きみはごちそう4 生白くてあまい茨の肌に手を滑らせて、そっとそのなめらかさを堪能した。茨はわらっていて、私を呼んでくれている。舌を這わせて、その先端に齧り付いた。美味しいマシュマロ。
鳩尾に、『私をお食べ』と書かれていて、そのまま破線が腹を切るように走っていた。
『ここをたべてもいいよ』
そっとその破線に触れると、ほろほろと糸が解けるように、茨の肉が開いていく。ぬろぬろした内臓の宝庫が開陳されて、むわりと甘い匂いが立ち上った。
私は衝動を抑えきれずに――。
茨を貪った。
***
飛び起きれば深夜で、はっはっと息をする隣には茨が眠っていた。
「……閣下?」
「……ごめん、起こしちゃった……」
茨は《ケーキ》で、《フォーク》の私が唯一感じる味覚だった。その美味しさは筆舌に尽くし難く、私に味を与えてくれる。
食べてしまいたい、文字通り。
でも、それ以上にずっとそばにいたかった。
猟奇的殺人事件を起こす予備殺人者。
それが《フォーク》。
「……茨を食べる、夢を見た」
夢は欲望だというのなら。
「……茨から離れた方がいいのかな」
「閣下、」
「……私、茨を傷つけたくない」
茨は起き上がって、くらやみのなかじっと私を見つめた。そうして、私の頰に触れて、そっと、触れるだけのキスをする。
優しい甘さ。
「俺、閣下になら、何されてもいいですよ」
「……でも……」
「だけれど閣下を殺人者にしたくはないので、難しいところですけれど」
きらきらとくらやみにひかる海色が、ゆっくりとわらった。
「俺は死にません、閣下のために。ずっとおそばにいて、ずっと食べてもらうために。まあ俺がなんらかの形で死んだのなら、ほんとうに食べていただいていいんですが――死体損壊の罪になってしまいますね――」
ふふ、と茨は苦笑して、そっと私の手を取る。
「それだけ、閣下のことを、お慕い申しております」
「……茨」
「俺、しぶといですからね。丈夫であります。閣下の衝動に耐えうるくらい、どうってことありません。生き抜いてみせます。二人で生きましょう。地獄の果てまで、一緒です」
「……うん」
「だから、捨てないでください、俺は弱くないですから」
抱きしめあう。茨の甘い香りが濃くなって、その感情を知る。
ほんとうに、私はこの子に出会えて、幸せだと知らしめられた。
きっと、絶対に、離してはいけない。
***
「……うん、これ、とっても美味しいよ」
「試作品は成功でありますな!」
Adamに《フォーク》と《ケーキ》というイメージがついてしまったことを逆手にとって、自社で商品開発をすることにした。
フォークのための、味覚パウダー商品開発である。ワンダーシュガーは、かけるだけで甘みと旨みを感じられるようになる調味料で、一般の料理にも使える万能パウダーである。
俺の成分を分析して再現し、それを閣下が試食する。完璧である。
話題性を利用して、ワンダーシュガーは売れに売れた。乱凪砂監修も話題を呼んだが、なにせ『七種茨を食べる』というキャッチコピーで、そのファンを狂わせたのが成功だった。信者は増えた。甘くて美味しいものは、全人類を虜にする。
ケーキの七種茨を、皆が欲した。
(大成功でありますな)
日課のランニングをしながら今後の計画を練っていて、油断していたのかもしれない。林の影に、同じランナーらしき男性が蹲っていた。
「どうされましたか?」
怪我でもしたのか、と近づいて介抱しようとした時――ビリ! と電流が走って俺は倒れた。
(スタンガン……!)
その男はわらっていた――捕食者の目を見て、俺は気を失った。
***
「……ここは……」
どこかの倉庫の調理台に、俺は四肢を磔にされて寝かせられていた。ガチャガチャと男がなにか道具を漁っている。俺に気がついて、汚くわらってみせた。
「……いますぐ解放しなさい。そうすれば不問にします。さもなければ悲惨な人生になりますよ」
男は何も聞かず、今、食べてあげるからねぇ、と、涎をこぼしてみせた。
「……《フォーク》ですか……」
俺がケーキということが喧伝されて、ワンダーシュガーを食べ、ほんとうに食べてみたいと思う狂人が実行に移すことについて。そこまで考えていなかった。代替品で欲望を満たせるのか、それに誘発され犯罪を犯すのか。卵が先か、鶏が先か。
「放しなさい、いますぐ」
男は話も聞かず、脱がされた俺の足先に、れろりと舌を這わせる。――気持ち悪い。
「や、めろ!」
足を思い切り蹴り上げて、男のくちを蹴り上げた。男はふらついて、逆上したこえをあげ、ぎらりとナイフを振り上げる。
俺が死んだら、誰が閣下を守れるのか。
ああでも、俺の味は形にして残せたからよかったなぁ――。
目を閉じたその時、ダァン! と何かが倒れる音がした。
「茨!」
「……閣下?」
SPたちが男のナイフを蹴り上げ、すぐさま取り押さえる。
急襲はあっという間に完了した。
「……大丈夫?」
閣下は俺の戒めを解いてくれて、ぎゅっと抱きついてくる。
「ど、どうやって……」
「茨の匂いを探してここまできた」
警察犬か?
「……ずっと一緒にいるって、約束したから」
「……ええ。俺を食べていいのは、閣下だけですからね」
「……ふふ。……じゃあ、今夜」
閣下に縋る手が、震えていることに気がつく。俺も弱くなったなぁ、と思いながら、その温もりに、溺れた。
夜が酷く、待ち遠しかった。
***
(220421)