茨が壊れてしまった4 ちゅうしゃ。きゅういん。のみぐすり。
閣下は俺のためにいろんなお薬をくれた。その度にふわふわと現実が融解して、多幸感に包まれる。理由なんか忘れた。どうしてここにいるんだっけ。どうしてセックスしてるんだっけ。ああ、愛しているから。『愛する人』は閣下だから。
昼も夜も溶けて、どれくらいの月日が経ったのかわからない。
突然、閣下は連れて行かれた。俺は拘束されて、ここに連れられてきた。ベッド。窓の外には木々が連なって、ここが郊外なのだと俺に教えた。太陽が眩しすぎて、目が開けられない。
幾日過ぎたのかわからなかった。助けを求めれば戒められ、なにかの薬を打たれる。閣下は助けに来ない。
知らない人たちに囲まれて、虚脱していく体を抑え込まれる。ただ、閣下に、会いたかった。
***
「かっかはどーこ? ……おれのかっか……、おくすりほしいよぉ……、ねえ、ちょーだい……?」
俺のそばに誰かいた。それが誰だかわからない。そっと、俺の手の甲を、子猫にするみたいに指先で撫でる。それが懐かしくて、涙が出た。
どうして?
わからない。
わからないことはいやだ。
全部忘れたい。
おくすり。
「おくすりちょうだい、なんでもいいから、ねえ、いけないの、ちょうだい、ほしい、こわして、かっか、かっかよんで、俺たち、愛し合ってたの、どうして邪魔するの、たすけて、かっか、おくすりちょうだい、きもちいいの、ほしい、ちょうだい、ちょうだい、ちょうだい、あ、あ、あ……っ!」
「いばら、落ち着いて」
「やだぁ……たすけて、閣下、どこ、あの部屋に戻して、愛されたい、閣下に、愛されたい……っ」
その人は暴れる俺を押さえつけて、俺の顔を覗いた。
「茨、ごめんね、助けてあげるからね」
目を隠され、囁かれる。とくんとくんと心臓が鳴る音が聞こえた。
「……『愛する人』は、誰?」
そんなの決まっている。
閣下。
俺の閣下。
そっと世界が開かれて、目の前に、閣下がいた。
「かっか……」
ぱちんと、何かが弾ける。楔を抜かれたように、動き出すのは記憶の船。
あの部屋の閣下の顔が、どろどろと溶けていく。
「……催眠を解いた。だから、もう大丈夫だよ、茨」
「ちがう……こんなの……、だめ……そんな……なんで……」
愛してる。おくすり。咥えて。ほしい。イく。閣下。かっか。もっと。気持ちいい。キス。家族。赤ちゃん。
犯人の下卑た笑い。
「み、ないで、みないで、みないで、みないで、あ、あ、あっ……! やだ、おれ、おれ、あ、……!」
「茨、大丈夫、もう大丈夫だから」
身体中を蹂躙されていた。犯人に。余すところなく。
閣下だと認識していた男は、すべて犯人だった。
「あああああ! やだ、やだぁ、こんなの、お、……っ! みないで、みないで、みないでぇ、……っ! かっか……」
俺は泣いた。絶望に取り込まれて。
ほんとうの閣下が、そっと、涙を拭ってくれる。
それが、一縷のひかりのようだった。
***
普通の生活には戻れなかった。
人とすれ違う度に吐きそうになる、触れられそうになる度に体がこわばった。突然出る涙はコントロールできずに、体が勝手に蹲る。
七種茨は休業になって、ひっそりと、郊外の部屋で生きた。
閣下が、そばにいてくれた。
二人で生活できるまで一年が経ち、二年が経った。
暗闇で息ができなくなる俺のために、煌々と光る部屋を用意してくれる。
希死念慮のために、部屋には監視カメラがつけられ、不測の事態が起きないように監視員が近くに配備された。閣下がいない時はその人たちが助けてくれる。
俺は生きなければいけなかった。
「ただいま」
夕暮れの赤い空を見ていたら、閣下が仕事から帰ってきた。
「……おかえりなさい……」
「空、きれいだね。星も出てる」
「……」
俺は完全に無能になって、ただ生きているだけになっている。しにたいと泣く度に、閣下は、「私のために生きて」と願った。
俺にそんな価値ないのに。
「隣、座るね」
閣下の匂い。気配。それを享受する。
「……触っていい?」
「……はい」
「……ありがとう」
そっと、俺の手の甲を、子猫にするみたいに指先で撫でて、閣下はわらった。
二人の熱が混ざり合って、何かを形成していく。
こわかった。
俺には閣下しかなくて、でも、俺はもう閣下になにもあげられない。
それでも、『愛する人』だった。
涙が勝手に流れた。
それに気がついて、閣下は俺の目を拭う。
「かっか……」
「……なあに、茨」
「かっか……すてないで……おいてかないで……」
「……捨てない。離さない。もう置いて行かないよ。私、茨と一緒に暮らせて、幸せだよ。だから、ずっと一緒にいようね」
俺の顔を覗く閣下が欲しかった。
キス。すき。愛してる。愛する人。
触れるだけで体が震えた。ほんとうに望んでいるのに、あの日々の呪いが、全身をこわばらせる。
「茨」
「ひっ……!」
陵辱される恐怖が体を包んで、俺は閣下を突き放して拒絶してしまう。
「あ゙……あ゙あ゙……っ、かっか、あ……っ」
「……大丈夫、ずっとそばにいるから、茨、怖がらないで、私は茨を傷つけない」
「うう、う……ぅ、がっがぁっ……っ」
そっと背中を撫でてくれる手がやさしかった。
何度目かわからない涙を流して、熱の混ざりを、ひどく愛おしく感じる。ほんとうはもっとほしい、呪いを解いて、ほんとうに、愛をしたかった。
続く
(220606)