赤い人魚は歌う 人魚は、南の方の海にばかり棲んでいるのではありません。北の海にも棲んでいたのであります。
――小川未明『赤い蝋燭と人魚』
くらい、さびしい、北の海にも人魚がありました。
茨は薔薇色の髪と鱗とヒレをもつ、人魚の子供でありました。赤子の頃、岬に住む老夫婦に拾われ、こうして陸で生きております。男ではありましたが、大層美しく、遠くから茨を訪ねて人がやってきては、老夫婦の売る蝋燭を買っていきます。茨は賢く、飾りの絵を蝋燭に描いては、たんと高値で売りつけました。
その蝋燭を岬のお宮に灯せば、海の嵐はぴたりと止みます。茨はそれを知って、蝋燭に付加価値をつけては、また高値で売りました。商売上手だったのです。今日もヒレをぱちゃぱちゃと揺らしながら、お金を数えて鼻歌を歌います。その歌声は軽やかで、人を魅了する色をしていました。この歌も商売にしてもいいな、とぼんやり思いながら、つめたい北の海を眺めては、どこか満たされぬ胸の裡を感じていました。
***
蠟燭売りを休んで夜の水浴びをしていれば、海の向こうに光を灯した客船が浮かんでいました。
あれはなんだろうと近づけば、領主の家紋の旗がひらめきます。どうやら城の殿様の、祝いの席なんだろうな、と茨はきらきらひかる灯を見ながら思いました。笛や太鼓がお歌を歌って騒ぎます。船縁に、ちらりと姿が見えました。銀夜の髪に、太陽の目を光らせて、その人はくらい海の遠くを見ていました。
「あ……」
茨はそれに見とれてしまいました。あんなに美しい人を初めて見ました。胸が逸って、いけないのに、茨は船に近づきました。なぎささま、とお付きのものがその人にこえを掛けます。
なぎささま、なぎささま、なぎささま。
茨はその名前を覚えました。そうしてため息を吐きます。
暫くそうしていましたが、何やら海が騒ぎました。波が大きくなり、風が吹き、雨がやってきました。岬のお宮を見れば、今日はどうやら誰も灯を上げていないようでした。
嵐は激しくなり、簡単に船を飲み込みました。人々が海に投げ出されます。
茨はなぎささまを探しました。そうして、流されるその体を捕まえて、海岸まで運びました。飲んだ水を吐き出させて、息を吹き込みます。止まっていた息が吹き返されて、どうやら生きているようでした。茨はほっとしました。夜通し看病をしました。空が白んで、朝になりました。
「……きみは」
凪砂のこえを聞いた気がして、茨はどきりとします。
遠くから探しのものがやってくるようでした。茨は慌てて逃げました。岩陰に隠れれば、凪砂は抱えられて、籠に乗せられ帰っていきます。
茨はそれを見送りました。とおくとおく、お城へ帰っていきます。
並んで歩ければどんなにかいいだろうと思いました。
人間の足があれば、と、茨はため息をつきました。
***
城の殿様が人探しをしている噂はすぐに広がりました。なんでも薔薇色の髪をした人を探していると。褒賞金が出るというので、人々は沸き立ちました。
老夫婦も、茨にそのことを伝えました。茨は「でも俺は人ではありませんよ」と静かにいいます。けれど、もしかしたらなぎささまに会えるかもしれない、そればかりが気になって、落ち着いていられませんでした。
外が騒がしくなって、どうやら城の一団がやってきたようです。狭い家に、人々が入っていっぱいになりました。茨は差し出されて、顔を上げます。
そこにはなぎささまがおりました。
「……きみだ」
凪砂は人魚を恐れずに、その手を取ってわらいました。
「……名前は?」
「茨……であります……」
「……茨、ありがとう。お礼をしたい。おいで」
凪砂は茨を抱えて籠にのり、城へ向かいました。夢のようでした。凪砂の手が鱗に触れればそこは熱く爛れそうになりました。人間の手は熱いのです。凪砂はそれに気がついて手を離しました。
「……ごめんね」
「お、俺は人間ではなくて……」
「……知ってる。素敵だね、ひんやりしてて、綺麗な色をしている、髪も、鱗も」
「人間でなくて、申し訳ないです、足があれば……」
「……なくたって、なんの問題もないよ。私がこうして抱えてあげるからね」
「わ」
凪砂は手拭いでくるんで茨を抱えて城内を歩きました。触れる凪砂の手が熱くて、茨ははじめてのことにどうしたらいいかわかりませんでした。
「……よかったら私の友達になってほしいな。だから友達みたいに話してほしい……」
「……はい、その、ように」
一緒に食事をして、しらない美味しい食べ物もたらふく食べました。凪砂の話をよく聞いて、茨も話をしました。友達がいなかった茨は、むずがゆい衝動にかられながら話します。
「……ねえ、茨がいいならなんだけれど、ここに一緒に住めばいい。そうしたらもっと、たのしいとおもうから」
にっこりとわらう凪砂に茨は見惚れてしまいました。きがつけば返事をして、茨の部屋が用意されました。茨は凪砂のために歌いました。それが好きだといわれて、人を魅了する人魚の歌を何度も歌いました。凪砂は茨のために大きな水槽も用意しました。海の水が張られた水槽は、とても気持ちのいいものでした。時折凪砂も裸になって一緒に潜りました。凪砂は愛撫するように、茨のエラを、ゆっくり、愛おしそうに撫でました。
「……茨が人間で女だったらよかった」
楽しい日々が過ぎて、凪砂はそんなことをいいます。茨は薄々その意味するところを理解して、絶望を感じていました。凪砂は領主である以上、家を存続させるための婚姻があります。それが近々行われることを、なんとなく茨はわかっていました。
