を……」
「どうかな」
閣下の綺麗な髪は確かにかつらなどで売れそうだった。でも閣下の体を売ってしまうみたいでなんだかいやだ。
「いえ、それなら、……あの、以前くださった宝石を売ります」
「ああ、あれ」
「あれ売ったら普通に生活できますよ。もっといい家を買って……」
「……茨を売ってしまうみたいでなんだか寂しいな」
同じこと考えてた。
「くれるときに売ればいいって云ったじゃないですか」
「まあそうだけれど」
閣下が残念そうな顔をするから気が引ける。
いまの生活も悪くは無いし、本当に駄目になったときに考えよう。
その時、戸口を叩く音がした。
「……誰か来たね? なんだろう」
「出ますね」
ドアーを開くと、そこには先代の腹心たちがいた。
「……なんですか」
話がある、という。閣下も静かにこちらを見ていた。仕方がないから家に招き入れる。座る椅子もないので、立ち話だった。
屋敷のことで――と話し始めた。
なんでも先代の血縁だと言い張る連中が相続の件でもめて、殺し合いになり、ほぼほぼ相打ちになって相続者がいなくなってしまったらしい。ざまあみろ。それで相続者を探してみると、なんでも先代がまちがいで産ませてしまった血筋がまだいるらしく、それが――。
「は? 俺?」
俺が先代のひ孫だったらしい。
ということで、相続者はお前だと、腹心たちは云った。
「……だから茨、いい匂いがしたんだね」
手続きをするから屋敷に来い、と云って、外の馬車に連行される。
「閣下?」
「……私はもう主人じゃないから」
「まあそうですけれど。え、まってください、残るんですか?」
「一緒にいきたいけれど、それを命令するのは茨だよ?」
「……命令じゃなくてお願いするんですけど、……一緒に来てくれますか?」
「……うん」
あれよあれよという間に元の屋敷に連行された。
今度は自分が屋敷の主人になって。
「……閣下、髪、売らなくて良かったですね」
「……茨も宝石売らなくて良かったね」
契約書にサインして、本当に屋敷の主人になってしまった。
「私は茨の僕になるのかな」
「……それはなんだか嫌です……うーん、閣下、あの、ご提案が」
「なあに?」
「ちょっとまってくださいね」
まだ存在していた俺のロッカーへ走り、そうしてそれを取り出す。
クラシックメイド服。
ヘッドドレスを付けて、ブーツを履いて。
「おまたせしました」
「……茨はやっぱり似合うね」
「俺のご主人様に、なってくださいませんか?」
先代がそうしたように、閣下をまた館の主人にすることも可能だろう。
俺が頭を取るより、閣下の方がお似合いだ。俺は下でこまごま働く方が性に合っている。
「茨がそう望むのなら。でももうどこにもいかないでね。結婚させようともしないで」
「……わかりました」
「私の幸せは、茨と一緒にいることだよ、ずっと」
真っ当ではない生き方を二人でする。それはきっと手のかかって、酷く面倒で、でも自分たちでしかできない生き方なのだろう。普通は楽だけれど、退屈だ。道を外れれば苦労をするが、未知をしることができる。
あなたの幸せを願う。だから、あなたと、一緒にいます。
閣下が頭を撫でて、頬を包む。
契約の代わりに、ふれるだけのキスをした。
(211028)