凪砂の結婚は粛々と行われました。家は強固になり、領土も広がりました。周辺地域への交渉に、凪砂は度々いかなければならない日々が続きました。広がった領土の先に、問題を抱えたままの結婚でしたから、その紛争を治めるのは凪砂の仕事でした。
凪砂のいない日々が、寂しく思われます。
茨は水槽で今日もヒレをぱちゃぱちゃと揺らしながら、蝋燭に絵をかいて鼻歌を歌います。
すると突然、奥方様が現れました。後ろには香具師のような男が控えています。
「なんでありましょうか」
奥方様ににらまれて、茨は不安を覚えました。そうして、あなたを売りました、と静かに告げられたのです。
「どうして」
人魚は災いを持たらします、あなたはこれから戦をする凪砂様に災いが降り掛かっても良いのですか、と、どうやら後ろの香具師たちに吹き込まれた懸念を、奥方様は繰り返しました。
茨は凪砂のためにありました。だけれど今、凪砂はここに居ませんでした。
確かに災いかもしれない、と、人間ではない茨は思いました。凪砂のそばに茨はいたかったけれど、茨はなによりも凪砂の幸せのことを考えていました。俺がいなければなぎささまは普通の人間のように過ごされて、子をなして、老いていくことができる。かしこい茨は、自分が凪砂の道を踏み外させていることに気が付いていました。
茨は蝋燭を赤で塗りつぶして、うつむきました。
うなだれた茨は男たちに捕まえられて、獣などが入る檻に入れられました。船に乗せられ、南へ下っていくのです。そうして見世物になるのでしょう。
なぎささまは今何をしているだろうと思いました。最後に歌を歌いたかったと思いました。どう思っているのか気になりました。もしかしたら茨のことなんか忘れているかもしれません。そうおもうと茨の胸の裡はきゅうと冷えていきました。
ぐわりぐわりと船が揺れます。
海鳥たちがしゃべります――戦が始まった。あのくにはまけるだろう、と。
「なぎささま」
茨が叫ぶと、海は嵐になりました。船は沈んで、檻は壊れました。
茨はあのくにへ急ぎました。
「なぎささま、なぎささま、」
何隻もの船が沈んでいます。海上戦のようでした。
嵐は激しくなり、簡単に船を飲み込みました。人々が海に投げ出されます。
茨は凪砂を探しました。たくさんの死骸をぬって、あの銀夜の髪を探します。
「なぎささま」
たしかに愛しい人でした。
たくさんの弓矢に射抜かれた体から、血があふれていました。
茨は流されるその体を捕まえて、あの日のように海岸まで運びました。
「……いばらが、みえる……」
「なぎささま」
茨は小刀を取って、自らの脇腹を割きました。そうしてその肉を凪砂のくちに差し入れます。
「人魚の肉です、食べれば不老不死になります、だからどうか飲み込んでください、なぎささま、――しなないで」
凪砂は何も答えずに、太陽の目を閉じたままでした。
冷たくなっていく凪砂の体を抱きしめて、茨は静かに泣きました。この骸を陸に残したくはありませんでした。茨は凪砂を抱き抱えて、くらい、さびしい、北の海に、ふかく、ふかく潜って行きました。
茨の割いた脇腹の肉から、とろとろと鮮血が海に広がっていきます。このまま自分も死んでもいいな、そうぼんやり思いました。
海の中でも、凪砂は美しく、その綺麗な銀夜の髪がたなびいています。形の良いくびに、俺と同じようにエラがあれば――もしくは、海で生きられるのではないか。
茨は凪砂のくびに爪をたててみました。そっと爪で引き裂けば、黒い血がとろとろと溢れました。自分の持っているエラと似ていて、まるでひとつの番に――人魚の夫婦になった気分になりました。
茨は胸の裡が満たされるような心地になりました。ふかくふかくふかく、ただ黒い闇の中、海の底へと沈んでいきます。
茨は凪砂を強く抱きしめて、うなぞこに横たわりました。
とろとろと溢れる互いの血が混ざり合って、煙のようにあたりを包みます。
「……なぎささま、俺はあなたのおそばに行かれますか。人魚は人間のように生まれ変われないといいます、そうならば、俺は何処へいくのでしょう。あなたとずっと一緒に生きたかった、あなたを幸せにしたかった、……もうそれはかなわないのですね……」
茨は静かに、そっと、凪砂のくちにくちづけをしました。そうしてしばらくじっと、凪砂の体を強く抱いて揺蕩いました。
人魚の災いはほんとうで、血の呪いがあるんだ、と茨は自分を責めました。あの時出会わなければ――そう考えて、海の中でまた泣きました。
ひゅふ、と、血の煙が鮮やかに舞い上がります。
「……茨」
それは確かに凪砂のこえでした。海の中で、それは音波の形で茨を包みます。
「……なぎささま……?」
「……私、生きてる……」
凪砂の首のエラが、海水をかき混ぜます。脚に鱗が生え、りっぱなヒレが備わりました。
「なぎささま、」
「……茨、帰ってきてくれた、きみにあえた、もう離さない」
人魚の血が混ざり合いました。くらいうなぞこで、二匹の人魚が踊るように絡み合いました。
茨は歌いました。凪砂のために。
***
領主を失って占領されたくには、敵国にいたぶられました。
岬の宮には、いつしか真っ赤な蝋燭が飾られるようになりました。そうして、その火が灯れば、海は大きく荒れて、くにをひどく荒らしました。
人魚の歌声が響きます。
そのくにはやがて滅んでしまいました。
Request
みつさんの文章で人魚パロの凪茨の悲恋(とっても暗い)を書いて頂きたいです!!!!
(220928)